アート&カルチャー

東京で話題の展覧会やダンス公演情報から、定番のギャラリーや美術館の紹介

2週間限定、Chim↑Pomによる「にんげんレストラン」がオープン中
アート

2週間限定、Chim↑Pomによる「にんげんレストラン」がオープン中

チンポム(Chim↑Pom)による2週間限定のレストラン『にんげんレストラン』が、10月14日よりオープンした。イベントは、2018年10月28日(日)までの開催。場所は、ホストが接客をする書店としても知られていた歌舞伎町ブックセンターだ。建て壊しが決まった同ビル(通称、歌舞伎町ブックセンタービル)の最後のイベントとなる。 ビルは、天井もぶち抜かれ、いかにも解体中な姿。期間中は、3つのフロアに数々の気鋭アーティストが登場し、人間の存在を強く意識させるパフォーマンスなどを行う。そのほか、死刑囚が刑執行前の最後の食事を選べる「last meal」より、一般公開されている実際に出されたメニューが提供されたり、ワンナイトイベントが開催される日もあるとのことだ。 タイムアウト東京は、10月13日に開催されたイベントのレセプションに参加。ここでは、写真を中心に、イベントの雰囲気を紹介する。事細かな説明はしないので、実際に足を運び、自分自信の身体で『にんげんレストラン』を感じてみてほしい。※パフォーマンス内容は日によって異なるので、イベントスケジュールはオフィシャルウェブサイトで確認しよう   努力を曝(さら)す行為や無償の献身が得意であると自負する関優花 Chim↑Pom『にんげんっていいな』展にて敢行された断食プロジェクトで、ほぼ骨と皮になる直前まで痩せた稲岡求を仏の最後の姿に見立て作られた仏像も会場のどこかに。制作は、西尾康之 会場を見下ろせる席も            『にんげんレストラン』の詳しい情報はこちら

写真で振り返る50年目の舞、大道芸人ギリヤーク尼ヶ崎が新宿で公演
ダンス

写真で振り返る50年目の舞、大道芸人ギリヤーク尼ヶ崎が新宿で公演

88歳の大道芸人ギリヤーク尼ヶ崎が8日、毎年恒例の新宿公演を行い、新作を含む5演目を踊り、1000人以上の観衆を魅了した。パーキンソン病や脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)などの重病を患いながらも路上で踊り立ち続けるギリヤーク。芸歴50周年を迎えた「伝説の大道芸人」の円熟の舞を写真で振り返る。 会場は開演1時間前から既に人で埋まり、周囲の階段や歩道橋にも人が溢れていた。この日は、新作『果たし合い』や代表作『念仏じょんがら』などを披露。 最初の演目は『じょんがら一代』。 津軽の瞽女(ごぜ/三味線や胡弓を弾きながら銭を乞い歩いた盲目の女)の姿を表現したギリヤークの代表作。三味線のゆっくりとした音に乗ってギリヤークが登場すると、会場からは「ギリヤーク!」「よ、日本一!」と掛け声が上がった。 三味線の音色に乗って登場すると、会場には大きな歓声が   次の演目は『よされ節』。 バラの花を加えたギリヤークが観客を誘い、一緒になって踊る賑やかな演目だ。 脊柱管狭窄症の影響で背骨が曲がり、顔を前に向けるのが困難な状態ながらも、ひょうきんな表情で会場を盛り上げた。 観客の手を取っての踊り   次は新作の『果たし合い』。 親交のある俳優 近藤正臣から借りていた刀のつばを使って作り上げた作品。おどろおどろしい音楽に乗せ、1人で決闘を表現する重厚感ある舞だ。昨年の新宿公演よりも体調は悪そうで、観客が不安げに見守る中で踊り切った。   続いて、最もよく知られた代表作『念仏じょんがら』。 情感豊かにゆっくりと踊り始め、次第に激しさを増していく作品だ。バケツで水をかぶったり、数珠を振り回しながら会場を飛び出して行ったりし、最後は路上で転げまわり、「おかあさーん」と絶叫して尽きる、狂気と情念に満ちた舞。 ギリヤークが「ねーんぶーつ、ねーんぶーつ、じょんがらー!」と声高らかに演目を読み上げると、会場からは「待ってました!」と声が上がった 会場脇の階段を上り、群衆の中を駆け回るギリヤーク。ゆっくりだが力強く歩を進め、初めて見に来た人たちからは「階段を上っているぞ」などと驚きの声も聞こえた バケツを持ち上げ頭から水をかぶると、観客からは一斉におひねりが投げ込まれた  母の遺影を手に「おかあさーん」と叫ぶ 無事、全ての演目が終了した。するとギリヤークが口を開いた。『果たし合い』の出来に納得がいかなかったと言うのだ。 「初めて踊るのであがっちゃって。このままじゃ皆さんに申し訳ないので、もう一度挑戦してみますので、よろしくお願いします」。 ギリヤークの強い思いを感じ、会場から声援が飛んだ。 2度目の『果たし合い』 体が思うように動かなかった1回目の踊りが嘘のように、多彩な動きで観衆を沸かせたギリヤーク。2度目の『果たし合い』を終えると、この日一番の歓声が上がり、投げ銭が乱れ飛んだ。 渾身の舞を披露したギリヤークは、腰が「く」の字に曲がり、顔は下に向いた状態で、観衆に言葉を送った。 「私の見える空間は、地面だけなんです。でもみなさんが来てくれて、本当に踊って良かったと思います。私は踊ることしか知恵がない人間ですが、50年間、みなさんのおかげで...」。 嗚咽(おえつ)を漏らしながらも、「私の踊りを皆さんが喜んでく

もがき続ける88歳 ギリヤーク尼ヶ崎が考える人生、そして今後
アート

もがき続ける88歳 ギリヤーク尼ヶ崎が考える人生、そして今後

目を閉じて、90歳を目前にした自分を想像してみる。浮かんでくるのは、孫や飼い犬などに囲まれ、のどかに過ごす姿―。実際のところどうなるかは置いておいても、多くの人がこうした、人生の荒波をくぐり抜け、穏やかな境地に達した姿を思い描くのではないだろうか。 だが、今年米寿を迎えたこの大道芸人は違う。病に抗い、目の前の公演がうまくいくか戦々恐々としながらも、駆けつけてくれる人々のために必死に自分と向き合っている。ギリヤーク尼ヶ崎(88)は、荒波の真っただ中にいる。ファンのため、亡き母のため、日本のため、未だ踊り続けるギリヤークを突き動かすのは、大道芸人としての強烈なプロ意識だった。   秋恒例の新宿公演まで10日を切ったある日。ギリヤークは困っていた。  「もう、えらいこと派手に書いてくれちゃって。これ書かれちゃったから寝られないんだよ」。 取材の前日、ある新聞がギリヤークを特集し、「次回公演で新作を披露」などと大きく報じたことに焦っていたのだ。「『公演やるよ』って書くだけかと思ったんだけど…。これでやるしかなくなったね。もうこうなったら、誰も『念仏じょんがら*』も『じょんがら一代*』も見ないよ。みんな新作を見にくるんだよ」。*いずれもギリヤークの代表的演目  泣き出しそうな声でそう嘆くが、その表情はどこか重圧を楽しんでいるようにも見える。 生きながらにしてすでに「伝説の大道芸人」と称えられるギリヤークは、38歳で銀座で踊り始めて以来、投げ銭ひとつで生計を立て、全国各地、パリ、アムステルダム、ロンドンなどあらゆる場所で舞を披露し続けてきた。国連主催のイベントでも踊ったし、ニューヨークの劇場に招かれワークショップも行った。 様々な著名人からも支持され、すでに大道芸人としての頂は極めたようにも思えるが、芸歴50周年の今年、新たな演目『果たし合い』を披露するのだという。   新作はまだ1パーセントのイメージ   『果たし合い』は、刀のつばを使い、刃先なしでチャンバラを演じる一人称の舞。ギリヤークと親交のある俳優 近藤正臣から、約50年前に「かっこいいから」とつばを借りたっきりになっていたため、「新たな踊りで近藤さんに恩返しをしたい」と、作り始めた。それにしても、なぜわざわざ新作を作るという「面倒なこと」を始めたのか。 「たしかに『慣れた演目でごまかしてやればいいのに』とか思うかもしれないよね。でも、僕は皆さんに食べさせてもらってきた。そのご恩返しもしたいんです。それを『果たし合い』に懸けているの。ちょっと調子が悪いからできない、ではダメなの」。 公演は間近だ。新作の進捗を聞いたところ、「100のうち、99はできていない」という答え。 思わず「え?」と聞き返してしまったが、本人は真剣な表情で続けた。「1パーセントのイメージしかない。だけどね、だけどね、本当のプロであれば、やる気や自信があればできるもんなんです。僕はできる方に懸けている。自分が何のために大道芸人をやってきたのか、その生き様を見せたいんです」。ひざをバシッと叩き、力強く語った。 近藤正臣から借りっぱなしになっていたつば。公演で愛用している木製の数珠は、近藤の母がくれたという   一流の能力が衰えてきてるんだよ   赤ふんどし姿になり、数珠を激しく振り回し、南無阿弥陀仏や母への思いを絶叫する。緩急豊

東京、美しい建築11選
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東京、美しい建築11選

関東大震災や第二次世界大戦の東京大空襲で大きな被害を受けるまで、東京には、現在も京都で見られるような木造の家が立ち並んでいた。その後、鉄鋼やコンクリート、独創的な形状に重きを置いた、様々な建築物が建てられ、東京は現代的に生まれ変わった。しかし天然素材の良さも見直されてきており、都は最近350メートルの木造超高層ビルの建設計画を発表している。このビルのオープンは2041年まで待たなくてはならないので、今の時点で鑑賞できる美しい建築物を紹介しよう。

東京のベストパブリックアート
アート

東京のベストパブリックアート

無数の美術館やギャラリーが存在し、常に多様な展覧会が開かれている東京。海外の芸術愛好家にとってもアジアトップクラスの目的地だ。しかし、貴重な展示会や美術館は料金がかさんでしまうのも事実。そんな時は、東京の街を散策してみよう。著名な芸術家による傑作が、野外のいたるところで鑑賞できる。特におすすめのスポットを紹介しよう。

私はこうして魅せられた、ギリヤーク尼ヶ崎を支える黒子の思い
アート

私はこうして魅せられた、ギリヤーク尼ヶ崎を支える黒子の思い

私はこうして魅せられた、ギリヤーク尼ヶ崎を支える黒子の思い

インタビュー・アーカイブス

インタビュー:石井則仁(山海塾)
アート

インタビュー:石井則仁(山海塾)

日本の美意識から生まれ、世界のコンテンポラリーダンスに多大な影響を与えた「舞踏」。その中心的な役割を担っているグループの1つが、1975年に結成され現在もパリ市立劇場を拠点に活動する山海塾だ。2017年11月には東京でも新国立劇場にて『海の賑わい 陸(オカ)の静寂―めぐり』の上演が控えている山海塾の、新しい世代のダンサーにタイムアウト東京は注目した。1984年生まれの舞踏家、石井則仁に聞く、山海塾との出会いやアートとビジネスの関係。

インタビュー:アイ・ウェイウェイ
アート

インタビュー:アイ・ウェイウェイ

2011年に拘留が解かれて以来、芸術家の艾未未(アイ・ウェイウェイ/Ai Weiwei)は中国を離れることを禁じられている。しかしそれをもってしても、彼が世界で最も有名な芸術家であることは変えられない。ロンドンでの作品展を翌日に控え、タイムアウトは当局の監視、彼の成功、メディアへの頻繁な登場について、彼と対話を行った。 ※2014年に行ったインタビューです(原文)

インタビュー:青島千穂
アート

インタビュー:青島千穂

青島千穂は村上隆によりその才能を見出され、村上の主催するカイカイキキグループのアーティスト展で経験を積んできた。青島は自ら世界へ飛び出し国際的なアートシーンで華々しく活躍しており、イッセイミヤケとのコラボレーションなども実現させ、数多くのギャラリーや美術館で個展を行っている。 コンピュータ技術と伝統的日本画に関する強い関心を反映させ、青島は「自然と文明」、「火と水」、「創造と破壊」、「生と死」という対極の要素を取り扱った作品を創作している。カイカイキキギャラリーで開催される個展『REBIRTH OF THE WORLD』に先立って話を聞いた。 青島さんは大学を卒業し、経済学の学位を持っていらっしゃいますよね。アーティストになろうと決めたきっかけを教えてください。 私は本当にやりたいことが分からないまま大学に入学し、学業にも大して専念していませんでした。何種類かのアルバイトを始めたのですが、そのなかのひとつがある会社でのグラフィックデザイン部門の仕事でした。そこで同僚に『Adobe Illustrator』の基本テクニックを教わったあと、自分自身で作品を作り始めました。 村上さんのもとで働いていたとき、彼が私の作品に興味を持ってくれました。当時の作品は洗練されたものではありませんでしたが、村上さんが女性アーティストのみをフィーチャーしたグループ展に参加しないかと提案してくれました。チャンスだと思い、承諾しました。私のキャリアはそこから始まりました。 村上隆さんとの芸術面での結びつきはどのようなものですか。 村上さんには支えられ、また励まして頂いています。村上さんはアーティストとしての私を見出してくれました。カイカイキキ社ではキャリアをサポートしてもらっています。作品の展示場所も提供していただいています。 青島さんの作品はスーパーフラットに属するとの批評も見受けられます、そのように分類されることに納得していらっしゃいますか。また、スーパーフラットの特徴は作品にどのように表れていますか。 最初はその言葉が何を意味しているのか分かりませんでした。調べていくと、その特徴として挙げられている浮世絵風の美的感覚という特徴は、確かに作品に存在します。私は「スーパーフラットムーヴメント」に自分が含まれていることを受け入れています。私は芸術を勉強してきてはいないので、3次元での物体のとらえ方と、それが現実世界でどのように見えるかに習熟しているわけではありません。私は伝統的な日本画を描くことによって、平面視覚でのアートを表現しています。 著名な日本画家では、誰の影響を受けていらっしゃいますか。 葛飾北斎です。特に彼の妖怪を描いた作品です。 『百物語 さらやしき』葛飾北斎 妖怪は作品にも出てきますよね。青島さんが刺激を受けるような不気味な場所は東京にありますか。 私は実は幽霊が出ると言われている場所には行かないのですが、墓地にはかなりの影響を受けています。もう今は住んでいませんが、以前は青山墓地が一望できる場所に住んでいました 『青山墓地』写真:Greg Schechter 今度の個展では何に影響を受け、また『REBIRTH OF THE WORLD』というタイトルはどのような意味があるのでしょうか。 個展で展示するのは2011年の東日本大震災の後に制作した作品で、人間と自然の関係を表現しています。自然災害が起きたとき、その威力から自身を守るために人間ができるこ

インタビュー:ライアン・マッギンレー
アート

インタビュー:ライアン・マッギンレー

写真家、ライアン・マッギンレー。特に写真に興味がないという人も、彼の名前は聞いたことがあるという人は多いのではないだろうか。スケーター少年だったその人は、周りの友人たちとの日々をありのままに写真で記録し、カメラを手に夜な夜なパーティへと繰り出していた。ニューヨークのストリートカルチャーが色濃く写し出された彼のドキュメンタリー作品は、史上最年少でホイットニー美術館での個展を実現し、スターダムへと導いていく。 それから9年が経った今秋、東京でマッギンレーの個展が2つ同時に行われることとなった。近年は、圧倒的な世界観を放つステージング写真の数々を発表。広告やファッションのコミッションワークを同時に手掛けながら、映像作品においてもその才能をいかんなく発揮している。まさに時代の寵児とも呼べるアーティストだが、インタビューに現れた本人は過密なスケジュールからの疲れも見せず、とても気さくに、すべての質問に対して丁寧に答えてくれた。彼のアシスタントがテーブルに置いたCanon 5Dをしきりに気にしていたので、インタビュー終了後に気になって聞いてみると、四六時中どこへ行くにも動画で記録をしているそうだ。「まとめて作品にするつもりだから、そのうちどこかで目にすると思うよ」。作品のスタイルが変化せよ、そのアーティストの根底にある揺るぎないものを垣間みた気がした。

インタビュー:デヴィッド・ルヴォー
ステージ

インタビュー:デヴィッド・ルヴォー

江戸時代の浄瑠璃作者、近松門左衛門によって書かれ、今も文楽や歌舞伎で上演されている『心中天網島』。1969年には篠田正浩監督によっても映画化されたこの名作が、『ETERNAL CHIKAMATSU ―近松門左衛門「心中天網島」より―』として生まれ変わる。演出は、ウエストエンドやブロードウェイで活躍する英国人演出家デヴィッド・ルヴォー。日本では1993年に30代でT.P.T.(シアタープロジェクト・東京)芸術監督に就任し、20作以上を演出している。

東京、定番の美術館

三鷹の森ジブリ美術館
アート

三鷹の森ジブリ美術館

『となりのトトロ』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』など、日本で最も人気のあるアニメーション作品を生み出してきた、宮崎駿が館主を務める三鷹の森ジブリ美術館。トトロが出迎えてくれる入口や、屋上には佇む巨神兵などジブリの世界を楽しめる。また、ミニシアターが館内にあり短編アニメーションが上映されている。2016年5月から、オープン以来初の長期休館が決定。期間中には、展示物などをほぼすべて撤去し、大規模なリニューアルを行うようだ。 関連記事『東京でしかできない88のこと』

すみだ北斎美術館
アート

すみだ北斎美術館

※2016年11月22日オープン 生涯のほとんどを墨田区で過ごした江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎に関する美術館。葛飾北斎が残した名作の展示はもちろん、常設展示室では、北斎の生涯に沿って人物像や「すみだ」との繋がりを紹介する。作品だけではなく、門人の露木為一が残した絵をもとに忠実に再現した北斎のアトリエを再現したスペースなども設けらている。 関連記事『幻の肉筆画を公開、すみだ北斎美術館がオープン』 特集記事 『両国、ご近所ガイド』

東京国立近代美術館
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東京国立近代美術館

皇居の横に建つ日本で最初の国立美術館は、20世紀の始まり以降の日本美術を集めたもう1つのMoMA。企画展もさることながら常設展も充実している。横山大観や上村松園など13の重要文化財を含む12000点を超える国内屈指のコレクションから約200点を入れ替え展示している。建物は1969年に谷口吉郎により設計され、2002年に増築、改築が行われた。皇居の堀と石垣の横にあるので、春には花見、秋には紅葉を楽しむのに最高の場所。東京駅からの、皇居を見ながら同館へいたる散策ルートもおすすめだ。

森美術館
アート

森美術館

森美術館の成功の秘密は、並はずれた人気を博している六本木ヒルズの中に位置し、森タワーの53階にあること。52階の展望台 東京シティビューもあわせて訪れれば、バーやカフェ、パノラマ式のデッキからのすばらしい眺望も楽しめる。夜遅くまで開いているので、ますます足を運びやすい。展覧会は意図的に変化をつけてあり、過去の催しにはビル・ヴィオラのビデオアートや現代芸術におけるユーモアを巡る展覧会もあった。東京シティビューからの眺めは厳密にいうと360度ではないし、東京都庁舎の無料の展望台に比較すると高価ではあるが、とにかく眺望はほぼ間違いなくこちらのの方がすばらしい。 特集記事 東京でしかできない88のこと 六本木でしかできない101のこと

根津美術館
アート

根津美術館

明治から昭和にかけて活躍した実業家であり、近代数奇者としても知られる根津嘉一郎が自ら蒐集した書画や茶道具を中心に展示している美術館。日本以外の東洋美術や仏教美術なども豊富に揃い、コレクションは7400件を超える。本館の設計は、日本を代表する建築家の隈研吾の手になるもの。美術鑑賞の後は、都心とは思えない豊かな緑をたたえた庭園を散策するのがおすすめだ。1階の庭園口、または地階の茶席口から出て石畳の小径を進み樹々の中へ入ってゆくと見えてくる、茶室や様々な石造物もまた趣深い。

21_21 DESIGN SIGHT
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21_21 DESIGN SIGHT

東京ミッドタウン内にあるデザイン展示施設。ディレクターは日本が誇るデザイナー三宅一生、グラフィックデザイナー佐藤卓、プロダクトデザイナー深澤直人の3人。グラフィックから建築や食まで幅広いテーマの展覧会を中心に、トークイベントやワークショップなどを企画し、生活が楽しくなるデザインを提案し続けている。安藤忠雄による建物は、三宅の服づくりのコンセプト「一枚の布」に着目した巨大な鉄板の屋根が独創的。館内は地下に向かって広がっているが、日光が注ぎ不思議と心地よい。

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連載:東京を創訳する

東京を創訳する 第24回
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東京を創訳する 第24回

旅行のひとつの楽しみは、その土地の人との思い出深い交流である。ちょっとした買い物で店員としたやりとりや、食べ物屋で隣り合った地元の人との会話など、旧跡を訪ねた感動とは違うものがある。しかし、そうした普通の人との交流はできても、パリやニューヨークに行って、そこの「セレブ」やその生活を「観光」するのは難しい。それは無理に近い。でも、ロンドンでバッキンガム宮殿に行ったりするのは、その建物を見るためだけでなく、エリザベス女王が現れないとしても、宮殿の上に王室旗がはためいていれば陛下がそこにいるのだな、といった興味が湧くからだろう。 東京を訪れる外国人旅行者は、東京ではそうした「上流」の人とはどんな人で、どこにいて、何をしてるのだろう、とは考えないだろうか?他方、「普通の日本人」は東京の盛り場で何をしているのかと思ったりしないか?そう考えて、今回からは、観光では会えないような東京の上流や、「下流」というよりは庶民の人たちがどこで何をしているのかを半年ほどシリーズで書いてみる。 実は、この「High Life - Low Life」というのは、イギリスの雑誌コラムからのパクリである。1990年代は、High Lifeは上流階級出身のTakiという人が、Low Lifeの方は、ロンドンで有名な酔っ払いのエッセイスト、ジェフリー・バーナードという人が書いて人気を集めていた。僕自身はもちろん上流階級ではなく、盛り場に詳しかったりしているわけでもまったくないが、多少、今までに見知ったことを書こう。まずは上流から。 欧米に行くと上流の人たちというのが確かにいる。アメリカの古い大金持ちや、大統領の係累(けいるい)。ヨーロッパだったら貴族という階層があって、城に住んでいたりする。では、それにあたる人々とは日本、特に東京では誰なのか。答えは簡単。東京のど真ん中、広大な皇居に住んでらっしゃる天皇とそのご一家だ。ほかにも、皇居からそう遠くない繁華街の赤坂に「御所」という広い敷地があって、天皇の男系親族の数家族が「宮家」(prince)として住んでらっしゃる。そのあたりのことは英国のロンドン、タイのバンコクの王族の事情と変わらない。ただ、日本の社会で「上流階級」、というと何か外国とはニュアンスが違う。天皇や皇族は「階級」ではない、というか、ある意味で、もっと飛び抜けているというか。そのあたりの理屈も追々書くことにする。 天皇、皇族とその生活はこのタイムアウト東京のテーマになるのか。ぶっちゃけていえば、「天皇」は「観光」の対象になるのか?(日本人の読者にはやや無礼な、と気になる人もあろうが、今後このシリーズでは許してほしい)もちろんなる。好奇心と興味の湧く文物はすべて観光の対象だ。まず、天皇と会うことはできなくても拝見するチャンスはある。毎年2回、天皇誕生日(12月23日)と、1月2日には、皇居で一般参賀という機会があって、天皇ご一家がみなの前に姿を現すのだ。正月などは、毎年数十万人が集まるところを見ると、少なくとも日本人にとってこれは、一種の「観光」だろう。 ご一家は見られなくても皇居だったらいつもそこにある。日本一大きな城だから見応えはある。ただその皇居も、元はといえば天皇の「御所」ではなく、将軍であった徳川家の御城だった。天皇代々の御所は京都にある。最近のことだが、いまの皇居に天守閣を建てて観光の目玉にしようという案が出て、国会で議論にすらなった。その

東京を創訳する 第23回『初夏』
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東京を創訳する 第23回『初夏』

東京を訪れるベストシーズンは、5月から6月の初夏である。その理由は3つある。 第1に、気温は高いが盛夏の35度といった暑さではなく、風が吹けば心地良い、夜は時に肌寒くなるくらいの、温帯の夏である。旅行の装いも軽くなるし、身が軽ければ心も軽くなる。 第2に、昼間が長い。何十年もサマータイムの導入が叫ばれているがなかなか実現しない日本で、昼間(daytime)でもなく夜(night)でもない、宵(evening)の美しさと心地良さを味わえるのは、この時期だけである。灯刻となり、さて今から何を食べよう、どこに飲みに行こう、と考えるのは旅の大きな楽しみだが、初夏はそれをゆっくり算段することができる。夜が長いのだ。 第3が、意外に気づかれないのだが、旅行に最適なのに、その割にはすいている。4月は桜の狂想曲で、外からの旅行者よりもまず日本人が浮き足立っていて、どこに行っても混むし、気ぜわしい。桜に興味のある外国人旅行者だったらよいが、日本人の浮かれ具合に巻き込まれ、スケジュールが立てにくいのはやっかいだ。その桜が終わっても、4月末から5月第1週のゴールデンウィークという旅行シーズンが来る。この時期は、外国からの旅行者にとっては、興味深い行事や催しものがある訳ではない。ただ列車やホテルが取りにくくなるだけだから、避けた方がよい。ゴールデンウィークが終わると、気温が高くてもあまり蒸さない、心地よき初夏が来る。この時期に日本を旅する楽しさを逃がす手はない。最近北米の旅先で聞いた話だが、日本に来て2週間くらいサイクリングをする、というツアーがあるようだ。少しハイエンドな感じだが、東京のホテルに集合し、飛行機で出発地点に向かう。自転車とそのガイドさんが待っており、サイクリング旅行が始まる。私の聞いた場所は、能登半島と瀬戸内である。その行程に老舗旅館や、美術館が組み入れられていて、元気で好奇心の旺盛なシニアにうってつけだろう。ゴルフもこの時期にプレーするのが最高だ。日本のゴルフ場は、その数が飽和状態にあることからさまざまな工夫がなされているところも多く、ハワイでのゴルフとは違った味わいのゴルフ旅行ができるだろう。 さて、話の焦点を東京に合わせると、私の初夏の好みは、ショウブと大相撲である。ショウブは堀切菖蒲園など名園が沢山あるようだが、それはタイムアウト東京でチェックするとして、個人的には明治神宮御苑が好きだ。6月の開花の時期をうまく見計らうと、鳥居をくぐって進む参道は木々の深い緑が美しく、小道に入ってからしばらくして、ふと現れる菖蒲園は、見渡す限り濃紺から白までさまざまな色が彩なす、大輪の花が満開となっているだろう。この時ばかりは薄曇りくらいがよく、雨が降っていたらそれはむしろ好都合、興を添える。その点は風と雨が大敵の桜と違って、水と縁あるショウブならではの持ち味かも知れない。 大相撲は行けばすぐに見られるものではない。東京の夏場所は、5月の15日間と限定されて、そもそもチケットが取りにくく、外国から訪れる観光客には難しい見物であろう。しかし、そう諦めたものでもない。両国の国技館に行くと、やってくる力士、「場所入り」をする相撲取りの姿を見ることができる。そのため国技館の周りには、ファンがたくさん群がっている。番付の下の方にいる若いのから、次第にランクが上の力士が現れ、最後は横綱である。そこに何時間もいるわけにもいかないので、小一時間くらいの見物を勧めるが、相撲取りは見ると聞くとでは大違いだ。単なる肥満の人とは大違いである。その若くはち切れた大きな姿を見るだけでも

東京を創訳する 第22回『早春 - 花見』
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東京を創訳する 第22回『早春 - 花見』

「4月は残酷な季節」とは、イギリスの詩の有名な一節だが、文学的解釈は別にして、まずはイギリスの天気の不安定さを言っているに違いない、と思う。4月、うららかな日差しに家庭菜園の手入れを始めると、突如黒雲が湧き、霰(あられ)が降ってくる。あの激変は手が付けられない。東京の3月も似たところがある。3月の初めはまだ、雪が降ったり、厳冬の気温となったりするのに、月末には桜が咲いて、浮かれ気分になる。その一月の変化の大きさは一年の中で最も激しい。 花の薫りは、まずは2月に梅が届けてくれるが、そこから冬が居座る。一体いつ春が、と思うと突然、「春一番」という名の暖かい風が吹いて、冬の縛(いまし)めがほどけだす。そうすると、3月には、地球上で日本列島だけの気候現象、「桜前線」が南から上がってくる。桜が開花した土地を線で結ぶ前線だ。世界にどんな大ニュースがあっても、NHKのトップニュースはどこそこで桜が開花した、という桜便りである。そんなことでいいのか、もっと大事な問題があるだろう、と思う向きもあろうが、3月半ばを過ぎれば、もはや「桜」にかなう話題は無い。 昔からそうか、といえば、4、50年前はそんなでもなかった。全共闘という古風な運動をしているとき、花見をしようと言い出したりする僕は「右翼」と批判された。戦前、桜のぱっと散るところが軍人の潔さの比喩になったりしたからだ。今はそうした政治的反省など気にすることなく、いつでもどこでも、桜を愛でない人は日本人でないと思われる。常にあまのじゃくな僕は、そういう押しつけは全体主義的だと感じて、いまでは桜の話題をいぶかしく思っているのだが、ここでは素直になって、東京の花見はどこがいいか、という定番の話題に進もう。 どこがいい?いや、そんなことは僕が書くまでも無く、テレビや雑誌、新聞で特集が組まれている。そこを参考にした方が良い。それほど、桜フィーバーは、現代の日本に定着している。しかし言っておくが、半世紀昔の若い頃、市ヶ谷の土手伝いで桜吹雪の下を歩いたりしても、同好の鑑賞者とすれ違ったりしなかった。みな先を急いでいた。「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!」も、あまりに有名な文学的一節(梶井基次郎『桜の樹の下には』)だが、屍体でなくても「馬糞」は桜によく効くらしい。生まれた家の近くにある世田谷の馬事公苑に行くのは僕の年中行事で、そこに咲く重たいほどの花の下枝に感激したりしたが、誘う相手はあまりいなかった。 学校というものはどこでも桜の名所になるが、特に何も埋まってなくても、桜はすごい。たとえば、僕の元の職場の東大駒場キャンパスも、グラウンドを囲む土手に見事な桜並木がある。そこで、大学に勤め出した1980年代に、僕がゼミ生を誘って花見をしたのだが、夕暮れは予想より寒く、段ボールで囲いをしながら持ち込みのおでんを震えながら食べるはめになった。そう、実は桜が花開く頃は、まだまだ寒いのだ。花が咲いていて豪奢(ごうしゃ)なもんだから、つい暖かいと誤解をするのだ。地方のお城の花見など、桜の花冠の下で売られている定番はおでんだ。そこで、花見は寒いからやめた方が良いとまで言わないが、寒さには十分注意をするように、とガイドをしておく。酒盛りに参加するときはコートを忘れず、幹事は地面に敷くものの断熱に留意されたい。 などと、桜について書いていると、つい興奮をする。何しろ、最初に生まれた子に「桜

東京を創訳する 第21回 「初春 - 日本が一番日本の日」
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東京を創訳する 第21回 「初春 - 日本が一番日本の日」

1月1日は、1年の内で東京が一番、日本らしくなる日である。 始まりは、前日の大みそかからだ。12月31日は正月の準備に一家は集まり、年越し蕎麦を食べ、みなで延々、4時間半の歌番組、NHK『紅白歌合戦』を見る。この50組近くの歌手が集まる騒がしい番組が23時45分『蛍の光』の大合唱で終わると、突如、テレビからは静寂の中、「ゴーン」とお寺の鐘の音が響いてきて、次の番組『行く年来る年』となる。日本のどこか、暗い中に雪が白く輝く寺社の参道に、人々が無言で集まって来ている。東京の私たちは、「寒そうだね」と心でつぶやきながら、1年の終わり、大晦日の24時を待つ…。 ただし、必ずしもこうとは限らない。人によっては大晦日に恒例の格闘技やカウントダウンコンサートに出かけたり、家にいても部屋で片付けものをしたり、テレビを見るとしてもほかの番組にチャンネルを合わせたり、そもそも団らんには加わらず、借りためてあった連続ドラマのDVDを長時間見続けたりしている。そんな人もたくさんいる。 しかし、そういった人も、「今夜は世間では、定番の紅白と、その後のかったるい番組を見ているんだろうな」と思ったりする。そのくらい12月31日の夜は、典型的な「日本らしい」日なのである。おそらく、2、30パーセントの東京人は、いま書いた通りのことを、そっくりそのまましている。 西洋のクリスマスが家族行事であることと同じである。ただ、日本の正月は、12月28日には仕事を終えて、元旦、1月1日の後、3日まで、同じようなおせち料理の日々が続き、それに飽きた頃にやっと4日の仕事始めとなる。 では、日本人は元旦に何をするのか。朝、みなで集まって「明けましておめでとう」と言い合い、「おせち料理」を食べる。これだけ。この「おせち」は、まさに「The 日本」の食べものである。日本人だって普段は食べない日本料理を食べる。食べるどころか、正月以外は見ることすらない奇妙な「ちょろぎ」という食材も出てくる。みな、作り置きのコールドディッシュであるが、雑煮だけは温かいスープである。なかには青菜とニンジンと、そして餅が入っている。スープがおすましか味噌仕立てか、餅が丸いか角なのかは地域によって異なる。東京はおすましに角もち。異なる地方の人同士が夫婦となると、この相違は、結婚生活を脅かしはしないが、彩を添える論争の種となる。 ただしこのおせち料理、どこかのレストランで食べようとすると、普段のメニューにはない。サンクスギビングの七面鳥料理がレストランのメニューではないように。正月の三が日にホテルに泊まったりすると、ホテルの催し物の中で食べられたりするかもしれないが。 ということで、元旦に東京を訪れた旅行客は、人通りの少ない東京の街を変だなと思ったら、日本人はみな、家の中でそんなことをしているのだ、と納得すればよい。街の店はみな閉まり、レストランで営業をしているところも少ないのだ。 では、そうやって、正月は何もしないのかといえば、1つだけ「日本人の義務」がある。初詣である。『行く年来る年』で、凍てつく深夜、黙々と人々が集まっていたのはその「初詣」に向かう光景なのである。東京でも、正月の三が日、あるいはその1週間くらいは、寺社に、昨年の感謝と今年の幸せを願って、出かけていく。それは半端ではない数である。毎年、東京の明治神宮と浅草寺には、それぞれ300万人が集まる。ほかにも中小の寺や神社は数限りなくあるから、1000万人ほどの東京人は、計算上ほとんど全員、1つあるいは2つくらいの初詣を済ませることになる。 では、正月に日本

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