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11月8日まで、非公開の松本民芸生活館をリサーチしたレポートとともに

「民藝運動の父」と呼ばれる思想家、柳宗悦らが1926年に「日本民藝美術館設立趣旨」を発表してから100年。長野県松本市では、信濃毎日新聞社の主催で「民藝百年」というプロジェクトが展開されている。
中でも注目すべきコンテンツが、市民とともに民藝について考える企画「みんなの民藝」だ。著名な研究者や熟練の職人の視線だけではなく、身の回りの日用品を慈しむ普通の市民として、今一度「民藝」というものを再考しようという企画になっている。
キュレーターやアーティスト、学芸員などを招いてのトークイベントのほか、「松本民芸館」などの施設を見学する公開リサーチなどを経て2026年10月24日、ついに展覧会が開幕した。本記事では11月8日(日)まで開催される3つの展覧会を紹介するとともに、「松本民芸生活館」で行った公開リサーチ「松本民芸生活館という場」の様子を一部レポートする。
「松本民芸生活館」は、家具好き、木工好きの間で人気の高い家具メーカー「松本民芸家具」が所有する、通常は非公開の施設。かつては見習い職人が寮として使用していた建物だが、17世紀にイタリアの僧院で使われていたテーブルなど、当時から世界各地の古道具が所狭しと並んでいた。それらの歴史ある品々と暮らしをともにすることで、体で「物の形」を学んでいくために設けられたという。
「祖父の池田三四郎が柳先生の考えを自分なりに表現しようとした場所」と、同館を言い表すのは、現在の代表取締役社長である池田素民(いけだ・もとたみ)だ。松本民芸館を創設した丸山太郎や、染色工芸家の三代澤本寿(みよさわ・もとじゅ)らとともに、三四郎も「松本民芸家具」の創始者として、松本における民藝運動で中心的な役割を担った一人だ。
1969年に着工、翌1970年に誕生した「松本民芸生活館」だが、建物自体は富山県の古民家を移築したもの。現在は「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産登録もされている合掌造りを、2軒つないだ建築である。当時の建築様式を再現しつつも、床の一部に「朝鮮張り」と呼ばれる技法を用いたり、2階を職人たちの寝室に設えたりするなど、独自の工夫がなされている。
そもそも、なぜ「松本民芸家具」は生まれたのか。松本の街は江戸時代から和家具の生産が盛んで、大正末期には日本一の生産高を記録したこともあるといわれる。「松本城」にも使われた複雑な技術を誇り、とりわけ「松本箪笥」というたんすが評判だったという。商家の多い松本のユニークな特徴として、「嫁入り道具」ならぬ「婿入り道具」としての需要があったそうだ。
そんな和家具の歴史も、生活スタイルの変化や戦争の影響で、途絶える運命をたどっていた。優れた技術が廃れることを嘆いた柳の薦めもあり、職を失っていた木工職人たちを呼び集め、「松本民芸家具」としてスタートさせたのが三四郎である。柳をはじめ、松本には民藝運動の担い手がたびたび訪れ、バーナード・リーチ(Bernard Leach)や濱田庄司、黒田辰秋らとの交流も三四郎に大きな刺激を与えたことだろう。
同時に、和家具の技術しか持たない職人たちが参考にできるよう、洋家具の収集にも力を入れることになる。中でも「松本民芸家具」のラインアップとして人気の高い「ウィンザーチェア」については、18世紀イギリスやアメリカのものを中心に、数多く収蔵されている。それを洋家具の技術を持たない職人が見様見真似で形をなぞって学んでいく。
同館には、「松本民芸家具」で作られたものも多く残されているが、松本の家具には曲げ木の技法が使われていなかったためか、複数の部材を組み付けることでカーブを再現した、苦肉の策とでもいうべき椅子も活動初期には作られていたことが分かり、興味深い。
決して優れた名品のみを集めているわけでないところも、同館の面白いところだ。妙に座面の厚い子ども用の椅子は、明らかに後から脚を付け足した形跡があり、5本脚になっている。「曲げ木なども使っていて技術がないわけではない。おそらくは手先の器用な人がその辺にあった材を使って子どものために作ったのではないでしょうか。そうしたらバランスが悪くて倒れてしまうので、後から脚を付け足したんでしょうね」と池田は解説する。
倒れて危ないから工夫を凝らそうという「親の愛情がこの形を生んだことが、ここからは読み取れます。民藝の考えでは、物の形というものは紙の上で起こすものではありません。形には必ず理由があるんです」と池田は語る。また、長く使われてきたものには使われてきた理由、大事にされてきた理由があり、それを体でもって文字通り体得していくことが、「松本民芸生活館」の意義だとも話していた。
「うちで大事にしているロッキングチェアがあります」と池田が紹介したのは、かつて柳が愛用していたものだという。「松本民芸家具」が初めてロッキングチェアを作ろうとした際に、柳が寄贈してくれたそうだ。
「柳先生がここに座り、いろいろな思索にふけっていたんでしょうね」と池田は目を細める。参加者はこのような貴重な椅子に実際に座ることもでき、貴重なリサーチとなった。
そのほかにも、畳生活が当然だった室町時代に作られたという椅子をはじめ、同館には珍しいものが数多く収蔵されている。ただ、池田によれば「三四郎はここを博物館として造ろうとしたのではない」という。
「あるがままの生活の品」として存在していることが重要で、ガラスケースに入れて触ることもできない状態で展示するのでは意味がない、と話す。そのような状態で不特定多数の人に見せることが困難なため、通常時は非公開の施設になっているそうだ。「そこが、長年の課題でもあります」と池田は言う。
歴史的資料として博物館に展示するのでは生きた「民藝」と呼べないのではないか、という問題意識は、本企画「みんなの民藝」も共有している。リサーチやトークイベントの内容も踏まえて、市内2カ所で展開される3つの展覧会は、多くの美術館がいわゆる民藝運動を取り上げて企画するようなものとはかなり異なったものになるようだ。
明治時代に米蔵として建てられた「池上邸 土蔵」で開催される「生活のそばにある、みんなの民藝」は、「民藝の街」と呼ばれることもある松本に暮らす人々から、広く生活の品を募った公募展だ。使い手自身のエピソードとともに、存在感ある品々が並ぶ。松本の民藝同人や職人の仕事道具や作品にフォーカスを当てる展示「松本と民藝ー手仕事の道具を中心に」と、日中韓の器物を通して民藝運動を考える「古陶磁から読み解く民藝と東アジア」は、「松本市はかり資料館」の第3展示室(旧三松屋蔵座敷)で開催する。
キュレーションを担当したのは、大阪府で長らく「山本製菓」というオルタナティブスペースを運営していた、詩人で古物商の池田昇太郎。本展について、民藝についての知識や情報を単に得るものでなく、展示空間内で起こることを「経験として分かち合える場を目指した」という。
現代の松本に生きる人々が大切に使ってきた「みんなの民藝」を、体を通して受け取ってほしい。
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