東京を創訳する 第16回『歌舞伎ー昔と今(2)』

文化人類学者、船曳建夫の古今東京探索
東京を創訳する
作成者: Time Out Tokyo Editors |
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テキスト:船曳建夫

今回は前回の「かつてのやるせない」ほど衰退した歌舞伎が、いかにして連日満員の今日を迎えたかについてお話しするのだが、そこを歌舞伎とは何か、から始めて、詳しく説明しよう。起きたことだけで言えば、「三之助と孝玉コンビという若手スターの誕生で、客が戻った」と1行で終わってしまうから。

歌舞伎は、2008年にユネスコの無形文化遺産に認定された。この承認は当時、「歌舞伎、世界遺産登録!」と、盛んに喜ばしいこととして報道された。でも、ユネスコの無形文化遺産とはどんなものなのか。その長いリストを上の方からパフォーマンス系で見ると、アフリカはウガンダの「ブンガ王国の瓜型トランペットの音楽と舞踊」、アジアはイランの「タァズィーエの儀式の演劇芸術」。何となく、あれ?という感じで、日本のほかの無形文化遺産に「壬生の花田植」とあるのを見て、はたと気付く。そうか、無形文化遺産とは、いわゆる「世界の民俗芸能」なのだ。

しかし歌舞伎は全然違う。源流は民俗芸能だが、ここ400年、常にコンテンポラリーな都市型エンターテインメントである。ユネスコのリストには、中国の京劇、日本では能楽、文楽と、同じような立ち位置の「古典芸能」があるが、歌舞伎と比べて社会における意味と規模が違う。もしそのリストに、「米国ニューヨーク ブロードウェイのミュージカル」といったものが入っていたら分かるのだが、歌舞伎がユネスコ無形文化遺産にあるのは、ある意味、場違いである。これは別に「民俗芸能」より歌舞伎の方が偉大だ、と自慢しているのではない。そこを説明しよう。

まず規模。「歌舞伎は東京にある一つの劇場、歌舞伎座だけで、年間100万人以上の観客を集めている」と、いつかあるシンポジウムで話したら、聴衆はびっくりして、信じられなかったようだ(これだとかつての広島市民球場より年間観客数が多い?)。歌舞伎座はまず、座席数がざっと2000席。仮にいつも満員だとして、昼夜で4000人。恐るべきことに毎月25日間、1年に12ヶ月休みなしで公演するので、単純計算すると、年間120万人。実は、1日3部制の月も2、3ヶ月はあって、そのときは1日の満席数が6000人だから、これは誇張した数字ではない。もっとも、現実には空席もあるだろうから、15~20%割り引いて、100万人に落ち着く。2010年の歌舞伎座閉場や、2013年の新開場のときは、大いに人気を集め満員続きだったから、年間120万人は遥かに超えていただろう。東京やほかの都市の劇場も数えれば、歌舞伎の年間動員数は、何百万人となる。

次いで、演劇としての社会的意味、それは現代性にある。歌舞伎はただ過去の作品を繰り返しているのではない。古典演目を演じていても、常に新たな役者による新しい解釈がなければ客は来ない。もちろん新作も上演される。最近では、ついに漫画(『ワンピース』)を原作とした破天荒な舞台(2015年上演)まで作られ、それが、歌舞伎として内容的にも興行的にも成功したからその底力が作り出す現代性は明らかである。

あるとき、僕がロシアのバレエ関係者を歌舞伎座に連れて行ったら、着いたときに彼女は歌舞伎座を博物館だと思って(確かに見た目は古風)、そこでアトラクションとして古典的な演技が上演されているのだ、と考えたらしい。彼女に、「歌舞伎のレパートリーの数は?」と聞かれて、「3、400ほどの演目は10年くらいのサイクルで上演されているし、1000くらいは復活上演が可能である」と答えたら、全体をつかみかねてか、沈黙していた。

こうしたことすべては、歌舞伎が400年もの間、都市のエンターテインメントとして、明治維新もものともせず、客の気持ちを引き続けてきたことから来る。「人気」、これが歌舞伎には、何より大事である。

伝統芸能というものは、なんであれ、保存と再生が二大キーワードである。伝統というものに大事なのは保存だけ、と思っている人がいるかも知れないが、新しい工夫による再生があってこそ続くのだ。再生によって、以前あったものから変化していても、「保存」が強調されて、「変化していない」と思われることがあるので、人は、つい伝統とは変化していないと思いがちだ。それは錯誤である。しかし、錯誤というよりは、「何百年も昔から変わっていない」という「幻想」が権威付けとなって評価されているので、その思い込みは重要である。このことはどの国の伝統でも同じだ。

歌舞伎の場合も、重要なのは保存と再生である。ただ、そこでは「芸の保存」と「スターの再生」というコンビネーションが絶妙にかみ合って働いているところがユニークである。

現在の歌舞伎役者は、300人ほどから成り立っている。それぞれの役者の家で、芸が受け継がれている。「芸」とは400年蓄積された「演出法」と考えればよい。あるものは消え、あるものは変容し、それでも、連続するものが保持されている。最近では、国立劇場でやっている歌舞伎研修制度の卒業生というものの存在感も増していて、その研修制度による芸の継承があるのだが、「市川團十郎」といった古い家系が「保存」する芸は、歌舞伎の根幹である。

しかしながら、歌舞伎にあってユニークなのは、たとえば和菓子の老舗が秘伝の饅頭を何百年も作り続けているような古さの権威に安住していないところである。役者の家に生まれた、その時代時代の跡取りが、芸の「保存」とともに、江戸東京の今の観客に、少々のスキャンダルさえ光背として、人間のからだそのものによって、「XX代目」という「スター再生」を行っているのだ。

かくして、古老や評論家が「芸」の保存を謳うのだが、まずは歌舞伎は、スターの人気がなければ膨らみのないしぼんだ風船のようになるものであって、一日50個限定の和菓子屋ではない、年間100万人の芝居小屋は成り立たない。そこで、やるせない歌舞伎の雰囲気が現在の隆盛となった「スター誕生」の次第となるのだが、それは次回に。そして、今、歌舞伎に行って見ようか、と思ったらどうすればよいか、の実践編も。

船曳建夫

船曳建夫(ふなびきたけお)
1948年、東京生まれ。文化人類学者。1972年、東京大学教養学部教養学科卒。1982年、ケンブリッジ大学大学院社会人類学博士課程にて人類学博士号取得。1983年、東京大学教養学部講師、1994年に同教授、1996年には東京大学大学院総合文化研究科教授、2012年に同大学院を定年退官し、名誉教授となる。近著に『歌舞伎に行こう!』(海竜社)を2017年1月13日に発売。高校生の頃より歌舞伎を観続けてきた著者が、いつかは歌舞伎を見たいと思っている人に向けて、ガイドしているエッセイ集だ。ほか、著書に『旅する知』など。

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