ー平和について考える機会を作る際に、心がけているキーワードはありますか?
従来の日本の平和教育では、「核兵器がないこと」が平和の条件とされてきました。もちろん核兵器がなくなるに越したことはないのですが、自分たちがどのように貢献できるのか、日常生活ではなかなか実感が湧かないのではないでしょうか。
私たちは、次世代の平和文化リーダーを育成するためのオンラインスクールを運営し、参加者一人一人がそれぞれの強み、つながり、情熱を持って、どのように平和を作り出すことができるかを考えています。また、「Xplore Hiroshima」という拡張現実(AR)アプリを開発し、世界中の人々が平和記念公園にアクセスできるようにしました。
原爆の悲惨さを伝えるだけでなく、対話を大切にしながら、どうすれば平和をより身近なものにできるかを考えていきたいです。今も核兵器は残っています。大切な家族を一瞬で失ったらどうなってしまうのだろう。世界を変えることはできなくても、私たちの生活の中で何ができるかを考えてほしいと思っています。
ーつまり、誰でもピースメーカーとしての役割を果たせるということでしょうか?
その通りです。PCVには「平和×○○」というコンセプトがあります。PCVのメンバーそれぞれが、世界の平和をどのように作りたいかを表す言葉を選び、空欄に入れる。私は「平和×子ども心」です。被爆者の田中稔子さんは、「やりたいことができることが平和なんだよ」とよく話されます。
世界には、大人になるまで生きられない子どもたちや、自分のやりたいことを選べない子どもたちがいる。彼らが自分の生き方を自由に選べるような世の中を作りたいのです。
ーバックパッカーとして世界18カ国を旅されたそうですね。故郷の広島に戻り、PCVで働こうと思ったきっかけは何ですか?
PCVに参加する前は、3年間幼稚園に勤めていました。その時は「この仕事を辞めて世界一周の旅に出よう」と思っていたのですが、PCVの創設者の一人でもあるアメリカ人のメアリー・ポピオと出会い、考えを変えました。アメリカ人の彼女が、広島で被爆者の言葉を次の世代に伝えようと活動している姿を目にして「自分は何をやっているのだろう」と考える契機になったのです。
私は、みんなで同じレールの上を歩かせようとする日本の同調圧力が本当に嫌いです。私自身は、ワーキングホリデーの経験などから、外の世界の楽しさや、いつでもまた外の世界に出られることを知っています。
しかし、PCVに参加することになり大学生たちと接していく中で、多くはこの同調圧力に落胆し、自分らしさを発揮する場を持っていないことに気付かされました。そうした人々に、他人が決めたレールではなく自分自身で選びとった道を歩くことの楽しさ、面白さを知ってもらいたい。広島だけでなく、海外でも選択肢は無限にあるんだよと教えてあげたい。それが、私のやりがいです。