TOKYO MUSIC BOX #31 Bar Bonobo

テキスト:
Kunihiro Miki
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in collaboration with KKBOX 

Bar Bonobo

値段:¥¥

音量:

照度:

ポイント:踊れるけれど会話もできる音の良さ

テキスト:Ken Hidaka (hangouter)
撮影:鈴木大喜

定番スポットや老舗バー、注目の新店まで、魅力的なミュージックスポットを、店主、スタッフがセレクトしたミュージックプレイリストとともに紹介する連載企画『TOKYO MUSIC BOX』。

神宮前2丁目にあるBar Bonoboは、音楽の真髄が感じられる隠れ部屋的な、まるで外国のホームパーティのような雰囲気が漂うDJバーだ。今年で14周年を迎える同店は、フレンドリーで個性が溢れるスタッフが温かく迎え入れてくれ、老若男女、古今東西のDJやクリエイター、音楽好きや自由人たちの憩いの場として親しまれている。クラブ界の重鎮たちから若手DJ、色々なスタイルのライブなど、濃い音楽がほぼ毎晩、1階のメインフロアと2階の畳部屋で響き渡っている。

Bar Bonoboは、1990年代をニューヨークで過ごした成浩一が2003年の末にオープンした。成は、先日逝去した御大デヴィッド・マンキューソの本拠地であるザ・ロフトや、CBGB、ニッティングファクトリーなどといったニューヨークの伝説的な音楽スポットで洗礼を受け、また知る人ぞ知る京都の伝説的なニューウェイブバンド「のいづんずり」のニューヨーク版のメンバーにもなり、異色な音楽修行を現地でたっぷり体感した人物である。

 

プレイリストではDJとしても活躍する成が、Bar Bonoboベスト10を選んでくれた。「これはいわゆるフュージョンな音ですが、展開やメロディがミニマルで、後半のラテンなブレイクも良いです。 最初は大丈夫かな、と思いつつかけてみましたが、やはりこの繰り返しの感じがポイントで、こういう音楽でもフロア受けが良いのが嬉しかったです」

「イタリアのアーティストで、今は歌手になっているが、初期はこういう実験的なものを作っていた。クラブでかけると、本当に小難しい音楽とか、シュトックハウゼンをかけても誰も踊らないじゃないですか。こういうものを少し見つけてプレイしようと心がけている。ボノボでかけて手ごたえを感じたら、確信を持ってどこでもかけられる」

成いわく、Bar Bonobo前史はこうである。「バブル末期に僕は24、5歳で、高校生相手にブルーハーツを教えるヤマハのギターの先生でした。でも、あるタイミングで自分の中でSOS信号が出て、この環境から脱出しようと決心した。元々Televisionなどのニューヨークパンクが好きだったので、ニューヨークに渡った。セントラルパークでボケっとしていると、皆裸で読書したり、サッカーしていて、六本木よりも落ち着いている。意識改革が起きてしまって、もう一度音楽を真剣にやろうと決心するきっかけになった」。

田畑満が初代ギタリストとして在籍し、戸川純も一時期メンバーだったのいづんずりのリーダー、福田研も同じ時期に移住し、彼が貼ったメンバー募集を5番街の札幌ラーメン店で見つけた成は、ニューヨーク版のいづんずりに加入する。バンドはその後、ニッティングファクトリーでライブをするグループにまで成長していった。「バンドの勢いが増して人気が出たけれど、僕がちょっとバンドに対して悟るのが遅すぎた。もうちょっと前に気づいていたら、リーダーが日本に帰らずに済んだかもしれない。ちょうどボアダムスが出てきていた時代だった。ボアダムスとのいづんずりはほとんど同期だから、EYヨちゃんも頑張っているから、俺らも頑張ろうぜという感じになったかもしれない」。

「ノイズ的なジャンルのグループで、普通のラテンで始まりますが、だんだん変になってくる。元々オルタナティブなところからきていて、僕のルーツであるストレンジな感覚をノイズ的なファンではなく、普通の人に楽しく聴かせたい気持ちがあります。楽しいけれど異質で、なぜかボノボっぽい雰囲気が漂っている曲」

「最近亡くなってしまいました、偉大な不良番長。 彼にしてはかなり異色のアレンジで、最初に聴いた時は飛ばされました。泥臭さとテクノ感。僕にとって最高のキラーチューン」


その後、アムステルダムでテクノに魅了された成は、ニューヨークに戻りデヴィッド・マンキューソのクラブ、ザ・ロフトに衝撃を受け、Bar Bonoboオープンへのきっかけを得る。日本へ帰国後、神宮前界隈に住み着いたころ、今は亡き「寅さん」というカスタムスピーカーの職人と出会う。Bar Bonoboとなる前のビルは、2階が寅さんの借家兼居酒屋で、1階が防音の試聴室とリハーサルスタジオがあったという。1990年代におけるスタジオは、インディーズ時代の聖飢魔Ⅱや爆風スランプといったバンドたちの登竜門的な場所だったそうだ。「Bar Bonoboを始める時に、寅さんのガラージにしまってあった様々なスピーカーを見せてもらい、どれかを貸してくれるならバーをやりますと言いました。実際始めてみると、凄く難しい機材だと分かった。ザ・ロフトで良い音を体験していましたが、オーディオマニアでもなかったので、寅さんのスピーカーを使いこなせるよう苦心しました。ザ・ロフトには10回も行っていないけれど、あのハイクオリティな音、音に感激する体験、それと同時に寅さんはマイルス・デイヴィスを良い音で聴くオーディオマニアのおじさんで、この2人が僕の中でシンクロしていた。まさかクラブやバーをやるとは思ってもいなかったけれど、せっかく色々なオーディオに詳しいおじさんが身近にいるのであれば、Bar Bonoboを始めてもいいのかなと思いて始めて」。

同店をオープンした当初に思い描いていたことは、どの程度実現できたのか。「ザ・ロフトが基準になっていて、あの体験ができたらという目標はある。常にあのレベルの高音質にはできていないが、同じくらいの感動は年に何回は起きていて、もっと感情的な場所にできればいいなと思っている。印象深かったのは、スロービング・ギリッスルのスリージー(故ピーター・クリストファーソン)が、ロシア人アーティストのCoHと組んだSoisongというユニットの世界初のコンサートをうちでやったとき。それは素晴らしかったですね。あと、うちは2階にテラスがあるので、館全体が盛り上がっている時は色々なことが起きて、わさわさしてきたときが面白いですね。ホームパーティってすごく楽しいじゃないですか。ザ・ロフトもそうでしたけど、人の家で遊ぶみたいなフィーリングをここで味わえたら良いですね。良くも悪くも本当に日によって違っていて、ハウス箱やテクノ箱ということがなく、バラエティに富んで楽しければいい。そこが重要でしょうね」。

テラス

1階にあるメインスピーカーは、1970年代産のアルテックを改造したもの。成は常にサウンドシステムのチューニングを実験している。「最初はJBLを使っていたけど、そのうち僕もオーディオの事が分かってきて、そろそろ自分でやってみようかと思った。ユニットはアルテックですが、実はアルテックの音ではないのですよ。自分でバラバラにして組み立てた。自分が好む音を試される。お前の音はどういう音なのだ、という世界なのです。調子が悪かったら、あまり良い音にはならなく、常に実験している。音を良くすると、あまり音量を上げなくても会話ができて、踊れるので、長く居られる場所になると思っています」。

Bar Bonoboのプレイリストはこちら

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