Tresor in Berlin
Photograph: Linder Sterling / Groove Magazine

ダンスミュージックを形成した5の都市

シカゴやロンドン、ベルリンなど、世界に影響を与えた音楽の地

Huw Oliver
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Huw Oliver
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ダンスミュージックは都市の音だ。その産声をあげて以来、薄暗い地下室やレコードショップ、クラブや街中など、人々が新しいものを求めて集まる場所で多様なジャンルを生み出し続けている。ダンスミュージックのリズムやサウンドは、アンダーグラウンドからメインストリームへ、都市から大都市へ、そして世界中へ浸透してきた。

中には世界を制覇したジャンルも存在するが、どんな音楽にもルーツがある。ダンスミュージックも、そのジャンルが誕生した地域の個性や精神をそのまま反映している場合が多い。自由や多文化性を示すダンスミュージックが、都市を代表する重要な文化の一つとして認識されているケースもあるほどだ。

シカゴのフットワークやブカレストのミニマリズム、テルアビブのサンプリングカルチャー。ここでは、先進的サウンドを世界に広め、ダンスミュージックの流れを変えた5の都市を紹介する。

この記事は、世界中の文化遺産をオンラインで紹介するグーグル アート&カルチャーから内容を抜粋して紹介しているので、ダンスミュージックの歴史をさらに掘り下げたいという人はぜひチェックしてみてほしい。

原文はこちら

シカゴ
Photograph: Courtesy Smart Bar

シカゴ

誰がハウスミュージックを生み出したのか明確には分かっていないが、シカゴがハウスミュージックの発祥地であることは広く知られている。

1980年代初頭、フランキー・ナックルズ(Frankie Knuckles)などの若いクラブDJたちがヨーロッパの電子音楽を実験的に取り入れ、反復的な四つ打ちのリズムや、ドラムマシンのローランド『TR-808』を使って新しいサウンドを作り出した。

マーシャル・ジェファーソン(Marshall Jefferson)の『Move Your Body』や、ミスター・フィンガーズの『Can You Feel It』などの名曲は、シカゴハウスのパイオニアであるTrax Recordsからリリースされたものだ。その後、メロディックかつディープなサウンドを特徴とするディープハウスといったジャンルも生み出されていった。

1990年代に入ると、ハウスミュージックはよりラウドに、そしてよりファンキーで刺激的なものへと進化を遂げる。シカゴの伝説的レーベル「ダンスマニア」から派生したゲットーハウス、そしてBPMが140以上の高速ビートを特徴とするジュークやフットワークといった新たなジャンルが登場。ヒップホップとゲットーハウスのハイブリッドであるこのサウンドは、この街の音楽史を語る上では欠かせない存在だろう。

地元シカゴのストリートで開催されている『フットワークパーティー』では、ダンスバトルが行われ、ダンスムーブメントとしても盛り上がりを見せている。ダンサーたちのスピーディーでキレの良い動きは見応えがあり、とにかく圧巻。

RP Boo、DJ Rashad、JlinなどのDJが、この爽快なサウンドを最先端でプレイしてきた代表者として知られている。

ベルリン
Photograph: Linder Sterling / Groove Magazine

ベルリン

ベルリンのクラブはクローズ時間が存在しないことで有名だ。ベルリンの壁崩壊後、クラブカルチャーはこの街の中心的存在になった。長い間西と東を隔てていた壁の崩壊は、この街で自由に生きたいと願う人々のシンボルであり、ベルリンのクラブカルチャーを語る上で不可欠な要素と言えるだろう。

壁の崩壊後、東ベルリン側にあった建物や土地の多くが放棄され、廃墟化した建物や空き地が至る所に出現。新しい命が吹き込まれるのを待っていたそれらのスペースは、次第に分断されていた若者たちの交流の場となっていった。

その後、市当局や行政機関は街の再編成に追われることになるのだが、街のコントロールと編成には何年もの月日を要した。無法地帯となった区域は、若者やアーティスト、レイバーなど、自由な創造性を求めて集まった全世代の手中に収められることになる。

こういった時代背景があったからこそ、ベルリンのアイデンティティーの一部でもあるユニークなクラブシーンが発展したのだ。

ここ数年、ベルリンではパーティーのクローズ時間に関する議論が再燃している。ベルリンを象徴する、無制限で自由なパーティーの時代は、終わりを告げるのかもしれない。しかしこの街が、今でもレイブカルチャーのメッカとして多くの都市に影響を与えているのも事実だ。

自由を優先した時、何を手にすることができるのか。それを示す輝かしい例として、ベルリンは今も注目され続けている。 

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ロンドン
Photograph: Flickr / drown

ロンドン

今では世界中に定着しているダブステップだが、その歴史はロンドンの小さなレコードショップで始まった。ダブステップシーンで、最も重要な場所と言えば、南ロンドンのクロイドン地区にあるビッグ アップル レコード(Big Apple Records)だ。

ビッグ アップルから、ダブステップシーンの重要人物、Artworkのデビュー作『Red』を輩出。彼の初期作品はディープでダークな2ステップ、ガレージといった要素の音楽だったが、より実験的に進化していった結果、ダブステップというジャンルに定着していった。

ダブステップ黎明(れいめい)期からのメンバーである、ベニー・イル(Benny ill.)率いるHorsepower Productionsも、シーンを語る上では欠かせない存在だ。

彼らが見いだした、カルト映画からのフルートやパーカッション、鳥の鳴き声といったダークなサンプルは多くの人に衝撃を与え、ダブステップの初期スタイルを決定づけた。当時のシーンをリアルに感じたいのなら、Hatchaのミックスアルバム『Dubstep Allstars Vol.1』を聞いてみよう。

パーティーシーンがダブステップで盛り上げるようになったのは、2001年のこと。伝説のイベントとして知られる『Forward』は、Horsepower ProductionのホームレーベルのTEMPAと、Rinse FMのサラ・ロックハート(Sarah Lockhart)がオーガナイズをしていた。

ロンドンのクラブ、プラスチック ピープル(Plastic People)で開催され、スモーキーで真っ暗なダンスフロアの中、重圧なサウンドシステムから流れるダブステップに人々は熱狂した。

その後、ダブステップはRinse FMでも盛んにプレイされるようになり、Hotflush、DMZ、Skull Disco、Reflexといったレーベルがこのジャンルをさらに広げていく。

ダブステップの先駆者として知られるkode9が主宰するレーベル、Hyperdubも、ジャンルの枠組みを超えたコンセプチュアルなアプローチで、その名を歴史に刻んだ。The Bug、Darkstar、Ikonika、Cooly G、Martyn、L.V.、Scratcha DVAなどのプロデューサーを続々と輩出し、Burialというシーンの異端児を世界に送り出した。

Burialが2007年に発表した『Untrue』は、イギリスのベースミューシック史にも残る名盤とも言える作品だ。世界を揺るがせた彼のサウンドは、不規則なビートにビデオゲームのサンプル音、ユニセックスなボーカルを織り交ぜたオリジナリティーのあるサウンドとして称賛され、マーキュリー賞にもノミネートされる。

2000年代中盤になると、RuskoやSkrillexといったアーティストが登場する。より重くて速い、そしてメタリックなスタイルへと進化し、EDM的要素を含んだスタイルがメインストリームとなっていく。

ダブステップが世界に与えた影響は、ダンスミュージックシーンだけでなくポップカルチャーにも深く浸透していると言えるだろう。

テルアビブ
Photograph: Goni Riskin

テルアビブ

テルアビブは、メインストリームとは一線を画してきた場所だ。クラブミュージックシーンがこの地で大きく発展したのは、2000年代初頭。ほかの地域に比べて歴史は浅いかもしれないが、そこには政治的に緊迫していたという理由がある。

テルアビブで、サブカルチャーがメインストリーム化するという現象が起こったのは、ここ20年間のこと。初期に主流だったトランスシーン以降も、テルアビブならではの大胆かつハイブリッドなジャンルも誕生している。

かつて、テルアビブにあった安宿の下の小さなバー、Michatronixからシーンは生まれてきた。この小さなバーでプレイされていたのは、トルコ、アラブ、イスラエルなどの伝統的な音源のサンプルを特徴とする、エスニックなダンス音楽。そこに電子音やギターやパーカッション、ベースなどの楽器をミックスした斬新なサウンドは、次第にイスラエルのダンスミュージックシーンを形成し、世界を熱狂させていくことになる。

残念ながらMichatronixはクローズしてしまったが、レジデントとしてシーンを担っていたRed Axesや、Autarkic、Moscomanなどの初期メンバーは世界のフェスティバルを飛び回る、今最も旬なDJたちだ。

そして、その後誕生したDisco HalalやMalka Tutiなどのレーベルの発展により、オーガニックかつアナログなテルアビブの音は、世界中のフロアでエキゾチックなダンスムーブメントを引き起こしている。

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ブカレスト
Photograph: Flickr / Cinty Ionescu

ブカレスト

1990年代後半のルーマニアでは、独特で耳慣れない不思議な音楽シーンを完成させた。いわゆる「ルーマニアサウンド」、または「ローミニマル」と呼ばれるジャンル。ルーマニアサウンドは、シンプルなループと斬新なリズムの反復を特徴で、それぞれのトラックは永遠に続くかのように長く催眠的だ。

こういったサウンドがヒットする少し前、ルーマニアの小さなDJコミュニティーの間では、音楽共有ファイルなどのインターネットツールが普及したばかりだった。ようやく海外の音楽にアクセスできるようになったDJたちは、手に入るだけのトラックを使いながら、さまざまなスタイルのサウンドをエクスペリメントしていく。

シーンのパイオニア的存在であるRhadooとPetreは、イビサ島でミニマルテクノのレコードをプレイするようになっていた。ミニマルテクノというジャンルは、すでにデトロイトを起源にベルリンなどの都市でプレイされていた。

アーティストたちの多くは、ミニマルテクノをプレイしながらも自国からリリースされる音楽の少なさに不満を感じており、自分たちを表現する新しい方法を模索し始めたのだった。

ルーマニアのパーティーは規制の緩さから、48時間以上にわたって開催されることが多々ある。そのため、1人のDJがそれぞれ5、6時間プレイするのもブカレストのシーンでは普通のこと。長時間に渡る単調なロングセットは、爆発的に盛り上がるようなパーティー向けではない。しかし、DJたちがゆっくりと自分たちの世界観を構築するような、ストーリー性を感じさせるセットには中毒性があり、多くの熱狂的ファンを作った。

PetreやRhadooをはじめ、Cezar、Kozo、Plareaといった気鋭アーティストたちは、当時イビサで流行していたミニマルサウンドを自国に持ち帰り、自分たちの音として再現することに成功する。こうして立ち上げられたレーベルが[a:rpia:r](アーピアー)で、ルーマニア発のアンダーグラウンドな音楽を世界に発信した。

彼らの音楽がデジタル化されることはめったになく、アナログでリリースされる数も極めて少ない。プロモーション活動もほとんどしない姿勢にも、「ミニマル」へのこだわりが感じられる。

現行のルーマニアのシーンを体感したいのなら、彼らのライブパフォーマンスへ足を運ぶべきだ。こういった彼らのストイックさは、アンダーグラウンドで活躍するDJたちのインスピレーションにもなっている。

もっと音楽に浸りたいなら……

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東京で音楽を楽しむ55のこと
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