インタビュー:藤井フミヤ

画家、コレクターとしての顔を持つポップスターが、アートに求めるもの

作成者: Kunihiro Miki |
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テキスト:鈴木沓子
写真:鈴木大喜

チェッカーズのボーカルとしてデビューして36年、ソロデビューから26年。

今年は「藤井フミヤ 35周年記念公演」と銘打ち、本人を含む10人の演奏家たちとの音楽舞台『十音楽団』の公演を7月からスタート。また7月10日(水)には約3年ぶりのニューアルバム『フジイロック』をリリース予定と、精力的な活動を続けている藤井フミヤ。

「歌に関しては若いときよりうまくなったのは確か。いまが一番脂が乗ってると思う」という藤井が、1990年代から音楽活動と並行して続けてきたのがCGアートや水彩画の制作だった。その集大成ともなる個展『FUMIYART 2019』が、8月21日から代官山ヒルサイドフォーラムではじまる。数年ぶりの展覧会の開催で話題を集める中、「藤井フミヤにとっての『アート』とはなにか」について聞いた。 

デジタルからアナログへの移行

―フミヤさんは、いち早くCGアートを始めた方という印象が強くあります。1993年の初の個展では15万人を動員させて、ニューヨークやパリにも巡回しました。

確かに早かったよね。最初はフォトショップで作っていました。当時のPCは、ちょっとした車が買えるくらいの値段だったのに、今のスマホよりスペックが低かったからね(笑)。コンピューターで作るってどういうこと?ってよく聞かれました。でも、今は気軽に使える道具になったし、誰でも作れるようになりましたよね。その間に発表されたCGアートをある程度観てきたら、行き着いた感がしましたね。

―CGアートから水彩画へ移行されたのは5年前とのことですが、それはなぜですか。

当時好きだったプリンターの仕様が変わっちゃって、好きな紙を使えなくなったことがきっかけといえばきっかけでしたね。ある作品では伊東屋で見つけたヘビ柄の紙を使っていたんですが、表はインクが乗らないので、裏側に作品を刷っていて。でも、今のプリンターではそういうことができなくなっちゃって。

―時代がデジタル化したタイミングでアナログに向かっているんですね。

結果的にそうなりましたね。いまでは、複製できないもの、1枚しかないもの、そういうものに魅力や希少価値を感じます。

宗教画をボールペンで模写

―漠然とした話ですが、フミヤさんにとってのアートとは何でしょうか。

なんなんだろうね。例えば、動物でも、音楽や音を聴かせるとうっとりするような反応ってあるんですよ。イルカが歌を歌うとかね。でも、アートは人間だけだろうね。サルにりんごを見せても描こうとは思わないだろうし、りんごをあげたら食べてしまいますもんね。

―確かにそうですね。でも音楽活動をされながら20年以上アート制作を続けて来られた、その熱量の源はどこにあるのでしょうか。

自分がやっている音楽はビジネスで、大衆的なものという意識があるよね。例えば、ムンクの『叫び』のような作品を音楽でやったとしても、多くの人には響かないと思う。売るのも難しい。僕にとってのアートは、より自由というか、やりたいようにやれる場所なのかもしれません。

―なるほど。現在は毎朝6時から絵を描いている生活を送られているとか。

描いてるよ。今朝も描いていたよ。今、(個展で展示する)最後の大きい作品を描いてます。ボールペンなんですけど。この『聖母子像』もボールペンです。

―なぜボールペンで模写しようと?

細いボールペンを買ってきて、裸婦画を描いてみようと思って、くしゃくしゃって描いてみたら、なんだかルノアールっぽいなと思って。それで、ラファエロの母子像と、ダビンチの母子像を描いたら、面白くなっちゃって、大作を描いてみようと思ったんです。

いま描いてるのは、ボッティチェッリの模写で、実寸で書いているから半畳くらいの大きさですね。でもボールペンだけだからすごく時間がかかる。まず色が少ないから、ある色の中で組み合わせていかないといけない。でも、なんだかゴッホっぽいでしょ?

―とてもボールペンとは思えない筆致ですね。

日本製のボールペンは凄いですよ。この0.何ミリとかの細さのボールペンは日本でしか売っていない。そんな細さのボールペン、海外では作らないでしょ。まずそこまでの需要がないもんね。日本人は文房具が好きなんだろうね。だから、この絵は日本人にしか描けないものかもしれない。

―日常生活で使っている文具で描くという発想がポップですね。

ボールペンで、自分の中に思い浮かんだものを描くのではなく、ボールペンだからこそあえて昔からある宗教画を描くというのは、ポップアートかもしれませんね。そういう意味では、子どもが観に来ても面白い個展になっていると思う。自分が持っているボールペンで、こんなものが描けるんだと。

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ウォーホルの「TRUE LOVE」もコレクション

―『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』展のトークイベントに出演されたそうですが、ウィーン・モダンからの影響も大きいのですか?

水彩は裸婦画が多いのですが、裸婦画を描くようになったのはクリムトとかシーレの影響があると思いますね。同じように、横尾忠則さんにも影響されていると思います。シルクスクリーンのころの横尾さんの作品って、結構インパクトが強かったですね。淫靡(いんび)な感じもあって。

―もともと、小さいころがアートが好きだったんですか?

そうなんです、美術しか成績が良くなかったから、そういった方面の職業に就くだろうなとずっと思っていたんです。ティーンエイジャーくらいのころは、デザイナーとか、クリエイターに憧れていました。でも東京に出てきて、そのままデビューしちゃったから……。

―手先が器用で、芋版で作った年賀状を奥さまに送られたことがあるとか。

そう。版画で年賀状を作ったんですよ。カミさんだけじゃなくて、みんなに送ったんですけど。

―どんな絵柄だったんですか?

結構デザインを入れた獅子舞でした。それを送ったら、いたく感動してくれて。いまでも大事に持ってるの、カミさん。「あれがなかったら、付き合っていなかったかも」って、今でも言われてますもんね(笑)。

―いい話ですね。フミヤさんは、ご自分で作品をつくるだけでなく、かつて中目黒でギャラリーも運営されていましたよね。コレクションはどんな作品をお持ちなんですか。

ウォーホルの『キャンディー缶』を持っています。キャンバスにシルクスクリーンで黒で一色だけで刷られたキャンディー缶なんですけど、真ん中に、トゥルーラブって書かれていて。

―『TRUE LOVE』のタイトルってそこから来ているんですか?

いえ、逆だったんです。あるギャラリーから、「トゥルーラブっていう作品があるんですけど、買いませんか?」って、連絡をもらったんですよ。「フミヤさんだったら買うんじゃないか」って電話がかかってきて。

一応、カミさんと見に行って。そのころで200〜300万円くらいしたね。ポスターより小さいサイズ。「こんなの買えるもんか」って言ったんですけど、うちのカミさんが、「何言ってるの、トゥルーラブって書いてあるのよ、買うしかないでしょう」と(笑)。

―太っ腹! ウォーホルはお好きですか。

ウォーホルは好き。いわゆるポップアートと呼ばれるものとの出会いは、ウォーホルが最初だったと思いますね。あと、リヒテンシュタインとか。「えっ、これもアートなんだ」と思ったのは、中学校の時に見たウォーホルだったと思う。図書館にアート本があって、その中に載っていて。借りたまま長いこと返さなかったな(笑)

―影響されている部分はありますか?

ウォーホルって、ポップ・スターだと思うんですよ。その姿勢には影響されている部分はあるかもしれませんね。僕は本来、生業としてはシンガーですが、音楽もポップスで、何でも歌ってしまうところがあるし、アート作品も、全く訳の分からないものではない。

ツアーのパンフレットとかも、自分とスタッフ3人くらいで作っているし、グッズのデザインも全部自分の会社でやっていて、家内工業になっているんですよ。文章を買いたり、絵を描いたり、音楽作ったり、グッズデザインしたり、四六時中ずっと何か作っていますね。

オベイ・ジャイアントのステッカーをシェパード本人と

―ギャラリーではどんな作家を呼ばれていたんですか。

いま有名になった作家だと、シェパード・フェアリー(※)。シェパードはギャラリーの壁一面に作品を描いてくれたんだけど、その後、白く上塗りしちゃったんだよね……。

※ シェパード・フェアリー:ロスアンジェルスを拠点に活躍するデザイナー。アンドレ・ザ・ジャイアントをモチーフにした「オベイ・ジャイアント」ステッカーキャンペーンで世界的に知られる。

―そうなんですか! そして来日していたんですね。

来てたよ。楽しかったな。一緒になって『オベイ・ジャイアント』のステッカーをいろいろなとこに貼りに行ったりして。

―えっ、フミヤさんが?

あれ、俺も貼ったんだよ、友達と一緒に。シェパードが帰った後も、シェパードのために、いろいろな場所に貼ったよ(笑)。

―まさかのフミヤさんが貼っていたとは(笑)。

そう。それで、しばらく後に、ジャケット用に作品を描いてもらったんです。『CLUB F』というアルバムに。

―あれはシェパード・フェアリーだったんですね。

シェパードの作品も、まだ結構持ってますね。スタジオにはいまもたくさん作品を貼っています。マグネットで直接壁に貼っていたり(笑)。まさか、あの後オバマのポスターを描くとは思わなかったもんなあ。

―世界的に有名になりました。

びっくりした。あと、ダミアン・ハースト展もやったよね。自分でも3点買ったけど、いま値段がどうなってるのかは、全然知らない。

―値段はあまりご存じないんですね。アートを投資対象としては扱われていないんですね。

全然。有名無名関係なく、気に入ったものをたまに買っています。自分が描いた絵も没後有名になって売れたらいいなあなんて思うけど。インスパイアされるかどうかで選んでる。

いつだったか、学生の作品展で、すごく大きな木製のインスタレーションを学生から買ったことがあります。

―それは、美大生の卒業制作展のようなものですか?

五美大展ってあるじゃないですか。 会場に「感想を書いてください」みたいなノートがあったから「ぜひ売ってください」って電話番号を書き残したんです。

後日、電話がかかってきて、「作品の運送にクレーン代がかかりますよ」と言われたので「いいよ」って返事して。すごい大きい作品でね、今もベランダにドーンと置いてあります。

―美大生、ビックリですね。フミヤさんが出てきたら。

その場ではメッセージだけ書いたので気付いてなくて。作品を運んできてくれたときに、ピンポン鳴って出ていったのが俺だったので驚かれましたね。

―最後に、『FUMIYART 2019』について一言いただけますか。

個展はとにかく久しぶりなので、ぜひ観に来てほしいですね。初期のCGアートから、切り絵、針金、いま描いてるボールペンの作品もあるし、飽きさせない個展になるはずです。

『FUMIYART 2019』の詳しい情報はこちら

藤井フミヤ(ふじい・ふみや)

1962年生まれ。1983年にチェッカーズのボーカリストとしてデビュー。1993年にソロデビューし、ファーストシングル『TRUE LOVE』やドラマ主題歌『Another Orion』などミリオンヒットを世に送り出し、あらゆる世代から支持を得る。2019年7月からデビュー35周年記念の全国ツアー『十音(とおん)楽団』を行う。

オフィシャルサイト

鈴木沓子(すずき・とうこ)

執筆、翻訳、企画。
『バンクシー・イン・ニューヨーク』(パルコ出版)、『BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT【日本語版】』(パルコ出版)、『BANKSY'S BRISTOL:HOME SWEET HOME』(作品社)、『海賊のジレンマ』(フィルムアート社)などを共訳。主にアート、都市、公共に関するテーマの記事を『美術手帖』、『ユリイカ』『BRUTUS』、『週刊金曜日』、『週刊朝日』などに寄稿。
https://twitter.com/gingerhoneytea

音楽

インタビュー:布袋寅泰

今年で53歳になるギタリスト布袋寅泰は、日本での盤石なポジションを捨て、家族を連れて3年前にロンドンに移住した。海外で人気の「サムライミュージシャン」はほかにも少なからず存在するが、布袋のようにキャリアの成熟期を迎えてから海外に挑むケースは稀だ。彼は2015年の春にスパインファーム レコードと契約し、今回ついに完成した世界デビュー作『Strangers』を、2015年10月にアメリカ、ヨーロッパ、日本でリリースする。イギー・ポップをはじめ、シェイ・シーガー、ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインのマット・タックやラムシュタイン/エミグレイトのリヒャルトらをゲストに迎えた同作は、「切り開く」ことに注力した内容というよりは、布袋が青春時代に養ったブリティッシュロックの血と、この3年間のロンドン生活で養われた新たな人生のスタイルが見事に結実した一作となっている。

映画

インタビュー:坂本龍一

ドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開中だ。坂本龍一が2012年に行った岩手県陸前高田市でのコンサートから始まり、2017年4月に発売されることになる最新アルバム『async』の完成に至るまでの約5年間を追った作品である。 東日本大震災にまつわるシーンでは、官邸前のデモでのスピーチや、防護服に身を包んでの被災地視察、津波をかぶったグランドピアノをつま弾く姿など、行動的な坂本の姿が映される。その後、カメラは、2014年に発覚した中咽(いん)頭がんによる闘病生活を経て、黙々と音楽制作と向き合う音楽家としての坂本を静かに見つめる。 映画は、5年間という時間の中で坂本個人に起こった変化のひとつひとつに焦点を集中させることなく、淡々とその姿を追い、言葉を拾いながら、時代の移り変わりや音楽の本質といった普遍的なテーマを浮かび上がらせる。坂本龍一という人物を通して、人類の業や未来について、深く考えさせられる1本だ。今回のインタビューでは、劇中の随所で坂本が発した印象的なセリフについてその真意を尋ねるとともに、アルバムに込められた「async」=非同期というテーマをひも解く鍵を探った。

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ステージ

インタビュー:野村萬斎

ある時は占術・呪術を使いこなす怜悧な陰陽師(映画『陰陽師』)、またある時は、智も仁も勇もないが人々に愛されるでくのぼう(映画『のぼうの城』)。多彩な顔を見せる野村萬斎だが、その根幹にあるのは、14世紀に確立され、現存する最古の演劇であり、ユネスコの世界無形文化遺産でもある狂言だ。祖父・故六世野村万蔵及び父・野村万作に師事し、3歳で初舞台を踏んだ彼は、その600年の伝統を引き継ぐ。「(島国である)日本を訪れる方は、奇異な国だと思われるのではないでしょうか。大陸ではせめぎ合いがあり、前の民族の歴史を否定して発展してきたので、記録は残っていても、どのように上演されたかがわからない。ギリシャ悲劇などがそうですよね。その意味で、ずっと続いて来た狂言が、演劇的に最古だと言われるのでしょう」。 とは言え、昔と寸分違わぬことをしているわけではない。「文化は生き物と一緒。時代に適応して変わってきました」と萬斎は言う。これは狂言が今も直面する課題につながるだろう。時代の変化の中でも変えたくない、狂言のコアとは何か? 英語の読者も多いタイムアウト東京のために、彼は、28歳のころイギリス留学で磨いた英語も交えながら語ってくれた。「シェイクスピアの“thou”や“thy”のように、狂言にも今では使わない言葉が出て来たり、韻を踏むなどの文語的な表現が使われたりします。そのことが多少取っつきにくさを催すわけですが、では言葉を分かり易くすればいいのかというと、それでは文章の音律が崩れる可能性がある。シェイクスピアの弱強5歩格と同じで、狂言にも独自の朗唱術があり、これを実現するために古典的なスタイルが必要なわけです。どの国でもそうであるように、言葉は情報を伝えるものですが、そこには音が付随する。日本語本来の音の面白さと動きの様式美は、我々がこだわるアイデンティティです」。 その魅力を、古来の日本語になじみのない外国人や若者にどう伝えていくかは悩みどころ。例えば狂言の冒頭の言葉として有名な「このあたりの者でござる」。「英語では“I am the residence of this house”と訳されることが多いですが、このあたりとはもっと広い意味だから、最近、私は“I am a local here”としています。しかし、主語が曖昧なのも日本語特有で、実際には“We are~”かもしれないし、もっと言えば“This is~”とするべきかもしれない。つまり、出て来た人物は皆様と同じ人間であり、今生きているあなたを象徴する存在である、というニュアンスなのだと思います。要するに、鏡の構造ですね」。シェイクスピアも『ハムレット』の中で、芝居が自然を映す鏡であるという演劇観を示している。「狂言が複雑な構造ではなく単純な鏡だからこそ、生きながらえたと言えるでしょう。話し言葉なのでだいたい分かりますし、海外の方でも、あらすじを読んでいただけば、シチュエーションから感じ取れる曲もあります」。 喜劇的な要素が強い狂言は、海外公演でも観客を沸かせる。「笑いが人と人をつなぐ有効手段であることは、海外公演でもつくづく感じます」と萬斎もうなずく。と同時に、萬斎やその父で人間国宝である万作の狂言の笑いには、ただ楽しいだけでなく、気品が漂うのも特長だ。「父は、狂言は、喜劇でありながらも美しい、面白い、おかしいの順であるべきだと申しております。これは他者との関係・距離感に関係しますね。美は、もしかしたらひと

映画, ドラマ

インタビュー:MIYAVI

アンジェリーナ・ジョリー監督を務めた映画『不屈の男 アンブロークン』が、2016年2月6日(土)から渋谷のシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開される。 1936年のベルリンオリンピックに出場した陸上選手で、第2次世界大戦中に日本軍の捕虜になった米軍パイロット、ルイス・ザンペリーニの体験を描いた作品だ。MIYAVIは、ザンペリーニを追いこむ日本人将校の渡辺睦裕役で出演している。タイムアウト東京では、2015年4月に同作品について、MIYAVIにインタビューを行った。その記事をここで紹介しよう。

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