創刊号を読み解く 第3回 - Olive

あの雑誌の創刊号に映るものとは?創刊号蒐集家たまさぶろが分析

作成者: Time Out Tokyo Editors |
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創刊号マニア、たまさぶろによるコラムの第3回。今回は1982年6月3日発行の『Olive』を取り上げる。同誌が提示したスタイルは、ファッションにとどまらず音楽や映画、絵本、インテリアなどを含めたサブカル要素を含むものだった。フォローする女性たちは「オリーブ少女」と呼ばれ、一世を風靡した。創刊号では、その世界観の片りんはあるものの、まだまだ「牧歌的」な内容にととどまっている。「ガーリー」の元祖的存在の同誌を読み解いていこう。

『Olive』は平凡出版株式会社(現 株式会社マガジンハウス)から1982年6月3日号として創刊。編集発行人は木滑良久(きなめり・よしひさ)ながら、実質的な編集長は椎根和(しいね・やまと)とされる。いわゆるマガジンハウスのゴールデンコンビだ。このあたりは『Hanako』の回で記したので、ここでは詳細を省く。

タイトルと表紙デザインは堀内誠一(ほりうち・せいいち)、アートディレクションは新谷雅弘(しんたに・まさひろ)。堀内は著名グラフィックデザイナーでもあり、絵本作家としても知られる。現在の『an an』、『ポパイ』、『ブルータス』の題字も彼の手によるものだ。新谷も現在のマガジンハウス刊行雑誌のデザインを作り上げたアートディレクターである。

本誌はこれ以前にも姉妹誌『ポパイ』の増刊号として1981年11月5日号から2冊が発売されているが、あくまで付録扱い。この創刊号にて、満を持してティーン向け情報誌の先駆けとして発売された。キャッチコピーは「Magazine for City Girls」。

バブル前夜を感じる誌面

特集は、表紙にもその文字が踊る「Grooming」。「男が知っていて女のコが知らないトリートメント それがグルーミング いつも気分ソーカイにしていたい!そして必要なのは、アイデアと効果モノを発見する努力!」からスタートし「ベイ・シティ・ローラーズ」で終わる70ページ弱の力作だ。

表2は、資生堂の『パーキージーン』。この商品名を知る女性からすると「懐かしい」のひと声も出るだろう。ティーンに向けた廉価版化粧品シリーズで、この広告商品でもそれぞれの単価が「500円」などの衝撃の価格。しかしさすがは資生堂で、CMにはかなりお金をかけており、ジェニファー・ビールスやジェニファー・コネリーなどのハリウッド女優を起用。化粧品に興味のない男性をもドキっとさせるものに仕上げている。CMソングは松田聖子が歌っていた。

その対向ページは、いきなり目次。80年代後半以降に巻き起こるバブルの恩恵、つまり女性誌創刊号への広告の大盤振る舞いという傾向はまだ、本誌創刊号には見られなかった。モノクロの牧歌的な目次が非常に印象的だ。

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オリーブ少女の誕生

この雑誌の成功により登場したのが「オリーブ少女」。読者層のイメージとしては、帰国子女を含むミッション系、一貫校などの女子中高生で、しかし王道の美少女ではなく、音楽、映画、絵本、ファッション、インテリアなどに一家言持つサブカル的な女のコを想起させた。名門女子校のインテリ女子が東京中に広がったのは、本誌の影響が大きかった。

「オリーブ少女」と言って思い出されるのは、著作『負け犬の遠吠え』や『家族終了』で知られるエッセイスト、酒井順子。彼女と筆者は同世代の立教大学出身ながら、あちらは附属の立教女学院出で、こちらは千葉県立高校。1980年代後半、池袋のキャンパスで何度か見かけたことはあるが、酒井は在学中から「マーガレット酒井」のペンネームで本誌にエッセイを寄稿していた有名人だった。お嬢様系オリーブ少女の象徴のような存在だ。現在も売れっ子作家の彼女と、酒飲み売文業を続ける筆者との、「お嬢様」と「バンカラ」のギャップは埋まりそうにない。

特集内容は前述どおり。「コンビニエンス利用術」なるコンビニ比較ページでは、Kマート水道橋店、サンエブリー業平店、パンプキン東日暮里店、ファミリーマート小手指店など、非常に渋いエリアが選ばれており、創刊号では「お洒落」だけを発信していたわけではないとわかる。セブンイレブンの営業時間は、午前7時から午後11時まで。1982年当時のコンビニも24時間営業を強制されていたわけではない、牧歌的な世相が忍ばれる。

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オリーブ少女は、なぜ終わったのか

中綴じのセンター広告は、ソニーのオーディオ「リバティ」。こうしたガジェットに「オリーブ少女」が興味を示すとは考えがたいが、まだ女性向けのガジェットなど、なかなか考えつかない時代なのだろう。目を引くのは、その見開きカラー広告の中に使われている電話帳。『マンハッタン・イエローページ』の1978〜79年版だ。もしこれを今手に入れられたら、かなりの価値がつきそうだ。

表3は株式会社荻原のパジャマと下着の広告。「キャラスリー」がブランド名だ。その対向はあとがきと奥付になっており、創刊についての意気込みが語られている。表4は、デサントのライン「レディスポ」。この当時のレオタード的なスポーツウェアなのだろうか……?

オリーブは、現在もマガジンハウスの雑誌の付録として復活もするので、休刊の定義が難しい。世間的には、月2回発行だった時代から月刊化され、2003年6月18日発売号をもって定期刊行を終了した時点が事実上の「休刊」と捉えるのが一般的だろう。

酒井順子は、オリーブの休刊を「ギャル文化に相対し駆逐された」としている。しかし、「オリーブ文化」を下支えしていた女子中高生への情報供給ソースとして、ポケベルが隆盛を誇り、やがて携帯電話へと情報源が推移した。1999年には「iモード」サービスがスタート。圧倒的な情報の津波の中では、いかに「オリーブ文化」と言えども、押し流されてしまったということではないか。

時代が移り変わるに従い、想定読者たちは紙媒体としてのオリーブにたどり着く前に、もっと身近に与えられたデジタル端末などに依存してしまうようになった。この時代性こそが、休館の背景と考えるべきだろう。

振り返ってみれば雑誌そのものの衰退は、紙以外の情報端末が台頭してきた2000年代初頭にはすでに始まっていたのだろう。いつでもページをめくれば、その時代性までも振り返ることができる雑誌文化は、このままデジタルコンテンツに駆逐されてしまうのだろうか。

たまさぶろ

1965年、東京都渋谷区出身。千葉県立四街道高等学校、立教大学文学部英米文学科卒。『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後に渡米。ニューヨーク大学およびニューヨーク市立大学にてジャーナリズム、創作を学ぶ。このころからフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社にてChief Director of Sportsとしての勤務などを経て、帰国。『月刊プレイボーイ』『男の隠れ家』などへの寄稿を含め、これまでに訪れたことのあるバーは日本だけで1500軒超。2010年、バーの悪口を書くために名乗ったハンドルネームにて初の単著『【東京】ゆとりを愉しむ至福のBAR』(東京書籍)を上梓、BAR評論家を名乗る。著書に、女性バーテンダー讃歌『麗しきバーテンダーたち』、米同時多発テロ前のニューヨークを題材としたエッセイ『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』。「あんたは酒を呑まなかったら蔵が建つ」と親に言わしめるほどの「スカポンタン」。MLB日本語公式サイトのプロデューサー、東京マラソン初代広報ディレクターを務めるなどスポーツ・ビジネス界でも活動する。

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