Yasufumi Murayama
Photo: Yasufumi Murayama

ステイホームできない街、文化支援の現場から

ニューノーマル、新しい文化政策 第3回 上田假奈代

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Kosuke Shimizu
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タイムアウト東京 > カルチャー > ニューノーマル、新しい文化政策 第3回 上田假奈代

社会の在り方を大きく変容させた新型コロナウイルス感染症。連載シリーズ『ニューノーマル、新しい文化政策』では、アートプロデューサー、森隆一郎(合同会社渚と代表)のディレクションのもと、コロナ禍が文化政策に及ぼす影響やパンデミック後の在り方を探っている。

第3回は、大阪のNPO法人、こえとことばとこころの部屋ココルーム代表の上田假奈代(うえだ・かなよ)。日雇い労働者の街、釜ヶ崎で「表現」を軸にカフェやゲストハウスなどを営むココルームの経験をもとに、理想的な文化支援について聞く。

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「あなたと一緒にやりたい」が人を動かす

―ココルームが誕生するのは2003年ですが、そもそもが大阪市の「新世界アーツパーク未来計画」の一環として始まっていますね。20年近く前になりますが、当時と現在とで文化政策に変化はありますか?

そういう意味では、ココルームはまさに文化政策の落とし子です。当時と今とでは大きく違いがありますが、一番の変化は当時、市とは随意契約だったということでしょうか。今だったら公募でしかできないですよね。

―公募によるプロポーザル(提案)などの方法で事業者を選ぶのではなく、行政側が決めた相手と契約するということですね。たしかに、選考基準の透明性という観点から、今では難しいように感じます。

不透明だとか絶対言われますよね(笑)。特に、当時の私は「詩業家宣言」というものをしたばかりで「詩を仕事にする」という意気込みはあったものの、まだ海のものとも山のものともつかない状況。よく声をかけてくれたなと思います。

―当時のココルームがあったフェスティバルゲートには、ミュージシャンの内橋和久さんが運営するスペース、ブリッジ(BRIDGE)も入っていて、高校生だった自分にとっても非常に刺激的な場所でした。

ココルームより先に入っていたNPOが3つあって、ココルームは4番目でした。内橋さんのビヨンド・イノセンスのほか、DANCE BOXさんが劇場を作っていたり、記録と表現とメディアのための組織remoさんが先進的な活動をしていたり。私以外はしっかり実績のある方々(笑)。

―音楽にダンス、映像。今お聞きしていてもすごく先鋭的な顔ぶれですね。市が随意契約で決めたというのが驚きです。

家賃や水光熱費の一部は税金から出ているので公平性は大事ですが、文化政策において、何をもって公平とするのかは難しいと感じます。公募に応募して採択された、というのではなく、市の担当者から「あなたと一緒にやりたい」と言われてやるのでは、引き受ける側の頑張りもちょっと質が違いますよね。大阪市の芸術というものを自分たちがやっていくんだという気概みたいなものはありました。

―ココルームをはじめ、今もユニークな活動を続けられている団体ばかりで、担当された市の職員さんの強い覚悟が感じられます。「一緒にやりたい」という思いがある随意契約だからこそできたのかもしれませんね。

ほんとにね。若い人たちが集まっていて、すごいパワーでしたね。ココルームはカフェでもあったので、世界的なアーティストとの交流の場にもなっていました。でも後から分かるんですが、この事業自体が市議会を通っていなかったんですよね(笑)。

―なるほど。フェスティバルゲートが、突如として行政からはしごを外されたような印象とともに終わってしまったのには、そんな背景があったんですね。

当初は10年計画だったんですけど、10年という約束はなかったことになりました。文化が地域に根付くには、それくらいの期間は本当に必要だと思います。市の担当者も変わってしまって、後任の人になると、なぜこの事業が選ばれているのか説明できないんですよね。あまりにも先鋭的過ぎて(笑)。

出会いを作るためにカフェの「ふり」をする

―2007年から2008年にかけて、前述のアート系NPOを含めす全てのテナントが撤退したのち、2014年末からは大規模なパチンコ店と量販店を中心にした施設になっていますね。ココルーム自体の活動についても具体的にお聞かせください。

フェスティバルゲートに入ったとき「これって税金が使われているからだな」と、そこで初めて公共性や公益性というものを考えたんです。アート好きのためだけの場所にしてはいけないと。アートに興味がない人にも入って来やすい場を作るため、カフェの「ふり」をすることにしたんです。フェスティバルゲートが、365日オープンしているという珍しい施設だったこともあり、いろいろな人が来られるようにと、なかば意地になって365日開けていました。

Photo: Daisuke Yano
ハルカスと通天閣が見える。西成を一望するゲストハウスの屋上から(Photo: Daisuke Yano)

―現在につながる喫茶店としてのココルームの始まりですね。上田さんご自身は、それ以前から詩人として活動されています。詩とカフェというとあまりつながりがないように感じられますが、公共性を担保するためのカフェだったんですね。

若い頃から活動として、詩を作り、朗読するワークショップのような場を続けてましたが、なかには特に表現することが好きというわけではないけれど、自分の居場所みたいなものを探して参加する人もいました。初めは表情も暗くて、今でいう、うつ状態のような方が、月に1回の集まりを重ねる中で、自分で考えたことを声にして、言葉にしたことを皆に聞いてもらううち、少しずつ明るくなっていくんですね。そんな様子を実際に見てきたこともあって、アートに関心のない人がカフェにやってきて、ちょっと貼ってあるポスターとか、漏れ聞こえてくる音楽とかに出合うということがとても大事だと考えました。

―特に目的がなくても、何となくお茶をしに入れるカフェならではの出合い方ですね。

一方で、周りから「勝手なことをやっている」といわれながら芸術活動をしている人たちのことも考えていました。歳を重ねるにつれ、お友達も減り、家族からも白い目で見られ、ちょっと成功したら東京や海外に拠点を移してしまうというのが、当時の大阪での表現者の状況です。大阪で表現を仕事にできる場を作ることも、現代芸術の振興に資することになるだろう、と。そこで、表現活動をしたいのにアルバイトで生計を立てている人たちに、一緒に仕事場づくりをしようと声をかけていきました。裾野を広げることと、携わる表現者を増やすこと、両方のベクトルを同時に思っていたのです。

―ココルームというと、アートによる公共支援という印象が強かったのですが、公共側からの文化支援という側面が当初からしっかりとあったんですね。いわゆる芸術から福祉へのアプローチみたいなことも、今ではよく聞かれるようになりましたが当時としては画期的な試みだったと思います。きっかけとしては、やはり先ほどのお話にあった朗読会での経験があってのことなのでしょうか?

それもそうですが、色々な社会問題を扱う団体さんが大阪市にたくさんいたことが大きいです。朗読の場を通して自分が感じていたことを、ココルームで実際に場づくりしていくのですが、例えばそれを若者支援をしている団体さんがいち早く見てくれて、ワークショップやシンポジウムに招いてくださるようになりました。

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釜ヶ崎は「危ない地域」?

―フェスティバルゲートを出ることになって家賃補助もなくなると、資金繰りが大変だったかと思うのですが、多くのNPO団体と関わることで助成金申請の方法にも変化がありそうですね。

カフェだけだとお金は回らないですね。でも私自身が詩人ということもあって、もともと助成金とは無縁だと思っていたんですよね。ささやかな朗読会とかだとお金もそんなにかからないので。でも活動を続けていくなかで、実は先駆的なことをしているな、と自覚しはじめました。先ほどのシンポジウムでも、招いてくれたNPOがココルームでやっているような「表現」というのが若者の支援にとってとても有用だと言ってくださり、こちらも思っていることを話してどんどん言葉が積み上がっていく感じ。就労支援や、障害のある方々との関わり、依存症やコミュニティービジネスなど、芸術の「関わりしろ」というのは見いだしていけるな、と実感して、それから、いろいろなジャンルの助成金を申請してさまざまな事業をするようになります。

―多様な社会問題がありますが、大阪の場合、ココルームが現在の拠点を置いている釜ヶ崎の存在は大きいですよね。日本の高度経済成長に欠かせない存在だった肉体労働者が全国から集められた結果、高齢の日雇い労働者が非常に多い地域。大阪万博の現場で20歳だった人は今70歳を超えています。

関西では、いまだに釜ヶ崎は「危ない地域だから行くな」といわれます。「いやいや、ちょっと面白いかもよ」という感じで来てもらって、実際に釜ヶ崎のおじさんたちに出会える場所がココルーム。

文化政策
釜ヶ崎芸術大学「行動学」の講座の場面。講師は細馬宏通先生

―たしかに関西にいるとそんなことを耳にします。でも、いざ釜ヶ崎を歩いてみると、知らないおじさんたちに急に話しかけられて最初はびっくりしたんですが、みんな人懐こいというか、怖いという感じは受けないですね。話しかけられるのも、詮索されたり強引に誘われたりではなく、本当にただ会話を楽しむための会話だった印象です。

「不関与規範」といって、その場その場の瞬間的な会話を楽しむのが、この街のマナーだといわれています。いろんな事情があって、この街に流れてきて、仕事も宿もその日その日、名前も大体偽名だしね。生活保護を受けるようになると定住することになり、また関係も変わっていきます。2000年に入ってから釜ヶ崎でも生活保護を受ける人がどんどん増えてきて、それまでの生活と大きく変わってきたところに、ちょうどココルームがやってきたという感じですね。

―ココルームにいらっしゃる方々は、野宿者よりも生活保護の受給者が多いということでしょうか。

そうですね。やっぱり野宿されている方たちは忙しいんですよね。夜なかにアルミ缶を集めて歩いたり、特別清掃事業(この街特有の働く仕組み)で働いたり。うちに来てゆっくり過ごされることは、なかなかできないです。生活保護に移られて「今日も明日もすることがない、用事といえば病院へ行くだけ」というような方が、ここへ来てお茶を飲んだり、お友達を作ったり、あまり出会う機会のない若者や旅人と話したり、何か新しいことにチャレンジしたりすることを「面白いな」と感じた人たちが常連になっている状況です。

―働いて生活費を稼ぐことができない人が生活保護を受けるわけで、そうなると、それまで1日中働いていた人であれば特に、何をしていいか分からなくなりそうです。野宿者が忙しいというのは、言われてみると当たり前ですが、思いも寄らなかったことがお恥ずかしいです。

「釜ヶ崎芸術大学」でも、参加者のほとんどは生活保護の方ですね。多くの方が野宿の経験者でその話もよくしてくれます。それに、野宿の方もまったくいらっしゃらないわけではないのが面白いところです。

―釜ヶ崎芸術大学は、上田さんによる詩のワークショップをはじめ、第一線で活躍する表現者や研究者の講座を、困窮されている方は無料で受講できるものですね。ラインアップも、音楽やダンス、書道などのほか、天文学や宗教学、哲学の授業などもあり充実しています。これだけの内容で、多いときには週2回開講することもあります。先ほどのお話にもあったように、ココルームも毎日開けていて、継続することを重要視されているなと感じました。

だって、信用してもらえないと思うんだよね(笑)。ココルームを始めた2003年には、この街に芸術の場所なんてなかったし。もちろん釜ヶ崎のためだけに活動しているわけではないんだけれど、この場所で活動しようと思ったら、根ざすしかないよね。一番遠回りかもしれないけど、場を開けて、こつこつと続けることが最も確実なやり方だと思って続けています。

文化政策
釜ヶ崎夏祭りのステージで歌う釜ヶ崎芸術大学合唱部(Photo: Daisuke Yano)

大きな公演よりも、その翌日が大事

実はコロナが始まってからも、一度も閉めていないんです。時短営業で22時までだったのを20時までにして。でも、この地域の行政からの委託事業で運営されている居場所はどんどん閉まっていくんですね。しょうがないんですけど、そうすると3畳一間で暮らしている釜ヶ崎の住人は行き場がないわけで。それってコロナでは死なないかもしれないけど、別の理由で死ぬかもしれないという状況になりかねない。

―東京でも、インターネットカフェなどへの休業要請によって行き場を失う人たちがいると問題になっていました。

ステイホームできる仕事とできない仕事がありますよね。先日、高速道路に乗ったときもトラックが数珠つなぎで並んでいて、多くの人は、人と接触しないために通販で買い物をするわけですけど、それがこのトラックたちを走らせているわけですよね。じゃあ自分たちのできることって何だろうって考えたら、ステイホームできないでいる人たちが、ちょっとほっこりできる場所、誰かと出会い話す場所、そういう場所を運営し続けることだから、ここは閉めない、と。そうすると本当に大変な人ばっかり来ちゃうんですけど(笑)。パートナーからDVとまでいかなくても気まづい関係の方とか、発達障害があって家でじっとしていられない方とか。でも本当に行くところがないですもんね、図書館も閉まっちゃって。

―そういう方々にとっての、いつ行っても開いていて誰かがいてくれるという安心感は分かる気がします。「アートで街づくり」や「芸術による社会福祉」というようなキャッチフレーズが聞かれるようになってずいぶんたちますが、一方で芸術祭などのイベントでも、その期間だけ他所から誰かがやってきてというような、一過性のお祭り騒ぎでしかないという批判もよく耳にします。助成金のあり方も含め、文化政策の課題だと感じます。

本当にそうですね。「ストリートワイズ・オペラ」という、ホームレスの団体にオペラのワークショップをしているイギリスの団体があります。彼ら自身は拠点を持っていなくて、各地のホームレスセンターみたいなところにワークショップの場を作り、大きな公演を行います。でも、彼らも、大きな公演をするのが大事なんじゃなくて、その翌日が大事なんだと言っています。スポットライトを浴びて、公演を終えて、そしてその次の日、いつもの場所に行くといつものメンバーがいる、そのことが大事だとおっしゃっていますね。まさにそういうことだと思います。

―それこそ助成金の多くは「大きな公演」のためのものという印象です。

すごく不思議ですよね(笑)。時々、行政ではなく財団とかだと、基盤強化のための助成金もあったりしますけどね。でもそれも「スタッフを研修に出せ」とか「コンサルを入れろ」とか、そういった内容になっちゃうんですよね。日々の活動を支えるためのお金を出すことにはどうも納得がいかないみたいね(笑)。本当のところの下支えを一緒に考えてくれていたら、そうはならない気がするんだけどな。

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アーカイブではなく「虫干し」

―継続性ということで未来の話もすると、釜ヶ崎という街は高齢の男性がとても多い街です。少し嫌な話にはなってしまいますが、この先、数年単位で街が大きく様変わりするのではないかと思います。

そうですね。先ほど釜ヶ崎のためだけにやっているわけではないと言いましたが、今の方が実は街に対して思い入れがあります。釜ヶ崎が薄まっていくというか、上書きされてしまうという不安があるんです。いかんせん地の利がとても良いので、インバウンドの観光客を受け入れるポテンシャルが高いからと、ホテルがどんどん建設されているんですね。泊まってもらうためには安心、安全と、ピカピカのホテル、街もきれいな方がいい。

釜ヶ崎芸術大学の成果発表会「釜ヶ崎オ!ペラ」(2015)
釜ヶ崎芸術大学の成果発表会「釜ヶ崎オ!ペラ」(2015)

―1960年代から行政やメディアが「釜ヶ崎」ではなく「あいりん地区」と呼び始めたのもイメージ払拭(ふっしょく)のためだと聞きます。数年前に釜ヶ崎に行ったときにも、すでにドヤではない現代風のホテルがいくつかできていて驚いたことを覚えています。 

そうなると、おじさんたちのこととか、釜ヶ崎の歴史とかは「もういい」と、パタンと蓋をされそうな気がしていて、そこに抗いたい。こうした街があったこと、こういう人たちが生きてきたこと、それを後世につないでいく。その役割を担うのは社会学者とか歴史学者とか、研究者たちなのかもしれないけど、ココルームでは表現を扱っている。無名の人たちだけどね、この街で生きてきた一人一人の表現をつなぐことができるんじゃないかと思っています。

 ―存在した証としての表現。

まだおじさんたち死んでいないので(笑)、アーカイブという言葉を使うことは今はとても違和感があるんですね。私たちはアーカイブのためにやっているわけじゃない。生の存在がちゃんとぶつかり合うというか、そのタネをちゃんと手渡しする出会い方をしたい。いや、ちゃんと手渡せていなくてもいいんです(笑)、出会うということ。それがココルームで一番起こってほしいこと。

 ―たしかにアーカイブというと死蔵品の匂いというか、古びた印象がありますね。

『さいたま国際芸術祭2020』での釜ヶ崎芸術大学の展覧会タイトルが「ことばのむし干し(星)」としたんです。たくさんの言葉というか作品未満の表現がたくさん集まっているんですが、やっぱり時々は虫干ししないと、風を通さないとだめよね。そのことによってまた誰かに出会ってもらう機会にもなるので、そういう仕組みというか仕掛けを作るのは、表現を取り扱う者が担っている役割だなと感じています。

―「言葉の虫干し」というのはとても面白い言葉ですね。虫干しって長く使うためにする行為ですもんね。本でも着物でも、それこそ何世代でも受け継いで使っていくための。

つないでいくこと、多くの人たちに出会ってもらうこと、その気持は数年前よりもだいぶ切実になってきています。なぜそんなにこだわっているかというと、これまでにおじさんたちの看取(みと)りというか、死に際に何度か立ち会ってきたからなんです。死ぬ前の数カ月、とんでもない優しさで私たち若者に接してくれるんですよね。家族に捨てられたか、捨てたか、たった一人で生きるおじさんたちが、死ぬ間際に手渡してくれたものの大きさ。この尊さを受け取った者として、このタネをいろんな人に手渡したい、出会ってもらいたい。

―2016年からはゲストハウスとしても運営されていますが、これも「出会い方」に大きな変化を及ぼしていそうですね。

今はコロナで来られませんが、外国の人たちもたくさん来てくれてリピーターも多いです。釜ヶ崎の歴史に興味を示さない人もいるし、おじさんたちに話しかけられて逃げていくような人もいるんだけど、なかにはココルームの活動に関心を持って参加してくれたり、おじさんたちに興味を示して長期滞在を始めたりした人もいます。長期滞在の外国人とおじさんがすごく仲良くなって、毎日いつもハイタッチしていたの。ほかの釜ヶ崎のホテルでは、旅人と地域の人とが出会うようなことはないので、交流したい人にとっては面白い宿だと思います。

 美術家・森村泰昌と釜ヶ崎のおじさんのコラボレーションした部屋。一泊9,000円(二人)
美術家、森村泰昌と釜ヶ崎のおじさんのコラボレーションした部屋。一泊9,000円(二人)

―それこそ釜ヶ崎芸術大学に参加して、地域の人と一緒に書道したりというのも旅の思い出としてとても印象深いものになりますよね。旅慣れている人ほど、街の本当の顔というか、ローカルな体験を重視すると思うので、海外からのリピーターが多いというのもうなずけます。これだけ「出会うこと」を大事にしているココルームなので、コロナ禍の影響も非常に大きかったと想像します。先ほど、一日も閉めていないというお話もありましたが、リモートに活動を移行するのも難しかったのでしょうね。

でも、釜ヶ崎のおじさんたちのことを気にかけてくれている外の人たちもいるので、コロナで移動できなくなったときに、釜ヶ崎芸術大学はリモートとのハイブリッドにしましょうと、2020年3月には決めていました。Wi-Fi環境にない釜ヶ崎のおじさんたちにはここに集まってもらい、先生やほかの参加者はオンラインという形で開講したんですが、もともと関係ができていたこともあって、空気感はそのまま、熱量もそんなに変わらず。おじさんたちも画面に向かって「先生ー」って手を振って(笑)。 

―オンラインのいいところも使いつつという感じですね。コロナに関する助成金についてはいかがでしたか?

大阪の芸術のための助成金についてはココルームには向いていなかったですね。オンライン配信などに対するものが主だったんですが、大規模な配信を行う気はなかったので申請はしなかったです。もうちょっときめ細かな助成金があるといいなと思いました。その点、京都市がいち早く実態調査をしているのは大したものだと思いました。それはこれまでの積み重ねですよね。困っている人の顔が見えているというか。 

―支援する側と支援される側のコミュニケーションが厚かったということでしょうか?

そうですね、公益財団法人が運営している京都芸術センターは、地域の表現者にとってのアトリエや稽古場として日々運用されていますし、小さな発表会にも関わってらっしゃいます。さまざまなジャンルの人たちが交流しやすい雰囲気もあるし、その実績がありますよね。舞台芸術祭の『Kyoto Experiment』や『KYOTOGRAPHIE』など、ネットワークしてきた取り組みの多さもあり、これまでの積み重ねのおかげだろうと思います。

―具体的にどういう支援の制度があったらいいというよりは、どういう団体が今どういう活動をしているかとか、こういう特性の団体だからこういうことに困りそうとか、そういう情報を日々集めていくことが大事なんですね。それが、コロナ禍のようなこれまでに経験のない事態での支援にも功を奏したと。上田さんご自身も、2021年度から大阪府堺市のアーツカウンシルのプログラムディレクター(PD)に就任され、支援する側にもなりますよね。

びっくりですよ(笑)。これも公募じゃないんですよ。随意契約で声をかけられて。堺市さんは、芸術については社会包摂にかじを切っていきたいという方向性を打ち出していて、それで1年前から芸術振興会議の外部委員として私も入ることになったんですね。会議に出て、さまざまな団体のヒアリングにも出席するなかで、堺市さんから「アーツカウンシルを立ち上げるからPDになってほしい」という打診がありました。

―堺市には、障害のある方による舞台芸術の制作にも力を入れているビッグ・アイさんなどもいて、上田さんが堺アーツカウンシルに入ることでまた良い出会いがありそうだと期待しています。

本当にそうありたいと思います。ビッグ・アイさんにはこの間も伺ってお話を聞いてきたところです。私自身は堺市のことはあまり知らないし、ココルームの活動も大変だし、PDの話はどうしようかと思っていたんです。でも、ココルームの活動も20年近くなり、ここ数年は大阪府豊中市さんや奈良市さんの委員もさせてもらっているんですが、そうした審議会にいらっしゃるのはやっぱり大学の先生とか、有名なキュレーターの方とか。そういうなかで、現場ではいつくばっている人間が発言するというのは大事だと思い、お受けしました。それを、現場の人間を一応呼んでいるだけ、という風に使われたらもっとあかんのですけどね(笑)。

現場で頑張る人の顔が見える文化支援を

そういう経験があって、アーツカウンシルPDとして、現場で頑張っていらっしゃる方たちを繋いでいくことは続けていかなくちゃいけないと思いました。それは行政とつなぐ、ということもあるし、ほかの現場や市民の方々とつなぐということでもある。力不足かもしれないけれど、そういうことに挑戦してみたいなと思うんですね。

―コロナ禍での京都市の取り組みを評価されていましたが、まさに現場で頑張る人の顔が見えるような支援、人と人とをつなぐ取り組みというのは、上田さんがココルームでされてきたことそのものだと感じます。

でも、私が堺市に出勤するのは週2回なんですよね、デスクまで用意されていて(笑)。人と人とをつなぐ役割を担う人というのは、週2回やってきて役所で座っている人ではないだろうな、とも思っています。任期が何年かも分からないけど、少しでも動きが作れたらいいなと、これからいろんな挑戦をさせてもらおうと思っています。

上田假奈代(うえだ・かなよ)
Photo: Yasufumi Murayama

上田假奈代(うえだ・かなよ)

詩人。2003年からNPO法人「こえとことばとこころの部屋」(ココルーム)代表として、「表現と自律と仕事と社会」をテーマに社会と表現の関わりをさぐっている。
2012年からは釜ヶ崎芸術大学を主宰、毎年約40から60の講座を開講、2014年にはヨコハマトリエンナーレにも参加を果たした。2015年第65回文化庁芸術選奨芸術振興部門新人賞を受賞。2021年からは大阪府堺市のアーツカウンシル、プログラムディレクターも務める。

釜ヶ崎芸術大学は、困窮者が無料で受講できるよう奨学金の寄付を募っている。詳細はこちら

ニューノーマル、新しい文化政策

  • アート

近頃、ミュージアムやシアター、ホールのような施設だけでなく街中をはじめ、福祉や教育、ビジネスの現場でも芸術や文化的な活動に出合うことが増えてきた。何気なく触れてきたこれらのアクションの背景はどうなっているのだろうか。

ここ20年ほどの間に、文化や芸術は芸術性の追求などの面だけではなく、社会課題と向き合うことが増えてきた。文化芸術の立ち位置の更新を踏まえ、2017年には基幹ともいえる法律『文化芸術振興基本法』が『文化芸術基本法』に改正され、文化政策も大きな転換点を迎えている。

本特集では、さまざまな社会領域を連携させていこうとする文化政策の大きな流れを知り、その動きを先取りしてきた現場の取組みから学ぶことを目的とする。そしてコロナ禍の現実からどんな未来を想像し、今後の社会づくりやビジネスにどう展開していくのか。アートプロデューサー、森隆一郎(合同会社渚と 代表)のディレクションの下で、「新しい文化政策」を軸に「ニューノーマル」を考えていきたい。第1回はニッセイ基礎研究所研究理事の吉本光宏が語ってくれた。

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