インタビュー:ジャイルス・ピーターソン

イギリス随一のラジオDJが語る、才能を発掘する喜び、日本のクラブシーンの課題

作成者: Kunihiro Miki |
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DJ、レーベルオーナーとして世界中の優れた音楽をキュレーションし、全世界に向けて発信を続けるジャイルス・ピーターソン。キャリアのスタートとなった、ブラン・ニュー・ヘヴィーズやジャミロクワイといったアーティストをフックアップしアシッドジャズのムーブメントを広めた1980年代から30年以上の時が経ったが、その影響力は衰えることなく、むしろ拡大している。

彼の現在の活動は、自身が主宰するレーベルBrownswood Recordingsの運営、そしてオンラインラジオ局のWORLDWIDE FMのディレクションが中心となっている。2016年に立ち上がったこのラジオ局のもとになっているのは、イギリスのBBC RADIO 1での番組として1998年にスタートした『WORLDWIDE』である。同番組は過去に日本のFMラジオ局でも再編集版が放送されてたので、聴いたことがある人も多いだろう。WORLDWIDE FMは、立ち上げの1年後にイギリスの権威のあるラジオアワード『ARIAS2017』で「ベスト・オンライン・ラジオ賞」を受賞している。

同局は、ロンドンを拠点にしながらも、世界各国を回って現地のDJやミュージシャンを招いた特別番組や公開生放送を実施するなど、オンラインならではの活動を行っており、音楽プラットフォームとしてのラジオの新しい可能性を切り開いている。そんな「音楽の伝道師」として傑出した存在である彼に、インターネット以降の時代における活動の仕方について、そして日本の音楽シーンについて話を聞いた。

テキスト:三木邦洋
写真:中村悠希
通訳:Emi Aoki

今がベストな時期だと思う

ー私が『WORLDWIDE』を初めて聴いたのは、2005年ごろのJ-WAVEでの放送(BBCの放送を日本向けに編集したもの)でした。その後、2016年にインターネット・ラジオ局のWORLDWIDE FMが立ち上がりました。その間だけでも、インターネットの普及などによって音楽を取り巻く環境は大きく変化しましたね。

そうだね。実は、DJとして音楽を人々に伝える活動をする上で、私にとっては今がベストな時期だと思っているよ。今の私は、いろいろなプラットフォームを使って、さまざまな手段で音楽を伝えることができている。こうした状況は、音楽をキュレーションするということにおいて、人々の理解がより深まることにつながっていると思う。

音楽業界全体を見ても、新世代の優れたプロデューサーやミュージシャンがたくさん出てきている。イギリスは、経済的・政治的には良くない状況にあるけれど、クリエーティビティに関してはとても良い状態にあると思う。

ーそれは、苦しい時代にあるからこそ、というふうに言えるのでしょうか。

確かにそうだね。私が今までに経験した最高のイベントを振り返ると、緊張感のある現場が多かったように思う。例えば、セルビアやレバノンなど、戦争の最中または終わったばかりの場所で行われたパーティーは、どれも私にとって忘れがたい、素晴らしいものだった。明日が保証されていない彼らにとっては、1日がとても貴重で、時間を大事にして生きているんだ。そういう人々が集うパーティーは、やはり最高だよ。

イギリスも今、未来が見えない状況にある。そんななか、若者からはとても良いアイデアがたくさん生まれている。彼らは、新しい世代である自分たちにしかできないクリエーティビティを発揮したい、というエネルギーに満ちている。だから、古き良き世代の考え方へのリスペクトはあまりないのだけれど、それでいいと思う。特にジャズに関しては、古い世代が若い人たちを抑えつけていたところがあるので、それに対して新しくて改革的な運動が起こっているのはすばらしいことだと思うよ。

成長を見届ける喜び

ーあなたは常に新しい音楽を世に紹介してきたわけですが、昨今はサブスクリプションサービスの登場などによって、過去の音楽の膨大なアーカイブに誰もがアクセスできるようになり、聴き方や届け方も多様化しています。あなたにとって、新しい音楽や才能を発信する重要さとは何でしょうか。

私にとって一番楽しい瞬間というのは、デモを聴いてそこからの成長の旅路を見届けることなんだ。例えばエイミー・ワインハウスやジェームス・ブレイク、ユセフ・カマールにしてもそうだけど、彼らの旅路の一部に自分が関われることに最高の喜びを感じてる。

だからこそ、毎年1月にロンドンで行っている『Worldwide Awards』を開催したり、今年で15年目になる『Worldwide Festival』や、今年初めて開催した『We Out Here』(ロンドン・ジャズの最前線を伝えるプロジェクトによるフェスティバル)といった音楽フェスティバルも開催しているんだ。

『We Out Here』には1万人を超える観客が集まったんだけど、ディレクションの上で重要視したのは、古い音楽と新しい音楽のバランス。レガシーや歴史といったものもちろん大事なんだけれど、やはり新しくてエキサイティングでエネルギーにあふれた音楽を紹介したい。それが私の原動力だからね。それがなかったら続かないし、飽きてしまうかもしれない。この才能がどう成長するのか、このアイデアがどう発展するのかを見届けるのが大好きなんだ。

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歴史あるものと新世代が出合うように

ーなるほど。以前、ピーター・バラカンさんが「日本にもジャイルスのようにラジオでもクラブでも影響力のあるDJが必要」とおっしゃっていたんですが、人々に音楽を届けるためにコツがあるとすれば、それはどういったものなのでしょうか。

どうやって人々に音楽を届けたらいいか、今でも模索しているところだよ。5年前と今では人々の聴き方や音楽のテイストもまるで変わってるわけで、とても難しいことだと思う。

私が大事にしていることがひとつあるとすれば、私のラジオ局でなければ絶対に聴けないものを紹介する、ということなんだけど、その際に不必要なトークは入れずリスナーをイライラさせないように、ということも大事にしている。なので、私がしゃべるときはなるべく簡潔に文脈化して、人々を引き込むようなトークをしたいと思っているよ。それと同時に、洗練されたリスナーからサポートが得られるようになることも非常に重要だ。

そのバランスをうまくとるのは難しいことだけれど、幸いなことに、私はターゲットの異なる番組を持つことで、キュレーションがしやすくなっているんだ。今、BBCでやっている番組は昼間の時間帯の放送なんだけれど、これは常に新しいオーディエンスがいて、どんな人が聴いているか分からないものなので、オープンで聴きやすい内容にすることを心がけている。一方で、WORLDWIDE FMはもう少しディープでコアな、私が個人的に気に入った音楽を紹介する場にしている。そうした2つのアングルでやっているわけだね。

ーラジオという媒体は、今後も新しい才能や音楽シーンが発見されるきっかけとして重要なものであり続けると思いますか。

もちろん。私は世界中で(収録を兼ねた)イベントをやっているんだけれど、例えばメキシコやブエノスアイレス、メルボルン、ケープタウン、東京といった都市でやるとき、その地域の地元のアーティストやDJ、レーベル、プロモーターを呼び寄せて、みんなが同じ場所で音楽をプレイして共有する体験を作り上げるんだ。そうすることで、我々ラジオ番組が得をするだけでなく、地元のコミュニティーやミュージシャンたちにとっても、さまざまなものを共有したりコネクションが生まれる機会になる。

そういうプラットフォームを作ることも大事だと思っていて、そこで歴史のあるものと新世代のものが出合うことで、さらに新しいものが生まれるきっかけになると信じているよ。

東京のクラブシーンに足りないもの

ーなるほど。ジャイルスさんは1990年代から長きにわたって日本のクラブシーンとつながりがあり、動向を間近で見てきたと思います。当初から現在までを振り返ってみて、印象を教えてもらえないでしょうか。

初めて東京に来たのは1988年だね。それから松浦俊夫や須永辰緒、沖野修也、DJ KRUSHといったすばらしい人々と出会うことができたわけだけど、日本の最大の魅力は「人」だと思っている。

日本は今も良い場所だけれど、新しい世代が独自のカルチャーやコミュニティーを作り上げるのに少し時間がかかっているな、という印象もある。東京や京都で収録したWORLDWIDE FMで紹介されたプロデューサーたちの音楽を聴く限りでは、なにか新しい波が来ているという予感は感じる。けれど、日本のシーンが抱えている問題に、彼らが自分たちのコミュニティーを作っていくためのヴェニューが不足していることがある。

イギリスでも同様の問題はあるが、彼らはその代わりにアンダーグラウンドだったりイリーガルだったり、スクワッドなパーティーをやっている。日本でも、独自のコミュニティーが形成されるような環境を作ることができればいいね。コミュニティーが生まれて発達して、カルチャーが共有されることがなによりも大事なんだ。 

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最終的にはディスクユニオンに行き着くかな……

ー日本でもニューヨークやロンドンのジャズシーンに影響を受けたアーティストが登場してきています。最近聴いている日本の音楽はありますか?

ロンドンでは今、日本の昔のジャズのコンピレーションがリイシューされていて人気なんだ。あと、DJ Nobu、彼も良いね。僕が最近聴いているのは、akiko x 林正樹や小瀬村晶、幾何学模様、GONNO、あと、ヨーロッパを拠点に活動している日本人アーティストのWAQWAQ KINGDOMとか。

それと、CHURASHIMA NAVIGATORは知ってる?

ロンドンのクラブシーンではドラムンベースのMakotoも人気だね。あと、POWDERのDJもすばらしかった。

ー最後に、東京のレコードショップはツーリストたちにとっても人気のスポットになってきているのですが、あなたがよく行く東京のレコードショップを教えてもらえませんか?

うーん、最終的にはディスクユニオンに行き着くかな。品ぞろえが良くて探しやすいし、値段も手ごろだ。あとはHMV、JAZZY SPORT、それと……そうだ、フェイスレコードも好きだよ。良い店だ。

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