映画『片袖の魚』は、文月悠光の詩を原作に、自分に自信が持てないまま社会生活を過ごすトランスジェンダー女性が新たな一歩を踏み出そうとする物語だ。日本初となる、トランスジェンダー女性の俳優オーディションが開催されたことでも注目を集めている。今回、主人公の新谷ひかり役に抜擢(ばってき)されたイシヅカユウに、映画の裏話をはじめ、映画界におけるトランスジェンダーの描かれ方についてインタビューした。
タイムアウト東京 > カルチャー > インタビュー:東海林毅
2020年に日本で初めてトランスジェンダー当事者の俳優を一般公募し話題となり、自身もバイセクシュアルであることを公表する映画監督の東海林毅(しょうじ・つよし)。彼は2025年5月14日、トランスジェンダー当事者が主演する次回作『となりのとらんす少女ちゃん』のクラウドファンディングを実施し、開始2週間で目標額200万円を達成した。
2026年秋の公開を目指す同作品について話を聞くとともに、性的少数者を扱う作品を多く手がけてきた東海林に、トランスジェンダー当事者の俳優を起用する意義を聞いた。
トランスジェンダー当事者が演じることへの期待と意義

ー支援を募る期間は2025年9月9日(火)まででしたが、予定より104日早く目標を達成されました。ここまで支援を集められたのは、どうしてだと思いますか?
ここまで早い目標達成は、予想外でした。2021年に公開した『片袖の魚』で注目してくださった人が多いのかなと感じています。
同作は当事者にオーディションを行い、トランスジェンダー女性であるイシヅカユウさんが主演したものですが、それに期待してくれていた人たちが応援してくれているんだろうと思います。当時は、「何でも演じるのが俳優」「俳優と役を固定化する」などの反発も一部では起こりましたが、今はトランス当事者がトランスジェンダー役を演じた方がいいという声が主流になりつつあるんじゃないでしょうか。
ー『片袖の魚』に登場する旧友と電話で話す場面で、主人公が声を青年のように整えるシーンは、普段男性として生活している人が「演技で表現できるものではない」と感じました。
そうですね。もし男性の俳優が演じていたら、誇張されたような「男の声」を出してしまうなど、めちゃくちゃなことになっていたかもしれません。
というのも、僕自身の中にも、漠然とそんな思い込みがあったんです。トランスジェンダーは「男性的な声」「女性的な声」を使い分けていて、「ガラッと声が変わる」みたいな。実は、オーディションの時点で、皆さんに低い声と高い声、両方出してもらいました。
しかし、どなたの声も「男の声」「女の声」ではなく、その人の「低い声」「高い声」でしかなかったんです。考えてみれば当たり前ですが、実際に当事者と仕事をしていくことで、それは偏見だったのだと気づかされました。

ー東海林さんは、社会的にもトランスジェンダー当事者が演じることの重要さを訴えています。どんな意義があるのでしょうか。
まず、映画の中でトランスジェンダーや同性愛者といった人々を描くことが、なぜ大事かというと、実社会でも差別や偏見が起こっているからです。性的少数者はその数が少ないゆえに、偏見も多い存在です。特にトランスジェンダーは人口の1%前後といわれ、実情はほとんど知られていない状態です。
そんな中、当事者性が低い人が演じることは偏見の再生産になりかねません。また、トランスジェンダー当事者を起用しなければ、俳優を目指すトランスジェンダーの現場経験や収入を得る場がなくなってしまいます。
「トランスジェンダー当事者の職業俳優が少ない」から起用を見送るわけですが、経験を積むための場がなければ、いつまでたってもトランスジェンダーの俳優が増えません。そうなると、トランスジェンダーの俳優自体も可視化されず、目指すべきロールモデルも乏しく、俳優を目指す人が増えない……という悪循環となっているんです。
僕は、これは女性の社会進出における「ガラスの天井」にそっくりだと思っています。だからこそ、トランス当事者の起用をしなければ、俳優としてより高みを目指そうにも、それを評価できる人が誰もいないままになってしまうわけです。
トランスジェンダーでなければ思いつきもしない原作漫画

ー製作予定の映画『となりのとらんす少女ちゃん』は、トランスジェンダー女性が作者の短編漫画作品です。なぜ本作を実写化しようと思ったのですか?
書籍の発売は5月ですが、描き下ろしの作品以外は、すでにインターネット上で公開されていました。それを読んだ時に、「当事者である作者でないと思いつけない、書こうと思わない内容」だと感じたんです。
トランスジェンダーを描く映画は、「望んでいない性別に割り当てられ、その苦痛に耐えながら生きる」というものが多いですよね。そして、人生を切り開いたり、開けなかったりするわけじゃないですか。
でも、この漫画はそうじゃなかったんです。何かもっと小さな、生活の中で当事者として悩む姿がありました。
性別移行への考え方や悩み方も、非当事者の想像で描かれたトランスジェンダーの人物では出せないリアリティーがあって、素晴らしいと思ったんですね。
ー書籍は漫画の短編集としてまとめられています。『未来から来たとらんすちゃん』を選ばれたのはどうしてですか?
あらすじは、未来から大人(女性)になった自分が、男子中学生として生活する自分の元へやって来るというものです。僕は、こういった構造の話自体が珍しいと感じました。
「未来からトランスした自分がやってくる」っていう設定自体も面白いです。また、「映画」という映像で見せるものには、視覚的な面白さが求められます。そういった意味でも「これはいいぞ」と感じましたね。
ー目標達成をしたわけですが、現在もクラウドファンディングは続けていますか?
はい。今は次なる目標として、330万円を目指しています。内訳は、主にバリアフリー日本語字幕と音声ガイドの制作と、スタッフ・キャストへの報酬の増額です。
予算が増えればそれだけ演出の幅が広がります。9月9日まで開催しているので、興味のある人は応援してもらえたらうれしいです。
みんなで新しい波を起こしていく

ーなぜ、トランスジェンダー当事者の起用を考えるようになったのですか? 『片袖の魚』よりも前から、日本では性的少数者の当事者を役に起用する機運がすでに高まっていたのでしょうか。
それが、自分の知る限り一切なかったですね。正直なところ、僕も時期尚早だと思い込んでいました。トランスジェンダーの友人と「なぜ日本では、当事者を起用したものがないか」という話題になった時、業界を知る人間として「日本では早過ぎる」と説明をしたくらいです。
でも、家に帰ってから「なんでまだ早いって言っちゃったんだろう」と考えたんです。誰もやらないから「まだ早い」ままなんだと気づきました。そこから、自分のできる範囲で、できることをやってみようと思い立った次第です。
ー確かに、前例がなければ「まだ早い」と言いたくなるのも分かります。
トランスジェンダーの俳優がいるか、いないかも分からないし、やってもそれが成功するかどうかも不明。さらに、その映画が面白くなるかどうかも分からない。
そして、興行的に成功するか失敗するか……。未知数なことばかりです。でも先ほど話した通り、誰かが前例を作らないと、ほかに続く人も現れません。
けれども、少なくとも『片袖の魚』という1つ目の石を投げて、小さな波を起こせたと思っています。2021年以降、映画だけでなくテレビドラマも含め、多くの作品でトランスジェンダーやゲイの俳優が起用されつつあるので。
これからもいろんな人が、さまざまなタイプの石を次々に投げ込んでくれれば、さらなる新しい波が起きていくのではないかと思います。
『となりのとらんす少女ちゃん』は、僕の2つ目の石なわけです。それが一体どんな新しい波を起こすのか、注目していただければうれしいですね。