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仙台市荒浜のスケートパークCDP、10年目の先へ

津波で流された町に生まれた遊び場

配信時の様子(Photo:堀越咲紀)
配信時の様子(Photo:堀越咲紀)
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2011年の東日本大震災でほぼ全ての建物が津波に流された、仙台市若林区荒浜。ここには、海まで続く広大な土地に建てられたスケート&プレイグラウンド CDPがある。今年で9周年を迎え、地元の子どもたちやスケーター、アーティストが集う憩いの場所だ。

オーナーの自宅跡地に建てられた遊び場

CDPでは、バスケットゴールや花壇、スケート用の小さなパイプの土台に、住宅の基礎を使用。玄関のあった場所にはタイルが残されており、人が住んでいた頃の名残が感じられる。もとはオーナー貴田慎二の自宅だった場所だ。

オープンは2012年。「何もなくなった地域での今を楽しむこと」をテーマに運営を開始した。貴田はきっかけについて「単純に遊び場を作りたかったから」と答える。

「震災直後、避難所となった小学校で炊き出しの手伝いをしたり、地域の子どもと遊んだりしているうちに『自分たちが遊べる場所を作った方がいいな』と思っただけ。それで、昔からバスケットコートとスケート場のある家は夢だったから、その夢を形にしてみようかなって思ったんです。 津波で何もなくなってしまった地域ではあるものの、そもそも震災前から何もないド田舎なんですよ。娯楽も何にもない場所で遊ぶ習慣は昔から身についてました。それでゼロからCDPという場所を作って遊び続けてたら、同じように遊びたい人たちが自然と集ってきた。それだけです」(貴田)

仙台出身のアーティストが挑んだ配信イベントのアーカイブ映像化

CDPは徐々に「遊び場」として地元の人に周知され始めた。2015年には、地域住民らも参加する恒例行事『CDPの夏祭り』を開催。2016年からは、仙台を中心にヨーロッパにも活動の幅を広げるサウンドアーティスト、Nami Satoが夏祭りに参加し、アンビエントライブを行うようになった。

2021年8月23日、彼女はニューアルバム『World Sketch Monologue』のリリースを記念し、CDPから生配信を実施。同じく仙台出身のイラストレーター、亀井桃によるライブペインティングを背景に、およそ1時間にわたるアンビエントライブが披露された。

映像作品『‘Nami Sato World Sketch Monologue online release party in CDP’ Special Edit Archive Video』から
映像作品『‘Nami Sato World Sketch Monologue online release party in CDP’ Special Edit Archive Video』から

この配信映像は地元の映像チームの手により編集され、現在オンライン上にて販売されている。その映像をコンパクトにまとめたショートムービーが、YouTube上にこのほど公開された。

開催の経緯について、Satoは「現実に夏祭りを催すのが難しい中での手段をとった」とコメント。配信と、映像リリースの手応えについて次のように述べる。

「私たちに今ある能力で、私たちができることをしようと決めていました。配信を観た人やアーカイブ映像を購入いただいた人まで、本当にいろんな方からご連絡をもらいました。映像のクオリティーだけではなく、ロケーションの良さに感動した、というレスポンスが多かったのはうれしかったです」(Sato)

スケートボード場、バスケットコートとしてだけではなく、ライブやバーベキュー、地域の子どもたちの遊び場、畑と誰もが自由に遊べる環境として機能するCDP。突然ドッジボールが始まることもあるという。

「自分のエゴが詰まった場所であり、自分の好きなことで金もうけをしたくない。そもそも形はなくなっても俺(貴田)の家だから」と、スケートの利用料も相場に比べると半額ほど。高校生以下は無料だ。

Satoは「誰もが自由な遊びをできる場所」で音楽を鳴らすことの意義について、次のように語る。

「何もない場所から自分たちで遊びを見つける、というのは、ストリートカルチャーが持つすごく大きなパワー。ゼロからイチを作る過程は音楽も同じなので、いつも学ばせてもらっているんです。 住んでいた私たちは荒浜がどういう場所だったかを知っているから『何にもない』って言える。でも前後を知らない状態で訪れると本当に文字通り『何もかも無くなってしまった場所』に見えてしまうんですよね。ここに街があったことは事実だし、こうやって一つのカルチャーも生まれようとしている。そのことは今回の映像作品を通して知ってもらいたいです」(Sato)

場所が持つ空気と自身の考えをブレさせずに次の10年を迎える

次の10年に向け、少しずつパークの整備を続けていくという。敷地内の傍には、設備を修復するための木材が積み上げられている。今年は震災から10年を迎える節目の年といわれているが、貴田は震災をどのように捉えているのだろうか。

震災以前は住宅街だった荒浜、写真中央にあるのがCDP(Photo:濱田直樹(KUNK))
震災以前は住宅街だった荒浜、写真中央にあるのがCDP(Photo:濱田直樹(KUNK))

「自分が『東北の復興のために』『地域おこしに貢献したい』みたいなことを掲げた瞬間に、続けられない気がしていて。ここをオープンした当初から、俺自身も別に“復興”が目的ではなかったです。そもそも自分の力だけで復興に貢献できるとは今でも思ってません。 

震災は自然災害であって、俺らにはどうしようもないこと。俺もよく泣くことはありますが、荒浜のことで泣くことはない。亡くなった俺の友達、それこそスケートボーダーだった仲間たちができなかったことを、生きている俺らはやれているので。

だからこそ中途半端な感じではやめたくないですね。どうせなら、ここで一人倒れて死ぬくらいまで続けたい。続けていくキツさはあるけど、それよりも楽しいが上回っちゃっています。これからも現状維持ですね。この場所が持つ空気と自分の考えをブレさせないまま、淡々とやっていきたいです」(貴田) 

震災直後、津波から逃れた人々が小学校の屋上に避難する様子が何度も報道されていたのは覚えているだろうか。それが荒浜である。今でもSatoと貴田が邂逅(かいこう)した廃小学校以外には建造物がほとんどなく、ただただ工事途中の更地が広がっている。そんな広大な土地の中にCDPがある。 

10年後の景色はどう変化し、どういった音楽がマッチするようになるのだろう。しかし、まずは映像を通しCDPと荒浜の今の姿も見届けてほしい。現在アーカイブ映像はSatoの公式ウェブサイトで販売中だ。なお、売上は配信イベントの運営費に回される。

テキスト:高木望

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