インタビュー:石井則仁(山海塾)

新世代ダンサーに聞く、アートとビジネスの関係

日本の美意識から生まれ、世界のコンテンポラリーダンスに多大な影響を与えた「舞踏」。その中心的な役割を担っているグループの1つが、1975年に結成され現在もパリ市立劇場を拠点に活動する山海塾だ。2017年11月には東京でも新国立劇場にて『海の賑わい 陸(オカ)の静寂―めぐり』の上演が控えている山海塾の、新しい世代のダンサーにタイムアウト東京は注目した。1984年生まれの舞踏家、石井則仁に聞く、山海塾との出会いやアートとビジネスの関係。

山海塾には「究極の静の美があった」

「子どもの頃は、今よりもう少し暗かったんですよね」と話す石井がダンスに興味を持ったきっかけは、前世紀末の日本にストリートダンスブームを生んだテレビの深夜番組だった。意外にもエンターテインメントのダンサーとしてキャリアをスタートさせた石井だが、活動を続けるなかで少しずつ違和感を募らせていく。そんななか「この疑問を解消できるんじゃないか」と思ったのがコンテンポラリーダンスだった。後の石井の人生を左右する山海塾との出会いもこの時期のこと。西洋の「動く」ダンスから入った石井にとって、「静かなのに濃厚で濃密な」身体表現は、あまりに衝撃的だった。「そこには究極の静の美があった」と、初めて山海塾を観たときの印象を振り返る。

研修期間を経て、山海塾の正式なダンサーとなったのが7年前の2010年9月。主宰の天児牛大(あまがつ うしお)という偉大なる舞踏家の存在は、石井のクリエイションにも大きな影響を及ぼしている。「天児さんは、本を読むとか勉強することも含めて、見たり聞いたり、食べたり飲んだり、日々の生活のなかで本当に色々なものを吸収している」と、惜しみない敬意とともに師について語るが、その熱意ある探究心は石井にも引き継がれているようだ。ダンスはもちろんのこと、写真やデザインにも没頭し、意欲的に取り組んできた。最近は日本の伝統芸能についても勉強中であるという。さらには、アーティストが真っ当な職業として認知されづらく、しばしば相応の対価を得ることも難しい日本において、「アーティストを社会的職業に」するため、会社「DEVIATE.CO」を立ち上げ、マーケティングやビジネスについても学んでいるという。

MEGURI (c)Sankai Juku
『海の賑わい 陸(オカ)の静寂―めぐり』の一コマ

その1つの実践として、商業的な側面から見ても「いいトライができた」と話すのが、2016年に開催した初のインスタレーション『がらんどうの庭』だ。変容する生と静寂なる死、といった普遍的なテーマを花を用いて表現した同作は、舞踏表現とも通底する、石井の美意識に支えられている。山海塾での経験や日本の伝統芸能から石井が得たキーワード、「余白(元々は寺院の建造物を指した『がらんどう』という言葉が、『何も無い状態』や『虚無感』などの意味も持っていることを思い出したい)」は、アートとしてだけでなく、同時にビジネスとしても作品を成功へと導くものだと石井は考えている。想像力を呼び込む余白があるからこそ、鑑賞者は様々に考え、作品から多くのことを感じ取る。そしてその感じ取った「何かを(生活の中へと)持って帰ってもらう」ことで、アートが継続的なビジネスとしてロールしていくことに繋がっていくのだ。そのような豊かな余白をアートの中に生み出すことが、石井の重要な「仕事」になっている。

『山海塾「海の賑わい 陸の静寂―めぐり」』の詳しい情報はこちら

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