東京を創訳する 第21回 「初春 - 日本が一番日本の日」

文化人類学者、船曳建夫の古今東京探索

テキスト:
Time Out Tokyo Editors
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1月1日は、1年の内で東京が一番、日本らしくなる日である。

始まりは、前日の大みそかからだ。12月31日は正月の準備に一家は集まり、年越し蕎麦を食べ、みなで延々、4時間半の歌番組、NHK『紅白歌合戦』を見る。この50組近くの歌手が集まる騒がしい番組が23時45分『蛍の光』の大合唱で終わると、突如、テレビからは静寂の中、「ゴーン」とお寺の鐘の音が響いてきて、次の番組『行く年来る年』となる。日本のどこか、暗い中に雪が白く輝く寺社の参道に、人々が無言で集まって来ている。東京の私たちは、「寒そうだね」と心でつぶやきながら、1年の終わり、大晦日の24時を待つ…。

ただし、必ずしもこうとは限らない。人によっては大晦日に恒例の格闘技やカウントダウンコンサートに出かけたり、家にいても部屋で片付けものをしたり、テレビを見るとしてもほかの番組にチャンネルを合わせたり、そもそも団らんには加わらず、借りためてあった連続ドラマのDVDを長時間見続けたりしている。そんな人もたくさんいる。

しかし、そういった人も、「今夜は世間では、定番の紅白と、その後のかったるい番組を見ているんだろうな」と思ったりする。そのくらい12月31日の夜は、典型的な「日本らしい」日なのである。おそらく、2、30パーセントの東京人は、いま書いた通りのことを、そっくりそのまましている。

西洋のクリスマスが家族行事であることと同じである。ただ、日本の正月は、12月28日には仕事を終えて、元旦、1月1日の後、3日まで、同じようなおせち料理の日々が続き、それに飽きた頃にやっと4日の仕事始めとなる。

では、日本人は元旦に何をするのか。朝、みなで集まって「明けましておめでとう」と言い合い、「おせち料理」を食べる。これだけ。この「おせち」は、まさに「The 日本」の食べものである。日本人だって普段は食べない日本料理を食べる。食べるどころか、正月以外は見ることすらない奇妙な「ちょろぎ」という食材も出てくる。みな、作り置きのコールドディッシュであるが、雑煮だけは温かいスープである。なかには青菜とニンジンと、そして餅が入っている。スープがおすましか味噌仕立てか、餅が丸いか角なのかは地域によって異なる。東京はおすましに角もち。異なる地方の人同士が夫婦となると、この相違は、結婚生活を脅かしはしないが、彩を添える論争の種となる。

ただしこのおせち料理、どこかのレストランで食べようとすると、普段のメニューにはない。サンクスギビングの七面鳥料理がレストランのメニューではないように。正月の三が日にホテルに泊まったりすると、ホテルの催し物の中で食べられたりするかもしれないが。

ということで、元旦に東京を訪れた旅行客は、人通りの少ない東京の街を変だなと思ったら、日本人はみな、家の中でそんなことをしているのだ、と納得すればよい。街の店はみな閉まり、レストランで営業をしているところも少ないのだ。

では、そうやって、正月は何もしないのかといえば、1つだけ「日本人の義務」がある。初詣である。『行く年来る年』で、凍てつく深夜、黙々と人々が集まっていたのはその「初詣」に向かう光景なのである。東京でも、正月の三が日、あるいはその1週間くらいは、寺社に、昨年の感謝と今年の幸せを願って、出かけていく。それは半端ではない数である。毎年、東京の明治神宮と浅草寺には、それぞれ300万人が集まる。ほかにも中小の寺や神社は数限りなくあるから、1000万人ほどの東京人は、計算上ほとんど全員、1つあるいは2つくらいの初詣を済ませることになる。

では、正月に日本を訪れた観光客、あるいは東京に滞在している外国人は何をすればよいのか。私もクリスマスにフランスやイギリスで1人だったときは困った。しかし、そうした人たちにも東京からは素晴らしい贈りものがある。散歩である。

まず、晴れている。気温は多少低くても、風が吹かなければ日差しで身体は温まる。東京の冬に晴天が続くのは、日本列島が中央に高い山脈があり、シベリアからの寒気と湿度はそこにぶつかって、日本海側に雪を降らせ、東京には乾いた空気をもたらすからである。

冬の東京、元旦などに外出すると、外国人が一家で散歩するのをよく見かけて、これがかねがね不思議だった。友人の外国人になぜ、と聞いたら、冬にこんなに天気が良いのは珍しい、故国ではこんなことはない、と大変喜んでいるのである。その上、人通りが少ない。

よく晴れた空を「日本晴れ」と呼ぶが、正月はその点でも、「日本らしい」日なのである。石川啄木という歌人(1886 - 1912)に、

「何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風無し。」

という短歌がある。この気分、東京の正月をよく表している。付け加えると、その散歩のついでに、お寺や神社に行くのは面白い。正月三が日は「日本の日」であるから、かなりの数の人が民族衣装、着物を着て集まる。特に若い人が色とりどりの振袖など着ているのは眼に快い。その隣で、着物を着た男の子がつまづきそうになりながらついて歩いているのは可愛げがある。

では、もうひとつの月、2月はどうなのか。ひたすら、春を待つ忍従の時である。かすかによろこびを与えてくれるのは梅の花の香りであるが、それも春が近付いているしるしとして、である。でも良いことはないのか、といえば、素晴らしいことがある。そんな時候なので、酷暑の8月と共に、「にっぱち(二八)」と呼ばれ、客商売、観光業は客が来ない辛いシーズンなのだ。だからこそ、お客の立場からすれば、どこもすいていて予約が取りやすい。ことに春節、日本の旧正月に日本を訪れるアジアからの観光客は、空いている「二八」を大いに利用されることを勧める。春節もない日本人は、スキーや温泉と、東京を離れての楽しみをしながら、春を待つことにするか。

船曳建夫(ふなびきたけお)
1948年、東京生まれ。文化人類学者。1972年、東京大学教養学部教養学科卒。1982年、ケンブリッジ大学大学院社会人類学博士課程にて人類学博士号取得。1983年、東京大学教養学部講師、1994年に同教授、1996年には東京大学大学院総合文化研究科教授、2012年に同大学院を定年退官し、名誉教授となる。2017年1月には、高校生の頃から歌舞伎を観続けてきた著者が、いつかは歌舞伎を見たいと思っている人に向け、ガイドしているエッセイ集『歌舞伎に行こう!』(海竜社)を発売した。ほか、著書に『旅する知』など。

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