岡田利規(劇作家、演出家)×菅尾友(演出家)
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STAGE CROSS TALK 第3回(前編)

岡田利規(劇作家、演出家)×菅尾友(演出家)

編集:
Hisato Hayashi
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タイムアウト東京 > カルチャー > STAGE CROSS TALK 第3回(前編)

テキスト:高橋彩子

舞踊・演劇ライター、高橋彩子が共通点を感じる異ジャンルの表現者に対談してもらう『STAGE CROSS TALK』シリーズ。第3弾には、発表作が常に注目を集める演劇カンパニー、チェルフィッチュ主宰で劇作家、演出家の岡田利規と、ヨーロッパを中心にさまざまな歌劇場で活躍する演出家の菅尾友が登場。

岡田は演劇、菅尾はオペラの分野で、共に演出をなりわいとする1970年代生まれ同士の2人。ベルリン在住でドイツでの活動が多い菅尾だが、岡田もドイツでの公演を多くこなし、ミュンヘンカンマーシュピーレで自作を演出した経験も持つ。前編では、それぞれのジャンルや演出についての考えを聞いた。

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演劇、オペラとの出合い
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演劇、オペラとの出合い

―岡田さんは演劇、菅尾さんはオペラと、ジャンルは違いますが、お二人とも演出家をなりわいにしていらっしゃいます。

菅尾:僕はシェイクスピアが好きで、大学の卒論も『ロミオとジュリエット』だったんです。蜷川幸雄さんのカンパニー(ニナガワ・カンパニー・ダッシュ)で勉強させてもらったこともありました。演劇とオペラ、両方の演出に興味があったけれど、仕事を始めた時、オペラの方が誘っていただけるタイミングが早く、その後で演劇のアシスタントの仕事が来た時にはもうオペラの仕事が決まっていたりして、それで今のところオペラの仕事が続いている感覚です。でも本当は演劇をもっとやりたいなと思ったりもするんです。

―シェイクスピアにしても蜷川演劇にしても、同じ演劇とはいえ岡田さんの演劇とはだいぶ違いますね。岡田さんはシェイクスピアにご興味は?

岡田:ないですね。よく知らないです(笑)。10代の時は映画に興味があり、映画監督になりたかったんです。でも大学では演劇サークルに入ってしまって。映画もやっているサークルだったからですが、映画を撮ることは一度もありませんでした。

僕は最初、テキストを書くということをやりたくて、演出には特に興味もなかった。ただ、やっていくうちに面白いと思うようになってきましたね。どういうところを面白いと思うようになってきたかはこの30年で変わっていますけれども。

菅尾:僕は完全にオリジナルで書いたことはないですね。新しいアイデアがあって、でも自分で書くのは難しいからその題材で書ける人を探します。ただ、原作から台本を起こしたことはありますし、今後、新作オペラを作る際にもそういうことはするかもしれませんが。

岡田:「この人なら書ける」という時の条件は何ですか?

菅尾:例えば、僕が次にオペラ化したいと思っているのは『パパとムスメの7日間』という、ドラマにもなった小説なのですが、これはポップな面白い演劇をやっている人に書いてもらうのがいいと思っています。

―オペラの場合は、そこに音楽も関わってくるから複雑ですね。

菅尾:そうですね。そういう意味ではどの作曲家と組むかというものが大きい。今、ほぼ出来上がって上演の機会をうかがっている『魔女の宅急便』はファミリー向けのオペラとして作りたかったんです。なので、クラシックをルーツに持ちつつ蜷川さんの音楽をたくさん作っていらして、劇場のことをよくご存じの作曲家、笠松泰洋さんしかいないと考えました。ベルリンでは、作曲家の別の作品を観て「この人面白い!」と感じ、一緒に作業するようになったこともあります。

ドイツの現場から見た演出家の仕事
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ドイツの現場から見た演出家の仕事

―菅尾さんはこれまでに、ヴュルツブルク・マインフランケン劇場で『ニクソン・イン・チャイナ』『神々の黄昏』ほか、ドルトムント市立歌劇場で『トゥーランドット』『蝶々夫人』、ザルツブルク音楽祭で子どものためのオペラ『魔笛』などを手がけ、岡田さんはドイツの公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレで『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』『NŌ THEATER』『NO SEX』『THE VACUUM CLEANER』を演出されています。ドイツの現場はいかがですか?

菅尾:日本との違いで言うと、ドイツでは劇場があり組織があり、年間レパートリーで公演をしている現場がほとんどなので、オペラと公演が、お祭りではなく日常。なので、初日に間に合えばいいよね、という、ある意味緩い作り方です。最初の舞台稽古では、何が問題なのかを把握すればいいし、問題は初日前までに解決していけばいいという空気です。

一方、日本だとスタッフの皆さんが最初から準備万端で、最初の舞台稽古で全てきちんとできなくては、という感じ。演出家としては、日本のスタッフと仕事をするとやりやすいですが、ドイツのやり方でも初日に間に合わないということはないですね。

岡田:僕がミュンヘンでやった時は、稽古場で長机を囲むように配置していたのが印象的でした。演出がいてその後ろに俳優がいて、出番になると演技スペースに行って、制作は隅っこの方にいて、といった制作現場のヒエラルキーがない。

演出家は放っておくとトップというか権力というか、偉いポジションになってしまうけれど、そこでは演出もキャストもスタッフもドラマトゥルクも、皆そこにいる人たちという雰囲気で、それがとても気持ちよかったんです。チェルフィッチュではそれを採用するようになりました。

菅尾:オペラの場合、演出家が稽古初日に関係者全員に向けてコンセプト発表をやるのが普通なんですが、僕はその顔合わせの場の雰囲気が堅くなるのを避けたいので、例えば合唱団が初日に来なければ人数が少なくなるので車座になったり、演出家席が準備されていたとしてもそこから出て皆と同じように座ったりして。

演出家のコンセプトを実現するために歌手が存在しているような舞台もありますが、僕の場合、「自分はこういう舞台や美術のプランを用意してきたけれども、出演者としての皆さんと一緒に作りたいと思っている」という雰囲気を自分が作ることを重視しています。

そういうやり方で良かったと言われたことは何度かあるから、間違っていないんだなと思っています。それでもやっぱり周りから見ると、演出家としてトップにいるという風に見られていて、そのことをズルく使っているのかもしれないけれど。

岡田:僕はミュンヘン・カンマーシュピーレでしか演出したこともなく、このカンパニーは外国人というだけでなくドイツ語も分からない演出家が僕以外にも多く来るという特殊な状況だったので、ドイツ全般という話はできないのですが。僕が感じたのは、演出家の仕事って、クリエーションの序盤・中盤・終盤でちょっとずつ変わるんですよね。権力の使い方みたいなものが変化する。

―具体的にはどのように変わっていくのでしょう?

岡田:序盤はざっくりいえばコンセプトですよね。中盤はリハーサル、つまり自分が実現したいことを、主に俳優に分かる言葉で伝えてパフォーマンスをトライするという作業。僕が持っているものをプロダクションの参加者に徐々に明け渡していくというか、任せていくというか、そうやって段々、具体的なものになっていく。だから、僕の感覚で言うとそれがうまくいくと、自分の荷は軽くなっていきます。

でも終盤、稽古場がピリピリして、例えば俳優が、自分のやることに対して不満を抱くみたいな事態が起きると、演出家が期待されるんですよ。権力を行使して、「こうしろ」とやることを。それは本当にちょっとした1、2個のことです。でも強権の発動には違いないから僕は本当は嫌なんだけど、仕方ないからやると皆言うことを聞く。これは日本では経験したことがないです。

菅尾:よく分かります。楽譜に書かれた情報をもとに、今回どのように立体化したいと考えているのか伝え、皆の意見も聞きながらまずは全体像を共有できるように一通りシーンを作っていくのが稽古1周目。

2周目になった時は、大事だと思っているポイントがちゃんと体に入っているか確認する。そして、1周目はよく分からずとりあえずやってみた人がいたとしたらそれが本当に納得できるものなのかを検証したり、「自分はやっぱりこう思うんだけど」と言ってくる人がいたら考えをすり合わせしたりする。僕はそういうことを、全体像が合っていればフレキシブルに捉えています。

というのも、僕だけのアイデアで作られたものなんてそれほど面白くないと思っていて、いろいろな人が持ってきたアイデアで一つの舞台になるのが魅力だと考えているから。それをクレジットとしては「演出:菅尾」となるので、得な仕事だなと思っているんですけど(笑)。

で、舞台稽古になった時、もう一度アレンジした方がいいことが出てきたり、何か戦わなくちゃいけないことが出てきたりしたら、それが3周目になります。

―演出家は根本的にはやっぱり力を持っている立場で、少し古い世代では、それを全面的に利用してやっていく人もいたかと思いますが、お二人はそれを頭の片隅では理解しつつ、できるだけそうではない方法にしようとし、かつ、どこかでそれが必要な瞬間もあるということを理解しているわけですね。

菅尾:先ほど、僕が「ズルい」と言ったのはそのことなんです(笑)。

岡田:そう、ズルいんですよ(笑)。一般的には全部自分でやっているすごい人みたいに思われやすいし、そういう人もいるとは思うんだけど、そういう一般の認識が前提としてある以上、どうしてもズルくなっちゃうのかもしれない。でも、すごく面白い作業じゃないですか。

さっき菅尾さんが「自分で思いつくことなんて大して面白くない」と言ったのはもう完全にその通りで、コンセプトというのは結局何の具体性もなくて、それが具体的になった時にどうなるかのイメージはぼんやりとははあるけれど、それがものすごく素晴らしいとは、菅尾さんも僕も全然思ってないんですよ。だから僕はコンセプト自体、言わないことが多い。

菅尾:僕はその点では具体的なアイデアを言っている方だとは思いますが、それは音楽的にここでは何か起きなくちゃおかしいとか、ここからここまでにこれを起こすためにはどうすればいいかとか、それを伝える必要があるから。でも言葉で言ったことをどう立体化するかは、歌手の才能やクリエーティビティーにかかっている。

で、音楽の種類によってはそういうポイントが明確でなかったりして、出演者が困っているようだったら「この音楽はこう感じるから、こんな印象になることが重要だと思っているんだけど」と伝えて、それぞれ自分の感じるようにやってもらったり。

だからオペラでは、一つの台本でも別の曲がついていれば別の演技になるはずで、そこを自分がどう感じて歌手がどう感じるかをすり合わせて、試して、検証していく作業だと言えると思います。

岡田:そうですね。だから具体的にこういう線にしたいという、その線そのものを描いてみせることは、僕はそんなに得策じゃないと思うんです。それよりもいくつかフラグを立てる。そのフラグはたぶん少ない方がよくて、そうなるとシュプールはこうなるよね、という風にした方が、絶対……絶対と断言しますけど、いい結果になります。 

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オペラと能、その様式
Photo: Kisa Toyoshima

オペラと能、その様式

―オペラでは、演出家のほかに指揮者というリーダーがいるのが、形式的な特徴の一つです。でも、菅尾さんの演出のイメージには聴覚面も含まれているのですよね? 

菅尾:すごくありますね。例えば音楽がおとなしいところに舞台上もおとなしい演技をするか、逆に激しい演技をするか、どちらにしても書かれている音楽に反応して演技を計算しているわけで、無視しているのとは違うのです。

それぞれの瞬間の音楽が何を表現しているのか、ということは常に意識して演出しているけれど、聞こえてくる音楽と演技のテンポ感にズレがあることで面白い効果が得られる、という場面もあります。「このゆっくりな音楽はあなたではなくて相手役の感じていることを表現した音楽だから、あなたはここでは音楽に引きずられずにむしろゆっくりではない動きをしてください」と注文することも、またその逆もあります。

書かれている音をいかに解釈して、それを伝えるためにどのような演技を取捨選択するか、ということは表現者に任されているし、そこを探っていく作業こそが稽古場の醍醐味(だいごみ)だと思います。また演劇をやりたいってすごく思っているけれど、全く音楽がない演劇となるとそれはそれでどこに立つところを見つければいいのかなと思うくらい、音楽は自分にとって重要なポジションです。

岡田:オペラ歌手は、音楽を離れた演技の訓練というものも受けるのですか?

菅尾:僕は教育の現場には立ち会っていないので詳しいことは言えません。ただ、研修所などでは日本舞踊のレッスンなどがあるけれど、音楽大学では少ないとも聞きますね。それは、ドイツもあまり変わらなくて、ドイツの音大に行ったからといって演劇のレッスンが豊富にあるわけでもないと、歌手から聞いたことがあります。

一つ、僕が面白いと感じたのは、ドイツの学生の発表公演ってプロの演出家の先生が演出する舞台もあるけれど、演出学科の学生の発表公演でもある場合も多いんですね。

演出家を目指す学生が自らの斬新なアイディアを披露する場でもあるから、いろいろカオスになっていたりもするようです。脱いだり、血のりまみれだったり。現代曲が取り上げられていることも多い気がします。フィジカル面でも、あるいは解釈の面でも学生の時からいろいろなやり方を経験する機会があるのは、いいことだと思いますね。

―オペラと同じく、岡田さんが近年、題材として取り入れている能にも、強い様式性があります。その魅力をどう感じていますか?

岡田:様式というもの自体は、必ずありますからね。例えばリアリズム演劇では様式を考えないでいいと思っている人がいるかもしれないけれど、それは、何となくそう思っていてもOK的な雰囲気があるからというだけでしかない。実際にはそんなことはなく、様式への意識が希薄なリアリズム演劇は多分つまらないです。

で、例えば能の何が僕にとって面白いかというと、あれも音楽劇ですが、能の様式だから扱える題材というのがあると思うんですよ。例えば今年6月に上演した『未練の幽霊と怪物』で僕はザハ・ハディドや高速増殖原型炉もんじゅを主役に据えましたが、それは能の形式じゃないとできないんです、あまりにもバカバカしくて。でも能だと全然、バカバカしくならない。その理由を今ちゃんとしゃべることは不可能だけれども、そういうところがすごく面白いと思っています。

そこには、音楽によってその場が時間的あるいは空間的にフィクショナルになる質の感じなど、いろいろなことが作用しているんですけれども、そうした音楽劇であると同時に、能は舞踊劇でもあり、その踊りは抽象的なダンスではなくあくまで演劇なんです。つまり、あるフィクションがそこで出現するために踊る、ということが行われる。

僕が作ったものは本当の能ではないですが、僕なりに能においてその面白さを見つけられていることはよかったと思っており、今度、『夕鶴』という作品で初めてオペラの演出をする際には、「オペラという様式は何なのか」というのを自分なりに見つけるってことがやりたいんですよね。

後編に続く)

岡田利規

1973年神奈川県横浜市生まれ、熊本県熊本市在住。演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰。

従来の演劇の概念を覆す活動は国内外で注目されている。2005年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。同年7月『クーラー』で「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005ー次代を担う振付家の発掘ー」最終選考会に出場。2007年デビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(新潮社)を発表し、2008年第二回大江健三郎賞を受賞。

2012年から岸田國士戯曲賞の審査員を務める。2013年初の演劇論集『遡行 変形していくための演劇論』、2014年に戯曲集『現在地』(ともに河出書房新社)、2020年に戯曲集『未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀』(白水社)を刊行。2016年からドイツ有数の公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリー作品演出を4シーズンにわたって務め、2020年『The Vacuum Cleaner』が、ドイツの演劇祭Theatertreffenの「注目すべき10作品」に選出。

2018年8月にはタイの小説家、ウティット・へーマムーンの原作を舞台化した『プラータナー:憑依のポートレート』をバンコク、12月にパリ、2019年6〜7月に東京で上演し、2020年2月に第27回読売演劇大賞 選考委員特別賞を受賞。2020年戯曲集『未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀』(白水社)を刊行し、2021年2月に『第72回読売文学賞 戯曲・シナリオ賞』を受賞。

2023年にウィーン芸術週間委嘱作品として、チェルフィッチュと現代音楽の作曲家の藤倉大、ウィーンの現代音楽アンサンブルKlangforum Wienとのコラボレーションによる新作音楽劇を発表。11月にワークインプログレス公演が行われる。

https://chelfitsch.net/profile/

1979年北海道札幌市生まれ。幼少期をアメリカ、オランダ、ドイツなどで過ごし、4歳からバイオリンを始める。18歳でオペラの演出活動を開始した後、ニナガワ・カンパニー・ダッシュ、東京・新国立劇場、ベルリン・コーミッシェ・オーパーなどの演出スタッフを務める。

国内外の演出家のもとでアシスタントや再演演出を務めた後、現在はフリーの演出家として劇場、フェスティバルにおいて活動中。『神々の黄昏』『魔笛』『イドメネオ』『フィガロの結婚』ほか多くのオペラ作品、『夏の夜の夢』『ハムレット』『ロミオとジュリエット』などの舞台を演出。

国際基督教大学卒業。2008年文化庁新進芸術家海外留学制度派遣生、2009年ワーグナー国際財団奨学生、2013年五島記念文化賞新人賞を受賞。

2018年ドイツ・ヴュルツブルク歌劇場で演出した『ニクソン・イン・チャイナ』が、バイエルン放送 (Bayerischer Rundfunk) が発表する 「年間ベスト10プロダクション」に、また2019年の『神々の黄昏』が同BR「最優秀オペラ演出—バイエルン州特選3作品」に選出されている。

2021年8月に、『TOKYO MET SaLaD MUSIC FESSTIVAL 2021「サラダ音楽祭」』メインプログラムの一環として、子どものためのオペラ『ゴールド!』(日本語上演)を演出、東京芸術劇場にて日本初演した。

http://tomosugao.com/

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

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