
ビートカフェのKatomanに聞く14年間の思い
世界の「ビートファン」の協力もと、クラウドファンディングをスタート
東京都でも緊急事態宣言が解除され、これまで休業していた飲食店や商業施設などの営業再開が始まった。しかし気になるのは、「ナイトライフを再び取り戻すことは可能なのか」ということだ。バーやクラブなどの多くが休業を続けており、クラウドファンディング無しでは廃業せざるを得ない状況下に置かれている。渋谷のビートカフェもまた、新型コロナウイルスの影響下で存続の危機を迎えている店舗の一つだ。現在、音楽やアートなどのプロジェクト支援を行うプラットフォーム、キックスターターで緊急支援を募っている。
東京の夜を代表するアイコニックなヴェニューの一つであるビートカフェは、2006年にミュージシャンとしても知られるゲンショウがオープン。道玄坂に移転する前までは、宇田川町の雑居ビルに店を構えていた。当時は同ビル内にパーティースペース、エコー渋谷(ECHO SHIBUYA)も入居しており、ビートカフェと並行して運営されていたことでも知られる。いくつもの伝説的なパーティーを生み出してきた幻のヴェニューである。今はこの雑居ビルごとなくなってしまったが、元祖ビートカフェ、エコー時代から同店に通う常連は多い。音楽好きはもちろん、海外から来日する際は必ず寄る、という著名ミュージシャンも多いが、かといってハードルが高いような雰囲気は一切ない。
今回の緊急支援には、HotChipのJoe Goddardや、American Footballなどのミュージシャン、イラストレーターの花井祐介などが支援を表明。また、ビートカフェにゆかりのあるクリエーターたちも国内外から参加しており、さまざまなコラボレーションアイテムがリリースされている。ゲンショウと並びビートカフェの顔として知られるKatomanに、今までのビートカフェ、そしてこれからについて、話を聞いた。
昔のビートは、渋谷ユースカルチャーの一部
ーオープン当初を振り返り、道玄坂へ移って変わったことはありましたか。
オープンは、2006年だから14年前ですね。最初は食事も提供していたりお客さんの割合もほぼ日本人でした。自分が音楽レーベルやレコード店、海外アーティストの来日招聘(しょうへい)をやってた関係で、来日アーティストがビートカフェのことをかなり広めてくれて、海外の人たちが来るようになったんだよね。これは完全に口コミによるコミュニティー。だからこその現場感っていうのが昔のビート、特にエコーにはあって当時の渋谷ユースカルチャーの一部だったんじゃないかな、今思うと。ここ数年は特にネットやSNSによって単純にいろいろ選択肢が増えたように感じられたり、コミュニティーの形が変わったとは思います。
ー移転はビルの建て替えが原因だったと聞きました。今の場所に落ち着くまでの話を聞かせてください。
もともと昔のビートは定期借款の取り壊し前提の物件だったんだよね。本当はもっと早くに引っ越し予定で、何度か期限が延びていて。新しい場所がすぐ見つかったのは良かったですね。旧ビートを営業しながら新ビートの準備をして2012年の大みそかの営業終了後、2013年を迎かえ、引っ越しを始めて3日後ぐらいにはオープンした感じです。


若者の行動パターンが一番変わった
ー渋谷で長く店をやりながら、若者や客層の変化をどのように感じていますか。
渋谷に限らず一般的にだけど、行動パターンが一番変わったなって思うことは「場所の重要性」が薄れてきていること。待ち合わせ場所っていうのはそんな重視されなくなってスマホ、SNSで友達とかみんなが集まってるところに行くって感じかな。場所の名前も覚える必要がないよね。
ビートカフェという場所の重要性を再認識した
ー今回のクラウドファンディングは「オール・オア・ナッシング」。そういった姿勢もビートカフェっぽいなと思いました。
5月18日にキックスターターで『Keep the Music Alive at Beatcafe』というクラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げました。プロジェクトの概要でも書いたんですけど、今まで店に来てくれた人たちがいたからビートカフェは続けて来られました。これからもさらに続けていきたい。今まで、そしてこれからお店に来てくれる人たちと一歩一歩時を刻んでいきたいと思ってるので、クラウドファンディングをやるからには目標達成しないとお金がもらえない「ALL OR NOTHING」のシステムがみんなに対して意志表示になるし、クリアかなと思いました。
自粛解除後、元の状況に戻ると思えないので目標額は今年を乗り切る最低限の金額にしたし、これで目標達成できないのなら、そういうことなのかなと新しいことを考えられると思うので、いいきっかけが作れたとは思っています。
ークラウドファンディングでは、ビートカフェに携わってきた人たちともコラボレーションされていますね。
キックスターターのプロジェクトと並行させていろいろな人たちとのコラボレーションで物作りをしていく予定なのと、ビートカフェのオンラインショップをオープン予定です。個人的にはここ数カ月で、ビートカフェという場所の重要性をいろいろな人たちの声援によって再認識してるので、これからもさらに続けていきたいですね。
5月21日には、ロサンゼルスのショップ、Virgil Normalで支援を募ったオンラインDJイベントも開かれました。アイテムもアーティストのEric Elmsが2009年に制作した、ビートカフェでの思い出ををまとめたファンジン、『FEEL THE BEAT』のデジタル版や、マーズボルタ(The Mars Volta)のジャケットを手がけるSonny Kayのアートブックなどがあります。


収束後は普通に集まれる場所が必要
ー特にこの業界は苦境に立たされていますが、ポストコロナ時代の「バー」という在り方について思うことはありますか?
この数カ月間で当たり前のことが当たり前じゃなくなったり、家にずっといたり、かなりの人たちがメンタル的にショックを受けたりしています。いろいろなことがコロナ前の感覚に戻るというのは考えづらいですよね。ただ、そういうときだからこそ収束後は普通に集まれる場所が重要だし、必要かなと。今まで何気なく行ってた場所を改めて意識するようになっていくとは思います。
ー配信スタイルに切り替えている小箱も多いです。
配信に関しては、自分がニューヨークのThe Lot RadioのゲストDJのオファーがあって、ビートからライブ配信したのがかなり楽しかったし好評だったので、機材入れて定期的にやりたいとは考えています。
ビートカフェのクラウドファンディングページは、こちらからチェックしてほしい。
これからのナイトライフを考える
「クラブ界の父」が語る、この時代だからできること
タイムアウト東京 > 音楽 > インタビュー:T.ISHIHARA テキスト:須賀華呼 写真:谷川慶典 新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)がもたらしたショックはアジアだけでなく欧米にも広がり、世界中で猛威を奮っている。日本では先日、『レインボーディスコクラブ』や『春風』などのフェスティバルが開催中止を発表。世界中のクラブの営業やフェスティバルの開催も中止や自粛に追い込まれており、運営側やアーティストをはじめこの業界に携わる全ての人々が苦境に立たされている。先の見えない状況の中、試行錯誤し、協力し合いながら困難を乗り切ろうとしているが、音楽やパーティーを愛する私たちにできることとは一体何なのか。 慎重ながらポジティブな意見を聞かせてくれたのが、『渚音楽祭』や『Body & SOUL Live in Japan』などのフェスティバル、そして国内最大のダンスミュージックポータルサイト、クラベリアなどを手がけてきたT.ISHIHARAだ。一昨年までは、オース(OATH)や青山トンネル、現在は代官山にあるミュージックバー、デブリ(Debris)などの小箱の顧問やパーティープロデュースも担う。1990年代から30年近くに及ぶキャリアの中で、さまざまな困難を経験しながらも乗り越えてきた「クラブ界の父」は、この時代をどう見つめるのか。 9年前の東日本大震災時の状況などを振り返りながら、日本のクラブシーンの今後を前向きな視線で語ってもらった。 ※インタビューは2020年3月10日に実施
支援募集中のクラブ、ライブハウスリスト
4月7日の緊急事態宣言発令以前から、クラスター発生のリスクが高いとされる「3密」空間の一例として名前が挙がっていたナイトクラブやライブハウスのほとんどは営業自粛を行っていたが、それによって事業者や従業員たちの収入が断たれることに対しては、十分なセーフティーネットは用意されていない状況だ。 日本のクラブはかつて風営法という受難を経験しているが、今回はその比ではない。これから最低でも5月上旬まで営業停止を続けなくてはならない現実に、閉店の二文字がちらついている店も多い。 本記事では、クラウドファンディングやグッズ販売で支援を呼びかけている日本全国のクラブ、ライブハウス、そういった場所をサポートできるような支援団体・プロジェクトを紹介する。 音楽ファンである我々ができることは、パンデミック前の生活を豊かにしてくれていたものが何かを思い出し、パンデミック収束後の生活に何を残したいかを真剣に考え、思い切り「推しに課金」していくことだ。 本記事は随時更新をしていくので、掲載を希望するクラブ、ライブハウス事業者や、クラウドファンディングの情報を持っている人はこちらまでぜひメールを送ってほしい。※5月22日更新。 関連記事『【随時更新】現在、支援募集中の事業者リスト』
コロナはナイトライフと文化を殺すのか
5月14日に39の県で緊急事態宣言が解除された。東京都を含む特定警戒都道府県では引き続き5月31日(日)までの継続が予定されているが、すでに解除された自治体の対応を見ても明らかなように、「3密」空間の回避と警戒は宣言解除後も続く。 静まり返る新宿ゴールデン街、光と音が消えた夜の道玄坂。人々のオアシスであっただけでなく海外観光客の目的地でもあった飲屋街やクラブ、ライブハウスといった夜の街は、今や最も「穢れた」場所になりかけている。 休業による財政難からすでに閉店を決めた店や施設が出ているが、その背景には宣言解除後の見通しが立たないことも大きく関係している。このかつてない苦境を切り抜けるためには、行政と民間事業者、有識者たちの有機的な連携が求められる。 本記事では、ナイトタイムエコノミー推進協議会(JNEA)の理事として行政と民間の間に立ち、夜間文化の価値を調査するオランダ発祥のプロジェクト「Creative Footprint(CFP)」の東京版を担当した齋藤貴弘(ニューポート法律事務所 パートナー弁護士)に、アフターコロナのナイトタイムエコノミーの展望や、事業者への支援について語ってもらった。関連記事『Creative Footprint Tokyoの調査結果が公開、東京の評価は?』