Image: Time Out / Shutterstock
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TikTok時代の「旅先の美しい写真」が旅行を台無しにする

美しい写真に付けられるハッシュタグの悪影響とは

Ed Cunningham
テキスト:
Ed Cunningham
翻訳:
Time Out Tokyo Editors
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いまやソーシャルメディアには、旅先で撮った構図も背景も照明も完璧な写真があふれている。旅先の美しい写真に付けられるハッシュタグ、#travelaesthetic(直訳すると「旅先の美」)ブームの悪影響について考える

2023年3月初めにアメリカ人ライターのステイシア・ダツコフスカが、フィレンツェでの留学生活がいかに嫌であったかを訴えた次の一文がひそかに話題となった。

「私は次第にこの街で目に映るすべての景色や人々に嫌悪感を覚えるようになり、早く家に帰りたいと思っていました」

イタリアでの日々が、彼女が思い描いていた夢の「甘い生活」とかけ離れていたことが問題だった。「ルームメイトとの楽しい持ち寄りディナー、彼女を『ベッラ(美しい)』と言ってくれる人たちとのひと夏のアバンチュール、暑さで溶け出して彼女の指を伝うジェラート、楽しい会話やおいしいプロシュートのお供に最適なナチュラルワイン」とは、縁遠かったのだ。

そこまでがっかりさせられることは、(たとえフィレンツェと同じぐらい華やかな場所であっても)普段の生活では、なかなかないだろう。つまりこれは、旅への期待と現実との不一致が生む典型的なケースといえる。そして、気づいているだろうか? あなたにも、彼女の不幸の責任の一端があるかもしれないということを。

美しさを求める世界

「旅先の美」について話そうと思う。いくつかの場所を例にしてみよう。

まずは日本。この国について思い浮かぶことは何だろうか。寺院のまわりで咲き誇る桜、あるいは近未来的なネオンがきらめく光景? ギリシャの場合は、白い家々が立ち並びたくさんのブーゲンビリアに彩られた島、その中に映画「マンマ・ミーア!」のホテルを加える人もいるだろう。パリならば、腹立たしいほど美しい絵に描いたような石畳の裏通り、そしてその向こうに見えるエッフェル塔……。そう季節は、春だ。

Kyoto
Photo: Sorasak/Unsplash

実はこうした光景のどれもが、実際には存在しない可能性が高い。これらは幻想、合成物であり、国や都市全体の「美」を表すさまざまなものを、たった1枚の写真で表現したものと言える。そういった幻想は、テレビ、映画、雑誌の記事、旅行ガイド、そして今は特にソーシャルメディアによって、頭の中に無意識のうちに叩き込まれているだけなのだ。

TikTokにアクセスしてみよう。#travelaesthetic」(旅先の美)の動画再生回数は6600万回を超えている。「#londonaesthetic」は4700万回「#japanaesthetic」は9100万回という膨大な閲覧回数を誇っているのだ。

一方Instagramに目を向けると、「#travel aestheticの検索結果は約5万件だ。パリは4万8000件、ロンドンは8万9000件日本は7万6000件など特定の場所の「美」に関するタグも存在する。気にし始めると「旅先の美」は、どこにでも存在していることが分かるだろう。

ソーシャルメディアの動画や写真の投稿において、古典的な「旅先の美」を構成する要素はいくつもない。かわいい街並み、見晴らしのいい眺め、ランドマーク、そして雄大な自然。投稿されるのはお決まりのものばかり。あからさまであるほどいいのだ。雑多な印象にならないよう、人の映り込みはない。例外は投稿者で、画面中央に配置されることで、「主役は私です」という力強いメッセージになる。

Photo by Tânia Mousinho on Unsplash
Photo by Tânia Mousinho on Unsplash

それの何が新しいのか? と思う人もいるかもしれない。確かに旅行が大衆化されて以来、人々(特に観光業界)は、文化や目的地の全てを1つのイメージに凝縮し、人々の旅行熱や日常生活から離れた場所に行きたいという欲求に応えようとしてきた。「旅先の美」の系譜は、古典的な旅行パンフレットや、昔ながらの絵葉書にまでさかのぼることができるだろう。

しかし、ビジュアル主導のソーシャルメディアの時代では、このトレンドが加熱している。例えば「エミリー、パリへ行く」のような、テレビ番組や映画の舞台となった場所を訪れる「聖地巡礼」の盛り上がりもその一因として考えられるだろう。

現代はいまだかつてないほど、文化を美としてとらえる考え方、つまり純粋に目で見て楽しめオンラインで共有されるものが、人々の旅のあり方を左右している。「旅の美」の台頭は、いわば「憧れの地への観光」をZ世代版として洗練し発展させたものといえるだろう。旅先の一連の美しいイメージは、その土地に行きたい気持ちをかき立て、その気持ちに説得力を与え、旅に出たい人の背中を押している。そのアプローチは通常は、目的地の環境に浸る、何かから逃避する旅への、いい意味での刺激となる。しかし、悪影響を与えてしまうこともあるのだ。

パリ症候群

では、どのような悪影響があるのだろうか。冒頭に書いたダツコフスカのフィレンツェでの体験を思い出してほしい。彼女のように、頭の中にその土地の美しいものを詰め込んで旅をすると、TikTok時代の「パリ症候群」に陥る危険性があるのだ。同症候群は、フランスの首都を訪れた旅行者が、街の現実に激しく失望し、深刻な精神的苦痛を受けるという、実際にあった現象だ。

イタリアのミラノでも似たような騒ぎが起きているという。最近この街を訪れた多くの人々は、TikTokを見ているうちに、オートクチュールのブティックとゴシック様式の大聖堂が街のいたるところにある壮大な都市という「ミラノの美」を植え付けられたのに、そこで目にしたものは脱工業化した近代都市であったため、ひどく失望させられているというものだ。(あくまで私見だが、ミラノには歩き回ったり食事をしたりする以外にも、素晴らしい楽しみがたくさんある)。

何か美しいものを求めて、実際にその土地を訪れると、往々にして深刻な失望を味わうことになる。最終的には、同じ美しいものを求めてやってくる同じような旅行者の数が増え、失望がより深まっていく可能性がある。

街で最も美しいとされる観光スポットがTikTokユーザーであふれかえっていたら、せっかく撮りに行った「完璧な写真」を誰も手に入れることができないからだ。

「私たち」と「彼ら」

問題はそれだけではない。旅先の美しいものにこだわると、その性質上、複雑な魅力を持ったその土地の全体像が、お約束の型にはまったものばかりになってしまう。多くの場合、それはその土地の文化を最も根源的な「カリカチュア」(人物などの特徴をことさら強調して描き、ひと目でその人とわかるような風刺画)にまで煮詰めてしまうことを意味し、ときに人種差別をしたり、外国人を嫌悪したりすることにつながる。

これは文化的、歴史的な力関係に根ざしたものと言える。具体的には(誰もがそうだとは言わないが、概して)裕福なの欧米の白人の、旅行者や社会の中にいまだに残る無知と偏見だアフリカといえば「部族」、東アジアの男性といえば去勢といった、固定概念で定義されることに対して、多くの国や国民が強く反発していることも忘れてはならない。

ほかの国の文化の特徴を単に美しいからというだけで利用することは、多くの場合、植民地時代から存在する力の不均衡を存続させることになる。これはパレスチナ系アメリカ人の知識人、エドワード・サイードが「オリエンタリズム」と呼んだものの延長線上にある。「私たち」と「彼ら」の区別は、そこにどれほど善意が含まれていても、歴史的な力の不均衡を維持することにつながるのだ。 ある文化を複雑で何より人間的なものではなく、ほぼ視覚的に美しいものと見なすと、ずっと有害なものへの近道が生まれる。それは次のように言い換えることもできる。ある場所がそのよって立つ文脈から切り離され、非現実的なものとなると、そこに住む人々もまた過度に単純化された型のような存在となり、人間として扱われなくなってしまうのだ。

例えば日本を、桜が咲き映画「ブレードランナー」風の高層ビルが立ち並ぶ神秘的で華やかななワンダーランドとして見る人が、ゲイシャ、そしてメイドや女学生に扮した女性にのめりこんでしまう一歩手前にいることは間違いないだろう。

Photo by Pawel Nolbert on Unsplash
Photo by Pawel Nolbert on Unsplash

どんな文化も1つの画像で効果的に要約することはできないというのは、常に真実であった。しかし、ソーシャルメディアはルールを根本から変えてしまったのだ。注目度が数秒単位で競われている中で、単純化は1つのものに還元する方向にさらに進んでいる。

ここに挙げたことは全て悪いことだが、魅力的であるのは理解できる。華やかで映画のセットと奥行きがほとんど変わらない(それでいて不思議なほど混雑していない)舞台を、夢見心地で歩き回る、完璧な旅行者になりたいと思わない人はいないだろう。

しかし、我々は美しいものの魅力に抗うことができるし、そうするべきであると言いたい。理想的には、世界で最も過小評価されている場所、つまり、旅行者を減らしたい場所ではなく、その多くを必要としている場所に行くのがいい。

もしあなたが、「生きているうちに行きたい」場所のリストを列挙するのなら、視覚的に定番であるとか美しいとの評判が高いとかという理由よりも、より興味深い理由が必ずあるはず。何より旅を通して関わるのは実際の文化や人々であり、あなたがどの国の出身であろうと、Instagramで見るより旅先はずっと複雑であることを、忘れないでほしい。

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