2025年4月からWOWOWで放送・配信された『連続ドラマW 災』で視聴者を戦慄(せんりつ)させた不穏な空気が、スクリーンという舞台でさらなる深淵へと導かれる。
2026年2月20日(金)に、映画『災 劇場版』が全国公開。「第73回サン・セバスティアン国際映画祭」のコンペティション部門正式招待作にも名を連ねる注目の一本だ。ドラマ版の素材を使用しながらも、その映像を大胆に解体・再構築する監督たちの徹底した「構造術」によって「リビルド(再構築)」された、全く別の鑑賞体験となることを約束しよう。
香川照之が怪演する"ある男"は、映画という新たな構造の中でどう変貌したのか。本作品の監督・脚本・編集を手がけた監督集団「5月」の関友太郎と平瀬謙太朗という2人の、独創的な創作哲学に迫った。
ドラマ「災」と映画『災 劇場版』
平穏な日常の風景に、場違いなまでの違和感をまとって現れる"ある男”。彼はある時はトラックドライバーの背後に、ある時は静かな日本庭園に何食わぬ顔でたたずんでいる。 ドラマ版は、この男の存在に翻弄(ほんろう)される人々を描く全6話の群像劇。この群像劇を全く異なる「恐怖」を感じる物語に再構築したのが『災 劇場版』である。最大の魅力は、登場人物たちがその異常性に気づかぬまま破滅へと向かう一方で、観客だけが「この男はやばい」と分かっているという「情報のズレ」が生む、逃げ場のない緊張感だ。
日常を侵食する恐怖の構造
―ドラマ版と映画版、どちらも拝見しました。本当に見事に異なる観後感でした。ドラマ版を映画へと「リビルド」する際、構造をどのように変えたのでしょうか。
平瀬謙太朗(以下、平瀬):ドラマ版は1話完結の群像劇としての流れがありましたが、映画にするに当たって、その形を思い切って変えてみようというのが最初のアイデアでした。同じ素材を使いながらも、映画という尺に合わせて「本当のリビルド」を試みたんです。
関友太郎(以降、関):ドラマは各話主人公のストーリーと香川さん扮する男との関係性を楽しむものでしたが、映画はより集中して没入できる環境です。そのため、男の現れ方が「パラレルワールドなのか、一人ではないのか」といった、作品全体の足場そのものを疑い、想像力を働かせながら鑑賞できる世界観への変化を意識しました。
― 人がどんどん死んでいくのに、凄惨(せいさん)な場面がほとんどないのも印象的でした。それがまさに「日常が浸食されていく恐怖」「日常と隣合わせの死」を感じさせました。どのようにその恐怖を演出したのでしょうか?
平瀬:僕たちは常に、ストーリーやテーマについて話し合うに、構造や映像手法から考えていく作り方にこだわっています。今回も「群像劇なのに登場人物同士は絡み合わず、一方で、何故か、同じ男が同時期に現れる」という構図そのものに興味がありました。そこを突き詰めた結果、日常の中に「新しい恐怖」を立ち上げることができたと感じています。
―「水」を使った表現は、今回かなり多用されていますね。『災』というタイトルから察するに、洪水や豪雨災害といった日本の天災を意識されたのでしょうか?
平瀬:日本は海と山の国なので、水にまつわる災害がとても多い。だから自然と「災い」ということを扱うと、結果的に水に関係するものが描きやすいし、出てきやすかったんじゃないかと思います。
関:目指したのは、明るくて日常的なものが映っているのに、"ある男”が近づいてくるだけで怖いという表現です。制御不能な自然物である「水」などは、無意識のうちにその不気味さを増幅させるモチーフとして相性が良かったのだと思います。
―惜しくも採用を見送ったエピソードなどはありましたか?
関:はい。実は売れない漫画家とその妻の元に、担当編集者として"ある男”が近づいてくるという密室劇のエピソード案がありました。僕も平瀬もとても気に入っていたのですが、今回の構造には合わないと判断して見送りました。
―というと?
関:企画の基本設定として、"ある男”が人々の群れの中にいるというのがありました。日常の中に紛れ込んでいるのが怖いなと。トラックドライバーやショッピングモールといった「大勢の中の一人」として彼が存在していることにこだわりたかったんです。
― 確かに……。観ていて、旅館のシーンなど、するすると気持ちよく働く人々の中に"ある男”が紛れているのにヒヤリとしたのを思い出しました。
作品により深みを持たせた決定的なワンシーン
―本作の、とある「シリアルキラー的な描写」は作品の解釈を広げていますね。
関:終盤に登場する、「あの壁にかけてあるもの」のことですね。あの描写については、入れるかどうか非常に悩みました。サン・セバスティアン国際映画祭のディレクターたちの感想でも、ある人は「シリアルキラーだ」と言い、別の人は「現象(フェノメノン)だ」と話していました 。そのように人によって捉え方が分かれる状態こそが、この作品らしい正解なのではないかと思っています。
平瀬:実は、ドラマから映画にリビルドする際に、映画の編集が終わった時点であの描写は入れていなかったんです。よりコンセプチュアルに研ぎ澄まそうという意図でしたが、最後の最後、本編作業の時に、関から「入れるのはどうかな」という話が出て。その瞬間、僕も感覚的に「あ、入れた方がいい」と思ったんです。
ピリッとしたスパイスが加わっただけでなく、結果として、彼が抗えない「災い」の象徴なのか、あるいは実在する狂気なのか、両義的な深みが生まれたのだと思います。
―どのシーンなのかは、ぜひ本作を鑑賞して答え合わせをしてみてください。
劇場の暗闇で「不条理」を体験しよう
『災』が突きつけるのは、私たちの隣にある日常が、ある瞬間にフッと理由のない「災い」に侵食される恐怖だ。それは既存のホラーやサスペンスの枠を超え、観る者の現実の足場を揺さぶりにかかる。2人の共同監督による「構造術」によって同じ素材から全く異なる恐怖を抽出した本作。ぜひ劇場の圧倒的な没入感の中で、その不条理を全身で浴びてほしい。

