アート&カルチャー

東京で話題の展覧会やダンス公演情報から、定番のギャラリーや美術館の紹介

東京を創訳する 第16回『歌舞伎ー昔と今(2)』
アート

東京を創訳する 第16回『歌舞伎ー昔と今(2)』

今回は前回の「かつてのやるせない」ほど衰退した歌舞伎が、いかにして連日満員の今日を迎えたかについてお話しするのだが、そこを歌舞伎とは何か、から始めて、詳しく説明しよう。起きたことだけで言えば、「三之助と孝玉コンビという若手スターの誕生で、客が戻った」と1行で終わってしまうから。

インタビュー:九世野村万蔵
アート

インタビュー:九世野村万蔵

伝統芸能、それも江戸の町衆に支持された歌舞伎ではなく、貴族や武家の寵愛を受けた能楽と聞くと、堅苦しく近寄りがたい印象を受ける向きも多いかもしれない。しかし、九世野村万蔵のおおらかな人柄に触れれば、能楽に対するそのような感想が当たらないものであるということに同意してもらえることだろう。

東京を創訳する 第15回『歌舞伎ー昔と今(1)』
アート

東京を創訳する 第15回『歌舞伎ー昔と今(1)』

前に、江戸東京が作った3つの「身体のエンタメ」は、歌舞伎に相撲に芸者である、と書いた。それぞれは、その後の300年以上の歴史の中で、「映画、演劇」、「スポーツ」、「風俗、グルメ」という新たなジャンルの中に引き継がれ、その中核に今も存在している。江戸東京という町の、古今の混ざり具合の不思議さだ。これから6回にわたってその3つの、昔と今を眺めてみる。 筆者は歌舞伎を半世紀見てきた。といっても昭和の、それも戦後だいぶたってからだから、よくいる往事を語る古老のようなことは言えないなと思っていたが、自分の記憶のなかの歌舞伎がもはや非常に古めかしいことにびっくりする。 筆者が見始めた1960年代前半(昭和30年代後半)の歌舞伎はどんなであったか。一言で表せば、「斜陽」である。昭和30年代に一番有名な歌舞伎役者は、映画俳優の中村錦之助だった。ほかに有名な歌舞伎関係の役者も、長谷川一夫とか片岡千恵蔵とか、もう戦前に歌舞伎から映画に転身して成功を収めた俳優たちだった。それでも、中村錦之助は映画界で大成功を収めた後、実家の中村時蔵家を立て直そうと、歌舞伎の舞台にも肩入れをしだして、縁者一同、屋号を「萬屋」にあらため、本人も萬屋錦之介となったり、長谷川一夫も「東宝歌舞伎」という興行を始めたり、と、映画の世界にいてもスター本人たちのなかでは歌舞伎との縁は深かったようだ。しかし観客から見れば、彼らはもうすぐ博物館入りする歌舞伎を見限って新しいジャンルに転向したのだ、と映った。今の歌舞伎界の重鎮、市川猿翁だって、筆者が初めて知ったときは、團子という名前でテレビ時代劇『鞍馬天狗』にデビューしていた。 実はそのころも、六代目歌右衛門とか、「海老さま」の愛称で知られていた十一代目市川團十郎(今の海老蔵の祖父)とか、実力者や人気者はいたのだが、彼らの活躍をしても歌舞伎の長期低落傾向は回復できないと思われていた。人気復活のおぼつかない、今の文楽と同じポジションである。 では、そのころの歌舞伎の舞台がつまらなかったのかというと、筆者にはそうではなかった。暗い(ように思えた)歌舞伎座に行くと客席はがらがら、幕間は何十分もかかってだらだら、夜の11時を過ぎても終演にたどり着けず、大雪のときなど交通途絶で歌舞伎座の中で夜を明かさねばならない客が出る、といった体たらく。ところが、このやる気のなさ、というか「やるせなさ」が何とも味わい深く、「退廃」までは分からない子どもの筆者にも、江戸の持つ怠惰さが体中に染みわたり、客席に沈み込むと別世界にずっぽりと浸った。 それが分かっているので、こちらも歌舞伎見物の当日は気分を出すべく、新宿から延々、四谷、日比谷から銀座を通って、東銀座まで、乗り換えが悪いと1時間近くかかる都電で向かう。途中、皇居を左に見て東京を横断すると、空間のみならず時間もスリップして、歌舞伎座は江戸時代の「木挽町」になった。何も戦前の話ではなく、高度成長のなかで1967年(昭和42年)には地下鉄に代わられて廃線が決まっていたその前夜、レトロ感を先回りして味わおうとしてのアイデアであったが、思い起こせば単にませている以上に、1966年(昭和41年)のビートルズ武道館コンサートのチケットを友人に譲っても歌舞伎座のチケット代を捻出した高校生の、筆者ならではの倒錯ぶりであった。 そう、静かな倒錯はあったな。片岡我童という役者が、十一代目

インタビュー:中村壱太郎
ステージ

インタビュー:中村壱太郎

 女方(女の役)を中心に、立役(男の役)もこなし、凛とした佇まいと瑞々しい色香で観客を魅了する歌舞伎俳優 中村壱太郎、26歳。人間国宝である四代目坂田藤十郎を祖父に、歌舞伎俳優の四代目中村鴈治郎を父に持ち、母は日本舞踊吾妻流宗家の二代目吾妻徳穂という、日本の伝統芸能界のサラブレッドだ。歌舞伎俳優として活動する一方、2014年には吾妻徳陽として吾妻流七代目家元を継承。さらに2016年は、シンガポール出身の世界的演出家オン・ケンセンが演出を手がけた野田秀樹作『三代目、りちゃあど』で現代劇への本格出演も果たすなど、目覚ましい活躍を見せている。

インタビュー:千原徹也
アート

インタビュー:千原徹也

インタビュー:猿渡さとみ 撮影:豊嶋希沙 その日も彼はトレードマークの金髪に大きな眼鏡という出で立ちで登場した。アートディレクターの千原徹也は、今の東京カルチャーの中心にいる人物といっても過言ではない。その彼が、『LEXUS』がプロデュースするカフェ、INTERSECT BY LEXUS - TOKYOにてライブペイントを行うということで、タイムアウト東京は彼にインタビューする機会を得た。ファッションを中心に様々な広告を手がけ、また東京のカワイイカルチャーを牽引する1人である彼が考える東京の魅力と、グラフィックデザインの面白さについて聞いた。

エディターズ・ピック

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団「カーネーション-NELKEN」
ダンス

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団「カーネーション-NELKEN」

ダンス、演劇の歴史を塗り替えたピナ・バウシュの代表作が待望の再来日を果たす。『カーネーション-NELKEN』は、舞台一面に敷き詰められたカーネーションが印象的な作品で、またガーシュウィンの『私の愛する人』を手話で語る姿も多くの人の心を打った伝説的な作品。芸術監督を務めていたピナの遺志を受け継ぎ、今なお精力的に活動するヴッパタール舞踊団は、2014年にも同じく彩の国さいたま芸術劇場で『KONTAKTHOFーコンタクトホーフ』を再演し大きな話題を呼んだ。28年ぶりの日本上演となる『カーネーション-NELKEN』も見逃すことはできないだろう。

日本の伝統芸能展
アート

日本の伝統芸能展

三井記念館で開催される、国立劇場の開館50周年を記念した展覧会。同劇場は日本の伝統芸能の保存と振興を目的に設立された。展覧会では、伝統芸能には欠かすことのできない芸能具や美術工芸品を通して、日本人の美意識に迫る。「雅楽」「能楽」「文学」「歌舞伎」など、日本には多くの伝統芸能が存在し、それらは各時代、各分野ごとに発展してきた。仮面や衣装、またそれらが使用されている様子を描いた絵画は、その芸能の奥深さや歴史を今に伝える重要な作品だ。また琉球芸能や民俗芸能など、各地で発達した芸能文化もあわせて紹介され、日本の伝統芸能を幅広く学ぶことのできるまたとない機会だ。 関連記事『東京、11月のアートイベント10選』

アピチャッポン・ウィーラセタクン 「亡霊たち」
アート

アピチャッポン・ウィーラセタクン 「亡霊たち」

タイ出身の映像作家、アピチャッポン・ウィーラセタクンの個展。ウィーラセタクンは、伝説や民話、個人的な記憶や夢などを題材に、静謐かつ叙情的な映像美で多くの観客を魅了してきた。2010年の『カンヌ国際映画祭』でも高評価を得た長編映画『ブンミおじさんの森』は観た人も多いことだろう。国内の公立美術館初の個展となる本展では、これまで直接的に言及されることが少なかった社会的側面にも焦点を当てながら、ウィーラセタクンの映像世界が同館のコレクション収蔵作品と作家蔵作品から紹介される。

吉岡徳仁 スペクトル
アート

吉岡徳仁 スペクトル

プロダクトデザインや空間デザイン、アート作品など、幅広い分野で活躍する吉岡徳仁の展覧会。吉岡は国内外で今最も注目を集めるクリエイターの一人で、特に2011年に開催された『第54回ヴェネツィア ビエンナーレ国際美術展』で発表された『ガラスの茶室 - 光庵』建築プロジェクトは世界中から高い評価を受けた。本展では、神秘的な光を体感できる新作インスタレーション『スペクトル』が展観される。光の特性による不思議な感覚を呼び覚ます、吉岡らしい空間に期待したい。

インタビュー・アーカイブス

インタビュー:青島千穂
アート

インタビュー:青島千穂

タイムアウト東京 > アート&カルチャー > インタビュー:青島千穂 青島千穂は村上隆によりその才能を見出され、村上の主催するカイカイキキグループのアーティスト展で経験を積んできた。青島は自ら世界へ飛び出し国際的なアートシーンで華々しく活躍しており、イッセイミヤケとのコラボレーションなども実現させ、数多くのギャラリーや美術館で個展を行っている。 コンピュータ技術と伝統的日本画に関する強い関心を反映させ、青島は「自然と文明」、「火と水」、「創造と破壊」、「生と死」という対極の要素を取り扱った作品を創作している。カイカイキキギャラリーで開催される個展『REBIRTH OF THE WORLD』に先立って話を聞いた。 青島さんは大学を卒業し、経済学の学位を持っていらっしゃいますよね。アーティストになろうと決めたきっかけを教えてください。 私は本当にやりたいことが分からないまま大学に入学し、学業にも大して専念していませんでした。何種類かのアルバイトを始めたのですが、そのなかのひとつがある会社でのグラフィックデザイン部門の仕事でした。そこで同僚に『Adobe Illustrator』の基本テクニックを教わったあと、自分自身で作品を作り始めました。 村上さんのもとで働いていたとき、彼が私の作品に興味を持ってくれました。当時の作品は洗練されたものではありませんでしたが、村上さんが女性アーティストのみをフィーチャーしたグループ展に参加しないかと提案してくれました。チャンスだと思い、承諾しました。私のキャリアはそこから始まりました。 村上隆さんとの芸術面での結びつきはどのようなものですか。 村上さんには支えられ、また励まして頂いています。村上さんはアーティストとしての私を見出してくれました。カイカイキキ社ではキャリアをサポートしてもらっています。作品の展示場所も提供していただいています。 青島さんの作品はスーパーフラットに属するとの批評も見受けられます、そのように分類されることに納得していらっしゃいますか。また、スーパーフラットの特徴は作品にどのように表れていますか。 最初はその言葉が何を意味しているのか分かりませんでした。調べていくと、その特徴として挙げられている浮世絵風の美的感覚という特徴は、確かに作品に存在します。私は「スーパーフラットムーヴメント」に自分が含まれていることを受け入れています。私は芸術を勉強してきてはいないので、3次元での物体のとらえ方と、それが現実世界でどのように見えるかに習熟しているわけではありません。私は伝統的な日本画を描くことによって、平面視覚でのアートを表現しています。 著名な日本画家では、誰の影響を受けていらっしゃいますか。 葛飾北斎です。特に彼の妖怪を描いた作品です。 『百物語 さらやしき』葛飾北斎 妖怪は作品にも出てきますよね。青島さんが刺激を受けるような不気味な場所は東京にありますか。 私は実は幽霊が出ると言われている場所には行かないのですが、墓地にはかなりの影響を受けています。もう今は住んでいませんが、以前は青山墓地が一望できる場所に住んでいました 『青山墓地』写真:Greg Schechter 今度の個展では何に影響を受け、また『REBIRTH OF THE WORLD』というタイトルはどのような意味があるのでしょうか。 個展で展示するのは2011年の東日本大震災の後に制作した作品で、人間と自然の関係を表現しています。自然災害が起きたとき、その威力から自身を守るために人間ができるこ

インタビュー:平山素子
ダンス

インタビュー:平山素子

タイムアウト東京 > アート&カルチャー > インタビュー:平山素子 難解でとっつきにくい印象のある、コンテンポラリーダンス。しかし近年、学校教育に取り入れられたり、日本の芸能界にも経験者が目立つようになり、徐々にではあるが一般的な人気を集めつつある。そんなコンテンポラリーダンス界に、常に新たな革新を迫りつつも、純粋に人間の身体への興味を掻き立てる振付でシーンを刺激を与え続けてきたのが、平山素子だ。2016年3月25日(金)からの3日間に上演予定の最新作、『Hybrid -Rhythm & Dance』の稽古を行っている平山に、作品の会場でもある新国立劇場で話を聞いた。

インタビュー:デヴィッド・ルヴォー
ステージ

インタビュー:デヴィッド・ルヴォー

タイムアウト東京 > アート&カルチャー > インタビュー:デヴィッド・ルヴォー テキスト:高橋彩子(舞踊・演劇ライター)   江戸時代の浄瑠璃作者、近松門左衛門によって書かれ、今も文楽や歌舞伎で上演されている『心中天網島』。1969年には篠田正浩監督によっても映画化されたこの名作が、『ETERNAL CHIKAMATSU ―近松門左衛門「心中天網島」より―』として生まれ変わる。演出は、ウエストエンドやブロードウェイで活躍する英国人演出家デヴィッド・ルヴォー。日本では1993年に30代でT.P.T.(シアタープロジェクト・東京)芸術監督に就任し、20作以上を演出している。

インタビュー:日比野克彦
アート

インタビュー:日比野克彦

2020年に開催される『東京オリンピック・パラリンピック』。東京都は、2020年に向けて東京の魅力を高めるための文化事業を推進している。そのリーディングプロジェクトとして、野田秀樹が監修を務める『東京キャラバン』とともに進行しているプロジェクトが、いわゆる「障害者」など多種多様な人がアートを通じてつながる可能性に焦点を当てた『TURN(ターン)』だ。監修を手がけるアーティスト、日比野克彦に話を聞いた。

インタビュー:野村萬斎
ステージ

インタビュー:野村萬斎

Text by 高橋彩子 ある時は占術・呪術を使いこなす怜悧な陰陽師(映画『陰陽師』)、またある時は、智も仁も勇もないが人々に愛されるでくのぼう(映画『のぼうの城』)。多彩な顔を見せる野村萬斎だが、その根幹にあるのは、14世紀に確立され、現存する最古の演劇であり、ユネスコの世界無形文化遺産でもある狂言だ。祖父・故六世野村万蔵及び父・野村万作に師事し、3歳で初舞台を踏んだ彼は、その600年の伝統を引き継ぐ。「(島国である)日本を訪れる方は、奇異な国だと思われるのではないでしょうか。大陸ではせめぎ合いがあり、前の民族の歴史を否定して発展してきたので、記録は残っていても、どのように上演されたかがわからない。ギリシャ悲劇などがそうですよね。その意味で、ずっと続いて来た狂言が、演劇的に最古だと言われるのでしょう」。 とは言え、昔と寸分違わぬことをしているわけではない。「文化は生き物と一緒。時代に適応して変わってきました」と萬斎は言う。これは狂言が今も直面する課題につながるだろう。時代の変化の中でも変えたくない、狂言のコアとは何か? 英語の読者も多いタイムアウト東京のために、彼は、28歳のころイギリス留学で磨いた英語も交えながら語ってくれた。「シェイクスピアの“thou”や“thy”のように、狂言にも今では使わない言葉が出て来たり、韻を踏むなどの文語的な表現が使われたりします。そのことが多少取っつきにくさを催すわけですが、では言葉を分かり易くすればいいのかというと、それでは文章の音律が崩れる可能性がある。シェイクスピアの弱強5歩格と同じで、狂言にも独自の朗唱術があり、これを実現するために古典的なスタイルが必要なわけです。どの国でもそうであるように、言葉は情報を伝えるものですが、そこには音が付随する。日本語本来の音の面白さと動きの様式美は、我々がこだわるアイデンティティです」。 その魅力を、古来の日本語になじみのない外国人や若者にどう伝えていくかは悩みどころ。例えば狂言の冒頭の言葉として有名な「このあたりの者でござる」。「英語では“I am the residence of this house”と訳されることが多いですが、このあたりとはもっと広い意味だから、最近、私は“I am a local here”としています。しかし、主語が曖昧なのも日本語特有で、実際には“We are~”かもしれないし、もっと言えば“This is~”とするべきかもしれない。つまり、出て来た人物は皆様と同じ人間であり、今生きているあなたを象徴する存在である、というニュアンスなのだと思います。要するに、鏡の構造ですね」。シェイクスピアも『ハムレット』の中で、芝居が自然を映す鏡であるという演劇観を示している。「狂言が複雑な構造ではなく単純な鏡だからこそ、生きながらえたと言えるでしょう。話し言葉なのでだいたい分かりますし、海外の方でも、あらすじを読んでいただけば、シチュエーションから感じ取れる曲もあります」。 喜劇的な要素が強い狂言は、海外公演でも観客を沸かせる。「笑いが人と人をつなぐ有効手段であることは、海外公演でもつくづく感じます」と萬斎もうなずく。と同時に、萬斎やその父で人間国宝である万作の狂言の笑いには、ただ楽しいだけでなく、気品が漂うのも特長だ。「父は、狂言は、喜劇でありながらも美しい、面白い、おかしいの順であるべきだと申しております。これは他者との関係・距離感に関係しますね。美は、もしかしたらひとりでもなし得るかもしれない。つまり、一人称。面白さは、もっとコミュニケー

東京、定番の美術館

東京国立近代美術館
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東京国立近代美術館

皇居の横に建つ日本で最初の国立美術館は、20世紀の始まり以降の日本美術を集めたもう1つのMoMA。企画展もさることながら常設展も充実している。横山大観や上村松園など13の重要文化財を含む12000点を超える国内屈指のコレクションから約200点を入れ替え展示している。建物は1969年に谷口吉郎により設計され、2002年に増築、改築が行われた。皇居の堀と石垣の横にあるので、春には花見、秋には紅葉を楽しむのに最高の場所。東京駅からの、皇居を見ながら同館へいたる散策ルートもおすすめだ。

森美術館
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森美術館

森美術館の成功の秘密は、並はずれた人気を博している六本木ヒルズの中に位置し、森タワーの53階にあること。52階の展望台 東京シティビューもあわせて訪れれば、バーやカフェ、パノラマ式のデッキからのすばらしい眺望も楽しめる。夜遅くまで開いているので、ますます足を運びやすい。展覧会は意図的に変化をつけてあり、過去の催しにはビル・ヴィオラのビデオアートや現代芸術におけるユーモアを巡る展覧会もあった。東京シティビューからの眺めは厳密にいうと360度ではないし、東京都庁舎の無料の展望台に比較すると高価ではあるが、とにかく眺望はほぼ間違いなくこちらのの方がすばらしい。 特集記事 東京でしかできない88のこと 六本木でしかできない101のこと

東京都庭園美術館
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東京都庭園美術館

1933年に建てられたこのアールデコ様式の邸宅は、かつては朝香宮殿下と、その后であり明治天皇の第八皇女である允子内親王の住居だった。夫妻は、1920年代のパリでアールデコとよばれる装飾様式に触れ、帰国後、朝香宮邸を建てた。大広間や大食堂など、主要な部屋の内装はアンリ・ラパンの手によるもので、玄関のガラスレリーフ扉などはルネ・ラリックのデザイン。建築そのものは宮内省内匠寮の技師、権藤要吉が担当、設計した。館内で行われる展覧会では、作品だけでなく、それらと室内空間の調和を楽しむことができる。 2014年11月、本館の改修工事とともに、アドバイザーに杉本博司を迎え新館を改築。新館には、ホワイトキューブの展示空間が備わり、映像や音楽、パフォーミングアーツなど、より多様で分野横断的な表現の舞台となることが期待される。オリジナルグッズやオリジナルスイーツを提供するミュージアムショップやカフェも新設。

NTTインターコミュニケーションセンター [ICC]
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NTTインターコミュニケーションセンター [ICC]

日本の電話事業100周年(1990年)の記念事業として、1997年4月19日、西新宿の東京オペラシティタワーにオープンした文化施設。バーチャルリアリティやインタラクティブ技術などの最先端電子テクノロジーを使ったメディアアート作品などを紹介。また、ワークショップ、パフォーマンス、シンポジウムなども開催している。ほぼ1年を通して開催されている『オープン・スペース』では、ICCの持つギャラリー、ミニシアター、映像アーカイヴを、毎年展示を変えながら無料で公開している。 特集記事 新宿でしかできない101のこと  

根津美術館
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根津美術館

明治から昭和にかけて活躍した実業家であり、近代数奇者としても知られる根津嘉一郎が自ら蒐集した書画や茶道具を中心に展示している美術館。日本以外の東洋美術や仏教美術なども豊富に揃い、コレクションは7400件を超える。本館の設計は、日本を代表する建築家の隈研吾の手になるもの。美術鑑賞の後は、都心とは思えない豊かな緑をたたえた庭園を散策するのがおすすめだ。1階の庭園口、または地階の茶席口から出て石畳の小径を進み樹々の中へ入ってゆくと見えてくる、茶室や様々な石造物もまた趣深い。

21_21 DESIGN SIGHT
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21_21 DESIGN SIGHT

東京ミッドタウン内にあるデザイン展示施設。ディレクターは日本が誇るデザイナー三宅一生、グラフィックデザイナー佐藤卓、プロダクトデザイナー深澤直人の3人。グラフィックから建築や食まで幅広いテーマの展覧会を中心に、トークイベントやワークショップなどを企画し、生活が楽しくなるデザインを提案し続けている。安藤忠雄による建物は、三宅の服づくりのコンセプト「一枚の布」に着目した巨大な鉄板の屋根が独創的。館内は地下に向かって広がっているが、日光が注ぎ不思議と心地よい。

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連載:東京を創訳する

東京を創訳する 第16回『歌舞伎ー昔と今(2)』
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東京を創訳する 第16回『歌舞伎ー昔と今(2)』

今回は前回の「かつてのやるせない」ほど衰退した歌舞伎が、いかにして連日満員の今日を迎えたかについてお話しするのだが、そこを歌舞伎とは何か、から始めて、詳しく説明しよう。起きたことだけで言えば、「三之助と孝玉コンビという若手スターの誕生で、客が戻った」と1行で終わってしまうから。

東京を創訳する 第15回『歌舞伎ー昔と今(1)』
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東京を創訳する 第15回『歌舞伎ー昔と今(1)』

前に、江戸東京が作った3つの「身体のエンタメ」は、歌舞伎に相撲に芸者である、と書いた。それぞれは、その後の300年以上の歴史の中で、「映画、演劇」、「スポーツ」、「風俗、グルメ」という新たなジャンルの中に引き継がれ、その中核に今も存在している。江戸東京という町の、古今の混ざり具合の不思議さだ。これから6回にわたってその3つの、昔と今を眺めてみる。

第14回『住居 2ー「ウサギ小屋」バンザイ?』
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第14回『住居 2ー「ウサギ小屋」バンザイ?』

日本を訪れても、くれぐれも日本人に自宅に招かれることを期待しないでほしい。それは日本人に「おもてなし」の気持ちがないからではない。日本の住居は、スパのようなもので、他人をお招きするにはあまりに住居内の親密さが高すぎるのだ、とは、前に「住居」についてお話ししたことだ。ただ、日本人に、どうして日本ではあまり他人を招いてパーティなどしないのか、と聞けば、普通は「狭くて他人は呼べないから」と答えるだろう。

第13回『日本文化の中のズームインとズームアウト』
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第13回『日本文化の中のズームインとズームアウト』

日本について語る時に、伝統と近代性の融合とか、わび・さび、といった概念を使うのは、間違っているわけではないが、たんに聞く方も飽きているだろう。今回は、ここ400年ほどに発展した日本文化の大きな特徴について、”zoom”という言葉で、説明をしようと思う。

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