舞台『チョコレートドーナツ』インタビュー
Photo: Keisuke Tanigawa

インタビュー:宮本亞門、谷原章介

LGBTQカップルの実話を描く『チョコレートドーナツ』舞台化に向けて

編集:
Hisato Hayashi
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タイムアウト東京 > カルチャー >インタビュー:宮本亞門、谷原章介

テキスト:高橋彩子

ショーパブダンサーのルディと地方検察官のポールというゲイのカップルが、育児放棄されたダウン症のある少年を守り育てるため、世間の無理解や法律の壁と闘う姿を描いたトラヴィス・ファイン監督の映画『チョコレートドーナツ』が、世界で初めて舞台化される。演出は宮本亞門、ルディ役に東山紀之、ポール役に谷原章介。稽古が始まり、作品への思いや理解を日々深めている宮本と谷原に、公演への意気込みを語ってもらった。

より強くドラマティックな音楽劇に
Photo: Keisuke Tanigawa

より強くドラマティックな音楽劇に

――『チョコレートドーナツ』は、2012年に公開され、数多くの映画祭で観客賞を受賞した映画ですが、今回が世界初舞台化なのですね。

宮本:もともと大好きな映画でした。今回、映画を作ったトラヴィス・ファイン監督とPARCO劇場さんとの間で企画が持ち上がり、5年前に京都で監督と会い、「君がやってくれるんだね!」と言われて。僕のブロードウェイでの演出を知ってくれていたのかもしれません。

谷原:僕は日本で映画が公開される際、MCをしていた情報番組で紹介させていただくため試写で見たんです。そのとき、人としてどう生きるかという根源的なところを問うている、良い映画だと感じたのを覚えています。

――稽古が始まって2週間強とのことですが、今はどのような段階ですか?

宮本:台本上も動きの上でも日々発見があり、一度作ったものをクリーンアップしては作り直すということを繰り返しています。僕の頭の中はまだまだカオス状態ですね(笑)。1幕を一通り作り終わって、2幕の稽古に入ったところなのですが、昨日も「何か違う」と朝5時からずっと考えていて。

谷原:こんなに進みが早い稽古は、僕は初めてです。装置の移動が結構あるのですが、暗転して転換するという形ではなく、芝居しながら転換し、しかも音楽も出てきて……1シーン1カットみたいな構造。それを、まずはある程度作り、そこからじっくり細部を詰めていくという作業がとても面白いですね。

――音楽劇仕立てになるというのも気になります。

谷原:映画はつらいことがつらく演出されている悲しい作品ですが、今回の舞台ではショーアップされた部分の密度が濃く分量も増え、舞台だからこそできる新しいものになっていると思います。 

宮本:映画以上にいろいろなことを強調して作っています。ポールの上司であるウィルソンを映画以上に金持ちにして貧富の差を表現していますし、ショーも、カリフォルニアの場末のショーパブなので贅沢なものではないけれど、バカバカしくも華やかに、と。ただ、リップシンクのショーという設定なのに、感染症予防のため稽古場でマスクを着けていると、できているのかよく分からない(笑)。難しいですね、マスクの稽古って。一生懸命見ているんだけど、もっと表情が見たい! お二人、息も絶え絶えに頑張っています。

谷原:大変なんですよ。僕は芝居だけだからまだいいのですが、東山さんは、踊り続けた後に芝居が始まって、またすぐに踊る、といった感じなので。

――演技していても、相手の表情の下半分が見えないというのはやりづらいですよね。

宮本:そうなんです。今回は現場に子どもたちもいて、感染には特に気をつけなければなりませんから、ぎりぎりまで着けたままでの稽古になるでしょう。でも、そうやって目で相手に伝えようとしながら稽古をすることは、マスクを外した時にも強さとなって表れるかもしれません。

ポールの成長物語でもある
Photo: Keisuke Tanigawa

ポールの成長物語でもある

――先ほど、亞門さんから「発見」という言葉がありましたが、谷原さんが最近、稽古場で発見したことで大きかったのは?

谷原:ポールとルディの年齢設定ですね。もともと亞門さんと、ポールは30代後半から40くらいとは話していたのですが、おとといぐらいに亞門さんから「ルディは42歳、ポールは32歳で」と言われ、10歳も違うんだな、と。人生において、表向きは日なたの道を歩いてきたポールと、日陰の道で苦労しながらも負けずに太陽を目指して強く歩いていこうとするルディの、経験の違い、歩んできた道のりの違いが明確になったことで、ポールという役への入り方もだいぶ変わってきました。

――生き方がはっきりしているルディに対して、ポールには葛藤があり変化があります。台本を読ませていただきましたが、映画でのポールは地方検事局をクビになるのに対して、今回の舞台では自発的に辞めるなど、途中から映画以上に能動的になっていく印象です。

谷原:マルコと出会った当初のポールは、子どもというものへの愛情もマルコ個人に対する愛着も、それほど持っていません。でも、誰かと家族を作って一緒にいることって、自分を強くしてくれるんですよね。だからこれは、ポールの成長物語でもあると思います。

LGBTというところが注目されがちだけれど、人間としてどう自分を解放してやりたいことを実現していくか、立場や人種や性的指向などさまざまなことを乗り越えて人と人がいかにして手をつなぐことができるかというテーマが根底にあると思うんです。そこをしっかり演じたいです。

宮本:今回、ポールはワイナリーと教会しかないようなワラワラという町で、敬虔(けいけん)なクリスチャンの両親に育てられたという設定にしました。最近、ローマ教皇が初めて同性愛者の結婚を社会的に認めるべきだと発言しましたが、キリスト教では本来、同性愛は罪です。その価値観をずっと背負って真面目に生きてきたのが、ポール。親や社会から規制された世界で、自分の理想がくじかれていく痛みって、誰もが多かれ少なかれ経験することですから、お客さんも共鳴できるのではないでしょうか。

一方のルディは生まれた時から施設に預けられ、歯を食いしばって生きている。そのルディが人を信じることを知っていく変化と、頼りなかったポールが強くなっていく変化が、合致するところを表現できれば、ドラマが魅力的になると考えています。 

谷原:今回の舞台は、ポールが関わった人たちに書く手紙という形式を取っているので、冒頭にいろいろな経験を経て成長しきったポールの姿でスタートして、すぐ次はまだ経験していない状態を演じるというギャップが、僕にとっては難しくもあります。

でも、僕が一人で考えているよりも、東山さんとせりふのやり取りをする中に、いろいろなヒントがあったりする。今は亞門さんから「今こうだった」「こういうニュアンスを入れてみようか」と提案をいただきながら、粘土細工のようにこねています。頭でっかちに答えようと思えば答えは出るけれど、そうではなく、皆で作っている最中という感じですね。 

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アメリカと日本の今

――物語の舞台は、70年代のアメリカ。稽古場では、今とは違う当時の価値観についての話も出ましたか?

宮本:今はアメリカで同性婚が認められつつあるけれど、当時は法律がとても厳しかったし、同性愛は隠さなければならないと皆が思っている時代だった。だからこそルディとポールはもがき苦しむわけです。

とはいえ、今の日本も法的に同性婚が一切認められていませんから、その点は、何も変わっていない。でも、先日、渋谷区長とお話しさせていただいたのですが、パートナーシップ制度は法律的には効力がないが、まずはそこから始めて、いつか法的にも認められることを願って行っているとおっしゃってました。そうやって少しずつでも変えていくべきです。ただそういうことに対して揺るぎなくNOの声を発する人はいまだに多いんですね。 

谷原:大事なのは、周囲の意識の持ち方ですよね。あえて変えようとせず無視するのは簡単ですが、それは差別に加担すること。そういう無意識の差別って大きいと強く感じます。

だけど、差別する側はいつか何らかの形で差別されると思うんですよ。人間は、他の人と差を作って自分を優位にしたい生き物ですから。同性婚では多数側にいるとしても、いつ何どき少数派に回るか分からないのだということを、忘れてはいけないと思います。

――今、特にアメリカなどではシスジェンダーがトランスジェンダーを演じることや、アフリカ系の人の役をそうでない人が演じることに対する批判が起きるなど、俳優にも当事者性が問われる傾向にあります。その点に関してはいかがですか?

宮本:ブラック・ライブズ・マターだけでなく、ブロードウェイではポリティカル・コレクトネスが前々から言われていて、いわゆる黒人のほか、アジア系俳優が白人の役を演じられず典型的なアジア人役しかあてがわれないことへの抗議や反対、さらにはアジア系の役を白人や黒人が演じるのは不自然だとする意見などもあります。どちらも理解できるだけに、正直、バランスが難しいと感じますね。

僕は今、映画『The Karate Kid(邦題:ベスト・キッド)』の舞台版をブロードウェイで準備中なのですが、そこに何人が入ってくるかでいつも議論になるんです。黒人が悪役に入るのは良くないんじゃないか、白人なら良いのか、じゃあ何人なら……?と話し合いが続いています。やはり、作品や公演のタイミングごとに一つ一つ、なぜここでこれが必要なのかと考えていくしかないのかなとは思いますが。

――アメリカほどセンシティブではない日本だからこそ、作品ごとに柔軟に考えていくことができる?

宮本:そう思います。今回、アフリカ系の血が入った矢野デイビッドさんという俳優が出演しているのですが、ブラック・ライブズ・マターを推すためにあえて、1幕ではホームレス役をやってもらうんです。ブロードウェイでは「黒人がホームレスを演じるなんて!」と問題になりかねないけれど、実際にニューヨークへ行くと黒人のホームレスはすごく多いので、その事実を日本の方に知ってほしいという気持ちがあり、デイビッドもその趣旨を理解してくれました。彼にはほかにもウィルソン家では執事役など従属的な役を演じた後、最後にルディとポールの依頼を受ける弁護士のロニーとして登場してもらいます。

人種を無神経に混ぜればいいというものでもないし、日本人の出演者が顔を黒く塗ったらだめだとも思うので、まずは差別は絶対にしないという大前提で、あとは作品のために何が大切で何を軸にするか、その都度丁寧に話し合いながら考えていきたいですね。 

谷原:プロデューサーや演出家の方は色々な条件をすごく考えられるのだと思いますが、「駒」である一役者としては、極論かもしれないけれどしょせんは虚構なので、その虚構を組み立てる際に現実を持ち込み過ぎると陳腐化する気がするんです。今回で言うなら、ゲイでも白人でもない僕がポールを演じることの矛盾をつかれたら何も言えません。でも役者は自分ではないキャラクターを、いかに掘り下げ、寄り添っていくのかという仕事。何よりも内面を作り込むことを大切にしたいです。

舞台だからこそ描けること
Photo: Keisuke Tanigawa

舞台だからこそ描けること

――谷原さんは映像の仕事も多い中、コンスタントに舞台に出演されていますね。

谷原:舞台は、年1回程度、自分へのご褒美というか、栄養を入れる作業としてやらせてもらっています。映像ではその日に覚えたことをぱっとやって次に行くことが多く、もんだり違うことを試したりする余裕がなかなかないけれど、舞台では一つの台詞、一つのシーンにじっくりと取り組み、色々な発見をさせてもらうことができる。それが自分の引き出しや奥行きになっていきます。

例えるなら、要らない部分を捨てていく作業が多く彫像的な映像と、粘土をじっくりこねていく舞台の違いでしょうか。 

――一昨年の『民衆の敵』といい、今作といい、社会的なテーマを持った舞台に出演されている印象です。

谷原:舞台ではこういう作品を、などと決めているわけではないのですが、『チョコレートドーナツ』のお話をいただいて台本を読んだ時、頭を後ろから殴られたような衝撃で終わる映画とは対照的に、舞台だからこそできるファンタジーというか、最後に優しくて救いがあるシーンが作られているところが好きだなと感じました。

――亞門さんは、舞台の魅力をどうお考えでしょうか? 

宮本:僕はミュージカルでも、きれいな音楽だからきれいなシーンに、という作り方に興味がありません。きれいそうに歌っていても内面には違う感情があったり、悲しみに満ちているのにそこがまさに、それこそ希望が見える瞬間になっていたり、そういうシーンが好きなんです。それは、現実できれいだと思った時、きれいだなと言うと同時に、この瞬間が終わってほしくないなどとさまざまなことを感じるからです。人間は複雑で面白い。だから稽古を重ねる中で、言葉はこうだけど内面はこうだよね、ということが見えるとリアルなものになっていくと思います。

何よりも、そうした心の動きを発見ができるのが、舞台の楽しさ。役を通じて「こう来たか」「こうなるんだ!」と見えてくるのが最高の時間で、演出家ですが観客のように喜んでしまいます。人間が人間のことを、それぞれの役を通して探り、語ることができるのが、舞台の魅力だと常々感じています。

――映画の原題は『Any Day Now』で、日本公開時に『チョコレートドーナツ』というタイトルが付けられたわけですが、今回の戯曲では映画以上に、このモチーフが効果的に使われているように感じます。だからお尋ねするのですが、この「チョコレートドーナツ」が象徴するものとは何だと思われますか?

宮本:原題がすごく好きなので、最初はどうしてこのタイトルを付けたのかなあと思ったのですが(笑)、今回の舞台ではドーナツのエピソードを膨らませ、初めルディがマルコの教育のためにもドーナツを否定していたにもかかわらず、しまいには3人でうれしそうにドーナツを食べる場面を加えました。マルコは、ほかのことについてはあまり返答しないけれど、大好きな食べ物を「チョコレートドーナツ」と答える時だけははっきり言うんです。なのでドーナツを、マルコが自分の思いを表す象徴ととらえることもできるわけです。

また、マルコがドーナツのほかに大好きなのは女の子の人形で、不安なときほど人形を強く抱いているため、救いを求める気持ちの象徴になっている。そういうふうに、小道具が感情と明確に重なるよう表現したいですね。

谷原:「食」って、思い出に直結しますよね。自分が好きなものではなくても、チョコレートドーナツを見た瞬間、マルコが好きだったなとか、ルディが食べるなと言ってたなとか、3人で食べたことがあったなとか、そういう色々な記憶を呼び覚ます、依り代のようなものなのではないかと思います。

――観客も、映画なり舞台なりを見る前と見た後では、チョコレートドーナツを目にした時の感じ方が変わることでしょう。そういう観劇後の感覚の変化も楽しみにしたいと思います。ありがとうございました。

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

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