東京、麗しきバーテンダーたちの店10選

銀座、田町、赤坂、吉祥寺。バーの世界に生きる女性たち
バー ギンザ グレイス
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テキスト:たまさぶろ

もはや「麗しきバーテンダーたち」が珍しい時代ではなくなった。バーのカウンターに立つ者は、男性に限る。そんな封建的な時代も、日本では実はほんの10年ほど前までのことだ。かつて女性バーテンダーは稀(まれ)だった。キャリア20年を超える女性は、今でも稀有(けう)な存在だ。

瞬きの間に世紀は変遷し、カクテルコンペティションの優勝者、優秀者は女性というケースが多くなった。ある巨匠は「女性のほうが度胸があって愛嬌(あいきょう)も良い。もう男性は勝てないかもね」と笑った。男性バーテンダーの妬み嫉(そね)みすら漏れるようになった。

だからといって女性特有の労苦が雲散するわけではない。今一度、この機会に東京の麗しきバーテンダーたち10人に焦点を当て、「バーテンダーとは何か」を問い「麗しきバーテンダーたち」の現在を考える。

バー

バー ユウ:波夛野悠(はたの ゆう)

icon-location-pin 銀座

「お前、悪い女だな」と言われるのは、銀座では「褒め言葉だと思います」と屈託ない笑顔を見せるが、実は京女。

芸能関係の仕事で上京するものの、いつしか夢はなくなり、しっかりとした仕事を考えるなら芸能活動を辞めようと銀座の飲食業界に身を投じたのが18歳の時だった。芸能とのつながりからメイクアップアーティストも思い浮かんだが、バースプーンやシェイカーが揃っていた実家で、幼い頃からミルクセーキなどを自作していたことに加え、カクテルを作る面白さや銀座という街の魅力から、自身の店を構える目標を掲げた。

目標に向かって貯金を積み重ねた。そのため、25歳の頃から銀座のクラブにも勤務。いくつかのバーも経験しながら、ソムリエの資格も獲得した。銀座に7店舗を構える著名バーグループ、ハートマンより縁をもらい、カフェバー ケーに勤務することに。グループ社長のロマン、男気に惚れ、男社会の中で娘のように大事に育てられた。おかげで、カクテルも、余裕のある遊びも、名物のカツサンドについても学んだ。独立前の物件探し中には、これまた銀座の名店、バー三石に勤務するチャンスも。これもさらなる勉強として身についた。

2018年3月26日、自身の店、バー ユウ(Bar Yuu)をグランドオープン。昔、勤務していたクラブのママがお客さんを連れて来店、また当時のお客さんも忘れずに飲みに来てくれた。「好きなことを仕事に......と言っても、そんなに簡単なことじゃない。ただ銀座という街、そしてお酒が好きでなかったら、これほどの人たちと親しくなることはできなかった」と振り返る。

バーテンダーは「どこそこの社長さん」という客の覚え方はしない。「あのお酒を飲んでいた、あの時のお客」として記憶している。それゆえに、客として通ってくれた大会社の社長とも懇意になれたと理解している。独立した際には、「今となってはお前も社長だろ。同じ社長として胸を張って頑張っていけ」と言葉をかけられた。大勢のバーテンダー、大勢の銀座の人々の力でここまで来られたと感謝を忘れない。

菓子作りが好きだったこともあり、両親にはパティシエなどの進路もすすめられた。もしバーテンダーでなかったら、どんな仕事を選んでいたか問うと「やはりバーテンダーだと思います」と、芯の強さも頼もしい。「静かに飲む方には向かないかもしれない」という、笑顔が絶えない新しい銀座のバー。それもまた楽しからずや。

バー

スカイギャラリーラウンジ レヴィータ:花田美咲

icon-location-pin 紀尾井町

初めて訪れたバーは、ザ・プリンス パークタワー東京のスカイラウンジ ステラガーデン。大人の社交場で、何をオーダーしていいか分からなかった。しかし、目の前に現れたのは、麗しきバーテンダー。花田の意を汲(く)み、ぴったりのカクテルを作り出してみせた。業界で名の知れたその麗しきバーテンダーは、渡邉由希子。つい先日までの上司でもある。

花田は、青森県出身。父がホテル勤務だったことから、宿泊担当を目指し、同様の職業に就こうとホテル専門学校進学を機に上京した。向学のためにホテルへやって来た彼女が運命の出会いを得たのが、ステラガーデンだ。以来、ホテルウーマンの夢から、ホテルのバーテンダーを目指すことを決意。まずはアルバイトで経験を積み、2012年にプリンスホテルに入社。初任地、ザ・プリンス パークタワー東京での1年目はホール勤務だったが、夢を叶えるために猛勉強。日本ホテルバーメンズ協会(HBA)の資格を取得し、バーカウンターの中の住人となった。現在は、ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町のスカイギャラリーラウンジ レヴィータで、2016年7月の開業時より腕を振るう。

憧れのバーテンダーとなった花田に、現実とのギャップを尋ねると、「あまりありません。ただ、思ったよりも力仕事だったので、すっかり腕がムキムキになりました」と笑う。専門学校時代から、研修としてホテルに出入りする機会が多かったので、夢見るというよりも、現実的にモチベーションを保ち続けてきた。渡邉という憧れが近くに存在した点も大きかったに違いない。現在勤務するレヴィータのオープンの際にも、渡邉と一緒に研修を共にし、おかげで、この若さでカクテルコンペティションでの受賞経験もある。

それでも「まだ自分がバーテンダーをこなしているとは思えない」と、正直な気持ちを吐露。「正解がないだけに、まだまだ学び中です。カクテル、接客、会話…...。すべて研究することで、自分が変わっていける」と遠くを見据えている。

実は、取材の翌日より休暇で青森に帰郷予定だった。果たして一度も足を運んだ経験のない青森のバー巡りはどこまで達成されただろうか。次回、日本でもっとも美しい景観を有するこのバーラウンジに足を運んだ際は、青森のバーについて尋ねてみたい。

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バー

日比谷バー 三田店:小笠原架奈

icon-location-pin 田町

「たおやかなバーテンダーだな」と思ったが、それだけではない。バーテンダーとしてのキャリアを決意し上京。扁桃腺が原因で熱に倒れる日々が続いたが、患部の除去手術に挑み、帰郷することなく東京でカウンターに立ち続けた。優しそうな受ける容貌(ようぼう)とは裏腹に、頑張り屋である。

出身は「カクテルの街」宇都宮を擁する栃木県。地元の足利市も腕自慢のバーテンダーが多い土地柄として知られる。専門学校を卒業後、アパレル業界に入るものの、ダイニングバーに足を運び、「あまりに楽しそうだったので」とこの世界へ。3年間の修行期間を経て上京。世話になったマスターにも「教えられることは教えたから、しっかり勉強してきなさい」と送り出された。

バーテンダーの仕事は楽しさばかりで辛さを感じることはないという。「お客さんとしゃべっているのが大好きです。いろいろな方がいらっしゃるのでそこが面白い」と醍醐味を噛み締めている。

店はサラリーマンと学生が同居する東京、田町に位置する。グループ客も多いなか、サラリーマンの団体に「お隣が学生さんなので、少々騒がしいかもしれませんが、よろしくお願いします」と案内したにもかからず、むしろサラリーマンのほうが羽目を外し過ぎ、学生に「お隣が盛り上がってしまい申し訳ありません」と伝えるあべこべな出来事もある楽しい職場だ。

休日は勉強も兼ねて、ひとりでふらりとバー探訪を重ねる。将来的には地元に戻り自身のバーを持つのが夢だ。「ただいま」と言って訪れてもらえるような、アットホームな店が目標。先日も女性客に「会いたくなって来ちゃった」と言われ、幸せな気分になれたという。

「バーテンダーは人生相談係」と捉えている。「親しい人にも話せないことが、バーテンダーには話せる」からだ。自身がバーに足を運んでいたころ、いつも元気をもらって帰宅した。「将来、(お客さんに)必ず元気になって帰ってもらえる存在になりたい」と語るその笑顔はやはりたおやかだった。

バー

アルジャーノン シンフォニア:小栗絵里加

icon-location-pin 赤坂

「麗しきバーテンダーたち」の取材を始め、つまびらかになった点は、実に様々な職業から転身した人が多いこと。OLはもちろん、公務員、大学秘書、ロケットのエンジニア、バレリーナ、カリスマ店員。そして小栗絵里加は元アイドル、なんとAKBの候補生だった。

もっとも本人は3歳からピアノを始め、7歳からヴァイオリンを習い、短大も音楽家器楽コースへ進み、店名に見られるよう音楽への造詣が深く、自身の立ち位置も音楽にこそあると捉えている。

カウンターの手前に座る者としては芸能活動にも感謝しなければならない。上京後、候補生で食べていけるわけもなく、同郷のソムリエの先輩を頼ったところ、葉巻に興味を持ち、シガーバーでアルバイト。以来すっかりこの仕事に魅せられ正社員に登用され、その後、いくつかのバーで勤務。ファンとの触れ合いが大事だったアイドル時代を振り返ると、カウンターでの接客に近い感覚があった。いつかは、技術を身につけ、自身の店を開きたいと考えるようになった。念願叶い、このたびはパートナー契約により自身が代表となった店に。それまでは雇われ店長だったため、ルーティンをこなしているだけだった気がするが、今は努力の分だけ、答えが返ってくるのが嬉しい。

最近、対面接客の醍醐味がよりよく理解できるようになった。客によって自分のテンションも上がる一方、「体調が悪いときに初めて来てくれたお客さんは定着しないんです」と気にかけている。バーは、様々な客にとって、愚痴もこぼせる憩いの場。愚痴を聞くのは、「クリスチャンでもある母の影響かも」とか。「第三者だからこそ話すことができる存在でありたい」と瞳を輝かせる。

今後は、結婚、出産しても続けていけるバーを築き上げたい。辞めても、いつか戻って来れるような店作りができればと。常連客も、末長く続くバーであってほしいと願っているに違いない。

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ナイトライフ

スクリュードライバー:手塚景子

icon-location-pin 吉祥寺

「将来的には『あの街にはすごいおばあちゃんバーテンダーがいる』と言われるような、街の名物になれるように。一生、プリティーにこの仕事を続けたい」とユニークな志を持つ。

秋田県出身である手塚。サービス業を念頭に「東京に行けば何かあるだろう」と上京。当初は不動産業に従事していた。居を構えた吉祥寺のファンクミュージックが流れる居酒屋で一人飲みを覚えた。毎日の長時間労働をこなすマスターに「なぜ、こんな(ハードな)仕事を?」と尋ねたところ「1日は24時間。そのうち半分を働くとしたら、楽しい仕事が良い」との答えに感銘を受けた。

その後、とあるオーセンティックバーで注文したジントニックの味に感動し、「こうした技術を身につければ将来のためになる」と考え、本格的にバーテンダーの道へ。

銀座での修行は厳しかった。「ちょっとなめていたのかもしれません。23時に終わって朝まで練習していました」。それでも常連の女性客にマンハッタンをオーダーされ差し出したところ、「こんなマンハッタンを出す店には、二度と来ないかもね」と酷評された。バーテンダーに向いてないのかもしれないと挫折しかけた。

そんな折、当時興味が強く向いていたウイスキーを学ぶべく新宿のモルトバーで一から勉強し直したことが転機となった。教えられたのは「ウイスキーの店でウイスキーについて語ることができても当たり前、それ以外の何かを勉強すること」。現在勤務するラム専門店スクリュードライバーに初めて飲みに行った際に、軽い気持ちでラムを飲んだ。熟成したラム酒に「すごい熟成感、甘くてフルーティ!この価格ならウイスキーよりもお得だ!」とショックを受け、ラムの世界が一気に広がった。ラムのユニークな味のバリエーションに驚く日々のなかで、専門的に学び、ラム酒を広める一員になりたいと決意し、現在に至る。

バーに足を運ぶ人は何かを背負っている。「悩みがある方も多く、私たちはその時間をもらっている。喜怒哀楽が交差する生々しい職場だと思います。毎日10人のお客さんが来たら10人分の大切な時間に携わることができる…。ヴィヴィッドで贅沢な空間です」との心構えを持つ。

「先輩バーテンダーたちは、すごい腕を持った人たち、医者と同じ。私はまだ研修中」と先を見据える。2017年は、ラム酒「ディプロマティコ」のコンペティションに参加。惜しくも2位に終わり、世界大会に駒を進めることができなかった。それでも「自分のバーテンディングがきっかけとなり、女性バーテンダーを目指す方が増えることを目標に、軸をぶらさずステップアップしなければ」と頼もしい。「夜の研修生」は、いやはや、なかなか骨太だ。

バー, カクテルバー

バー リデモ:木村 絵理

icon-location-pin 飯田橋

バーテンダーという職業については「テレビで観るぐらいのイメージしかなかった」と切り出した。学生時代はバント活動に打ち込み、アルバイトも事務職。就職活動を始めた際に、「大きな会社に入ってしまうと、組織の一部でしかない。自分の視野がどんどん狭まってしまうのでは…」と疑問を抱き始めた。「自分とは」と考えは迷路へ。酒に興味があったこともあり「苦手な接客業のバイトにしてみようと勇気を振り絞って」と大学4年生からこの世界へ足を踏み入れた。

バンド活動をしていたときから「何かを作りあげ、人に見てもらいたいという気持ちが強かった」という。「バーテンダーは、一から自分で生み出さないといけない仕事。それを直接誰かに見てもらえる。自分を受け入れてもらえるような気がしました」と訥々(とつとつ)と語る。結局、就職活動は取りやめ、ウイスキーバーでの仕事にのめり込んだ。2017年4月より社員としてバー リデモに。

キャリアは浅いながらも、バーテンダーの難しさについては重く受け止めている。始めたばかりの頃は何もわからないまま、「この人はこういうタイプ人」と客を決めつけてしまい、不快な思いをさせてしまった苦い記憶もある。振り返って「ナイーブな話題を選んでしまった」と反省したことも。

たとえ店がどんなに混雑していても「(バーテンダーである)私たちが、お客さんを背景にしてはいけない。ひとりひとりの客を流してしまってはいけない。常連のお客さんには『またここに帰って来たい』と思ってもらえるように、そして初めてのお客さんには『また来たい』と思ってもらえるように」日々心がけている。

出身は大阪府泉南市。両親から「目立たない子に」と育てられたが、自身は「自分という存在を誰かに知ってほしいと思っていました。(この仕事について)それが見つかったと思っています」とバーテンダーという職業への感謝も忘れない。カクテルを飲める店はほかにもある。しかし、「『あの店の木村はいいよ』と言ってもらえるように」なるのが目標だ。「バーテンダーは心のより所。占い師に会いに行くのと同じだと思います」。こうした心意気が、将来にどう生かされていくのか、楽しみである。

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バー, カクテルバー

アナハイム:山元涼子

icon-location-pin 新橋

新橋と言えば、酔っ払いの聖地。この地では、バーもテーブル席が人気だ。だからといって、カクテルに澱みはない。店長の山元涼子は語る。「日本のバーテンディングが注目を集めていますし、クラシックなカクテルが大事ですよね」。さすがに新橋で酔っ払いを相手に14年も勤めるには、芯もしっかりしていなければならない。

渋谷109のカリスマ店員だった過去もある山元は、けっこう凝り性。レザークラフトも職人並みで、なにしろ100万円もするミシンを買うかどうか悩むほど。よってカクテルにもその凝り様が現れる。「カクテルには、これが私!という境地がないですよねえ。常に勉強。バーテンダーはみな、そう思うと考えています。正解がないから、それを探し続ける」と目を輝かせる。「ドライ指向があまりに過ぎると見直してみたり、華やかさのあるカクテルなら、少しキレを求めてみたり。たった50年前のカクテルが忘れ去られてしまったりもするので、クラシックなものもしっかり作れるようにしないといけませんね」。

超前衛的なフレンチを食べさせられるとあまりに前衛的過ぎて、珍しいけど美味しいのかどうかピンと来ない。カクテルもそれと同じだと言う。新橋の麗しきバーテンダーは、コケティッシュでキュートだが、タフなのだ。酔っ払いのサラリーマンが店の去り際に「今度、結婚してね!」と声をかける。山元は、これっぽっちも動揺する様子なく「はい、はーい!」とにこやかに手を振って送り出していた。

バー

スモーレスト・バー:小野ちはる

icon-location-pin 錦糸町

「麗しき……」ならぬ「鉄人バーテンダー」を目指している女性が、小野ちはる。本人が名乗ったわけではない。ただし、彼女がいま目指しているイベントを聞けば多くの方が頷くだろう。「私、来年、『サハラマラソン』を走るんです」と、まるでの花見に行くかのようににこやかに語る。『サハラマラソン』は、モロッコのサハラ砂漠で7日間にわたって開催されるウルトラマラソン。その距離は230km。行方不明者はヘリコプターで捜索される。もちろん口だけではない。目標に向け練習を重ね、着々と事前レースやトレッキングもこなしている。なんたる意志の強さ。

その意志の強さがなければ、この店はなかっただろう。酒が好きで、20歳を過ぎたころに憧れだったこの職業は、大人になったころ、いつしか「大変だろうしな」と諦めていた。OLとして会社勤めをしていたが、長続きしない自身を自覚。どうせならチャレンジしてみるか、とダイニングバーでアルバイトを始め、バーテンダースクールにも通う。7年前にいきなりバーをオープン。店のオープニングとバーテンダーとしてのキャリアのスタートが同時とは、かなり思い切りが良い。

「お店の売りがなければ!」と没個性的にならぬよう「テキーラマエストロ」を取得。深川エリアでは知られたテキーラバーとなっている。カジュアルなスタイルなので「お酒を飲んで、愉しく帰ってもらえれば……」とフランクさも売り。しかし、常連にいかに愛されているかは、『サハラマラソン』のエントリー料3600ユーロが募金で「集まりそう」という事実にも表れている。テキーラとともに客に愛される、麗しきバーテンダーの姿を見た。

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バー, カクテルバー

バー ギンザ グレイス:吉住朱永

icon-location-pin 銀座

「日本の中心」と呼んで差し支えないだろう。東京銀座四丁目から最も近い一軒が、こちら。オーナーの野原健太は、『東京、巨匠に会えるバー15選』に登場願った中村健二の孫弟子にあたる。野原の弟子が吉住。やはり、巨匠の系譜を引く。

姉がバリスタのため、自身もそうしたサービス業に就きたいと考え、ホテルの専門学校へ。卒業後、バーに勤務する。キャリアは、まだ5年という伸び盛り。「手元を見るな、客を見ろ」とサービス業について厳しく指導されているさなかながら、もっと辛いのは「お酒が呑めないこと」と吐露する。一見シンプルなカクテルも客に納得してもらうまでには無数の「練習」が眠っている。しかし、練習で作った後に味見をすると酔っ払ってしまい「練習にならなくなるんです」と悩む。

目指す将来は「キャラクターから『無理だ』と言われることが多いのですが、パリパリで、さばさばしたキレキレのバーテンダーとして、自身のお店を持ちたいのです」と明確。18歳から一度も引き落としたことのない通帳から、銀座の中心に店を出したオーナーを見習い、給料天引きで貯金中。「街場のバーテンダー」の給料は高くない。「いざオープン」といった際に資金がなければどうにもならないからだ。自身の店舗向けに酒も揃え始めたという。

この日、振る舞われたカクテルは「サイドカー」。銀座の巨匠の名刺代わりのスタンダードゆえ、撮影に選ぶバーテンダーは皆無だ。しかし「飲んで初めて涙したカクテルなのでぜひ」と勧める強い意志が、将来性を感じさせる。

休日は客に勧められた店を食べ歩くのが愉しみとか。最近のおすすめを訪ねると、自身の誕生日に「マスターに連れて行ってもらった銀座の『鮨竹』です」と語る愛らしさに惹かれる客も多いだろう。

バー

オールド スコット:渋谷知美

icon-location-pin 錦糸町

「『タリスカ―』には、だいぶお世話になりました」と語るのは、東京錦糸町で28年営業を続ける老舗オールドスコットに勤める渋谷知美。その心は、と尋ねると著名ウイスキー評論家、土屋守の著書に「失恋に効くこの3本」というコーナーがあり、「ほかの2本は忘れてしまったんですが、そこに『タリスカー』とあったので、失恋するたびにそればかり呑んでいたんです」と事もなげに語る。

落語が好きでテレビ番組『笑点』は欠かさずチェック。地元、東京上野の鈴本演芸場にも通いネタのチェックに余念がない。その点、三遊亭圓楽師匠もすごいと興奮する。店の近所のラブホテルから40代女性と出て来たところをスクープされたが、「それをネタにしてしまうところに感心します」とか。自身も「愛想が悪いと言われることが多いので、失恋を含め、私生活をネタにできるバーテンダーになれれば……と」と、とつとつと語り続ける。

大学を中退。何をしても続かなかった。特別に酒に愛着があったわけではない。なぜか「カクテル作りが分かれば」と、バーテンダースクールへ。その後、近所のバーに面接に行くと不採用。とぼとぼと歩いていると、こちらの求人が目に留まった。どうしても勤めたくて作文まで書いた。その甲斐あって無事採用。以来、10年のアルバイト時期を含め、17年目になる。

なぜ続いているのか不思議に思う。すると、「暗記好きだからかも」との答え。客に尋ねられカクテルレシピやエピソードについて「すらすらと答えられると、やったー!と思います」。現在挑戦しているのは、『ウイスキー検定』。「一次試験は論文。それが嫌で仕方がないんですが、二次試験に暗記ものが待っているので頑張れる」そうだ。

労苦については、夜が遅い仕事のため、帰路にひったくりにあったこともあると溜息。「『愛想が悪い』と言われたので、顔面体操しながら自転車に乗っていたら、後ろからスクーターが近づいて来て、さっとバッグを盗られ逃げられました」。麗しきバーテンダーたちへ。帰路はぜひお気をつけて。

バーテンダーとは「誠実であること」と明快。「最近の子は三日坊主が多いんです。まずは基本に忠実であること。二日酔いでも這ってでも店に来る。毎日、掃除する。お会計は正確に!」。その通り。『笑点』ばりにネタは多いが、実に芯のしっかりした麗しきバーテンダーである。

Tamasaburau

たまさぶろ

1965年、東京都渋谷区出身。千葉県立四街道高等学校、立教大学文学部英米文学科卒。『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後に渡米。ニューヨーク大学およびニューヨーク市立大学にてジャーナリズム、創作を学ぶ。このころからフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社にてChief Director of Sportsとしての勤務などを経て、帰国。『月刊プレイボーイ』『男の隠れ家』などへの寄稿を含め、これまでに訪れたことのあるバーは日本だけで1500軒超。2010年、バーの悪口を書くために名乗ったハンドルネームにて初の単著『【東京】ゆとりを愉しむ至福のBAR』(東京書籍)を上梓、BAR評論家を名乗る。著書に、女性バーテンダー讃歌『麗しきバーテンダーたち』、米同時多発テロ前のニューヨークを題材としたエッセイ『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』。「あんたは酒を呑まなかったら蔵が建つ」と親に言わしめるほどの「スカポンタン」。MLB日本語公式サイトのプロデューサー、東京マラソン初代広報ディレクターを務めるなどスポーツ・ビジネス界でも活動する。

ひとりでバーを巡りたくなったら…

バー

東京、ひとりで訪ねたいバー15選

ひとりになりたいときがある。そんなときのためにこそバーがある。腰を落ち着けるカウンターがあり、美味い酒があり、時としてマスターの酸いも甘いも知るトークがある。愉しいとき、愉快なとき、苦しいとき、哀しいとき……。どんな人生のシチュエーションにおいても、至福の一杯がその気分を分かち合い、いずれ人生の記憶として結晶化することだろう。そして、またいつか、その残された結晶をあらためながら、ゆったりとグラスを傾ける日が来るに違いない。 今宵は、ひとりで足を運ぶのがもっとも似合う……そんな珠玉の一軒の扉を開いてみた。

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