ロンドンオリンピック

オープン ロンドンに学ぶ

ロンドンの取り組みから2020年以後の東京を考える

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Time Out Tokyo Editors
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in collaboration with 日経マガジンFUTURECITY

Text by Marcus Webb

2012年のロンドンオリンピック・パラリンピックは大きな成功を収めたが、5年が経った今も続くその影響とは何なのか。ロンドン大会のレガシーを守っていこうとしているアスリートやエグゼクティブたちに、ロンドンでスロージャーナリズム誌『Delayed Gratification』を編集するマーカス・ウェブが東京が彼らから学ぶべきことを聞いた。
ゲーム チェンジャー

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それはイギリス史上最大規模の建築許可申請だった。2007年、オリンピック会場建設委員会(Olympic Delivery AuthorityODA)は、全151万ページにわたる新しいイースト ロンドンの基本計画案を提出した。計画案が公表されてから10年後の現在、ロンドン レガシー開発会社(London Legacy Development Corporation)のピーター・チューダーに、クイーン・エリザベス・オリンピック・パークで取材を行った。

ストラトフォード地区にある敷地面積2.5平方キロメートルの同公園は、世界規模のスポーツ会場と、丁寧に手入れされた豊かな緑地の迷路に生まれ変わった。「公園を歩いてみて、そこが今でも利用されているのを目の当たりにするのは、思いつく限りでは最高のことですね」。同公園の来場者サービス長を務めるチューダーはそう語る。「ここは外に出て活動的に過ごしたい人のための場所になったのです」。

このようなスポーツの理想は、そう簡単に実現できるものではなかった。2004年、オリンピック・パラリンピック招致に成功し喜びに沸いたロンドンには、大変な仕事が待っていた。国として公約を実現することができるのだろうか。「どの開催国も何かしらの問題を抱えていました」。そう語るのは、ロンドン大会のレガシーを今後に残していくための慈善基金、スピリット オブ 2012Spirit of 2012)の最高責任者であるデビー・ライだ。「どこにでも落とし穴がありそうな雰囲気でした」。

ロンドンの場合、その穴は特に危険なものだった。2007年の世界的な金融危機が同国に大きな打撃を与えると、国民から大会の開催に疑問を抱く声が挙がった。「転機となったのは聖火リレーでした。その熱気が国中に広がったのです」。自身も聖火ランナーを務め、その高揚感を体験したライはそう語る。「聖火リレーによって、これがロンドンだけではなく国全体のイベントなんだということが証明されました。ダニー・ボイルが演出した素晴らしい開会式が終わる頃には、すべての人が味方になったような感覚がありました」。

新たな高みに達したパラリンピック
Lynne Cameron

新たな高みに達したパラリンピック

同大会のイギリス代表選手団は、オリンピックとパラリンピック合わせて史上最多となる185個のメダルを獲得する大活躍だった。オリンピックの成功は大きな安堵(あんど)をもたらしたが、国際パラリンピック委員会(IPC)のフィリップ・クレーブン会長が「史上最高」と評した2012年のロンドン大会は、同時にパラリンピックの新たなスタンダードを提示した。史上最多4302人のアスリートが参加しただけでなく、チケット販売やテレビ視聴者数の記録を更新し、より多くの人々の関心を集めたことが重要だった。

「成功のための特別な秘密があったわけではなく、数多くの要素が積み重なった結果であり、それは秘密でも何でもないのです」。英国パラリンピック協会(British Paralympic Association)の最高責任者であり、2012年大会を成功に導いたティム・ホリングスワースはそう語る。「もっとも重要なことは、大会組織委員会がオリンピックとパラリンピックの両方を組織するのだという、根本的な信念を持つことでした。ひとつのイベント、ふたつの大会です。過去の組織委員会の中にはオリンピックだけを組織していて、パラリンピックは後まわしにしていたと見られても仕方がないような例もありました。ロンドンは、それではいけないのだという基準を確立しました」。

ホリングスワースによると、もうひとつ重要な決断だったのが放映権の分割だった。オリンピックは公共放送のBBCが放映し、パラリンピックは広告を主な収入源とするチャンネル4が放映を行った。「彼らのパラリンピックの宣伝はじつに見事で、『超人たちに会おう』キャンペーンによって人々の見方が変わりました」とホリングスワースは言う。「加えて、オリンピックでのイギリスチームの活躍があったので、皆がパラリンピックのチケットを求めたのです」。

パラリンピックの馬術競技に出場し、史上最多の観客の前で3個の金メダルを獲得したイギリス代表のソフィー・クリスチャンセンは、その熱気を間近で感じていた。「ロンドン大会はパラリンピックの最高峰でした」と彼女は言う。「障がい者スポーツにあれほどの関心が集まったのは素晴らしいことです。チケットの売り上げの大きさを知り、地下鉄で大会について話している人を見かけるまでは、ロンドン大会の影響の大きさに気づいていませんでした。グリニッジで1万人の観客の前で競技を行うという経験は、私たちの競技の世界では前代未聞のことでした」。

競泳競技に出場したスージー・ロジャースも、3個の銅メダルを獲得する大活躍だった。「メダルが取れたこともそうですが、あの特別な大会の一部になれたことがとても嬉しかったです」と彼女は語る。「大会によって国がひとつになったように感じました」。

前に進んでいく力

チューダーは、パラリンピックとオリンピックを間近で見守った。「大会の成功は嬉しかったですが、私たちの仕事はその次を考えることでした」と彼は言う。「レガシーを作るという仕事のために、私たちはパーティーの終わりを待っていました」。チューダーと彼のチームは時間を無駄にはしなかった。彼らは閉会式の翌日から仮設会場の撤去と公園の一般開放に向けた作業を開始した。「『ここはあなたたちの公園ですよ』と呼びかけ、地元コミュニティとの協力を重視しました」とチューダーは語る。「1年で公園の北半分が開園し、南側の半分も18カ月で開園できました」。

チューダーによると、公園の継続的な成功には、レガシーチームと大会運営チームの協力が鍵だったという。「大会後のことを考える人間が必要です。大会の競泳会場には17000席が必要でしたが、大会が終わったらそれらが不要になることは分かっているわけです。ですから、会場もレガシーのことを考えて、大会が終わったら座席を撤去して、市民プールとして利用できるように設計されました。現在では毎月6万人がこのプールを利用しています」。

ホリングスワースは、2012年大会の影響は何世代にもわたって受け継がれていくと考えており、総合的な評価を下すのは時期尚早だと言う。「レガシー(遺産)という言葉は好きではありません」とホリングスワースは言う。「その言葉には、何か優れたことを成し遂げたら、あとはそれを維持していくべきだという響きがあります。私たちは、ロンドン大会がこの成長の旅を前進させる原動力であるべきだと思っています」。ライとスピリット オブ 2012チームによって、国全体を勢いづける力はより確かなものになった。ライによると、スピリット オブ 2012を設立したビッグ ロッタリー ファンド(Big Lottery Fund)会長のピーター・エインズワースは、2012年のパラリンピック閉会式後に、この勢いを止めてはならないと決意したという。エインズワースは大会の好影響が続いていくようにと、この新団体に4700万ポンドを出資した。現在までに、スピリット オブ 2012はイギリス国内100カ所、150万人に影響を与えてきた。

ライが最も誇らしく思っている事業のひとつが、インクルーシブ・フューチャーズ(Inclusive Futures)だ。これは14歳から19歳までの障がい者と健常者のボランティアの雇用、訓練、リーダーシップスキルの養成を行うものだ。「2012年ロンドン大会のスローガンのひとつが『インスパイア ジェネレーション(Inspire a Generation)』でした。このプロジェクトはその理念を念頭に置いています」と彼女は語る。「包括的なプロジェクトというと障がい者のみを対象としていることが多いですが、このプロジェクトは真の意味での包括です。現在までに1700人の若いリーダーを育てており、そのうち57パーセントが障がい者です」。インクルーシブ フューチャーズの影響はすでに表れている。スポーツイベントのボランティアのうち障がい者は平均で1〜2パーセントだが、インクルーシブ フューチャーズのボランティアを採用したUKスクール ゲームズでは12パーセントだった。「小さなことから力を注いでいくことで世界を変えることができます」とライは言う。「誰もが一流アスリートになれるわけではありません。インクルーシブ フューチャーズでは、障がい者と健常者が一緒に日々の活動を行っています。車いすに乗っている人は誰かに会場まで運んでもらう人ではなく、誰かを会場まで案内してあげる人なのです」。

東京が学ぶべき教訓

今回取材したすべての人が、2020年の東京大会を待ち望んでいるようだった。クリスチャンセンは、自身5回目のパラリンピックとなる東京大会への出場を考えている。彼らは皆、2020年が東京にとって素晴らしい機会になると考えている。「毎回違った面がある、それが素晴らしい点のひとつだと思います」とロジャースは言う。「日本がロンドンを見習うべき点をひとつ挙げるなら、それは流れを止めないということです。人々が異なるスポーツに挑戦したり運動能力を高めるきっかけづくりの機会とし、施設を有効利用すべきです」。

「素晴らしい夏でした」と、チューダーは言う。「しかし、レガシーのためのエネルギーも残しながら、その素晴らしさを継続させていくことも重要です」。ライもそれに同意する。「2021年に世界がどのようになっていてほしいか、そのイメージを早い段階で固めておくべきです。2020年大会の成功を目標として運営に関わっている人がそれを実行するのは難しいでしょう。彼らの仕事ではなく、他の人たちがやらなければなりません。前向きな雰囲気と喜び、そして興奮がやってくるでしょう。その前向きな力の大きな波にしっかりと乗れるように、準備を整えておいてください」

日経マガジンFUTURECITY創刊号から転載

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