インタビュー:デヴィッド・ルヴォー

インタビュー:デヴィッド・ルヴォー

歌舞伎俳優をキャストに加え、近松作品を現代に蘇らせる英国人演出家

編集:
Time Out Tokyo Editors
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タイムアウト東京 > アート&カルチャー > インタビュー:デヴィッド・ルヴォー

テキスト:高橋彩子(舞踊・演劇ライター)
 

江戸時代の浄瑠璃作者、近松門左衛門によって書かれ、今も文楽や歌舞伎で上演されている『心中天網島』。1969年には篠田正浩監督によっても映画化されたこの名作が、『ETERNAL CHIKAMATSU ―近松門左衛門「心中天網島」より―』として生まれ変わる。演出は、ウエストエンドやブロードウェイで活躍する英国人演出家デヴィッド・ルヴォー。日本では1993年に30代でT.P.T.(シアタープロジェクト・東京)芸術監督に就任し、20作以上を演出している。

今回の公演は、歌舞伎俳優の故中村勘三郎の企画に端を発している。それは、同じ近松の『曾根崎心中』を、劇作家の野田秀樹が脚色し、ルヴォーの演出で、勘三郎ら歌舞伎俳優が出演して上演するという企画だった。

「勘三郎さんと知り合ったのは9〜10年前」と、ルヴォーは振り返る。「日本でもニューヨークでも会ったことがあります。彼は以前から私のT.P.T.での作品を観てくれていて、私もコクーン歌舞伎など彼の歌舞伎を観ていました。勘三郎さんは演劇に対して国際的な視野を持ち、歌舞伎を世界に広めることに情熱を燃やした人でしたよね。なぜ私に演出を持ちかけてくれたのかは分からないけれど、彼は私が歌舞伎に大きな関心を寄せていることを知っていたし、私の方では彼が歌舞伎を現代的に上演し新しい観客にアクセスしようとしていることに興味を持っていたのです」。

2012年の勘三郎の逝去により、この企画は実現しなかったが、今回、勘三郎の息子である中村七之助が深津絵里とダブル主演する『ETERNAL CHIKAMATSU』として、一つの結実を見ることになる。

「近松作品は私が日本で観た歌舞伎の中でも特に独創的で、驚きました。人物造形や状況が複雑に描かれ、人物たちが各々の複雑な動機でもって行動するところは、シェイクスピアのようです。我々は今回、近松の戯曲をそのまま上演するのではなく、現代の芝居として始まり、過去へと遡っていくかたちにしました」。

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幕開きの舞台は、大阪に存在する現代の色町。ハルという源氏名の若い女性(深津絵里)が働いている。ハルのもとには若い男性ジロウ(中島歩)が通ってきているが、ジロウには妻がいるので、ジロウの兄イサオ(音尾琢真)が「弟と別れてほしい」とハルに頼む。ここまでは、遊女小春と恋人の紙屋治兵衛、彼の妻おさん、治兵衛の兄の孫右衛門らが登場する『心中天網島』と相似形を描く。

「絶望したハルは店を飛び出し、橋の上で、自分とよく似た女性(七之助)に出会います。この女性こそ江戸時代の小春であり、近松とおぼしき男(中嶋しゅう)を伴っています。雨に濡れないようと小春がハルに傘を差し出すと、小春に興味を持ったハルは彼女についていき、江戸の、近松の世界に辿り着きます」。

異なる時代のハルと小春だが、その周囲の人物達は、ジロウ/治兵衛、アキ/おさん、イサオ/孫右衛門といった具合に同じ俳優で演じられる。ハルは、近松のはからいで江戸と現代を行き来することになるという。

「ハルは経済危機のため夫に自殺され、再び人を愛することはないだろうと考えながら、表層的かつ物質的な世界で生きている女性。従って、世の中に対して、非常にシニカルなとらえ方をしています。一方、小春は、遊女とはいえとても無垢で、魂そのものが浮遊しているような存在です。彼女が現代の色町に来たらびっくりすることでしょう。そんな小春を前にハルは、なぜこれほどまでに深く人を愛せるのか知ろうとします。と同時に、小春が自殺しようとしていることにも気づき、死なないと愛が成就しないという小春の考えを批判します。つまり、この作品は、女性が数百年前の自分と出会い、女性の地位や人生、愛について、時には喧嘩もしながら話し合う物語。近松がその地図を渡すのです。エンディングでは、自分の結論を出したハルが未来へと歩き出すさまを、ちょっとした趣向とともに観ていただく予定です」。

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近松も、脚本を手がける谷賢一も、ルヴォーも男性だが、今作で焦点を当てるのは女性だ。「我々は、女性が置かれている社会的、経済的状況に興味を抱いています。特に色町は、男性のために作られた場所であり、女性は男性のファンタジーの対象です。この点は近松の時代も今も、あまり変わらないでしょう。2つの時代を『不思議の国のアリス』のように旅するハルを通して、現代とは何かを問いたい」。

日本では江戸時代と現代に大きな断絶があるが、過去を振り返り、検証することの大切さをルヴォーは説く。「私は日本に来て、三島由紀夫の作品に興味を持つようになりました。1950年代に書かれたものが多いですが、彼は近代日本と過去との大きな分断をいかに埋め、傷を癒すことができるかに情熱を注いだ作家。そういう人が右翼になっていったことも興味深いですね。それはともかく、アートの役割の一つとは、世界を理解するための地図を、政治家とは違うかたちで渡すことだと思うのです」。

その点からしても、橋の上で深津と七之助が出会う場面は、特別な意味合いを持ちそうだ。「歌舞伎俳優である七之助さんの存在感は、他のキャストとはまったく違う。そこが面白いところです。質感が違う七之助さんと深津さんの出会いは、この作品を象徴するものと言えるでしょう」。

稽古場では日本語と英語が行き交い、様々な身体性を持つ俳優の傍で奏でられる音楽は、モダンジャズに三味線などの邦楽器も混じる。異なる文化や価値観との出会いを、私たちもじっくりと楽しみたい。

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