Q(WE)R
Photo: Takafumi Tanaka, courtesy of Koppi Mizrahi

クィアフェスティバル「Q(WE)R」が東京で初開催

「マイノリティーのコミュニティーを広げるためには」主催にインタビュー

編集:
Kosuke Shimizu
Hisato Hayashi
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インタビュー、テキスト:油谷佳歩、岸茉利(大工時間)

2022年4月18日から5月6日(金)まで、在日フランス大使館とアンスティチュ・フランセ日本の支援のもと、東京各所で開催される『Q(WE)R-インターナショナル・クィア・カルチャー・フェスティバル』。 東京プライドウィークと並行して、パフォーマンスや映画上映、パーティーなど、クィアカルチャーを語る上で欠かせない数々の企画が準備されている。

クィアカルチャーとは何か? どのような目的で今回のイベントを開くのか? 東京の中心地でクラブイベントを含むインターセクショナルなフェスティバルの開催について、共同キュレーターを務めるイザベル・オリヴィエとシャイ・オハヨンに話を聞いた。

インタビュアーは、フェミニストでクィアなマインドを持ったコレクティブとして『大工時間』というパーティーを大阪で主催する、油谷佳歩、岸茉利が務めた。

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左:イザベル・オリヴィエ 右:シャイ・オハヨン(Photo: Kisa Toyoshima)

シャイ・オハヨン(以下、シャイ):私は13年前から日本に拠点を移し、11年ほど前に東京・中目黒にあるコンテナ(The Container)というギャラリースペースを運営しています。

現代アートのキュレーターとしても活動していて、新宿二丁目でセックスにまつわる展示をしたり、初台にある廃病院で幽霊に関する展示をしたりと、ギャラリーや美術館といった従来のアートスペースではない場所でのエキシビションを企画してきました。2年前には渋谷パルコと心斎橋パルコ、フィンランド大使館などと共に、トム・オブ・フィンランドの個展を企画しました。

イザベル・オリヴィエ(以下、イザベル):私は15年ほど日本で活動しており、2011年には、ポンピドゥー・センターの公式プログラムである映像祭『オール・ピスト東京』を立ち上げました。

2012年から2016年までアンスティチュ・フランセ関西-京都で文化プログラムの担当をしており、『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭』や『KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭』に携わりました。またインデペンデントな活動として、日本の現代アーティストをサポートし、海外に紹介するといったプロジェクトにも関わっています。

―お二人とも現代アートにまつわる活動をされているのですね。どのような経緯で今回のフェスティバルを共同プロデュース、キュレーションするに至ったのでしょうか?

シャイ:最初にイザベルの方から提案してきてくれました。というのも、私たちはすでに13年ほどプロフェッショナルとしても、親しい友人としてもお互いのイベントを手伝うなどコラボレーションを続けてきているんです。

イザベル:今回のフェスティバルの発端は、フランス大使館の提案でした。「日本のプライドウィークに合わせて、イベントシリーズを企画したい」と。そこで私が担当することになり、シャイと2人でプロデュースすることにしました。

どんどんつながりが広がっていき、さまざまなアーティストや団体のサポートを受けながら予想以上に企画が膨らみ、完成されていきました。

「クィア」の中の「私たち」
Photo: Bambi, une Femme Nouvelle – Sébastien Lifshitz; Un Monde Meilleur, 2021

「クィア」の中の「私たち」

―今回のフェスティバルのタイトル『Q(WE)R』には「クィア(QUEER)」という単語が用いられて、その中に「私たち」を意味する「WE」が入っています。言葉に込めた思いについてお聞かせください。

シャイ:「クィア」という言葉を採用した一番の理由は、インクルージョン(包摂)の空気を醸し出しているからです。LGBTQ+に当てはまらない人、例えばゲイじゃなくても性的自認がジェンダーフルイドだとしても、「クィア」という言葉で表現できるでしょう。

イザベル:「クィア」とは、「インクルーシビティ(包摂性)」に加えて、個人的には、クィア理論家のホゼ・ミュノスが言うような「ユートピア」的な考えを伝える言葉でもあると思います。それはつまり、もちろんLGBTQ+のコミュニティーは現代社会のマイノリティーの一つではあるけれども、「クィア」と言う言葉を使うことで、ほかのマイノリティー性にも言及する契機となります。

クィアコミュニティーから湧き出る言葉や理論には、単に性的少数者の問題だけでなく、フェミニズムや反レイシズム、そして脱植民地理論といったさまざまな問題提起が含まれますよね。なので、「クィア」の中に「WE(私たち)」を入れたのには、他者とのつながりを結んでいく、関係としての世界を意識していたともいえます。

英語圏では自分が呼ばれたい三人称を、自己紹介の時に「she/her」「he/him」「they/them」と表現しますが、そういった形でフェスティバルのタイトルを「we/us」にすることも考えました。エドゥアール・グリッサン風の言葉遊びです。最終的に、複数形でありながら必ずしも定義があるものではないというところから、「クィア」という言葉に落ち着きました。

―政治的なメッセージが含まれているということでしょうか?

シャイ:このフェスティバルに政治的、あるいはアクティビスト的なステイトメントを込める意図はありません。差別禁止法や同性婚の立法化に何かしらの貢献ができるかは分かりませんし、日本における政治的な変化を目標としているわけではないのです。

それでも、日本社会における問題意識(アウェアネス)を高め、性的少数者だけでなく、社会の隅へと追いやられたできるだけ多くの人々にとっての居場所づくり、その手助けができればいいなと考えています。

このフェスティバルの信念であり、目的としているのは「文化を通して人々をつなげていく」ということ。というのも、日本のプライドウィークでは文化的なものに着目したイベントや、文化的なイベントの中でもクィアに着目したものが少ないので。だからこそ、文化とクィアが合わさったものを、幅広い層の人たちがアクセスできる場を提供したいのです。

イザベル:シャイのいう通り、国家の運営に関わるような政治の変化を目的としているわけではありません。しかし、クィアが内包する意識には「この社会でどう暮らしていくか?」といったミクロな問題があると考えています。アイデンティティーによって受ける偏見や差別があるということを、周りの人が想像したり理解できなかったりする。そのような社会では、当事者が自分の居場所を見つけることは困難でしょう。

だから、「どうやって他者と共に生きていくのか?」「それぞれが自分の声を持ち、理想的なライフスタイルを実現するとはどういうことなのか?」といった生活の問題もまた、政治的なプロジェクトなのです。その上で、すでに日本で活動を行っているアーティストやアクティビストを支援したいと思っています。

―どのような形での支援を意識しているのでしょうか?

イザベル:このフェスティバルに参加するアーティストやアクティビストは、ずっと地道に活動を続けてきているわけです。すでにそれぞれのフィールドで、コミュニティーのためのセーフスペースを作っている。なので、フェスティバルが新たに何かをするというわけではありません。私たちのキュレーションでできることは、出演者の方々をサポートし、つなげることです。

シャイ:そう、コラボレーションのきっかけづくり。いわば、橋渡しの役割を担うことですね。

イザベル:プラットフォームを準備し、接点を作る。声を挙げたりディスカッションをしたりして、成長できる場所を提供したいと思っています。ここから新たなコラボレーションが生まれるような、本質的に多元的な機会になればいいなと。

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開かれたアートや文化がムーブメントを知るきっかけに
Photo: Kisa Toyoshima

開かれたアートや文化がムーブメントを知るきっかけに

―イベントのラインアップを見てみると、「トランスインクルーシブ(Trans-inclusive)」なクラブイベントである『WAIFU』や、80年代のエイズ(AIDS)パンデミックの記録にフォーカスを当てた上映会、当事者のアーティスト、学者、活動家を招いたトークシリーズ、そして歴史的に女性たちの活動に活用されてきたZINEのフェアなど、表現形態だけでなく内容も多岐にわたります。

シャイ:これはキュレーションのテーマでもあるのですが、私たちは二人とも、アートは開かれた場所にあるべきものだと考えています。万人の手の届くところ、万人が触れることのできるものでないといけない。でもそれって、大きな画廊ならまだしも、美術館ではありえないことですよね? 20世紀半ば以降、現代アートは自己疎外の道をたどってきましたから。 

私はキュレーターとして、美術史を専門としない人や批評理論を読まない人、つまり誰もが理解できる作品を用いたプロジェクトを企画してきました。世界のアートシーンで評価の高い作品を選ぶこととインクルーシブ(包摂的)な作品選びをすることは、バランスが大事なのであって、全く相いれないものではないのです。

バックグラウンドの異なる人々がアートや文化と触れ合う機会を作ることは、私たちにとって非常に大事です。ありのままのあなたが来て、アートや文化と触れ合ってくれたらいい。アートや文化は、そもそも全ての人に開かれたものなので。

イザベル:先ほど「コミュニティー内の新たなつながりの機会になれば」と言いましたが、そこには海外のコミュニティーも含まれています。特に上映する映画作品を選ぶ際には、イベントに参加するアーティストやアクティビストたちのアイデアを反映しました。例えば「ヴォーギングのイベントをするから、ボールルームの歴史についてのドキュメンタリーを上映したらいいのでは」といった案です。

出演者たちとの対話から「これは今日の日本でも上映するべきだ」と、アメリカやヨーロッパにもつながりが広がっていきました。世界的なムーブメントの一部を体感することも必要だからです。これは現代社会だけの文脈ではなく、アメリカやヨーロッパの歴史的な背景も含みます。

―なるほど。文化やアート作品を通じて、性的少数者のムーブメントやその歴史に触れる機会にもなれば、ということですね。

シャイ:日本の批評理論的な部分では、LGBTQ+の権利やムーブメントの歴史的文脈が完全に理解されているとは言い難いでしょう。私はこれまでにヨーロッパと北米で暮らしてきましたが、現在の日本は90年代の北米に似たところがあると感じています。

これは社会的な受容の話ではなく、認識の問題です。日本の一般社会は実はとても寛容だと思いますが、カミングアウトしているクィアコミュニティーの人々と出会う機会がまだ少ないですよね。

それに日本のコミュニティー内においても、性的少数者のムーブメントの歴史は共有されていなかったりします。欧米では『パリ、夜は眠らない』や『UNITED IN ANGER -ACT UPの歴史-』といったドキュメンタリー作品は、みんなが観ているいわば古典です。クィアの政治の歴史として理解されているわけですが、日本ではそこまで知られていません。

だからこそ、こうした映像作品を日本で上映し、トークセッションを設けることに意義があるのです。私の印象ですが、自分の親世代よりも今の日本の若い世代の方が受け入れてもらいやすいと感じています。自分自身が社会で置かれている状況をより深く理解したり、感じていることを言語化したりするためにも、過去の権利闘争を含め、これまでの経緯を知る必要があるのではないでしょうか。

イザベル:私も、アートはできるだけ多くの人に開かれたものであるべきだと思います。作品の持つメッセージが多くの人の解釈を受けてこそ、よりアクセスしやすいものになるのです。人の心に触れる親密なアートこそ、広い範囲で人を魅了します。そこには、学術的な理解は必要ありません。

私の考えるクィアアートとは、友情や親密な関係、人の温もりを実感できるものです。ただ、クィアアートをどう語るかについては、もっと議論が重ねられてしかるべきですね。現代アートやそのほかのアートの文脈において、クィアアートとは何を指すのか。すでにさまざまな意見が出ていますが。 

また、私はこのフェスティバルのキュレーション自体が「クィア」なものだと思っています。それはトピックを扱っているからではなく、アーティストやアクティビストとの対話から生まれるアイデアを柔軟に取り入れていく企画プロセスもまた「クィア」だからです。

コロナ禍で得た遺産と今こそ集まるべき意図
Photo: Kisa Toyoshima

コロナ禍で得た遺産と今こそ集まるべき意図

―『Q(WE)R』のイベント趣旨では、対面でこのイベントを開催することの意義と緊急性が強調されているように感じました。コロナ禍からの復活のほかに、クィアな「私たち」はどのような緊急性を抱えているとお考えでしょうか。

シャイ:コロナ禍を意識したというより、国際社会で今あふれている分断に焦点を当てています。ウクライナが戦火を浴びている現状もそうですし、アメリカにも政治的分断があったり、世界中で保守派が人気を集めたりしているわけです。そういった状況下で生まれる不安や怒りもあるし、もちろんコロナ禍が別の不安要素にもなっているでしょう。

だからこそ「今、ここにみんなで集まるべきだ」というのが私たちの意図です。誰しもが安全に感じられるような場所に人を集めてつなげていきたい、と。 

イザベル:私は若い頃から、さまざまな差別に直面してきました。 多くの人がそうであるように、マイノリティーであるということは、物心がついた頃から社会的受容の問題を意識せざるを得ないことだったので、特に緊急性があるとは思いません。逆に言うと、常に緊急事態を生きてきたのです。

そして、これまでずっと見えないものにされてきた社会の差別構造が、コロナ禍によって明るみになったともいえます。コロナ禍で一番の苦労を強いられたのは、社会、経済的にも弱い労働者層でしたから。

そういった意味では、人々は自分たちの生活を取り戻す緊急性に最も敏感になっている時期でしょう。大きな弊害として家族や友達に会えなかったり、旅行もできない移動の制限があったりしました。私は2021年の9月の数週間、仕事のためにコロナ禍が一時的に落ち着いていた開放的なヨーロッパで過ごしたのですが、美術館やクラブが再開し、街中が喜びで満ちていました。そういった意味では、フェスティバルを対面で開催することで、皆で祝い合おうという目的もあります。

またコロナ禍だからこそ見えてきたものもありましたよね。コロナ禍によって発達したツールもありますし、何より世界を自由に往来することができなくなり、ローカルな交流や取り組みがグッと増えたりしました。

日本は島国で、良くも悪くも周りから遮断されてしまいます。だからこそ国境が開き始める今、国際的なつながりを強化させて、未来への種まきをしなくてはいけません。

―コロナ禍で得たポジティブな遺産は確かにありますね。 

シャイ:そうですね。今回のフェスティバルでは、多くのプログラムがハイブリッド形式で開催されます。ベンチャーカフェ東京と開催する映画上映後のトークは、虎ノ門ヒルズのCIC Tokyoから配信します。ビデオアーティストの高田冬彦さんとベルリンにあるクンストヴェルケ現代美術センター(KW)のKruijswijkさんとをつなげて、ジェンダーアイデンティティーをテーマにしたトークイベントもあるんですよ。

さらに、音楽配信サイトのSpotifyともタッグを組み、フェスティバルのトークイベントを全てポッドキャストでアップする予定です。世界中から誰でもアクセスができることは非常に重要です。フェスティバル中でも、1年後でも、5年後でも、アーティストと研究者が交わした会話を聞くことができるので。

―アクセスの間口を開く、ということですね。

シャイ:コミュニティー内部の人々は、それぞれに問題意識を持っていると思います。当事者だけではなく、当事者以外の人々の認識を高めて問題を共有していかなくてはなりません。

だからこそ、今回のイベントは東京の真ん中で、さまざまな企業とコラボレーションしています。ベンチャーカフェ東京、Spotify、そしてトランク(ホテル)など、どこも普段はあまりLGBTQ+に特化したコンテンツを持たないスペースや媒体です。それぞれがすでに持っているネットワークを使って告知をしてくれたら、より多くの人に情報が届きますよね。それはとてもワクワクすることですし、このフェスティバルの理念に合っています。

イザベル:その通りです。LGBTQ+の問題を扱うイベントや大学のジェンダー研究の一環として開催・議論することも重要ですが、対象となるオーディエンスの層をさらに広げることは大切です。

私たちが大事だと考えているのは、一人でも多くの人に対話に加わってほしいということ。ホセ・ミュノスは「クィアネスはいまだ、ここには来ていない」と言っていたけれど、私たちは「すでに何らかの形でここにある」ということを表現したい。だってそうでしょう? もちろん、先は長いのだけれど。

Contributor

 

2021年に大阪で始まったテクノパーティー。フェミニズムやクィアカルチャーに基づいたポリシーを掲げ、主に北加賀屋のクラブ ダフニアで不定期に開催している。

過去の出演者は湯湯婆ascalypsoSapphire slowsAicongaGroundほか、関西を中心に活躍するDJがそろう。

「おもろいのが一番よい。けど、その『おもろさ』から誰かがこぼれ落ちることのないような時間にしたいんです。(フライヤーより)」

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待ちに待った東京のプライドウィーク。今年は在日フランス大使館とアンスティチュ・フランセ日本が支援する国際的クィアカルチャーフェスティバル、『Q(WE)R-インターナショナル・クィア・カルチャー・フェスティバル』が東京で初の開催を迎えた。

多くのクィアアーティストの紹介とインクルーシブなプラットフォームの拡大を目的に、多様性を祝い、平等を得るためのイベントがここには集まっている。

パーティーやドラァグショーをはじめ、映画上映、アート展示、ワークショップなど盛りだくさんのイベントから好みのものを選んで出かけよう。フェスティバルは2022年5月6日(金)まで開催中だ。

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現在、「婦婦(ふうふ)」として3人の息子を持つ、エリンとみどり。二人が結婚した後、エリンは自身の性に対する違和感から、出身国であるアメリカ合衆国でトランジション(性別移行)を行った。

しかし、日本では同性間の婚姻が認められない。そのため、二人は婚姻関係を解消するか、本来の性ではない「男性」のままでいるかの二者択一をせざるを得ない現実に直面した。2021年、同性婚が認められない現状に対して、二人は国を相手取り裁判を起こしている。そんな二人に、日本のジェンダー観と政治について話してもらった。

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クラブイベントには珍しく、参加者の多くが女性というパーティーが渋谷の青山蜂で開催され、話題を集めている。2019年9月13日(金)に4回目の開催を迎える『Wife/WAIFU(ワイフ)』は、「ジェンダー、セクシュアリティ、人種、年齢などにかかわらず、オープンで他者と寄り添う気持ちのあるさまざまな人が安心して楽しめるセーファースペースを、参加者とともに作り上げていくこと」をテーマに据え、トランスジェンダー女性を含めた女性を軽視するような行為、および人種差別的な行動には即刻退場を求めるポリシーを掲げている。


社会のさまざまなところでジェンダーバランスの不均衡が問題視される昨今、音楽シーンもまた例外ではいられない。大規模の音楽フェスティバルでも男性の出演者が圧倒的に多いなかで、このパーティーのオーガナイザー5人全員が女性であることは大きな特徴だ。オーガナイザーに話を聞いた。

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性教育パフォーマーを名乗るドラァグクイーンがいる。その名もラビアナ・ジョロー。端正な顔立ち、豊満な尻、青々と生い茂った胸毛。それを笑う者でさえも、いつしか彼女の魅力に吸い込まれていく。

軽快なトークときらびやかな踊りを披露する独特なパフォーマンスは、後に問いや話題のきっかけを生み出す。それは、彼女が培ってきた性の知識と社会の影に潜む問題をパフォーマンスと融合させ、我々に問いかけているからだ。ラビアナはなぜ胸毛を見せつけ、表現し続けるのか。話を聞いてみた。

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