世田谷文学館のリニューアル担当者に聞く、地域に寄り添うということ

テキスト:
Satomi Saruwatari
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1995年の開館以来、向田邦子や浦沢直樹、星新一、寺山修司といった文筆家や漫画家の企画展を開催してきたことで知られる世田谷文学館。区立の文学館らしく、世田谷にゆかりのある文化人を取り上げることが多いのも特徴の一つだ。2017年4月、同館は半年の休館を経て、リニューアルオープンを果たした。

リニューアルの目玉であるライブラリー「ほんとわ」は、『暮しの手帖』や『POPEYE』のバックナンバー、古今東西の絵本作家の作品、過去の企画展にまつわる蔵書などがディスプレイされている。子ども連れからサブカルのオタクまで、幅広い世代をターゲットにした「ほんとわ」の担当者に、その狙いはどこにあるのかインタビューをした。

話を聞いたのは、学芸員の大竹嘉彦。トレーナーにジーンズ、ベッコウの眼鏡に髭(ひげ)と、さながらセレクトショップのオーナーのようなファッションで現れた大竹を見て、「この人が文学館の学芸員?」と思ったのが正直な感想だ。しかし、彼が「ほんとわ」に込めた思いと、世田谷という地域に向ける文学館としての眼差しについて聞くうちに、ファッショナブルな外見からは想像もつかないほど情熱を持った人物であることが伝わってきた。

本棚類の新調は群馬県川場村の森林組合に依頼したそう
絵本コーナー(一部)

ーさっそく「ほんとわ」を見てきました。そもそもリニューアル前の「ほんとわ」はどんなスペースだったのでしょうか。

もともとは館が所蔵する資料の閲覧サービスをメインに行う場所でした。世田谷にゆかりのある作家の本の陳列もしていましたね。今回のリニューアルでは、スペースを2つに分け、子どもと家族をターゲットにしたエリアと、ライブラリーからなる「ほんとわ」にしたわけです。

ーなぜ親子や子どもをターゲットにしたのでしょうか。

少子高齢社会と言われるこの時代でも、世田谷区は子どもの数が増えているんですよ。※1 この機会に授乳室といった設備を整える必要がありましたし、子どもが楽しみながら本と親しめるようなスペースを作りたいと思っていました。実際放課後に近所の小学生が宿題をしていたりしますし、週末の午前中は親子連れで結構賑わっています。

「ほんとわ」の大人向けゾーン
野崎雅彦の「とっておきの本棚」

ー子ども向けと一般向け、どちらのエリアからも「こだわりのあるオーナーが個人経営する古本屋」という印象を受けました。

たしかに僕が好きな本屋さんを参考にしたところもありますが、意識したのは図書館との性質の違いですね。網羅的に、すべてのニーズに応える図書館は、目的を持った利用者に向けた、読むため調べるための場所です。対して「ほんとわ」は「本との出会い場」、というコンセプトを掲げています。たとえば図書館の本棚って背表紙がずらりと並んでいますよね。関心のある作家や分野の本であれば手に取りますけど、知らない本を選ぶことってまずないと思います。一方「ほんとわ」では、昭和初期から最近の本まで、ジャンルも混ぜて陳列しています。表紙を見せたり、ポップを充実させたりして、見知らぬ作家や作品でも興味を持って手にとってもらえるようなディスプレイを心がけています。

ーたしかに、目を引くデザインの本は、作者を知らなくても手に取ってしまいます。中央のテーブルに置かれていた巨大な『花椿』には驚きました。

代々木上原にある古本屋、ロスパペロテスの店主である野崎雅彦さんにセレクトしてもらった企画「古書店種の〇〇な本棚」のなかの1冊です。資生堂が発行する企業文化誌『花椿』の通巻600号記念展のために制作されたものなんですよ。ほかにも野崎さんには、思い出の詰まった本や、本当は売りたくない本などを出していただき、「とっておきの本棚」を作ってもらいました。

ー野崎さんのほかにも、雑誌『BRUTUS』の元副編集長である鈴木芳雄さん、文筆家の山崎まどかさん、作家の角田光代さんなど、様々な分野で活躍する文化人たちが本をセレクトしていますが、世田谷文学館と何か関わりがあるのでしょうか。

これまで展覧会やイベントでお世話になった方たちにお願いしました。鈴木さんは『堀内誠一展』以来のお付き合いですし、山崎さんには『岡崎京子展』の関連イベントに出演いただきました。角田さんには2015年から開催している蚤の市『セタブンマーケット』にも出品いただいています。今回、鈴木さんには『POPEYE』のバックナンバーも寄贈していただきました。セレクトしていたいだいた本にはすべてコメントが添えられています。こういった企画は今後も定期的に行い、内容を充実させていく予定です。

文筆家の山崎まどかが「アメリカのハイスクール」をテーマに選んだ写真集
植草甚一コーナー

ー周りの本棚も目をひく本ばかりで次から次へと目移りしてしまいます。とくに植草甚一さんのコーナーは圧巻ですね。

2015年に開催した企画展『植草甚一 スクラップ・ブック』のなかで架空の本屋として再現した、植草さんが晩年構想されていた「三歩屋」という古書店を、再登場させました。並べられた本には、植草さんがそれぞれの本について書いているエッセイや書評からの引用を、ポップとして付けています。植草さんのコーナーはかなりスペースを取っていますが、隣の本棚では向田や手塚治虫、岡崎京子や水上勉など、これまで世田谷文学館で展覧会を行ってきた作家の書籍を陳列しています。

植草甚一コーナー

公式ツイッターではかなり大がかりな工事や、「ほんとわ」のオープン準備の様子を積極的に発信されていましたが、「ほんとわ」以外に大きく変わった点はありますか。

もっとも大がかりだったのは空調設備の工事です。資料保護のため、展示室や収蔵庫の温湿度を一定に保つ必要があるので、博物館や資料館にとって空調はとても大切なんです。世田谷文学館には10万点弱の所蔵資料があり、それらを保存するために24時間空調システムを稼働させています。今回の工事では、空調の老朽化にともない、館内の天井を剥がし、1995年の開館当時から使用してきた空調の管を一新しました。人間でいえば血管にあたるとても重要な器官ですが、外部からはその変化は見えにくいですね。

「ほんとわ」入り口には長場雄のイラストが

ー「ほんとわ」という名前にした理由を教えてください。

施設のファシリティとして「ライブラリー」であることは変わりありません。ただ、地域の人が愛着を持って呼べるような名前がほしかったんです。「本永久」であり、「本当は」であり、「本とは」でもある。イントネーションも見る人、読む人に任せていて厳密な読み方はありません。

ー「ほんとわ」では写真撮影が可能で、Wi-Fiを使うこともできるとのことですが、本との出会いを推奨する場所でスマホやパソコンをいじってもいいのでしょうか。

イラストレーターの長場雄さんに入り口のイラストをお願いしたり、ディスプレイにこだわったりすることで、新たにターゲットとした若い世代にリーチするように心がけています。SNSや口コミでじわじわと認知してもらえたら理想ですね。ただ、スタイリッシュにしすぎると、地元の人は足を向けづらくなってしまう。居心地がいいと思ってもらえるようなさじ加減が大事だと思っています。

フリーWi-Fiに関しては、来館者サービスが増えた、と捉えています。2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて、世田谷区はフリーWi-Fiの環境整備を進めているのですが、世田谷文学館も区立施設の一つとして、改修工事のタイミングで導入が決まりました。建物の前の池にはニシキゴイが泳いでいるし、それをのんびりと眺められる窓際のテーブル席も新たにでき、待ち合わせに使えるカフェもある。地域の人に世田谷文学館が便利な場所であることをアピールできるポイントが増えた、そう思っています。

『暮しの手帖』のバックナンバーも

終始「ほんとわ」、そして世田谷文学館について熱を持って語ってくれた大竹だが、彼の発する言葉の端々に、地域の人に来てほしいという強い思いが見えた。地域に寄り添ったサービスを提供するのは区立の施設らしいが、(今風に言えば)「地元ファーストの精神」という言葉で片付けることはしたくない。児童数の増加という地域の変化や、これまでの企画展を通して築いてきた人との繋がりなど、今の世田谷文学館だからこそできるリニューアルだったのではないだろうか。

選出企画に参加している野崎が本棚のポップに寄せていた一文がとても印象的だった。

寺山修司、池波正太郎、花森安治、向田邦子(中略)いわゆる文学の王道や本流からみると、こぼれ落ちてしまいそうな作家。時にはジャンルにこだわらず、枠組みを拡げて文学の匂いのする文化一般。そのような本をコツコツ摘み取って店を続けてきた自分のスタイルと、どこか似通ったところがあるのかもしれない。

たしかに世田谷文学館が取り上げる作家たちは必ずしも文学のメインストリームであるとは限らない。しかし、たとえば向田が脚本を手がけたテレビドラマはいつ見てもみずみずしく、池波の食に関する書籍は飽食の時代を生きる我々を惹きつけ、水上の仕事論は様々な職種を経験したからこそ語れる説得力がある。影に日向に活躍し、文化に幅や奥行きを与えてきた彼らを取り上げてきたのが、世田谷文学館だ。時代にあわせ、かつ世田谷という地にしっかりと足を着けながら、新たなスタートを切ったセタブン(敬意と愛着を持って呼ばせてもらおう)に今後も注目したい。

※1 世田谷区の政策経営部 政策研究・調査課によると、2017年1月時点での世田谷区在住の0~14歳の子どもの数は104446人。2008年には90701人だった。毎年約1400人が増えている計算になる。

『BRUTUS』のバックナンバーも揃う
『サザエさん』の作者長谷川町子は生前、世田谷で暮らしていた
半年の間に一回り大きくなって帰ってきたニシキゴイたち

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