日本の「地方」で芸術祭を始めた理由
2000年に新潟で『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』を開催してからこの20年、私は瀬戸内、千葉の房総半島、北アルプス、奥能登といった「田舎」でアートをやってきました。それは、日本の地方にポテンシャルを感じたからです。
美術史的に見ると、アルタミラやラスコーの壁画(約2万年前の洞窟壁画)の時代から、美術は自然や文明と人間の間の課題や矛盾、生々しい生理やほとばしる感情を表現する手立てでした。それが市民階級の登場以来、天井画や壁画がタブロー(板絵やキャンバス画)になって切り離されて「動産」になり、昨今は美術館やギャラリーの無菌室のような空間で展示される金融商品になりました。私はそこに違和感を抱いていました。
社会に目を転じれば、近代の人間は無間地獄のような競争に追われながら、あふれる情報にさらされ、刺激興奮に踊らされて、ロボット化しているように思います。その過程で大量消費を促す都市はどこも似通い、環境が破壊され、資本主義が倫理性を失い、格差も広がる一方です。
アートは市場に取り込まれ、都市は均質化し、人間は画一化する。私はその流れに対抗するものとして、美術をやってきました。美術だけは、人と違うことが褒められます。77億人の人口がいて、誰一人として同じ人がいない、みんな違うんだと総体として言い続けているのが美術だと考えているんです。私はその美術を通して、人はそれぞれ違うということの面白さを伝えようとしてきました。
その場として都市でもいろいろなことをやってきましたが、縁あって越後妻有と出会い、田舎で芸術祭を始めました。私にとって田舎は、リアルな人間の共同体がまだ残っていて、豊かな文化や風土、自然が生きているところです。市場化した都市の均質な空間ではなく、その土地ならではの歴史的な時間が流れ、生活が根付いている場所にアートが入り込んだら面白い。そう思って、越後妻有の後、瀬戸内、千葉の房総半島、北アルプス、奥能登でも芸術祭のディレクションをするようになりました。
地方で芸術祭をするようになってから、各地でいろいろな変化が起きました。例えば瀬戸内では、ある作品に向かう道の途中に建つ家のおばあさんが、発泡スチロールに水と氷を入れて、路上でジュースを売り始めた。そのジュースはどこで仕入れているのかと思って聞いたら、近所の自販機なんです。しかも、お釣りのやり取りが面倒だからと、1本120円のジュースを100円で売っている。赤字でもいいと思えるほど、作品を観に来た人たちと言葉を交わすのが楽しかったんでしょう。そういう変化を見たり、聞いたりするたびに、僕は元気をもらいます。