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オープンロンドンに学ぶ:ゲームメーカー

ロンドンからシティ・イノベーション分析 - ロンドンパラリンピックの成功の舞台裏

Clare Green/ParalympicsGB

タイムアウト東京 > Open Tokyo > オープンロンドンに学ぶ:ゲームメーカー

in collaboration with 日経マガジンFUTURECITY

Text by Marcus Webb

2011年、ティム・ホリングスワースは翌年のロンドンパラリンピックの開催責任者に任命された。ロンドン大会は今日、パラリンピックの歴史上、最高の大会の一つだったと認知されている。2020年東京大会がロンドン大会を越えるにはどうすべきか、ホリングスワースが語った。

全く別次元のパラリンピック

今年でロンドン大会から6年がたつ。だが彼は、「ジョニー・ピーコックがT44陸上男子100m決勝でスタートラインについた時、彼は観客に静かにするよう求めました」と、まるで昨日のことのように振り返る。「パラリンピック会場に8万人の観衆が集まり、選手が静まるよう求めるなんて、本当にすごいことです。この時、人々は、それまでとは全く別次元のパラリンピックを目の当たりにしたのです」。

英国パラリンピック委員会CEO ティム・ホリングスワース

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チケットの売上は280万枚を記録

2012年ロンドン大会が従来のパラリンピックと異なるものだったとすれば、それを実現したのは、ホリングスワースと、チャリティ団体ParalympicsGBの仲間たちだった。2011年に英国パラリンピック委員会の最高経営責任者になった彼は、大歓声の中で決勝に臨んだピーコック同様、仕事を遂行するだけでなく、記録を破らねばならなかった。ロンドン大会はパラリンピック史上最多の観客を動員した。チケットの売り上げは、2008年北京大会を100万枚以上上回る280万枚を記録、組織委が掲げた目標250万枚も達成した。

彼は、2012年の成功の理由は何も秘密にすべきではないと言う。パラスポーツの情熱的支持者の1人として、パラリンピックの潮流を大きくし、東京がロンドン大会の記録を破るため、ノウハウを共有したいと思っている。「大会が終わった時に強烈に感じたのは、成長の道筋を継続させなければいけないということでした。2020年までずっとです」。

ロンドンパラリンピックT44陸上男子100mで金メダルを獲得したジョニー・ピーコック(右)

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大会をふかんする

最初のアドバイスは、東京大会を、パラリンピックとオリンピックの2つから成る1つのイベントとして捉えるということだ。「以前の組織委は、まずオリンピックを組織・運営し、パラリンピックはその後に行うべきものと考えていました。この考え方から脱却するのは難しいことです。例えば、選手村の部屋は通常、まず健常者向けに作られ、そこから障がい者向けに改装されます。ですが私たちは、最初にパラリンピック用に建設し、後にオリンピック用に改装しました。これにより、選手村の建物には完璧なアクセシビリティが備わりました。この考え方は物流にも適用し、組織委の運輸責任者は双方を担当しました。何かをオリンピック用に作った後、それをパラリンピックの担当者に引き継ぐというやり方よりも、大会をふかん的に見ることができました」。

だが、オリンピックとパラリンピックが全く同じ道筋をたどったわけではない。大会準備期間中の最も勇気ある決断の1つは、組織委が、パラリンピック放映権を伝統的ホスト局のBBCではなく、民放のチャンネル4とYouTubeに与えたことである。オリンピックはBBCが放映したが、チャンネル4はパラリンピックの放映権を900万ポンドという破格の値段で買い取った。組織委は、YouTubeとチャンネル4の革新的な番組制作手法や、企業が支援を広告で表明できる点などにも、大きな魅力を感じていた。

チャンネル4は見事に期待に応えた。ヒップホップに乗せて軽快に映像が差し込まれる宣伝ムービーや、その日の競技結果をユーモアを交えて紹介するコメディ番組「The Last Leg」など、従来とは異なる方法でパラリンピックと障がいの話題を取り上げたのだ。「チャンネル4は素晴らしい仕事をしました。パラリンピックは、障がいを見せることが普通のこととして受け入れられるきっかけになり得ると、人々に再認識させました」。

競技会場が満席になった理由は様々あると彼は考えている。まず、オリンピックのチケットを入手できず、テレビ観戦していた人々が来場したということだ。加えて、チケットが「お手ごろ」(半数が10ポンド以下、95%が50ポンド以下) だったことが、会場にユニークな雰囲気を生み出した。「家族連れがお出かけを満喫していました。彼らも特別な夏の一部でありたいと感じていたのです」。

イギリスの大観衆

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「できないこと」より「できること」に焦点を当てたロンドン大会

人々にとって、応援しがいがあったということも大きいだろう。イギリスは、ロンドンパラリンピックで120個ものメダルを獲得した。これを支えたのが、一般の人々や民間スポンサー、国営宝くじなどによる、ParalympicsGBへの資金協力だという。東京大会の目標は、168個のメダル獲得。国営宝くじの資金配分を担当する投資団体UKSportは、選手団に7083万ポンドを割り当てている。彼は、「私たちはリオデジャネイロパラリンピックでは147個のメダルを獲得しました。つまりロンドンではもっとできたということかもしれません」と、貪欲だ。

彼にとってオリンピック・パラリンピックは、物語の半分でしかない。ロンドン大会は、「人々に活力を与えるものでなければいけない」という、野心的な計画を立てていたのだ。彼は、大会の影響を判断するのは時期尚早としながらも、「ロンドン大会は、『できないこと』より『できること』に焦点を当て、社会の障がいに対する考え方を進歩的にしました。人々は、ポジティブで人に勇気を与える障がいというものを目の当たりにしたのです」と手応えを感じている。彼の功績は認められ、2016年には女王からOBE(大英帝国勲章)が授与された。

ロンドンパラリンピックで、ヘンリー王子(後列右から2人目)らとゴールボールの試合を観戦するホリングスワース(同右)

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「野心的過ぎたと思ったことはありません。一生に一度の機会ですから」

「東京大会のあらゆることが、人々に刺激を与えます。大会関係者は2020年を素晴らしいものにしよう、パラリンピックのうねりを大きくしようと、情熱を持って取り組んでいます。これほど嬉しいことはないですよ」。彼は強調する。「ロンドン大会が野心的過ぎたと思ったことはありません。一生に一度の機会ですから。パラリンピックを活用し、障がい者にとってより良い世界の実現を進めるチャンスは、既に東京の手の中にあります」

日経マガジンFUTURECITY第3号から転載

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