STAGE CROSS TALK 第4回
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STAGE CROSS TALK 第4回(後編)

桐竹勘十郎(文楽人形遣い)×勅使川原三郎(舞踊家)

テキスト:
Ayako Takahashi
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異ジャンルの表現者が対談する『STAGE CROSS TALK』シリーズ。第4回は、文楽人形遣いで人間国宝の桐竹勘十郎と、国際的に活躍する舞踊家の勅使川原三郎の対談が実現した。その原体験を語った前編に続き、後編では、文楽とコンテンポラリーダンスの共通点が明らかになる。

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文楽とダンスの「振り」
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―ダンスも文楽も、ある種の様式と自由の両方があるかと思います。ぜひその辺りの共通点と相違点をうかがいたいです。

勅使川原文楽の場合、人形の動きは演出として振りとして継承されているのですか?

勘十郎:はい。古典は誰が遣っても大きくは変わらないです。浄瑠璃を語る太夫や三味線と比較すると、人形は台詞の間にどうするかなど割と自由度は高いのですが、それでも浄瑠璃の世界からはみ出ることはできません。ただ、ベテランが語ったり弾いたりしていると、聴きながら動くこちらにとって、間口は広いしタッパはあるし奥行きはあるし、広いところでお芝居ができる感覚がある。一方、若い太夫や三味線だと、狭くなりがちです(笑)。

勅使川原:普段のお稽古で、浄瑠璃の生の演奏を実際に人形と合わせるのは、どのくらいの頻度で行うのでしょう? 

勘十郎:新作や長いこと上演されていなかった演目を復活させる場合には何回かやります。しかし、古典を上演する場合は、太夫と三味線は申し合わせて何日か稽古するものの、そこに人形が入るのは舞台稽古1日で、その次は初日ですね。

「なぜお稽古しないんですか?」と言われるんですが、ズボラなわけではなく(笑)、初日が空いて公演が2週間あるとしたら、毎日違うんです。そうすると、段取りはあっても、初日は初日、二日目は二日目。だから、何日稽古をしても同じことと言いますか……。稽古が無駄とは言いませんけれども。

勅使川原:きちんと習得している者同士だからこそなんでしょうね。ダンスにおける人間の動きも、ある種の人形化というか、自己表現ではないところに置かないとダメだと思います。

―文楽で人形遣いの方が振りを覚えるにあたって、まずご自分で動いてみると聞いています。

勘十郎:そうですね。お芝居ではあまりやりませんが、踊りでは振付の方に習って自分で全部やってみますね。何でも自分の身体でわかっていないとできないので。浴衣を着て一緒に踊って覚えるのですが、人形ナシで動くのはきつくて(笑)。

人形を持っていたらなんぼでも、何万人が観ていてもできるのですけれども。まず主遣いが動いてみてある程度わかったら、左遣いや足遣いの前でやってみせ、そのあとようやく人形を持ちます。勅使川原さんの『白痴』を動画で拝見しましたが、あんな動きはとてもとても。あれはどうやって振り付けているんですか?

勅使川原:先程、文楽の人形の方は浄瑠璃を聴きながら動かれるとうかがいましたが、私は音楽にしろ言葉にしろ、動く前にまず、自分が何を受け取るかということを徹底的に突き詰めます。聴くことで、耳や心ではなく、身体の中に何が起こるかを、まずは動かずに時間をかけて感じ、探ろうとするんです。

かと思えば、正反対に、まるでほこりを払うみたいに、どうなろうと構わないというぐらい身体を使って動かす。その両方を同時にやりながら合わせていく。ここで大事なのは、気持ちで動かないこと。と同時に、気持ちがないまま型だけで動くとただの反応になってしまうので、それもダメです。耳で聴くのではなく、目で見るのではなく、身体で見ていると、違うものが見えてくる。

例えば、身体の重心が足の裏の皮膚にかかった時、その皮膚と骨との間に、沈むだけではなく、身体を浮かせる力を感じるんですね。月に比べると、地球は6倍の重力だけど、違う惑星に行ったらもっと重いかもしれない。だとしたら、地球は軽いんじゃないか。そう考えると、身体が浮かんでいるようにも感じられてくるんです。

これは練習しないと感じられないものです。でも、浮かんでいるように見せるのとは違いますし、重心というのは必ずしも一定ではなく、いろいろなところに動いていることを忘れてはいけません。

そんなことをたくさん稽古して、そこから音楽だったら音楽、場面だったら場面でどのように動くかを導いていく。そういう意味で、受け身になることがまず大事です。あとは、決めたことが本当にそれでいいのかということを、あえて打ち破る力も大事にしながらやっています。

―他の方に振り付けるときも、右手をこうして左手を……というふうに指示するのではなく、まずは感覚を共有するのですか?

勅使川原:私には、自分なりの動き方や身体の感じ方、伝え方のメソッドがありますが、ダンサーというのは動きたくてしかたがない、つまり自分は動けると思いたい生き物です。でも「動けないよ、あなたは」と私は言うんです。「なぜなら、私が要求している言葉を知らないじゃないか」と。

そして「身体の内側で何を感じ、外側にどうやって取り込むかを一緒に勉強しましょう」と説明し、ブレーキを思いっきりかけます。これはパリ・オペラ座バレエやフランクフルト・バレエなどの一流ダンサーが相手でも、初心者や、例えば目が不自由な人たちとのワークショップでも、全く同じことをやるんです。

勘十郎:うかがっていると、なるほどと思いましたね。私は逆に、若い頃は「人形の首は360度動くし、手も人間より動くのだから、もっと動かせ」としきりに言われました。怖がりなので、「これ以上動かしたら変な形になるんじゃないか」と思うわけですが、簑助師匠はそれを見抜いていて、「これでもっと大きな役がついたらどないするねん」と言う。

ある日、えーい、もうむちゃくちゃでも動かしてみようと思ったら、「さすがに動かし過ぎ」「でも、それでええねん」と。そうやって限界を覚えさせるんですね。

―ですが、その限界って変わってきませんか? 簑助師匠の遣う人形は、胸や首などの位置が人間のそれから外れているようなところがありましたが、トータルで成立し、独特の魅力になっていました。

勘十郎:そうなんです。人形でしか出せない雰囲気が出る。それも、限界を覚えたら強い。だから私は、今でもちょっと動かし過ぎるくらいに動いています。動かないでいるのは難しいですよね。

勅使川原:よくわかります。私はクラシックバレエから入って、自分の舞踊をやろうと今に至るのですが、だいたいやり過ぎだと怒られていました。でも、実際に怒られてみないと、あるいはケガしてみないと、人によってはわからないことがある気がします。もちろん、めちゃくちゃやればいいというのではなく、こういうものだというやり方を学んだ上でのことですけれども。

自分の作品づくりでも、どうしてこんな気持ち悪くなるまで動かなければいけないんだろう、もっと楽なことをやればいいのに……と思うのですが、できないんですよね(笑)。気持ち悪くなるまで動かないと、どうも成り立たないような気がして。少しずつ、そうじゃなくできるようになったかどうかはわからないけれど、塩梅といいますか、ちょうどいいところを見つけるのは大変です。

音、音楽と動き
Photo: Maya Takeuchi

音、音楽と動き

―勘十郎さんは文楽公演のほかに、チェリストの宮田大さんなどさまざまな方とコラボレーションをしていますね。

勘十郎:人形はラップでもなんでも動くことができる。一番やりやすいのは浄瑠璃ですが、音がなくてもできるのが強みかな、と。それを確かめる意味もあって、いろんなことに取り組んできました。

例えば、チェロやピアノやヴァイオリンなど洋楽と、あるいはダンサーともコラボしました。絶対できるはずだ、何か土産を持って文楽に帰ろうと考えてやっていますが、まあ難しいですね。もっと人形が生かせるはずだったのにな……と思うこともあります。

勅使川原:面白いですね。少し話は変わりますが、先程、上手に語られない方だと空間が狭くなるという話がありました。私は空間における照明のことも気になっています。文楽が一番、明かりの影、深みがあるように思うんです。能は全部見せてやりますね。それで想像する。歌舞伎はあれやこれやいろんな趣向をやります。

文楽の劇場は舞台幅があり横長なので、広いんだけれども狭いですよね。もしこれが立方体の空間だったら、三人で遣う人形の中から出てくる内側の力が、魂が、違う形で出て、そこに明かりが新たに加わると、また別のものが出てくる。可能性と言ったら失礼ですが、何かまだできることがあるようにも感じます。

―勅使川原さんは普段から照明もご自身でデザインされますしね。

勅使川原:古典の場合、昔は舞台が暗くて、炎の明るさだけで観ていたので、灯りはだいたい下から上にくるわけですよね。で、反射鏡を置くわけではないでしょうから影ができて、その影と内側の動きが、ある種のリズムを作っていたのではないかと勝手に想像しています。

文楽の場合は、手もそうだし首もそうだし、全てのアティテュードが語りのリズムの中にある気がして……。これは私のやっていることに勝手に引き寄せて理解しようとしているんですけれども。そういうリズムに関してはいかがですか?

勘十郎:私らは子供の頃から文楽をやっていて、浄瑠璃を嫌というほど聴いていますので、義太夫節の独特のリズムが染みついています。ですから、ちょっと音や声が外れると気持ち悪いですし、三味線がベーンと鳴ったら自然に体が動くんです。

勅使川原:その言葉、リズムには、地域性もあるんでしょうか。

勘十郎:浄瑠璃は、いま喋られているものとは少し違いますが、大阪の言葉で書かれています。でも、大阪以外の出身者がほとんどなので、特に太夫さんは最初、「訛り」をゼロにするのが非常に困難なんです。三味線弾きも大阪弁が喋れないと弾けない、と言われてしまいます。

勅使川原:私は東京出身で、東京の落語も大阪の落語も好きなんですが、東京の落語は下町の方と、別のところでは味わいが違いますね。落語だったらズレてもいいんだという人も多いけれど。

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歳月の中での表現
Photo: Maya Takeuchi

歳月の中での表現

―勘十郎さんに以前インタビューをした時、ご自身が動かしているはずなのに、人形に動かされているように感じることがあるとおっしゃっていました。

勘十郎:60過ぎてからは、そうですね。要らない力を取らないと、人形は動きません。ずっとそう言われていたけれどもなかなか実感として理解できず、理解できたのが60過ぎ。

同じ頃、浄瑠璃も、毎日音を聴いて染み込んではいるものの耳から入って左手の人形へ入っていくような感じだったのが、聴いた時にはもう人形が動いているようになりました。

それで、自分が人形を遣っているのか、ゴーストが遣っているのか、というような気持ちになって。力が抜けているというのはこういうことだったんだ、自分の力が人形を動けなくしていたんだ、ということがわかりました。

―そうなると、楽しくてしかたがないのではないですか?

勘十郎:楽しいです。どんな役でも、おじいさんでもおばあさんでも、役に不足はない。とにかく人形を遣うのが楽しいですね。

―勅使川原さんはいかがですか?

勅使川原:私はずっと空っぽですから(笑)、常に楽しいですね。そうでなかったらできないでしょう。伝統芸能の方は、古典の中で安心してご自分を遊ばせることが、あるいは生きることができますよね。厳しい世界だとは思いますが楽しさもあり、厚みがある。長く時間をかけてこられて、これからもまだ時間をかけて、終わりがないという、その素晴らしさに憧れます。

一方、自分は根のないところから出発している気がしますが、やはり終わりを決めずにどこまでもやることの面白さの中で生きたいという気持ちはありますね。誰も気にしないかもしれないけれども、自分が勝手に時間をかけなきゃできないことをやる。これをやっているというふうに自覚することが、私にとっての楽しさです。

―勘十郎さんは2021年、人間国宝になられました。また、勅使川原さんは2020年から愛知県芸術劇場の芸術監督を務め、2022年7月にはイタリアのベネチア・ビエンナーレのダンス部門で金獅子功労賞の授与されることも発表されました。今後のビジョンをお聞かせください。

勘十郎:人間国宝になっても急に芸が良くなるわけではないのですが(笑)、気になるのは後継者ですね。若い人、特に足遣いが今は少ないので、ちょっと大きな演目をやるともういっぱいいっぱいなんです。しかもいつまでも足遣いでいさせるわけにいかない。私も15年くらい足遣いをやりましたが、30半ばになるとかなりキツイので、後継者を育てるのは急務です。

私自身に関して言えば、あまり今までやったことのないような、動きが少なくても存在感が必要な役に挑戦したいです。それから、上演されていない作品の復曲(復活)も。さらに欲張って言いますと、新作も作りたいですね。古典が素晴らしいから新作はいらないという意見もありますが、古典に勝るものはなかなかできないとしても、いつの時代も創ったその瞬間は新作でそれが残っていくわけですから、その時代その時代で作品を創る力をいつも持っていないといけないと思います。

勅使川原:素晴らしいですね! 私にとって、作品を作ることと教えたり伝えたりすることは両輪です。しかし、自分の中で一番面白いと感じるのは、作品を創って自分で踊ること。照明から音から装置から衣装から全て自分で手掛けて、自分が振り付けて演出して踊ってと、最低10人ぐらい自分の中に蠢いているので、後継者をきちんと育てるということは今生では無理。次の世かもしれません(笑)。

しかし……。必ずこの「しかし」をつけてしまうのですが、最近少し変わってきたのは、それをどれだけできるかを示すことによって、もし興味を持って、あるいは具体的に同じことをやりたいと思う人が出てくれば、踊るのが私でなくてもいいのかなと考えるようになったことです。そして、気持ちというか、これは大事だということは言い続けていきたいし、伝えていきたいと思っています。

身体はあまりに複雑だからこそ何が最善かを言い切りたいし、不遜ながら必ずうまくいくという気持ちも実はあります。こうやったら必ず良い表現ができる、身体はこうやったら必ず良いんだと、まるでお医者さんのように思うわけです。しかし、その人がどういう人であるかまではカバーできないから、そこは個人個人には言えるのですが、本当に育成するには相当、組織的に取り組まないとできません。

しかしと言った点はそこで、自分の役割として無責任なことはできませんし、誰も求めていないでしょう。ただ、身体をこのように理解し、こう使ったら表現ができるという摂理を、自分は持っているつもりです。それをきちっと伝えていかなければ、ダンスの世界が動かないんじゃないかとも考えるんです。

ダンスは本当に面白いのに、どうしてここまでの限界やここまでのものの見方でしかできないの?、どうしてこうなんだろう?、もっとさまざまなところからもっと学べるのにどうして○○風ばかりになってしまうんだろう? こういった疑問が生じる状況がとても残念ですね。

今日、勘十郎さんとお会いできて私はうれしいのですが、古典の世界の方々に感じるのは、源というか、大もと、始まりのことをとても大事にされるでしょう? ダンスの場合、それがない。どうして劇場内で納まっているのか……と言い始めると止まらなくなりそうなので、この辺にしておきたいと思います(笑)。

―お二人が共演したり、勅使川原さんの振付で勘十郎さんの人形が動いたりといった公演を、私は妄想してしまいます。

勅使川原:先ほど呼吸の話をされていましたが、足の裏と床との関係は、私に言わせると呼吸の関係なんです。それから、文楽を三人で遣う時、人形や遣っている身体がどういう風にあるのかということも、自分にとって魅力的であり、その不可思議さというか不思議さにとても興味があります。古典の方とお話しすると、キーワードみたいなお話になってしまうことが多いですが、勘十郎さんはご自分の体験をお話ししてくださるので、面白くありがたかったです。

勘十郎:舞台はもちろんですが、コロナが落ち着いたら、ぜひ楽屋などもご案内したいですね。お話できて非常に楽しかったですし、勉強になりました。私も勅使川原さんの舞台を拝見したいです。「あ、面白そうだな」と思ってもなかなかタイミングが合わず、ついつい不勉強になってしまって。でも、いろいろと観なければと思っていますので、今度ぜひ生の舞台にうかがいたいです。

桐竹勘十郎

1953年3月1日大阪生まれ。1967年7月、文楽協会人形部研究生となる 。三世吉田簑助に師事し、吉田簑太郎を名乗る。1968年4月、文楽協会技芸員となる。初役は『壇浦兜軍記・阿古屋琴責』の水奴(大阪毎日ホール)。2003年4年、亡父の名跡を継ぎ、三世桐竹勘十郎を襲名。2021年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。

ダンサー、振付家、演出家。クラシックバレエを学んだ後、1981年から独自の創作活動を開始。1985年、宮田佳と共にKARASを結成。国内のみならず欧米や諸外国の主要なフェスティバルおよび劇場で毎年多数の公演を行う。

2013年には、荻窪に劇場とギャラリーを併設した活動拠点、KARAS APPARATUSを設立。2022年7月には、ベネチア・ビエンナーレのダンス部門で金獅子功労賞を授与される予定。

Contributor

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

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舞踊・演劇ライターの高橋彩子が共通点を感じる異ジャンルの表現者を引き合わせる『STAGE CROSS TALK』シリーズ。

第4回は、文楽人形遣いで、2021年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された桐竹勘十郎と、舞踊家で、愛知県芸術劇場芸術監督の勅使川原三郎が登場。共に1953年生まれの同い年で、どんな動きをもこなす優れた演者であり、また、「人形」「絵画」といった共通点も持つ二人。前編では、それぞれの原体験を聞いた。

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第3弾には、発表作が常に注目を集める演劇カンパニー、チェルフィッチュ主宰で劇作家、演出家の岡田利規と、ヨーロッパを中心にさまざまな歌劇場で活躍する演出家の菅尾友が登場。

岡田は演劇、菅尾はオペラの分野で、共に演出をなりわいとする1970年代生まれ同士の2人。ベルリン在住でドイツでの活動が多い菅尾だが、岡田もドイツでの公演を多くこなし、ミュンヘンカンマーシュピーレで自作を演出した経験も持つ。前編では、それぞれのジャンルや演出についての考えを聞いた。

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世界中が称賛するアーティスト、勅使川原三郎が率いるダンスカンパニー「KARAS」。パリ オペラ座バレエ団をはじめ、フランクフルト バレエ団、ネザーランドダンスシアター(NDT)など世界の名だたるカンパニーに振付作品を提供してきた勅使川原だが、驚くべきことに、その活動拠点が荻窪にあることは意外と知られていない。

そのKARASにあって、ここ何年ものあいだ舞台芸術ファンの注目を一身に浴びているのが、ダンサーの佐東利穂子だ。唯一無二の存在感が輝く舞台上だけではなく、昨今ではアーティスティックコラボレーターとして、勅使川原作品のクリエイション全般への貢献が大きく期待されている彼女。KARASが長らく精力的に取り組んできた「文学作品を踊る」ということを中心に、2021年8月に上演される勅使川原三郎版『羅生門』の魅力についても聞いた。

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2022年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した、日本を代表するバレリーナの一人である上野水香。5歳でバレエを始め、牧阿佐美バレヱ団を経て、東京バレエ団のプリマとして活躍する彼女は今、同団の定年と舞台生活40周年の節目を2023年に控える中で、華やかに咲き誇っている。そんな上野に、バレエへの思いや今月の公演『ドン・キホーテ』について聞いた。

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