東京を創訳する 第26回

文化人類学者、船曳建夫の古今東京探索 〜High Life - Low Life その3:下流の人びと〜

お金
作成者: Time Out Tokyo Editors |
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下流の人は日本にはいない。貧乏な人はいるし、この社会には貧困の問題がある。しかし、上流、下流の階層はなくなった。あえて言えば、日本人はいまやほとんどすべて下流なのだ。

平安の昔、貴族はいた。江戸時代なら殿様や武士はいた。そんな身分は過去には日本列島に確かにあった。それは「上流」と呼んでいいだろう。しかし、前回と前々回に書いたように、いまや上流と言えるような人びとは皇族とその周りだけである。明治維新、太平洋戦争、と100年もたたない間に二度も「上流」が吹っ飛ばされたことで変わった。「私は上流」と、今でも威張ったりするガッツのある人はいなくなった。江戸時代のように「私は下流だからお宅の玄関からは入れません、裏口から」とへりくだる人もいなくなった。むしろ、たとえば日本の研究者が初めてヨーロッパに行くと、イギリスの大学などで技術系のスタッフが「自分は偉い教授や本格的な研究者と『違う』から一緒には食事しない」と言ったりして、別のテーブルで固まっている。進んでいるはずのヨーロッパに、むしろ「階級社会」が残っているのにびっくりする。

だから、ここであえて「下流」と書くのは、むしろ「下流がいない日本」という社会を知ってもらおうと思ったからである。念のため繰り返しておくと、貧乏な人はいる。貧困は大きな社会問題である。しかし、日本は伝統を残している国ではあっても、そうした階級は残っていないのだ。

まず、言葉である。上流の日本語、下流の日本語、というのがない。イギリス議会の様子をテレビで見ると、民族や地域の訛(なま)りはもちろんあるが、明らかに「階級」によって英語のアクセントが違う。趣味や生活感、態度も階級によって違う。だんだん薄れてきたけれど、訪れた私たちが感じる程度には残っている。よく、サッチャーは、巧みに上流階級の言葉を身に付けた、と言われていた。日本でも、実は、電話口に立つと、かけてきた見知らぬ人の言葉から、その人の「学歴」というか「知識的な背景」の違いが分かる、とある文化人類学者は言っていた。確かにそれはある。そして、それは「階級」に近いのだが、そこまで感じ取れる人は稀なので、ここでは無視する。

外見はどうか。外国だと、フランスやイタリアでも、タイや中国でも、まったくの印象だが、人びとが集まっているところで、背が高くて立派そうな人たちがいる。聞くと、なにやら、昔からの偉い家の出身だったり、地元では大地主だったりして、それが体格や顔のすっきり感に表れていたりする。私も人類学者としていい加減なことは言えないのだが、恐らく海外体験のある人に聞けば、「うんうん、あまり言ってはいけないかも知れないが、そういう人たちは何となく肌も白かったりするんだよね」と、偏見に片脚突っ込みそうな感想を述べたりする。

日本でもそんな感じはなくもない。しかし、度合いははるかに弱いような気がする。少なくとも、江戸時代の日本では武士も農民も、姿勢こそ多少違うが、タンパク質の摂取量はみな少なく、明治維新後、栄養の多寡(たか)で差が付きそうになったが、二度(明治維新と敗戦)のシャッフルで、それもチャラになり、戦後はみなが餓えた後、飽食という過程を経て、見たところは同じようになってしまった、と、私は思う。日本でも、南より北の方が背が高く、太陽の当たり方が弱いからか色が白い感じはあるのだが、それは「階級」の特徴に定着したりはしなかった。むしろ、歴史的には逆に東北より西南地域の方が、食糧事情も経済環境も優越していたので、世界にひろくある偏見のような常識、「背が高くて色の白い方が『上流』である」という思い込みは日本ではでき上がらなかった。

だから、観光客が出会う日本人は、電車に乗り合わせた日本人も、売り場の店員も、みな「下流」なのである。99パーセントは見た目も変わらないでしょう?しゃべっている日本語も、その人の知識的な背景で語彙は違うが、「上流は第二母音を高く発音する」(思いついた例えです)といったような言語的偏差はない。それは僕自身が庶民だから気づかないのかも知れないが、たとえあったとしても当の日本人がそれに気づかないのだから、階級を形成はしない。

しかし、この「下流」という言葉自体、日本では違和感がある。最近は、自虐的に「下流」と言ったり、経済格差が「下流」を生んでいると言われたりするが、それはあくまで比喩であり、相対的な収入の上下であって、そうした階級の「文化」ができるようには思えない。それよりも、日本人の意識としては「庶民」という言葉があり、自分はそれだ、と99パーセントが思っている。よくある議論では、高度経済成長時代、日本人はみな自分を中流だと思っていたが、社会経済的に格差があるのに気がつかなかっただけで、近年はその格差が増している、と言われている。それは事実だろう。でも実感としては、みなが自分は下がってきているな、と思っているのではないか。階級が上がっているという実感の人はほとんどいないと思う。相変わらず、誰もが自分は庶民だと思っていて、そのように暮らしている。

これはここだけの話だが、父親や叔父に大臣や首相、兄弟にも代議士がいたりする一族のある人が「自分は庶民だ」と言うのを聞いて呆(あき)れたことがある。あまり書くと特定されそうで、ここにとどめるが、実は、呆れた私が間違っていたのだろう。皇族以外すべて下流という私の考えからしても、その方は、確かに「庶民」なのだと思う。

これだけだと、その「下流」、または「庶民」の内容が乏しいので、少し付け加える。事実として、今の日本人は、お互い衣食住の生活が同じ、ということがある。もちろん高いステーキをいつも食べている人はいる。お金があるから。でも、自分は「庶民」だから、肉や鮨は食べるのにふさわしくないと思っている人はいない。たまに金があればそうしたものを食べようと思うのが普通だ。食べ物に縛りがないが金はない。けれども鮨は食べたい。その結果として「回転寿司」が発明された、ということだ。あれは日本に階級がない証拠なのだ。

以前、海外で日本人がブランドものを買いあさると言われた時代があった。フランスでは、「ルイ・ヴイトン」などは、やや上流の人が買って身に付けるもので、日本の庶民に相当する人びとは買わないものだった。これを読むと、日本人読者のいくらかは、「へー!?」と驚くのだろう。お金があったら何でも買っていいのだろう、というのは、早めに階級社会から脱した、私たち日本庶民の考えで、欧米ではそうではない。だから、日本人観光客は、ドアマンが開けてくれる豪勢なルイ・ヴイトン本店に入って、一番安価なキーホルダーをひとつ買ったりして、眉をひそめられたりしたが、なぜ眉をひそめられるのが分からないから、気にしなかった。「下流」の人には「ルイ・ヴイトン」はふさわしくない、買わないものだ、なんて考えのない日本だからこそ、世界の中でも「ルイ・ヴイトン」が爆発的に売れたのだ。

ということで、日本は、ほとんど全員「下流」、というより「庶民」として生きている、というのが今回の結論だ。次回は上流を書いたときと同じく、庶民がどんな場所で暮らしているか、といったことを書こうと思う。しかし、予告しておくと、実は皇族でもない、庶民でもない、そういう人が日本にいないことはないのだ。ただし、彼らは東京にはあまりいない。だから、東京だけで暮らしたり、東京を観光しているとあまりお目にかからない。彼らをなんと呼んだらよいのか……そう「豪族」。「コウゾク」ではなく「ゴウゾク」だ。

船曳建夫(ふなびきたけお)
1948年、東京生まれ。文化人類学者。1972年、東京大学教養学部教養学科卒。1982年、ケンブリッジ大学大学院社会人類学博士課程にて人類学博士号取得。1983年、東京大学教養学部講師、1994年に同教授、1996年には東京大学大学院総合文化研究科教授、2012年に同大学院を定年退官し、名誉教授となる。2017年1月には、高校生の頃から歌舞伎を観続けてきた著者が、いつかは歌舞伎を見たいと思っている人に向け、ガイドしているエッセイ集『歌舞伎に行こう!』(海竜社)を発売した。ほか、著書に『旅する知』など。

東京を創訳する High Life - Low Life編 その1、2はこちら

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東京を創訳する 第25回

今回は、天皇・皇族以外の「上流」について書こう。しかし、日本では天皇・皇族以外の「上流」は、ほとんど存在しない。理由ははっきりしていて、19世紀以降、明治維新と太平洋戦争の2回、「上流」が吹っ飛ばされたからだ。もちろん明治維新の後も、勝った薩摩・長州、延命した大名、公家は「華族」となっていたが、そうなっても英国貴族のような堅固な城や領地があるわけでもなく、大半の華族は一般人から尊敬されるような過去の功績もない。西洋の貴族制度に対応するためにでっち上げた「上流」だから、80年もしないうちに戦争でアメリカに負けてみれば、すべてガタガタになって、その華族たちも「私たちは上流です」と言い続ける度胸もないし、周りの人も聞いてやらない。 ただ、いつの時代にも金持ちはいる。その人たちの中には、戦後すぐに華族に取って代わり、「宮家」から邸宅を買い取り「プリンス」ホテルを始める、といったしたたかな成金もいた。その後も、高度成長期やバブル、ITバブルと、その都度、新興長者は生まれて、その人たちが擬似的に「上流」っぽくなっている。そうした金持ちや、2度吹っ飛ばされた中でも生き残った人たちが住んでいる場所を、ここでは「上流の場所」と呼ぶことにする。 外国に行くと、金持ちの住んでいるところを見たくなる。カリフォルニアのビバリーヒルズなどでは、観光ツアーもある。東京ではどこがそうなのだろう。ロンドンだとチェルシー、ケンジントンとか。パリだったら16区、シテ島、サン=ルイ島。東京の場合、「上流の場所」にふさわしい要素は3つあった。ひとつは、皇居に近いこと、2つ目は高台であること、3つ目は都市計画がほどこされていること。 一つ目の皇居の近くとは、江戸時代では大名、旗本にとって、城に何かあったらすぐ駆けつけられる利点があった。御三家や重要な大名の住まいであった紀尾井町(紀伊、尾張、井伊の三大名が住んでいた)とか、一番町から六番町までの直参の武士たちの「番町」※である。ロンドンのケンジントン宮殿やパリの大統領官邸、エリゼ宮の近くに高級な商業、住宅地域があるのと同じだ。ところが、いまや東京の人でも高級住宅地として、「番町」をイメージする人は少ない。明治維新以降、戦前まではお屋敷があったのだが、いまやあまりに手が届かない値段の場所になっていて、一軒家を建てるのは難しい。マンションだったらあるが、マンション住まいとしては近くに繁華街がない。国会や最高裁判所の近くに住んでいても、生活上楽しくも便利でもない。むしろ、後に述べるように、マンションだったら今時の成金は、六本木ヒルズあたりに住むわけだ。しかし、私たちが散歩するのにはこのあたり(番町)は雰囲気がある。国立劇場から、英国大使館の裏あたり、皇居に近づいたり離れたりしながら靖国神社まで歩いたりすると、東京の一面が分かるのでおススメする。 ※番町:東京都千代田区の地域内区分のひとつ。 二つ目の「高台」には、やや知られている高級住宅地がある。松濤、元麻布、青山、高輪、御殿山、島津山、池田山。これらは、江戸時代は郊外であって、大名の上屋敷ではなく下屋敷が置かれていた。前にもこの連載で書いたが、東京はロンドンやパリと比べて、土地の起伏が多い。ローマみたいに丘があるのだ。当然、水はけのよい高台には上流の武士階級が、その下の方のじめじめしたところには、町人が住むことになる。いまでも住宅地として、丘の上と麓では雲泥の差がある。渋谷を例に取れば、い

Things to do

東京を創訳する 第24回

旅行のひとつの楽しみは、その土地の人との思い出深い交流である。ちょっとした買い物で店員としたやりとりや、食べ物屋で隣り合った地元の人との会話など、旧跡を訪ねた感動とは違うものがある。しかし、そうした普通の人との交流はできても、パリやニューヨークに行って、そこの「セレブ」やその生活を「観光」するのは難しい。それは無理に近い。でも、ロンドンでバッキンガム宮殿に行ったりするのは、その建物を見るためだけでなく、エリザベス女王が現れないとしても、宮殿の上に王室旗がはためいていれば陛下がそこにいるのだな、といった興味が湧くからだろう。 東京を訪れる外国人旅行者は、東京ではそうした「上流」の人とはどんな人で、どこにいて、何をしてるのだろう、とは考えないだろうか?他方、「普通の日本人」は東京の盛り場で何をしているのかと思ったりしないか?そう考えて、今回からは、観光では会えないような東京の上流や、「下流」というよりは庶民の人たちがどこで何をしているのかを半年ほどシリーズで書いてみる。 実は、この「High Life - Low Life」というのは、イギリスの雑誌コラムからのパクリである。1990年代は、High Lifeは上流階級出身のTakiという人が、Low Lifeの方は、ロンドンで有名な酔っ払いのエッセイスト、ジェフリー・バーナードという人が書いて人気を集めていた。僕自身はもちろん上流階級ではなく、盛り場に詳しかったりしているわけでもまったくないが、多少、今までに見知ったことを書こう。まずは上流から。 欧米に行くと上流の人たちというのが確かにいる。アメリカの古い大金持ちや、大統領の係累(けいるい)。ヨーロッパだったら貴族という階層があって、城に住んでいたりする。では、それにあたる人々とは日本、特に東京では誰なのか。答えは簡単。東京のど真ん中、広大な皇居に住んでらっしゃる天皇とそのご一家だ。ほかにも、皇居からそう遠くない繁華街の赤坂に「御所」という広い敷地があって、天皇の男系親族の数家族が「宮家」(prince)として住んでらっしゃる。そのあたりのことは英国のロンドン、タイのバンコクの王族の事情と変わらない。ただ、日本の社会で「上流階級」、というと何か外国とはニュアンスが違う。天皇や皇族は「階級」ではない、というか、ある意味で、もっと飛び抜けているというか。そのあたりの理屈も追々書くことにする。 天皇、皇族とその生活はこのタイムアウト東京のテーマになるのか。ぶっちゃけていえば、「天皇」は「観光」の対象になるのか?(日本人の読者にはやや無礼な、と気になる人もあろうが、今後このシリーズでは許してほしい)もちろんなる。好奇心と興味の湧く文物はすべて観光の対象だ。まず、天皇と会うことはできなくても拝見するチャンスはある。毎年2回、天皇誕生日(12月23日)と、1月2日には、皇居で一般参賀という機会があって、天皇ご一家がみなの前に姿を現すのだ。正月などは、毎年数十万人が集まるところを見ると、少なくとも日本人にとってこれは、一種の「観光」だろう。 ご一家は見られなくても皇居だったらいつもそこにある。日本一大きな城だから見応えはある。ただその皇居も、元はといえば天皇の「御所」ではなく、将軍であった徳川家の御城だった。天皇代々の御所は京都にある。最近のことだが、いまの皇居に天守閣を建てて観光の目玉にしようという案が出て、国会で議論にすらなった。その

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