東京を創訳する 第10回『鮨の謎 2ーファーストフード』

文化人類学者、船曳建夫の古今東京探索

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Time Out Tokyo Editors
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テキスト:船曳建夫

前回(第9回『鮨の謎 1ー築地と鮨ネタ』)、こんなことを書いた。「鮨のようにいわば『B級グルメ』の料理では、食材が生命である。私の期待は、日本でもニューヨークでも、そのあたりの海岸のニッチ(小さな生態系)に生息している海の生き物を、漁師が探索して味を試すことで、江戸前ではない鮨を作り出すことである」。鮨を高級な料理と思っている人は、「B級グルメ」はびっくりしたかもしれない。繰り返すが、値段は高級だが鮨はやはりB級グルメなのだ。それはなぜか。

実は、普通に鮨と呼ばれている江戸前鮨は、鮨の歴史の中では近年の亜流である。江戸も末頃(19世紀の初め)になって、手軽なファーストフードとして生まれた。それまでの「すし」というものは、発酵食品であった。魚や獣の肉を、 塩と米飯の中に入れ、ある場合は酒粕、麹を加えて、数ヶ月、数年、乳酸発酵させてうまみを引き出す。だから、発酵の補助剤としての米の方は食べないのが本来の形であった。そのタイプの鮨(熟(な)れ鮨と呼ばれたりもするが)として、例えば琵琶湖の鮒鮨がよく知られている。

そこから、発酵もさせていない上に、米も一緒に食べる江戸前鮨が生まれたのには、人類と発酵食品の関わりについての考察が必要である。ワイン、酒、チー ズ、味噌、魚醤と、世界の食べ物の中で、発酵食品はそれぞれの食文化の核心に位置する。発酵は、腐敗の手前で化学変化を安定させる高度の技術が必要である。その技術によって、人々は天然の中にはない、新たな人工の「うまみ」を開発してきた。だから幼いときから慣れ親しんだ発酵食品の味は、 その社会の人たちには欠かせないふるさと独自の味なのだが、外の人たちから「臭い」と思われたりする。納豆を思い浮かべればよいだろう。日本の中でも納豆が大好きな東の人たちと、それを気持ち悪いとさえ思う西の人たちと、好悪が分かれる。

鮨もそのようにして、昔はその土地その土地の、独自の食品であった。それが、 世界にも通用する、「一般的な」食品に変身したのには、2つの大きな背景がある。1つは、「酢」の発明である。発酵食品である酢(ヨーロッパのビネガー)を白米に混ぜ込むことで、インスタントに「発酵米飯」としてしまえるのだ。ここには、もともと熟れ鮨の米は臭いけれど少しだったら食べたい、と いう気持ちがあって、それを叶えてくれるところに酢の妙味があった。次いで、江戸(東京)という町の性格が来る。1600年頃に突如始まった一大都市計画によって、その後100万の人口まで膨れあがるこの町は、故郷を離れてきた人の集まりなのだ。その中で、100年、200年と時が経つと、次第に江戸には江戸なりの食文化が醸成されてくる。そこで無故郷の忙しい人々は、好き嫌いの分かれる熟れ鮨の強烈な味ではなく、誰でも最初から親しみやすい、さっぱりした酢飯に採れたての刺身をあわせる江戸前のファーストフード、握り鮨の発明を強く支持した、というわけだ。

その後、200年近く経って、海外でも鮨が賞味されるようになったのは、東京の無故郷的で忙しい近代性に世界のほかの人々が追いついてきたからだ。カリフォルニアあたりでそれが始まったのは、アメリカの西海岸にそうした、時代の先端にいる無故郷あるいはグローバル、そして十分忙しい人々が多く生息したからであったろう。健康によいとかダイエットにもなる、といったおまけもあったが、根本には江戸の近代性が今の世界の流れに受けた、ということだ。こうした考えは、近代が西欧で始まったと思っている人々には不思議なのだろうが、近代とはどこかで始まって一直線で起きている歴史的なプロセスではない。ある技術と人口との組み合わせが要求する様々なシステムのことである。食生活やいくつかの面で、江戸(東京)という町は、新しい生活の形として、2世紀前にある「近代性(modernity)」を作り出していたのだ。

さて、B級グルメの話だったが、一言で言えば多くの要素を調和させるのがA級であるとして、要素の少ないものがB級である。インド料理やフランス料理が追求してきたのは、様々なスパイスや味を複合的にあわせて味のハーモニーを作り出すことである。音楽もちょうど似通っていて、インドや西洋のクラシック音楽と日本の能楽や三味線の音楽と比べれば、前者がA級となり後者はB級なのだ。しかし、A、B、といっても、A級の方がいつも素晴らしい、美味しいとは限らない。ほかに今のところ呼ぶ言葉が見つからないので、私はA級、B級と言っているだけで(B級と言うと皆の注意を引くという面もあるが)、要素の多寡とそれによって生まれる調和の複雑性の違いの話である。A級の方が行うのが難しい、という点は評価していい。しかし、例えば難しいだけあって、複雑性の上に立ってなおかつ美味しいフランス料理はあまりない。

最近、そのことに皆が気が付き出したのか、フランス料理の料理人が自信を失っているのか、日本料理の食材や風味、調理法を取り入れている、パクっているのはよく知られていることだ。健闘を祈る。

しかし、鮨の方もすっかり発酵食品離れをしたのかというと、さっぱりした味というのはやはり、要素が少ない「単調な」味ということでもある。高級鮨屋から始まったようであるが、この頃はどこでもファーストフードである元来の握り鮨を食べさせる前に、延々と小皿料理(アミューズブッシュ)を食べさせる。その中に、カラスミ、このわた、くちこその他、と発酵食品系の品々が並ぶのは、握り鮨の単調さを補おうとしてのことである。古来の発酵食品から始まって、江戸近代の中で発酵離れのファーストフードとなった鮨が、再び発酵食品の方に少しだけ戻りつつあることに思いを致しながら、握りの前の発酵食品、塩辛などで酒などちょこちょこ飲むのも味がある。

船曳建夫(ふなびきたけお)
1948年、東京生まれ。文化人類学者。1972年、東京大学教養学部教養学科卒。1982年、ケンブリッジ大学大学院社会人類学博士課程にて人類学博士号取得。1983年、東京大学教養学部講師、1994年に同教授、1996年には東京大学大学院総合文化研究科教授、2012年に同大学院を定年退官し、名誉教授となる。近著に『歌舞伎に行こう!』(海竜社)を2017年1月13日に発売。高校生の頃より歌舞伎を観続けてきた著者が、いつかは歌舞伎を見たいと思っている人に向けて、ガイドしているエッセイ集だ。ほか、著書に『旅する知』など。

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