インタビュー:松本幸四郎

88年ぶりに蘇る歌舞伎版チャップリン、念願の上演にかける思いとは

編集:
Kunihiro Miki
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テキスト:高橋彩子

1931年にアメリカで公開されたチャップリンの名作映画『街の灯』が、映画公開のわずか7カ月後に歌舞伎化され、歌舞伎座で初演されたことをご存じだろうか。

劇作家の木村錦花が、映画雑誌やアメリカで映画を観た歌舞伎俳優の証言をもとに、チャップリン演じる浮浪者に歌舞伎『与話情浮名横櫛』の登場人物、蝙蝠の安五郎(通称・蝙蝠安)を当てはめて書いた歌舞伎『蝙蝠の安さん』だ。1934年の『街の灯』日本公開に何年も先んじてのことだった。

その『蝙蝠の安さん』が、チャップリン生誕130年の今年、88年ぶりに、国立劇場にて上演される。主演は、本作の再演を熱望していたという松本幸四郎だ。

初演と異なる点は

ー『蝙蝠の安さん』の写真集を10代のころに見て以来、上演したいと思っていたそうですね。

はい。まずは『与話情浮名横櫛』の蝙蝠安を主人公にしたお芝居があるんだ!と思ってキャプションを見たら「『街の灯』をヒントに作られた」と書かれていて。

チャップリン自体、よくテレビで放映されたものを録画して見ていて好きでした。『蝙蝠の安さん』では、その映画の銅像の場面が大仏になっていたり、チャップリン演じる浮浪者が盲目の花売り娘の治療代を稼ぐために挑む賭けボクシングが相撲になっていたりするのも面白いですし、川に飛び込んだ人を助けようとして落ちてしまう場面でも歌舞伎の得意技がいかされています。いつかこの作品が日の目を見るといいなと夢見ていました。

ーチャップリンといえば、ひいおじいさまの七世松本幸四郎さんが昔の歌舞伎座で会っていますが、幸四郎さんもチャップリンのお孫さんと歌舞伎座が新開場した際に会われたとか。

そうなんです。その時にも『蝙蝠の安さん』をやりたいと申し上げました。また、今回の公演には四男のユージーン・チャップリンさんも観に来てくださるんですよ。

ー初演の写真は私も見ましたが、ボクシングの場面が娘相撲(※1)になっていて、市川團右衛門演じる娘相撲の力士・大手山が守田勘弥演じる安さんよりも遥かに大きいのが印象的でした。

そこは今回、娘相撲の格好だけで終わらせず、取り組み自体をじっくり見せようということで、男性同士の相撲にしたんです。映画同様、動きの楽しさで見せたいと考えています。

ー映画では、対戦相手だけでなく、審判を巻き込んでの三つ巴になるなどユニークな展開になりますが……。

そういう映画の要素を取り入れたいですね。ただ、ボクシングは基本、間合い(があるもの)なので、相撲の取り組みとは勝手が違う。そこをどう置き換えるかが知恵の出しどころです。今、殺陣師の方に、相撲の四十八手を勉強してもらっています。

ー衣裳も、初演と今回とではだいぶ雰囲気が違うようです。

初演では『与話情浮名横櫛』の玄冶店の場面に出てくる蝙蝠安の格好なのですが、チャップリンは燕尾服に蝶ネクタイにハットで、浮浪者と言ってぱっと思いつく格好ではありません。

でも、歌舞伎だって、身を隠しているはずの人物が昭和のアイドルのような派手な格好をしていたりするわけですからね。とはいえ根拠なく綺麗にするのも不自然なので考えまして。

『東海道四谷怪談』隠亡堀の場面の佐藤与茂七の、色々な着物をツギハギにした衣裳が、貧しさを表すと同時に絵的に素敵なので、それを取り入れ、そこに『廓文章』吉田屋の紙衣のように文字を書き入れてもらい、さらには英語も書いてもらったんです。ハットとステッキは冗談のつもりで撮ったのですがポスターになってしまいました(笑)。

ー舞台ではハットやステッキはどう使うのでしょうか?

ステッキに関しては、花売り娘(本作では草花売の娘・お花)が盲目なので杖を持つという設定にできますが、帽子が悩みどころ。利休帽につばをつけたら似たような感じになるか、あるいは鍋が一番近いか、など、あれこれ思案中です。

もっとも、木村錦花が、主人公を歌舞伎をご存知の方なら誰でも知っている蝙蝠安に当て込んだのがすごい発想なので、まずはその蝙蝠の安さんを成立させた上で、ポイントでチャップリンらしさが出たらいいかなと考えています。

ー音楽に関しては、どのように?

『街の灯』のアルバムが出ているので、許可を取ってその一部を三味線音楽に取り入れます。映画では『LA VIOLETERA』という音楽が浮浪者とお花の場面で必ず使われますが、歌舞伎でもそれはテーマ曲になる予定です。

ー考えてみると、『街の灯』のような伴奏音楽は、今の映画音楽よりも歌舞伎に向いているかもしれません。途中で入る字幕は竹本(※2)にできますし。

そう思いますね。音楽が芝居にくっついていますから。お花の目を治すのに効くかも知れないお灸を蝙蝠の安さんが体験しに行く場面があるのですが、今回は音楽的要素を強めて、曲に乗せて「ああだった、こうだった」と動きで再現する「振り事」にしています。 

※1 娘相撲:女性の力士がとる相撲
※2 竹本:太夫による語りと三味線による音楽の流派の一つ。物語の進行、情景描写、登場人物の心情などさまざまなものを表現する。

ファンタジーだからこそ芝居になる

ファンタジーだからこそ芝居になる

ーお花のために手を尽くす蝙蝠の安さん。その人物像をどうとらえていますか?

何も求めない、欲しがらない人なんですよね。浮浪者という立場だけれど、食べるものに困っても、まとまったお金が欲しい、家が欲しい、ということは恐らく思っていない。

困った人がいれば哀しいしなんとかしてあげたいと願うけれど、なんとかしてあげたことについて見返りを求めないところが魅力的だと感じます。

ーそういう人物に共感や憧れはあります?

それは思いますが、見返りを求めないというのはファンタジーでしょうね。現実にいないからこそ芝居になるのでしょう。幸四郎の名を襲名した時、「歌舞伎職人になる」と言いましたが、そういうことでしょうか。

つまり、全て歌舞伎のためにやって、名が残るとか、代表作が何だとか、そんなことを気にしない……。でもやっぱり、やれば褒められたいですし(笑)。

ー11月の歌舞伎座公演では、今回と同じ木村錦花の『研辰の討たれ』にも出演されました。どちらも喜劇的な要素の強い作品ですね。

『研辰の討たれ』はメッセージがあるお芝居で、そこをどうやるかということだと思いますが、『蝙蝠の安さん』もけっこう風刺的なんですよね。蝙蝠安は相手が目が見えないということによって金持ちに見られる行動をしますが、目が治ったお花には気味悪そうにされるし、酔っ払った金持ちからは友達あつかいされるけれど、酔いが覚めると「汚い、出て行け」となる。

みんなが悪い人には見えてはいけないので難しいのですが、そこはしっかり押さえたいですね。それが、チャップリンの喜劇の世界観によって説教臭くなく伝わるのが良さなのではないでしょうか。

ー以前、(十八世)中村勘三郎さんが幸四郎さんのことを「目が溶ける」、つまり喜劇向きだとおっしゃっていたことを思い出します。

おっしゃっていましたね。喜劇は好きですし、はからずも最近、喜劇が続いています。8月の歌舞伎座での弥次喜多(『東海道中膝栗毛』)、11月の研辰、12月にチャップリンがあって、来年1月は大阪松竹座で富くじ(『大當り伏見の富くじ』)ですから。

いずれもヒーローではなく、どこか欠点がある人間が出てくるお芝居ですが、格好悪いのも、過ぎると格好良く見える気がしますし、真面目にやればやるほど可笑しい、といった笑いは好きです。

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乖離こそが武器

乖離こそが武器

ー幸四郎さんというと、ずっと『勧進帳』の弁慶を演じたいとおっしゃっていて、14年に実現されましたが、今後やってみたい役・演目は何ですか?

『積恋雪関扉』や『大森彦七』をやってみたいですね。

ー舞踊劇に惹かれるのですね。新作はどうでしょう?

映画の『ジョーカー』が話題ですが、スピンオフには興味があります。歌舞伎作品のスピンオフで、腰元にフォーカスするとか(笑)。あと、明智光秀はずっとやってみたいと思っているんですよ。

ー今は、日常生活と歌舞伎の世界が、以前より乖離(かいり)しています。その中で、歌舞伎が観続けられるにはどうあるべきだと考えますか?

その乖離こそが武器ではないでしょうか。何でも手に入りやすい時代ですし、職業の選択肢も多い時代ですが、歌舞伎はなかなかなろうと思ってなれるものではない。

それが逆に、レアな価値や、理解できないものを観る面白さに繋がるはずです。日本のオリジナルのものという意味でも珍しいですし。

ー今回は、お父様の松本白鸚さん主演の『近江源氏先陣館』と『蝙蝠の安さん』の2本立てであるほか、毎週金曜日、そしてクリスマスイブとクリスマス(チャップリンの命日でもある)には、『Chaplin KABUKI NIGHT』として『蝙蝠の安さん』が19時から上演されます。親しみやすい題材と、会社帰りにも寄りやすい開演時間ですので、この機会に歌舞伎デビューするタイムアウト東京の読者に、メッセージをいただけますか?

歌舞伎は、もちろんドラマを追っていただいても面白いのですが、視覚的にも、衣裳や化粧、カツラ、道具からして歌舞伎独特のものですし、人が楽器である台詞回しを含め音楽面から味わうこともできます。音楽、色彩、ストーリー、仕掛け、何か興味のあるものを探しに来ていただけたら、楽しんでいただけることと思います。

『令和元年12月歌舞伎公演 近江源氏先陣館―盛綱陣屋―/蝙蝠の安さん』の詳しい情報はこちら

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

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