大駱駝艦・田村一行
Photo: Keisuke Tanigawa

「踊りとは空っぽになること」大駱駝艦・田村一行が考える舞踏とは

現存する日本最古の舞踏カンパニーの新公演「舞踏 天狗藝術論」

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Honoka Yamasaki
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2022年10月21日(金)〜23日(日)、現存する最古の舞踏カンパニー「大駱駝艦」(だいらくだかん)が、「シアタートラム」で公演「舞踏 天狗藝術論」を開催。振鋳(振付)・演出・美術・鋳態(出演)を担当するのは、大駱駝艦主宰の麿赤兒に師事する田村一行だ。

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「舞踏 天狗藝術論」(画像提供:大駱駝艦)

「舞踏」は、1959年に発表された土方巽の作品「禁色」から始まったとされている。「白塗り」「裸体」「坊主」といった風変わりなビジュアルをした人たちを想像するかもしれないが、彼らは身体と肉体の最深部への探求を行う。つまり自らの身体を使って踊る。いや、身体が自然と動かされるのだ。

田村は、大駱駝艦の考えである「空っぽになり、外側に目を向ける」を追求し続け、過去に30以上もの作品を手がけてきた。「舞踏 天狗藝術論」はそれら作品の集大成であり、大駱駝艦が実践する舞踏の核心に迫ることができる。

本記事では、大駱駝艦の稽古場「壺中天」で田村にインタビューを実施。公演に向けた練習の様子や、今回の公演、自身が考える舞踏について聞いた。

「天狗藝術論」誕生のきっかけ
稽古場での練習の様子(Photo: Keisuke Tanigawa)

「天狗藝術論」誕生のきっかけ

ー「舞踏 天狗藝術論」を、田村さんが手がける過去作品の集大成とした理由を教えてください。

毎回、作品のテーマを選ぶ時、若い頃は「自分とは何だろう」と自分の中からモチーフを探そうとしていました。ですが、歳を重ねるごとに外に目を向けられるようになり、大駱駝艦の「自分は外側のもので作られていて、外側に実態がある」という考えを理解できるようになったのです。

これは価値観にも言い換えられることだと思います。暑い地域と寒い地域とではそれだけで価値観が異なりますし、コロナ禍では人との距離を取ることが当たり前になりました。価値観が環境によって変わるとすれば、今ある自分を形作るものは、自分ではなく外側なのです。

その考えを基本とし、さまざまな地域に足を運んで30本ほどの作品を作りました。そこで、今回は過去作品の集大成となる作品を作ろうとの話が出て、今までの僕がやってきたいろいろなことが詰まっていると感じていた「天狗藝術論」を扱うことにした次第です。

ー公演は江戸時代の剣術書「天狗藝術論」をモチーフにしたとのことですが、その理由はありますか?

きっかけは、江戸時代の僧侶・沢庵宗彭(たくあん・そうほう)が執筆した「不動智神妙録」の一節「水上の箶蘆子(ひさご)のごとく」との出合いです。「水に浮いた瓢箪(ひょうたん)」とは「何か身構えるのではなく受け流す」という意味を持ち、これを以前、作品化しました。

沢庵和尚のことを調べるうちに、同じ剣術書の「天狗藝術論」を見つけたんです。両者とも共通した考えがあり、いつか「天狗藝術論」として一つの作品にしたいと思い、今回実現することができました。

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大駱駝艦の考える「空っぽ」とは
「舞踏 天狗藝術論」(画像提供:大駱駝艦)

大駱駝艦の考える「空っぽ」とは

ー大駱駝艦の作品は、「空っぽであること」が共通しているようですね。

大駱駝艦の練習では「空っぽになること」から始まります。身体の中の水が動いて、その水の力で動かされる。水がこぼれて、再び入ってくる……。このように、基本的に踊っている時は思考停止している状況で、あくまで何かに動かされている。目も開いてるけどガラス玉に過ぎないのです。

ーなぜ「空っぽであること」が大事なのでしょうか?

例えば、自分を紹介する時に「田村一行」「46歳」「舞踏家」「東京で生まれ育つ」という要素があります。ですが、これらの要素は自分の内にあるものではなく、どれも社会的な価値や生きてきた時間など、外側のものでしかないんですよね。

だからこそ、自分と一見関係のないような外側に目を向けることは大事だと思います。大駱駝艦では、腕を上げる行為一つにしても、自らが動くのではなく、糸でつり上げられているとか外に要因を作ります。自分の意思で動くよりも、「いかに空っぽになって動かされるか」が重要なんです。

ー考えないことが重要なのですね。

そうですね。どうしても「上手に踊ろう」とか「これでいいのかな」などと考えてしまいます。でもそれらの気持を押さえて何も考えないって意外と難しいですよね。

ですが、完全に空っぽになると倒れちゃうし、完全な思考停止の状態になったら何もしゃべれないじゃないですか。だから「力が抜けていることは、程よく力が入っていること」と考えるんです。 なので、0か100ではなく3くらいがちょうどいいと思いますし、常に冷静でいることは意識しています。

自分ともう1人の自分を置く
稽古場での練習の様子(Photo: Keisuke Tanigawa)

自分ともう1人の自分を置く

ー自分を客観的に見る状態の方が、踊りは良くなるのでしょうか?

そうですね。例えば僕は現在46歳ですが、「46歳の男性を踊れ」と言われると難しいんですよ。逆に500歳のおばあさんや3歳の男の子の方が表現しやすいです。

麿さんがよく言う「引き」が究極の大義であり、自分を客観視することで踊りは良くなります。なので、一生懸命踊り過ぎて「力が入ってるね」となることもありますし、どこか自分的には少し何かが物足りないと感じても、体がふわっと動かされていたような時なんかは、逆にいい踊りになっていることもあります。

ー稽古場でも「体が揺さぶられるように」という表現を使っていましたね。教える側が伝える言葉や表現だけでも、踊り方は変わるような気がしました。

自分と距離を取ることはなかなか難しく、日々の訓練なのか、ある時に気付いて身に付くのかは明確ではありません。振りの伝え方は、いつも漠然としたイメージだけでなく、相手の身体や動きに直結するような言葉を使うように心がけています。

以前、麿さんが「暑がりながら嫌々働いてる労働者の影」という表現を使っていたことを思い出しました。「労働者になれ」ではなく「労働者の影になれ」と言葉を付け足すことで、自分との距離が自然とできるんですよね。

僕も振り付ける時は、なるべく自分が見たい動きやシーンにいかにして近づけるかを考えるようにしています。

ー稽古場では振付をメンバーに教えながらも、自身で自分の振付を踊っている様子が印象的でした。振付・演出・出演、それぞれ脳の使い方は変わりますか?

振付・演出・出演、全てに関して体と脳みそがバラバラに働くかもしれません。振付は稽古場でパッと作って、その瞬間に出た動きをメンバーに覚えてもらう流れで完成します。 と同時にもう1人冷静な演出家の自分もいなければならないので、できた振付をどうやったら面白く見せられるか、どこが余分なのかなど、客観的に見るようにしています。

出演では、さらに違うスイッチを入れなければなりません。自分の作品に出る時は、周りのちょっとしたミスにも敏感に気付いてしまうのですが、なるべく考えないようにし、初めて行く世界に立つように、脳と体を切り替えています。

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「間」にこそ意味がある
稽古場での練習の様子(Photo: Keisuke Tanigawa)

「間」にこそ意味がある

ー曲にもこだわりがあるのでしょうか?

2008年の作品から、土井啓輔さんという尺八奏者の方に曲を書いていただいています。例えば西洋の音楽の休符と、日本の音楽の音のない間とは少し意味が違うような気がします。何の音もないところでも、有機的にうず巻いているものがあったりするんですね。

そこには音はないけど次のものが現れるまでの「濃厚な間」が存在する。音や動きが無くても、そのない部分を大切にする。僕らの見えないところをいかに表現するかといった大駱駝艦の考えと共通していると感じます。

ー練習の時は音楽を流さず、1人が合図する「チッ」という音を元に動きが進んでいました。曲に合わせて踊ることはないのでしょうか?

大駱駝艦は音楽でテンポを一つも取らないんですよ。音楽はもう1人のダンサーであり、最も贅沢な舞台美術であり、衣裳でもあり、演出家でもあると捉えています。

悲しい踊りをしている時に明るい曲が流れることもあります。あえて音の雰囲気を踊りに合わせなかったり、逆の雰囲気にしたりすることで、悲しみが深く表現されることもあるんです。そういった様々な共通認識の上で、土井さんは音楽を作ってくれます。

ー「舞踏 天狗藝術論」の曲はどのように完成したのですか?

いつも、事前に振付を見せることも打ち合わせすることもなく、全て土井さんに任せています。今回の事前のやりとりは剣術書だけで、本を通じたイメージの共有だけで曲を作っていただきました。それでも初めて曲を聞いた時、土井さんは僕たちの稽古場を見ていたのかと思うくらい、イメージにぴったりの曲ばかりでした。そうするとさらにそこから作品の世界観がどんどんと膨らんでいくんです。

「舞踏 天狗藝術論」のメンバー(Photo: Keisuke Tanigawa)

ーさまざまなこだわりが詰まった「舞踏 天狗藝術論」を多くの人に見てもらいたいですね。最後に、読者へメッセージをお願いします。

舞踏手11人が出演する迫力のある舞台になると思います。それぞれの身体の面白さをぜひ肌で感じてほしいですね。日常生活のすぐ隣に潜んでいる異世界の扉を開いてもらえたらうれしいです。

Contributor

Honoka Yamasaki

レズビアン当事者の視点からライターとしてジェンダーやLGBTQ+に関する発信をする傍ら、新宿二丁目を中心に行われるクィアイベントでダンサーとして活動。

自身の連載には、タイムアウト東京「SEX:私の場合」、manmam「二丁目の性態図鑑」、IRIS「トランスジェンダーとして生きてきた軌跡」があり、新宿二丁目やクィアコミュニティーにいる人たちを取材している。

また、レズビアンをはじめとしたセクマイ女性に向けた共感型SNS「PIAMY」の広報に携わり、レズビアンコミュニティーに向けた活動を行っている。

https://www.instagram.com/honoka_yamasaki/

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