平和のためのラリ村のクリンの鶴
画像提供:駐日チリ共和国大使館

チリが民芸品「クリンの鶴」を広島へ寄贈、日本との外交125周年記念

9月7日に式典開催、その後1年間はおりづるタワーで展示

編集:
Genya Aoki
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2022年9月7日(水)に広島県広島市にある「おりづるタワー」で、チリと日本の外交関係樹立125周年記念イベント「平和のためのチリ民芸品クリンの鶴」の寄贈式典が行われる。

この記念事業には、チリ大使館が主催し、チリ外務省文化芸術遺産外交局とチリ民芸財団が参加。チリの民芸家がデザインした「クリン」と呼ばれる特別な織物技術に基づいた手作りの鶴を贈る。

この「クリン」という技法は、チリの中南部にあるラリという小さな村で200年以上受け継がれているもの。職人の手と針だけで、染色した馬の毛と植物繊維を組み合わせて織り、ミニチュアの民芸品を作る。


鶴のデザインは、「平和と核兵器のない世界への誓い」を表現し、民芸家たちが思い描く「千羽鶴」を表現。ラリ村の馬の毛で織られた108羽の鶴のセットから構成されている。

平和のためのラリ村のクリンの鶴
画像提供:駐日チリ共和国大使館

同寄贈の背景には、1945年8月に広島に投下された原子爆弾の放射線の犠牲となり、白血病のために若くしてこの世を去った佐々木禎子の物語がある。禎子は、被爆から10年後の小学6年生のときに白血病と診断され、広島の病院に入院。見舞いで千羽鶴をもらったことをきっかけに「生きたい」という願いを込めて、薬包紙や包装紙などを使って1300羽以上の鶴を折る。しかしその願いはかなわず、8カ月の闘病生活の末、息を引き取った。

禎子の死を知った同級生たちは、原爆の犠牲になった子どもたちの死を悼む像を造ろうと各所に呼びかけ、1958(昭和33)年に広島平和記念公園に「原爆の子の像」が建立された。

病気と闘い、懸命に生きようとした禎子の物語は、広島の悲劇の象徴として、日本のみならず世界でも広く語り継がれているそう。そして、折り鶴は平和のシンボルとして多くの国で折られるようになった。「原爆の子の像」には、今も世界中から多くの折り鶴がささげられている。

寄贈式典は10時30分から、誰でも参加できる。作品はその後1年間、おりづるタワー12階で展示される予定だ。チリと日本の長く深い関係性に改めて思いをはせながら、平和な世界のためにできることを考える機会にしてみては。

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