創刊号を読み解く 第7回 - エスクァイア

あの雑誌の創刊号に映るものとは? 創刊号蒐集家たまさぶろが分析

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Kunihiro Miki
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創刊号マニア、たまさぶろによるコラムの第7回。今回は、1987年に創刊された男性誌『エスクァイア』を取り上げる。同誌は、1933年10月にアメリカはシカゴで創刊された「世界で最初の男性誌」として知られる『Esquire』の日本版である。

1990年代の到来を目前に控えたタイミングで創刊された本号では、豊田章一郎や新井将敬、松浦寿輝、沢田研二、落合博満など、各界の著名人たちの言葉が誌面を飾る。バブル景気真っただ中だった当時、アメリカへの憧憬と日本社会の勢いが入り混じったその内容を、たまさぶろがひもとく。

アートディレクターは木村裕治

アートディレクターは木村裕治

もし自分が物書きでなかったら、一体何になりたかっただろう。おそらく『Esquire』の編集者だろうと思う。

アメリカの男性誌の雄『Esquire』の日本版が発行されていた事実を、今の若手編集者などは知らずにいるのではないだろうか。

『Esquire』は1933年10月、アメリカシカゴで創刊され「世界で最初の男性誌」とされる。創刊編集長はアーノルド・ギングリッチ。ヘミングウェイやスコットフィッツ・フィッツジェラルド、ダシール・ハメットやドロシー・パーカーなどが寄稿したことで知られる。1925年創刊の『ニューヨーカー』よりは若いが、創刊85年を超えるアメリカを代表する雑誌だ。2013年現在、本誌はハースト社が保有しており、拠点もニューヨークに移っている。少し古いデータだが、2012年時点で72万部を発行している。

日本版の『エスクァイア』が創刊されたのは1987年のこと。1974年創業の就職採用事業会社、株式会社ユー・ピー・ユーから発行された。リクルートが各種情報誌を発行しているので、就職採用事業会社が雑誌を発行していた事実に違和感を覚える方は多くないだろう。しかし、リクルートの発行誌はほぼ広告カタログである点と比較し、こちらは天下の『Esquire』日本版だ。出版人たちは驚きを持って迎えた。

仕掛け人は、編集兼発行人の吉澤潔。1948年京都市生まれの彼は、25歳で京都大学を卒業すると、その翌年1974年にユー・ピー・ユーに設立とともに参画。1984年に同社代表取締役となり、その後、本誌を立ち上げた。本誌の発行は1995年「株式会社エスクァイアマガジンジャパン」名義に移行。発行人は引き続き吉澤、編集人は山田三夫となっている。奥付では、吉澤の意気込みが語られている。

創刊号には「月号」表記がなく「Spring」とだけ記されている。第2号予告も「7月上旬発売予定」とだけあるので、季刊としてスタートしたことになる。

表紙は、『Esquire』の赤い表紙の上にヘミングウェイの人形が置かれた写真。ヘミングウェイは同誌の象徴というわけだ。アートディレクターは、木村裕治。武蔵野美術大学卒、森啓デザイン研究室、江島デザイン事務所を経て1982年に独立。本誌のほか全日空機内誌『翼の王国』『東京人』『和樂』などを世に送り出して来た大御所である。最近では朝日新聞の『GLOBE』などを手がけている。

創刊号のテーマは「Man At His Best」。ほか「バイラインがこれからの基本」「ビジネススタイルが変わる」「朝のカクテルを楽しむ」の3つ文言が表紙を飾っている。

表2はBMW Japan Corp.による見開き広告。わざわざ「西独BMW全額出資日本法人」という注釈がある。BMWは1981年に日本の正規輸入代理店を買収し、現地法人を立ち上げたばかりだったらしい。「西独」という単語にも、当時、ドイツが東西に分かれ、冷戦の最中だった時代背景が見られる。

3ページにはNTTの見開き広告。インターネットもない電話回線の時代、何を宣伝していたのだろうか。以降、過去の『Esquire』誌からの抜粋が続き、川本三郎がその讃歌を寄稿している。

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落合の「オレ流」、当時から

13と14ページは目次。企画「90年代、日本を変えるエスクァイアたち」には、金子郁容、新井将敬、松浦寿輝、沢田研二が並び、そのアメリカ版特集として、スティーブ・ジョブズ、ブルース・スプリングスティーン、ロン・ハワードなどが取り上げられている。

これは「Esquire」という言葉が「Yuji Kimura, Esq.」などとして使用する男性の敬称であることから、「男たち」と読み替えるのだろう。このエスクァイアの予測が、どれほど的を射ていたのかを、1990年代などとうの昔になった現代に読み返すと興味深い。

松浦の写真は、南青山4丁目付近でモノクロで押さえられているが、木造瓦屋根の平屋の前で構えており、1980年代後半にはまだそんな東京の街並みが残っていたのかと驚かされる。

特集で興味深いのは、「生き方、落合博満流」だ。蓮實重彦が中日ドラゴンズの落合をインタビューしている。落合節全開の内容で、噴飯(ふんぱん)ものである。王貞治はイケてないし、野村克也は嫌い、金田正一に至っては「無責任」と断罪している。

また、石川好が当時トヨタ自動車の社長だった豊田章一郎をインタビューし、「TOYOTA50年の起業家精神」と題した記事にまとめている。「世界のトヨタ」となった現在読み返すと、いかにこの巨人に先見の明があったか伺い知ることができ、非常に勉強になる。

読み物としては、ボブ・グリーン(訳・井上一馬)、レイモンド・カーヴァー(訳・中野圭二)、ヘミングウェイ(訳・高見浩)などが並び、新潮社の出版物のような香りを漂わせている。

『Esquire』というとアメリカ東部のエスタブリッシュメント的な匂いが満載だったりもするのだが、落合のインタビューだけで、そのイメージががらがらと崩れ、実に「日本のエスクァイア」的な味付けに仕上がっている。

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当時、まだニューヨークに足を運んだことすらなかった私のような学生が、なぜこの雑誌に惚れ込んでいたのか。それは、日本の雑誌にはない、アメリカ的な成功のストーリーが息づいているような気がしたからだ。経済も文学も映画もスポーツでさえも、アメリカ東部の尖った文化がここに運ばれて来るように感じたからかもしれない。

この頃、似た雑誌として、新潮社の『Switch』があった。日本文化に焦点を当ててややあか抜けなさのあった同誌と、サブカルはあってもアングラではなく、抜けた明るさがあった『エスクァイア』は対照的に映った。

閉鎖社会へと向かって進んでいる証しなのか

閉鎖社会へと向かって進んでいる証しなのか

表4は三菱銀行。銀行名の変遷ほど、日本社会がどれだけ病んできたのか理解できる尺度もなかろう。本誌も21世紀に入ると、それほど陽の当たる道を歩むことがなかった。株式会社エスクァイアマガジンジャパンはTSUTAYAを運営するカルチャル・コンビニエンス・クラブ株式会社の子会社に組み込まれ、2009年5月23日発売号をもって休刊となった。

時代の流れか、世の中がグローバル化するなか、一元的なアメリカのユニークさだけでは日本で人気を得られず、その神通力が失われていった証しなのだろうか。それは日本が閉鎖社会へと向かって進んでいる証しなのかもしれない。

『Esquire』のブランドは、日本ではハースト婦人画報社に引き継がれた。現在も同社著名誌『MEN’S CLUB』サイト内にいくつかのコンテンツを見出すことができる。編集長だった山田三夫も同社に移籍。忘れた頃に『MEN’S CLUB』の別冊扱いで刊行されている。

たまさぶろ

たまさぶろ

1965年、東京都渋谷区出身。千葉県立四街道高等学校、立教大学文学部英米文学科卒。『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後に渡米。ニューヨーク大学およびニューヨーク市立大学にてジャーナリズム、創作を学ぶ。このころからフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社にてChief Director of Sportsとしての勤務などを経て、帰国。『月刊プレイボーイ』『男の隠れ家』などへの寄稿を含め、これまでに訪れたことのあるバーは日本だけで1500軒超。2010年、バーの悪口を書くために名乗ったハンドルネームにて初の単著『【東京】ゆとりを愉しむ至福のBAR』(東京書籍)を上梓、BAR評論家を名乗る。著書に、女性バーテンダー讃歌『麗しきバーテンダーたち』、米同時多発テロ前のニューヨークを題材としたエッセイ『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』。「あんたは酒を呑まなかったら蔵が建つ」と親に言わしめるほどの「スカポンタン」。MLB日本語公式サイトのプロデューサー、東京マラソン初代広報ディレクターを務めるなどスポーツ・ビジネス界でも活動する。

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