クリスティアン・クレーネス(左)、フロリアン・ヴァイゲンザマー(右)

「私たちはポピュリストに囲まれている」、映画「ゲッベルスと私」監督来日トークショー

2人の監督が語る「悪の凡庸さ」

テキスト:
Hiroyuki Sumi
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テキスト:鷲見洋之

ナチスの宣伝大臣ゲッベルスの秘書ポムゼルの独白を捉えたドキュメンタリー「ゲッベルスと私(英題:A German Life)」が6月16日(土)に全国公開されるのを前に、2人の監督を招いたトークショーが5月23日、新宿で開催された。

「ゲッベルスと私」は、第二次世界大戦下でナチスドイツの宣伝大臣を務めたヨーゼフ・ゲッベルスの秘書ブルンヒルデ・ポムゼルの証言を捉えた作品。「ホロコーストについてはなにも知らなかった」と主張しながらゲッベルスを振り返るポムゼルの言葉が、未曽有の戦争の下で抑圧された人々の姿を浮き彫りにする内容だ。

トークショーには、監督のクリスティアン・クレーネスとフロリアン・ヴァイゲンザマーの2人と、ドイツ出身のエッセイストのマライ・メントラインが登壇。「ナチス宣伝大臣秘書と“悪の凡庸さ”」と題し、ハフポスト日本版編集長の竹下隆一郎がモデレーターとなって、作品の見どころや、ポムゼルの人生、現代社会などについて意見を交わした。

彼女がしてきたことに対し、判断を下す映画ではない

2012年に撮影を開始し、完成までに4年を要した本作。最初に竹下が、「4年の間に感じた世界の変化はありますか」と両監督に質問した。

ヴァイゲンザマー:変わらなかったものもあります。それは人間が本来備える性質です。ゲッベルスをモンスター的に描くのは簡単ですが、彼も1人の人間だったのです。(同様に)ポムゼルも、私たち一人一人の中にいる性質だと言えると思います。だからこの映画は、非常にタイムレスなものなのです。

あくまで「私は何も知らなかった」と主張する103歳のポムゼルに出演を説得するのは、簡単なことではなかったようだ。

クレーネス:テレビでゲッベルスのドキュメンタリー作品を撮っていた監督から、彼女(ポムゼル)の名前を聞いたのがきっかけです。そこで『彼女の映画を撮らなければ』と感じ、時代の記憶を将来に保存する役割を果たしてくれる映画になると確信しました。彼女に出演依頼をしてOKをもらうまで、1年かかりました。彼女は以前、ドイツの週刊誌にインタビューを受け、ゆがんだ形で報道されてしまったことがありました。それ以来、メディアのインタビューには絶対に答えないという、頑なな姿勢を持っていたのです。私たちは、「彼女のしてきたこと、見てきたことに対して、何か判断を下すための映画ではない」と繰り返し言い、OKをもらうことができました。彼女自身も100歳を超える高齢になって、歴史を語らなければいけないという義務感があったのではないでしょうか。

ポムゼルは、私たち一人一人の中にいる」と語るヴァイゲンザマー(中)

歴史の証人から話を聞く重要性

竹下:実際にインタビューをして、「悪人」や「普通の女性」など、どういった印象を抱きましたか。

クレーネス:彼女の矛盾した姿勢が興味深かったです。非常に頭脳明せきで親切な老婦人という面もありながら、ゲッベルスが行った「悪」について、知りうる立場にありました。また、素晴らしい語り手ですが、一方でゲッベルスと暗闇を過ごしてきたという影も持っているのです。語ることによって、彼女が自分自身に対し、問いを問わなければならなくなっていく。その過程を見ていただければと思います。

竹下:ポムゼルさんとの出会いを通じて、ナチスや戦争への思いは変わりましたか。

クレーネス:ナチスが行ったことが今後現実化しないためにも、歴史の証人から話を聞き、過去を振り返るのがいかに重要かということを感じました。それが加害者であっても、被害者であっても、政権に従うことしかできなかった人たちであってもです。

加害者であっても、被害者であっても話を聞くべき」と強調するクレーネス(左)

ポピュリストは、複雑な問題を簡単に解決できるかのように語る

イベントタイトルの「悪の凡庸さ」とは、ドイツの思想家ハンナ・アーレントの言葉だ。彼女は、自身のレポートの中で、ユダヤ人の強制収容所連行の指揮をとったアイヒマンを悪人ではなく「取るに足らない凡人」とし、自分の行動に自分で是非を下さない無思想性こそが彼を悪人にしたと述べている。これに関連し、トークショーでは聴衆の女性から、「私はナチスは悪だと決めつけていたが、監督たちは、当時のドイツ国民をどう見るか」と質問が上がった。

クレーネス:人間は民族を問わず、誰でもポピュリストに操作される危険性があるということを忘れてはいけないと思います。古代ローマやドイツ第三帝国だけでなく、現代の欧米日にもあります。私たちは、ポピュリストに囲まれて生活していると言っても過言ではありません。彼らは、ゲッベルスと同じ手法で私たちを操作しようとします。複雑なテーマについて、あたかも簡単に解決できるかのように、簡素な言葉で語りかけてくるのです。その危険から身を守れるのは、自分自身しかいません。

ドイツ出身のメントラインは、ヨーロッパの難民問題を例に挙げて答えた。

メントライン:ドイツ人と会うと、難民の話をよくします。「難民たちは、私たちの税金で歯の治療を無料でできるなんていいよね」というようなネガティブな感じが多いです。でも私が(困ったような表情で)「ああ、そうなんだ...」と反応する。するとそれを見て、彼らは全く別のことを言うんです。「あ、でも難民たちも大変な思いをしているから、助けなきゃいけないもんね」と。その二面性。どっちの意見も本当で、同じ人間の中にある。すごくドイツ人らしいと思います。ポムゼルさんの話を聞くと、同じような瞬間がありました。

ドイツ人の「二面性」について解説するメントライン(右から2人目)

ゲッベルスなら真っ先にTwitterを利用していたはず

プロパガンダの天才ゲッベルスなら、どうインターネットを利用しただろうか。

クレーネス:SNSが将来、良い情報を拡散させるのに役立てばいいなと思いますが、残念ながら、最近でもポピュリストたちによって悪用されたというケースがある。SNS自体は中立的なものですが、裏で誰がどのように使っているのかを見ないといけません。ポピュリストは往往にして、SNSを使いこなす才能があるので、注意しなければいけないでしょう。

メントライン:ゲッベルスなら真っ先にツイートしていたんじゃないかなと思います。(会場笑い)

106歳で他界したポムゼルは、果たして幸せな人生を送ったと言えるのだろうか。

ヴァイゲンザマー:幸せな人生を送ったと思います。結局彼女は自分が望んだキャリアを積めたわけですし、自分が見たくないものは避け、遠ざけるという生き方をしてきました。しかし、人生の最後にこうして語り、もう一度別の観点から振り返ったことで、最後にはホッとしたのではないでしょうか。

撮影中、ポムゼルは知人や子どもたちの死について語る時などには、涙を流していたという。それでも最後の最後まで、「自分は何も知らなかった。自分に罪はない」という姿勢は変わらなかったという。「悪」とは何で、どのように、どこから生まれるのか。彼女の言葉は、私たちが「悪」といかに対峙すべきなのかという問題についての道しるべになるかもしれない。

「ゲッベルスと私」は2018年6月16日に全国公開。

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