AAR Japan
画像提供:AAR Japan七尾市のインドネシア出身者らと櫻井佑樹(中央)

「帰れない」「帰らない」、被災地で暮らす外国人の今

能登半島地震支援シリーズ「小さな声を聞く」:AAR Japan・櫻井佑樹インタビュー

編集:
Genya Aoki
寄稿:
Miho Shinkai
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タイムアウト東京 > Things To Do >「帰れない」「帰らない」、被災地で暮らす外国人の今

石川県によると「令和6年能登半島地震」による死者・行方不明者の数は250人以上におよび、同県だけで4万1000件以上の家屋が全壊・半壊・浸水など何らかの被害を受けているという(2024年1月25日時点)。

あの日からもうすぐ1カ月、断水が続く地域もあり被災地の状況は依然厳しく、災害関連死で亡くなる人も増えている。

そんな中、いち早く被災地へ入り、外国人や障がい者など見えにくい被災者への支援を続けているのが「難民を助ける会(以降、AAR Japan)」だ。

県内に住む外国人は約1万7000人(2021年時点)、被害の大きかった能登半島北部の6市町には約600人の技能実習生がいる。ここでは、実際に七尾市や能登町で暮らすインドネシア・ネパール・ベトナム出身の人々へ支援活動を行っているAAR Japanのプログラムコーディネーターである櫻井佑樹に、被災地で暮らす外国人の状況や彼らへの支援について聞いた。

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「声なき声」に耳を傾ける
珠洲市立若山小学校で実施したAARの炊き出し風景(1月3日夜)/画像提供:AAR Japan

「声なき声」に耳を傾ける

ーAAR Japanは海外の紛争地域などのほか、日本の被災地でもいち早く緊急支援活動に動かれています。1月1日の地震発生後、どのように支援を開始しましたか?

櫻井:AAR Japanは地震発生翌日の2日から緊急支援チームを石川県の被災地へ派遣しましたが、道路の寸断で拠点となる富山県高岡市にたどり着いたのは夜中でした。翌3日夕方には避難所へ到着、大至急で360食の豚丼を用意しました。近隣の避難所から食べにきてくれた人もいます。

以来、珠洲市の避難所などで炊き出しを続け、19日までに約1万3300食の温かい食事を届けました。

また、3日からは別のチームが七尾市の障がい者施設に飲料水や食料、清掃用具などを搬送。物資を届けた地区は、何度も揺れに見舞われて断水が続き、液状化現象が起きていました。施設の利用者29人は家にいて無事だったそうですが、家が倒壊して住めなくなった職員の方もいるそうです。

「通所が始まって外に出るとパニックになるかもしれない」と不安そうに話す利用者の保護者の方もいました。

ー外国人への支援はどのように行っていますか?

発災後、支援活動を進める過程で、言葉の問題などもあって周囲に助けを求めにくいことから、避難所に滞在せず、十分な支援を受けられない外国人がいると気づきました。

外国人の皆さんへの支援を開始したのは7日。最初に訪れたのは、七尾市の小さなアパートです。農業の仕事に従事するインドネシアとネパールの4人が共同生活をしていました。

4人とも近くに頼れる友人や知人はおらず、食事は1日1回カップ麺だけ。「飲み水も食料もなく、困っています」と話す。その場で飲料水やレトルトご飯、カレー、缶詰などをお渡ししました。

13日には、能登小木漁港近くの宿舎で暮らすインドネシア人技能実習生28人に食材や衛生用品などを届けました。この地域ではカニやエビの底引き漁などに従事する外国人が多数働いており、その大半がインドネシア出身の若者たちです。

「新鮮な野菜や米などの食材、トイレットペーパー、石けんやシャンプーが手に入らない」と聞き、私たちはニーズに合わせた物資を届けました。

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孤立する外国人と地域をつなぐ
櫻井佑樹/Photo: Daiki Hosomizo

孤立する外国人と地域をつなぐ

ー物資を届けた外国人の皆さんはどんな様子でしたか?

七尾市で会ったベトナム出身の女性2人は、発災後、近くの小学校に避難したそうですが、人がいっぱいだったため、仕方なくアパートに戻って生活していました。2人は働いていたホテルが震災で休業になり「自宅待機」を続けています。

彼らは、行政や支援団体からの支援情報を全く知らなかったため、私たちは物資を届けつつ、外国人の生活相談を行っている七尾市役所の窓口や地域の支援団体などの連絡先を伝えました。

能登町で出会ったインドネシアの技能実習生も、震災直後に町内の避難所へ行ったものの意思疎通ができず、配られた非常食も口に合わないため、やむなく宿舎での在宅避難に切り替えたとのことです。

地域で彼らを気にかけている人が近隣の避難所で事情を説明し、彼らが避難所の支援物資を受け取れるよう、つなぎました。

実習生たちは「漁に出られなくなってしまい、これからどうなるか分からない」「インドネシアと違って寒い」など不安を抱えながらも、仲間同士で何とか支え合って暮らしています。

ー外国人への支援を開始した背景は?

被災地で支援を続ける中、「地域の外国人はどうしているだろうか?」と気になっていました。

東日本大震災など過去の災害の教訓から、外国人被災者への支援をいち早く始めたいと考えていた私は、石川県など被災自治体に問い合わせをしながら、石川県野々市市にある特定非営利活動法人ユーアイ(YOU-I)が避難者の状況を把握しているとの情報を聞きました。

すぐにユーアイに連絡をとると、七尾市内で在宅避難中の外国人がいると分かりました。石川県に在住する外国籍および日本国籍取得者を支援するユーアイは、8割以上が外国人のメンバー。県の委託を受けて国際交流事業なども展開し、外国人の地域参画と地域の国際化の両方に貢献している団体です。

ユーアイは、被災した地域で暮らす複数の外国人から助けてほしいと連絡をもらい、カップ麺などの物資を届ける活動を細々と行っていましたが、増え続けるSOSの声に応えきれず、どのように支援を届けるか悩んでいた様子でした。

私たちの連絡を受けて「ぜひ支援を届けてほしい」と、被災した外国人の住所や連絡先などを教えてくれたのです。

それぞれの文化や習慣に配慮した支援
被災外国人の住居を訪問して話を聞く櫻井(1月6日、石川県七尾市で)/画像提供:AAR Japan

それぞれの文化や習慣に配慮した支援

ー外国人支援に当たり、心がけていることはありますか?

慣れない日本での暮らしは災害時でなくても大変です。これまでの難民支援の経験を生かしながら届ける物資を検討しますが、スパイスやカレーに加え、長粒のタイ米を届けた時には「これこれ!」とすごく喜んでくれました。寒いので、灯油ストーブなどもですね。

災害が起きた時こそ、食の選択肢があることは重要です。「贅沢言わずに何でも食べなさい」という意見もあるかもしれませんが、ハラル食品を届けることも意識しています。

ハラルとはイスラム教で「許されたもの」を指しますが、豚肉や豚由来の商品、酒やアルコールなど、宗教上食べることが禁じられている食材を極力排除した食材の提供を心がけています。

ーコミュニケーションの難しさはありますか?

外国人の皆さんとのコミュニケーションは、「やさしい日本語」を使います。

やさしい日本語とは、1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに注目されるようになった言葉です。阪神・淡路大震災では日本語も英語も十分に理解できず、必要な情報を受け取れない人がいたため、外国人にできるだけ早く正しい情報を伝えられるよう考え出され、東日本大震災においてその意義が再確認されました。

やさしい日本語は、今や災害時だけでなく、日常生活でのコミュニケーション手段として、行政情報や生活情報、毎日のニュース発信などさまざまな分野で広がっています。

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「あの子たちもここで頑張っているんだね」
石川県能登町で被災したインドネシア人技能実習生たちとAARスタッフ(1月13日)/画像提供:AAR Japan

「あの子たちもここで頑張っているんだね」

ー今後はどのように外国人への支援を続けていく予定ですか?

技能実習生など若い外国人の皆さんは、母国の家族のために日本で一生懸命働いています。今回の地震後も家族への仕送りのため、母国へは戻らず地域に残ってもう一度働きたいと考える若者が多くいるのです。

そんな外国の若者たちに対して、「今まで知らなかったけど、あの子たちもここで頑張っているんだね」とつぶやく地域の高齢者の方がいました。

被災地の状況は今、とても厳しいものですが、災害はそれまで出会うことのなかった人がめぐり合う機会になっているかもしれません。今回、被災した奥能登地域は、高齢化率5割以上の「限界集落」が多く、避難生活の長期化と復興の難しさが懸念されます。

そんな奥能登地域において、外国人は地域の貴重な労働力であり、助けにもなるはずです。孤立する外国人と地域の高齢者とをつなぐことで、地域の復旧・復興を後押しできるような支援ができないかと考えています。

ー地域と外国人をつなぐ支援とはどのようなものでしょうか?

AAR Japanは、2022年のロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、日本に逃れてきた難民や避難民の支援を開始しました。

ウクライナだけでなく、アフガニスタンやシリア、ミャンマーなど居住国での武力紛争や不当な弾圧から逃れた難民・避難民の方の相談を受け付けているほか、栃木県小山市でアフガニスタン難民女性による手芸教室などを開催しています。

日本で暮らす外国人の皆さんが地域の人々との交流を深め、双方にとって良い関係を築けるような後押しができればと思います。海外での支援だけでなく、日本における「多文化共生」の社会を作ることも、私たちが大切にしている活動の一つです。

被災地のために今、できること
七尾市の建物が崩壊してしまった商店(1月3日)/画像提供:AAR Japan

被災地のために今、できること

ー私たち一人一人にできることは何でしょうか?

今回の地震で甚大な被害を受けた能登半島は、まだ多くの地域で災害ボランティアの受け入れ態勢が整っていない状況にあります。

全国社会福祉協議会ホームページ「被災地支援・災害ボランティア情報」によれば、新潟県や富山県の一部の被災地では災害ボランティアの受け入れが始まっていますが、被害の状況やニーズの量に合わせて、ボランティアの募集範囲を県内や市町村内に限定しています。

能登方面へ向かう道路は今も深刻な渋滞が続いており、こうした中で個別に被災地へ行こうとすると、支援物資の到着の遅れや患者の輸送回数の減少など、救助・救援活動に大きな支障を来す恐れがあります。

ボランティア募集の情報は全国社会福祉協議会のウェブサイトで随時更新されていますので、電話などでの問い合わせは極力控え、もうしばらく辛抱していただきたいと思います。

また、私たちのようなNPOが被災地で懸命に支援活動を行っています。被災した地域でいち早く活動する団体への支援も、被災地の大きな力になると思います。ぜひ、その思いを託してください。

特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)

1979年に「インドシナ難民を助ける会」として創設された、日本発祥の人道支援団体。難民支援を原点として、国内外の自然災害の被災者や障がい者支援、地雷・不発弾対策、感染症・水衛生事業などに取り組み、これまでにアジア・中東・アフリカを中心に65を超える国・地域で支援活動を展開している。

Photo: Daiki Hosomizo

櫻井佑樹

AAR Japan プログラムコーディネーター

大学卒業後に民間財団で勤務したのち、イギリスの大学院で平和学を学ぶ。パキスタンでのNGO勤務を経て、2012年8月からAAR Japan勤務。東京事務局でタジキスタン事業などを担当し、ザンビア駐在後、2016年8月までタジキスタン駐在。東京事務局で国内事業や提言活動などを担当し、2023年から日本国内の難民・避難民支援に従事。2024年1月から石川県能登地震の被災地で活動する。

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