東北アップデート

3.11以降の東北地域と人々の復興の歩みをたどる

陸前高田「奇跡の一本松」
陸前高田「奇跡の一本松」

2011年3月11日、マグニチュード9.0の地震が太平洋沿岸を襲い、津波が村や町を押し流し、18000以上の命が奪われた。福島第一原発周辺では、何百何千もの人々が住む場所を追われた。今世紀に起こった地震でも5本の指に入る大震災は、同時に日本史上最も強い地震だった。3.11と呼ばれるこの大災害は東北地方に大打撃を与えた一方で、日本という国を超えて、新たなボランティアリズムの可能性を世界が目撃することとなった。

3ヶ月ごとに更新されるこの「東北アップデート」シリーズは、2013年秋より、復興の道のり、多様なボランティアによる活動、そして3.11以降に東北で起こった様々な構想や企画を紹介してきた。過去の記事を一覧にまとめたので、あの日から今日までの長い道のりをじっくりと確かめてほしい。

東北アップデート

東北アップデート:希望とともに走る
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東北アップデート:希望とともに走る

2011年の東日本大震災後、ニューヨークにいた竹川隆司は、同僚やタクシー運転手から寄せられる、あり余る共感に心を動かされた。これに影響を受け、行動を起こすことを思い立ったこのベテランランナーは、宮城県の津波被災地域で『東北風土マラソン&フェスティバル』を立ち上げた。「マラソンは、東北地方以外や世界全土から人を集めるツールに過ぎません。レースだけでなく、食べ物やお酒なども楽しむのも目的です」と、竹川は語る。 しかし同フェスティバルは、政府が6兆5,000億円の拠出を約束した自立支援計画の一部として開催される数多くのイベントのひとつでしかない。マラソンから自転車ツアーまで、ボランティア団体はそれぞれの役割を担い、地元産業を活性化するために、持久力に優れたアスリートや観客を数多く東北に呼び集めている。ここで、観光客のお金が復興につながるイベントをいくつか紹介しよう。 特集『東北アップデート』のアーカイブはこちら

東北アップデート:アートが進める変化
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東北アップデート:アートが進める変化

宮島達男にとって、その日は人生で最も長い4日間だった。東北芸術工科大学の副学長だった宮島は、地震と津波が東日本を襲った2011年3月11日の震災当日は関東にいた。山形キャンパスへと戻り、学生たちの無事を確認するのに、4日を要した。 日本でもっとも著名な現代芸術家のひとりである宮島は、東北へ着くとすぐに行動を起こした。近くの石巻市で津波の被害に遭った家々から、泥土をかき出す作業に取りかかったのだ。緊急を要する仕事が一段落したところで、60歳の宮島は、東北の復興のために自らの能力をどのようにいかせるだろうかと考え始めた。 「私は常々、芸術家として東北地方に何らかの貢献をしたいと考えてきました」と宮島は言う。「人々を勇気づけ、また癒やせるようなアートワークを製作しようと思うようになりました」。そう考えていたのは宮島だけではなかった。かくして復興を支援する芸術祭『リボーンアートフェスティバル』が生まれた。 2017年7月22日(土)から2017年9月10日(日)までの51日間にわたって開催される同フェスティバルには、約20万人の参加が予想されている。開催地の牡鹿半島は、震源地に最も近い景勝地だ。フェスティバルでは、宮島を含む世界トップクラスのアーティストの作品が、国内トップクラスのシェフや地元の職人らの作品とともに展示され、すべてに日本を代表するバンドが演奏するサウンドトラックが付く。

東北アップデート:風力発電から考える
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東北アップデート:風力発電から考える

秋田県の海岸に設置された3基の風力タービンは、今日も日本海から吹きつける風を利用して電力を生み出している。2016年10月に稼働を開始したコープ東北羽川風力発電所は、約4500世帯分に相当する電力を年間でうみ出し、火力発電と比べて約9000tもの二酸化炭素を削減することができる。 発電した電力は東北電力に売電され、風力発電所に出資した宮城県、岩手県、秋田県の生活協同組合に年間で計約3億3千万円の売上をもたらすことが見込まれている。みやぎ生活協同組合の宮本弘理事長は、「福島第一原発事故を受け、再生可能エネルギーの普及を目指し、東北地方でこの動きを推進していきたい」と語った。 2011年に起きた大地震と津波によって、東北は家庭や経済に大きなダメージを受け、原子力発電所は制御不能に陥った。しかし、震災からの復興を促進するためには、再生可能エネルギーは重要な成長産業になりうると組合は考えている。みやぎ生活協同組合の環境管理室長である大原英範は、「我々は原子力発電に頼らない社会を目指しており、約30億円かけて風力発電所を建設することで着実な第1歩を踏み出した」と話す。 上記の3つの組合が出資するコープ東北グリーンエネルギーは、将来的には太陽光やバイオマスによる発電も導入する予定だという。「再生可能エネルギーの導入拡大は、東北だけでなく日本にとって重要だ」と信じているからだ。

東北アップデート:希望のブランコ
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東北アップデート:希望のブランコ

マイケル・アノップが、宮城県気仙沼市のとある公園で遊具を修理していると、近くのガソリンスタンドで給油をしていた男性がポンプを止めて彼に歩み寄り、握手を求めてきた。「彼は、この辺りには子どもたちが遊べる場所が全然ないんだと言っていた」と語るアノップはマサチューセッツ生まれのアメリカ人。NPOのプレイグラウンド オブ ホープを主宰し、2011年の東日本大震災で被災した町に子どもたちが遊べる公園を作る活動を続けている。「本当に何もないところへあなたが来てくれ、こうして遊具を直してくれる。感謝の気持ちでいっぱいです」と彼は語ったそうだ。 1989年から東京で暮らすアノップは、3.11の大震災の直後にSAVE南相馬プロジェクトに参加。その翌年には、事故を起こした福島原発周辺の放射線避難指示区域と隣接する町々へ、定期的に新鮮な食材や飲料水を届けた。 アノップはそこで、仮設住宅で暮らす人々が近所付き合いをする機会が、食料を積んだトラックが到着する日しかないようだと気が付いた。男たちは並んでたばこをふかし、女たちがおしゃべりをしている。その間、子どもたちはコンクリートで固めただけの駐車場を走り回っていた。 母親が「危ないから駐車場で遊ぶのは止めなさい」と叫ぶ声を何度も聞いたという。「そこで、ここに仮設ブランコを作ってあげられないだろうかと考えたんだ」。そしてすぐにアメリカのレインボープレイシステムズという会社に木製の遊具セットを納めている知り合いに連絡をとったところ、破格の条件でアノップに日本での販売権を与えることを承諾してくれたそうだ。

東北アップデート:差し出された手
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東北アップデート:差し出された手

2011年3月11日、サイトウ一家はすべてを失った。その日東北地方を襲った巨大地震に耐え抜いた、宮城県山本村にあった家屋は、地震に続いてやってきた津波によって農作物、ビニールハウス、トラクターとともに破壊され、生活手段は失われた。「家族は無事でした」と、家主のサイトウカズオは振り返る。「それがせめてもの救いでした」と。 5年が経過した後、土砂は取り除かれ、再建されたビニールハウスでは作物が再び元気に育っている。この復興は、日本のボランティアと外国の慈善団体を結び付ける活動を行なっている組織、ハンズオン東京の活動に拠るところが大きい。 3.11の後、同組織は生活物資を届けることに重点を置いていたが、被災地で必要とされているのは物資ではなく人なのだとすぐに気が付いた。それから毎週、ボランティアが宮城に足を運び、瓦礫を片付けたり、ポップアップカフェで無料の食べ物を提供するようになった。 「私達は人々を励まし、彼らのことを忘れていないということを伝えようと、被災地に足を運びました」こう語るのは、災害サービスを担当するハンズオン東京のプロジェクトマネジャー、ホズミナホだ。

東北アップデート:釜石とラグビー
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東北アップデート:釜石とラグビー

2011年3月11日に発生した津波と地震の2週間後、石山次郎は食料やガソリンなどの必需品を釜石に届けるため、静岡の自宅から10時間以上車を走らせていた。 石山はそこで見たものに衝撃を受けることとなる。石山がかつてラグビー界のヒーローとなった街は、押し寄せる海によって破壊され、人口の約2.5%にあたる1200人以上もの人たちが死亡、あるいは行方不明になっていたのだ。「以前のように、釜石で生活をしていたら津波と地震の被害を受けていただろうという考えが止まりませんでした。だから私は、釜石の人たちを助ける方法はないだろうか?彼らのために何ができるだろうか?と自問しました」。 2011年5月、石山は同志のラグビーファンとともに、地元ラグビーチームを支援するために「スクラム釜石」というNPOを発足させた。彼らの働きにより、2019年のラグビーワールドカップをブルーカラー地区の漁村で開催させることに成功したのだ。「私が秋田から釜石に来たとき、18歳の無名ラグビープレイヤーでした、国を代表するプレイヤーとなり多くの試合で勝てるようになるまで成長したのも釜石でした。だから恩返しをするときが来たと思ったのです」。 新日鉄のクラブチームが1978年から1985年の『ジャパンカップ』で前代未聞の7年連続優勝するまで、釜石でラグビーはマイナースポーツだった。ラグビージャーナリストでスクラム釜石理事の永田洋光は、1981年に行われたニュージーランド ポンソンビークラブとの試合でラグビーの人気に火がついたと言う。観客は近隣住宅の屋根に登って観戦していたほどである。 石山を含む釜石のプレイヤー5人は、日本で有名な「1983ナショナルチーム」でプレイし、ウェールズチームを相手に善戦した。しかし、日本経済のバブルがはじけた1988年に新日鉄は溶鉱炉を閉鎖し、2000年にはラグビーチームへの財政的支援も中止された。シーウェイブスは2001年に一般支援を受けて結成されたが、日本のトップリーグ入りすることはなかった。 2011年の津波は、家だけではなく釜石の生活までも奪い去った。2015年までには、2001年に50000人だった人口が36000人まで減少したのだ。2011年の災害から数ヶ月後、スクラム釜石の幹部らが釜石市に書類を提出し、新ラグビースタジアムを建設して、ラグビーワールドカップを釜石で開催するよう提案した。 約600世帯が仮設住宅で生活する釜石にとって、それは難しい提案だった。「釜石市が最優先にしていたのは、ワールドカップではなく街を再建することでした」と永田は言う。「しかしその一方、お金を得るための手段、あるいは影響力が必要でした。私たちは、日本政府が釜石に注目するようになり、ワールドカップを開催することが利益になると伝えました」。 さらに永田は、スタジアムプロジェクトとイベントそのものが雇用機会が生み出し、釜石の将来の労働力を強化すると説明した。「開催都市になることが釜石の最終目標ではないことを強調しました」と永田は言う。 2015年、釜石が2019年ラグビーワールドカップで日本最小の開催都市として選ばれたことが発表された。16000席を持つ釜石鵜住居復興スタジアムが建設予定である。街の再建を支援するため、スクラム釜石は福島から釜石へのチャリティーサイクリングを毎年実施しており、さらに『ともだちカップ』も毎年開催している。『ともだちカップ』では子どもたちが地元のヒーローや、イン

東北アップデート:欠片を集めて
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東北アップデート:欠片を集めて

2011年3月11日の津波で東北地方沿岸の街、石巻が壊滅状態になった4ヶ月後、アメリカはニュージャージー州出身のスー・プラム・高本は、びしょ濡れになった家族写真を廃棄し、割れた陶器の破片を集めながら、破壊された家屋の瓦礫を丹念に調べた。 「いろいろな意味で、非現実的に感じました。想像していたよりも状況は悪かったです」と、Be Oneと呼ばれる団体と一緒にボランティアの清掃活動をしていたスーは言う。「かつて家族が住んでいた家に足を踏み入れると、めちゃくちゃになった生活を目にすることになるのです」。

東北アップデート:カーディガンから始まる変革
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東北アップデート:カーディガンから始まる変革

御手洗瑞子は、最果ての海を思わせるような深い青色をした手編みのセーターを身に着けている。それはただの美しい衣服なだけでなく、2011年3月の震災からまだ復興している途中の地域をはっきり思い出させる。 我々は著名なコピーライター、糸井重里のオフィスにある会議室で話している。彼は御手洗さんと3年前から協業し、高級なカーディガンとセーターを生産する営利企業の株式会社気仙沼ニッティングを立ち上げた。御手洗が着ているようなセーターを編むニット職人のほとんどは、例の地震と津波、その後の火災(一連の災害で港町気仙沼は海抜が約2メートル下がった)によって家を失った。新しい家に移り住んだ人もいれば、未だ仮設住宅で暮らす人もいる。

東北アップデート:創造する力
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東北アップデート:創造する力

2011年の東日本大震災後、東京在住の堀之内ジェイはほかの多くの人と同様、何か行動を起こさなくてはいけないと考えた。そして、ボランティア団体に参加したこのアーティストは、2011年5月には東北へと向かっていた。東北に着いて最初に衝撃を受けたのは強烈な臭いだったと彼は語る。海底から津波によって打ち上げられた大量の汚泥がそこらじゅうに散らばっていたのだ。 魚市場から流された何千もの死んだ魚の臭いが混じった悪臭は凄まじかった。「下水道のような臭いだった」と彼は振り返る。「もう1つ衝撃的だったのは瓦礫の山だ。目に見えるのは家の土台だけ。すべてが灰色で、本当にショックだった」。 カリフォルニア生まれの堀之内は、最初の2ヶ月を石巻で汚泥をすくったり、漁師の失くした道具を探したりして過ごしたが、その後ボランティアたちは別々の場所に分かれて作業を行うことになった。チームを任された堀之内は場所の選択権を与えられると、気仙沼の唐桑を選んだ。 彼は、最初のボランティア任務のときから、この牡蠣養殖で有名な村に何か引きつけられるものがあることを感じていたという。「唐桑は結束の強いコミュニティで、隣近所がみな昔から顔なじみだ」と彼は語る。「村の人は本当にとても暖かくて、私たちを家族のように迎え、食事を振る舞ってくれた。最後は私たちのためにパーティーまで開いてくれた。すぐに私は唐桑の力になりたいと感じた」。

東北アップデート:村民とペットたちの今
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東北アップデート:村民とペットたちの今

2014年夏、福島県飯舘村で本格的な除染作業が開始された。2011年3月に発生した福島第一原発の事故で、最も被害の大きかった地域のひとつであるこの村は、年間の積算放射線量が20ミリシーベルトを超える高濃度の放射能にさらされ、4年近く人の営みは消えたままだ。 「除染をして帰村」が、国や村が一貫して掲げる方針である。先行して行われた国の実証実験を見る限り、除染により人が居住できるとされる年間1ミリシーベルト以下を、村内全域で達成できる見込みはない。今現在、村民に移住のための賠償は用意されておらず、自費で移住した者を除けば、避難住宅に留まらざるを得ない状況が続いている。村長の菅野典雄は、「生活の変化によって起きるリスクと、放射能のリスクのバランスを取りながら避難をさせることが大切」と、年間5ミリシーベルト以下を除染の目標と公言している。これは、放射線管理区域に匹敵する線量である。

東北探索

東北探索 第1回『武士の歴史を追って 福島県西部』
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東北探索 第1回『武士の歴史を追って 福島県西部』

今年で東日本大震災から5年が経つことを受け、タイムアウトニューヨークの記者が東北地方を巡り、現在の東北をレポートする記事をタイムアウトニューヨークのウェブサイト、タイムアウト東京の英語サイトで連載している。全4回の連載の第1回目は、『Following the samurai in western Fukushima』と題し、会津若松の名物を紹介。 第2回『東北で見つけた海の生き物たちとフラダンス』

東北探索 第2回『東北で見つけた海の生き物たちとフラダンス』
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東北探索 第2回『東北で見つけた海の生き物たちとフラダンス』

東北運輸局が今月発表した、27年宿泊旅行統計調査では、東北地方への外国人観光客が東日本大震災前の水準を上回った。しかし、原発事故が発生した福島では、観光客が半減してしまっているのが現状だ。この連載では、東北地方の様々な見どころを伝えるべく、タイムアウトニューヨークの記者が現在の東北で訪れるべきスポットを紹介する。全4回の連載の第2回目はいわき市。『Sea life and hula on Japan’s north coast』と題し、愛らしいアザラシがいるアクアマリンふくしま、スパリゾートハワイアンズなどを巡る。 第1回『武士の歴史を追って 福島県西部』

東北探索 第3回『宮城で島めぐりと人間観察』
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東北探索 第3回『宮城で島めぐりと人間観察』

今年で東日本大震災から5年が経つ。タイムアウトニューヨークの記者が現在の東北で訪れるべきスポットを紹介する連載の3回目では、巨大な津波が沿岸市町に押し寄せるなど甚大な被害を受けた宮城県を訪れた。昼間は浮世絵のように美しく、夜はネオンがきらめく日本で最も美しい地域である。『Island-hopping and people-watching in Miyagi』と題し、日本三景のひとつである松島を巡り、昭和の雰囲気漂う仙台の元祖炉ばたで味わう。

東北探索 第4回『復興に向けて立ち上がる東北地方』
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東北探索 第4回『復興に向けて立ち上がる東北地方』

タイムアウト東京 > トラベル >東北探索 第4回『復興に向けて立ち上がる東北地方』 in association with NHK WORLD テキスト:Joel Meares 写真:Keisuke Tanigawa   「3.11」日本国民に大きな衝撃を与えた東日本大震災から5年が経つ。巨大津波が東北地方を襲い、原子力発電所事故という最悪な状況に陥った。今月、10日に会見を行った安倍首相は、今後5年間を「復興、創生期間」と位置づけると表明。現在でも、放射能汚染や原発再稼働、避難民など問題が山積みである。タイムアウトニューヨークの記者が現在の東北を巡る連載では、最終回として壊滅的な被害を受けた陸前高田をレポート。『Rising up again in northeastern Japan』と題し、この地域に住む人々の現状を伝える。 第1回『武士の歴史を追って 福島県西部』第2回『東北で見つけた海の生き物たちとフラダンス』第3回『宮城で島めぐりと人間観察』第4回『興に向けて立ち上がる東北地方』

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