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東京を創訳する 第8回『キモノの謎』2

文化人類学者、船曳建夫の古今東京探索

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テキスト:船曳建夫

 

前回に引き続き、今回も東京を訪れる外国人を読者と想定して書く。日本人は今から書くことを知っているからではない。むしろキモノと限らず日本のことをあまり知らないのだが、「無知な(失礼!)観光客」という読者に語るという方式をとった方が、彼らのプライドを傷つけずに、かつ、「なるほど!」と素直に気付かせやすいのだ。

さて、日本のキモノの最も大きな謎は、「なぜ、キモノはしぶとく生き残っているのか」である。それは正確には、キモノの半分は消えたが、半分はまだ生き残っているのはなぜか、となる。消えた半分は、日常生活のキモノで、残っている半分は、フォーマルな晴れの日のキモノだ。前回の『キモノの謎』で、女性は、七五三、成人式、結婚式の3つの機会に、とても高いキモノを親に買ってもらって着る、と書いたが、男性も女性ほどではないが、同じように、そうした機会や、お正月などには慣れないキモノを着たりする。着なくなったのは、普段の暮らしの中のキモノだ。それがなぜであるかを説明するのに、人類にとって「着る」ということは、と始めるのは人類学者の悪い癖だが……。




人類の衣服が、寒さをしのぐ被(おお)いとして始まったか、恥部を隠すイチジクの葉の代用だったかは、今は問わないとして、毛皮であれ、樹皮であれ、2次元の平面を3次元の立体である人間の体に装わせるのには困難が伴う。隙間が出来てしまう。それが通気の役を果たすときもあろうが、隙間は体温を奪うし、動くとそこからずれて困る。古代ローマのトーガやインドのサリーでは、1枚の布をまとうために、ドレープを入れたり、肩のところに装具や結び目を作ったりと、工夫をしている。その、平面で立体を覆う困難は、針と糸によって縫い合わせて、布を立体的にする(肩と腕がつながる部分を丸く縫い上げるとか)技術が考案されるまで続いた。洋服には、こうした工夫が施されている。さてキモノであるが、こちらはこの2次元・3次元問題の困難を引きずったまま、むしろ居直って、ずっと完璧な「2次元・衣服」であり続けている。だからキモノを上手にたたむと、何枚かがぴったり重なった長方形の布の堆積(動画参照)になってしまう。すべてのキモノは、布を一律に、そのように裁断して出来上がっているのだ。では、2次元であるために起きる隙間やそのほかの困ったことはキモノの場合、どうなったのか。

まずは隙間によるずれだが、「帯」を体の中心にしっかり巻き付けることでキモノを固定させる。寒さをもたらす隙間風対策は重ね着することでこなす。逆に、暑さ対策にはキモノを体にぴったり密着させないことで、外気を入れて体温調節をはかる。女性のキモノの袖には開口部分もあり、通気させている。夏には重ね着をしないで、「単衣(ひとえ=一重)」と呼ばれるキモノのように、1枚で仕立てて、裏地は無しにする。こうして、2次元・3次元問題は解法を見つけたかのようである。ところが、ずれる、すきま風が入る、と同じくらい、あるいはそれ以上に難しいのが、2次元の布を3次元の体に帯や紐を用いてしっかり装着するものだから、体の可動性が阻害される問題である。要するに、キモノを着たときに誰もが感じるのだががんじがらめで、ちゃんと動けない。これじゃ仕事にならない、のだ。泥棒したって走って逃げられないし、泥棒に入られたって、追いかけられない。しかし、そこを様々な身体の技法によって克服したのだ。

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その技法とは、帯の部分は動かさずに、帯によって分割されたキモノの上半分と下半分、それぞれを、脱いだり開いたりして、身体の可動性を高めることだ。まず、上半分は、キモノが打ち合わさっているので、腕を大きく使いたいときは、キモノの片側を肩から外してしまう(片肌を脱ぐ、と言う)。上半身をさらに自由に使いたいときは両肩からキモノを外して(両肌(もろはだ)脱ぎ)しまう。脱いだ部分が邪魔であれば帯の内側に挟み込む。下半身についても、大股で歩くときは、裾の前を掴んで上げ、足の前後の動きをしやすくする。さらに走ったりするとき(泥棒の逃げる、追いかける)などは、後ろの裾を尻の上で帯に挟んでしまう(尻端折り:イラスト参照)。 これらは基本であって、そうしたキモノのくつろげ方、崩し方の、程度を変えることによって、身体の可動性を調節する。上半身の場合は、たすきという長い布を肩に斜めに巻き付けることで、ぶらぶらした袂が邪魔になるのを防ぐ。江戸時代の人々が仕事をしている姿を、たとえば葛飾北斎の描いた有名な『北斎漫画』などで見ると、桶を作る職人、船を操る船頭、手紙を走って届ける飛脚たちが、それぞれにキモノを着崩して、その仕事の内容に合わせているのが分かる。それでもまだ体の自由がきかない、また動いていると暑くなってたまらない、という時は、男ならキモノを脱いでふんどし姿になってしまうのだ。ふんどしは下着ではあるが、相撲取りで見られるように、アウターウェアとして使っても許されるのだ。

以上の話しは主として男についてである。伝統的には肌の露出や「慎み」に関して、男女の場合には差があり、女の人は、そうそう両肌脱ぎなどは出来ない。しかし女の人にも独自のキモノの身体技法がある。歩くときは裾を押さえたり、持ったりして動きに合わせる。働くときはたすき掛けをする。暑いときには上半身の打ち合わせをゆるめる。また、上にあげて襟を反らすことで首筋から背中を開けて涼む(この姿は同時に男性を魅惑する)。もちろん授乳の時は前をくつろがせる。おそらくプライベートな空間なら片肌脱ぎやら、両肌脱ぎもあったろう。幕末の外国からの旅行者は、少なくとも庶民については、男性のふんどし姿に驚いたのみならず、女性も肌を露わにすることにあまり抵抗感がないようだ、とびっくりして書いている。こうしたことはすべて、社会的な慎みの規制を守りながら、冬は寒く、夏は暑い気候のなかで、キモノが行った可動性確保のための、2次元・3次元問題の解法なのだ。

ところが、洋服が入り、肌の露出や慎みについての西洋基準が意識されるようになると、普段の生活で片肌脱いだり、両肌脱いだり、尻端折りをしたり、という動作が次第に行われなくなる。同時に、着崩したりたすきを掛けたりしなくてもまぁまぁ間に合う洋服の方が簡単だ、ということになる。それで、洋服が簡便だからキモノは着なくなる、着なくなるからキモノの着崩し方の技術が伝わらなくなる、という循環が働いて、今では、日本人は着物を日常生活では着なくなったのだ。しかし、最近移入された洋服とは違って、キモノは伝統的な日本文化の中で、より日本人本来のものとして、その形、美しさに価値を持っている。そうなると、伝統的な儀式、七五三、成人式、結婚式、そして正月などには、歴史的な継続性を表現してくれる衣服として、世界の他の国でも伝統行事に民族衣装が用いられるように、キモノが着られることとなる。そしてそれは、より高額で豪華で非日常的なものへとシフトしてくる。

そうしたキモノの場合の2次元・3次元問題は?そうしたキモノを着るフォーマルな日は仕事もないし走ったりもしないので、先ほど述べた片肌脱ぎやら、尻端折りなどの身体技法は使わないでもよい。暑い寒いは一日だけだから我慢する。むしろ儀式的な装いとして、見た目が乱れてはいけないので、キモノの「着付師」というプロにお金を払って、何本もの紐と、新案の金具やさまざまな小物を使い、着崩すのではなく「着崩れ」ないよう、2次元の布を3次元の肉体にぴったし固着させる。これがキモノの最大の謎、日常生活のキモノは失われ、キモノがフォーマルな晴れの日の衣服として残ることとなった理由である。しかし、歌舞伎などを観に行くと、いまでも役者が舞台上で、キモノを着崩したりそれを元のなりに身繕いをしたりと、2次元・3次元問題を、美しいといってよい身体技法によって解決しているのを見ることが出来る。その技法は日本人のふだんの生活の中には伝わらなかった。私には有形の文化よりも無形の文化が失われる方が、喪失感が大きいのはなぜだろう。

船曳建夫(ふなびきたけお)
1948年、東京生まれ。文化人類学者。1972年、東京大学教養学部教養学科卒。1982年、ケンブリッジ大学大学院社会人類学博士課程にて人類学博士号取得。1983年、東京大学教養学部講師、1994年に同教授、1996年には東京大学大学院総合文化研究科教授、2012年に同大学院を定年退官し、名誉教授となる。近著に『旅する知』(海竜社)を2014年8月2日に発売。サンクトペテルブルグ、ニューヨーク、パリ、ソウル、ケンブリッジ、ロンドンを巡り、今、世の中ではどんな変化が起こっているのか。その変化には実は予兆があったのではないか。そしてその先にはどのような未来が待ち受けているのか。著者が文化人類学者として40年近く地球を旅する中で体感した、20世紀と21世紀をまたぐ、世界の文化と歴史を縦断する旅エッセイ。

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