202×年、タイコクラブは何を目指す?

非日常ではなく日常を。「テキトー」を伝えた男のネクストステップ

『タイコクラブ』終了の挨拶をする安澤太郎
『タイコクラブ』終了の挨拶をする安澤太郎
作成者: Kunihiro Miki |
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テキスト:三木邦洋
写真:谷川慶典

宣言通り、音楽フェスティバルとしては今年が最後の開催となったタイコクラブ。2006年にスタートし、先鋭的なアーティストブッキングと独自の運営方法で「春フェス」の筆頭となり、際立った存在感を放った。今年のイベント終了直後には、来年からはタイコクラブの運営チームのうち数名が主催するフェスティバル『FFKT』が開催されることがアナウンスされた。だが「タイコクラブ」の名が消滅するわけではない。運営チームのリーダー的存在でありながら『FFKT』メンバーとは袂をわかち、2018年でタイコクラブを終わらせることを決めた張本人である安澤太郎が、その屋号を背負っていく。「フェスティバルに飽きてしまった」と語る彼は、タイコクラブで何を達成し、今後何を目指していくのか。『タイコクラブ'18』を終えたばかりの彼に、話を聞いた。

安澤太郎
安澤太郎

音楽業界の人間がひとりもいないチーム

―タイコクラブの運営チームのなかで、安澤さんはどういったポジションにいたのでしょうか。

ざっくりと言うと、全体を見る立場にいました。あとは外部への発信を行うPRですね。ブッキングに関しては、チーム内に専門の担当がいたわけではなく、皆で 意見を出し合って決定するというプロセスで行なっていました。来年から『FFKT』をやるメンバーは彼ら自身がDJをやっている人たちなので、ダンスミュージック系をブッキングすること多く、私はそれ以外の部分、バンド寄りのものだったりエレクトロニックミュージックなどから、これから面白くなっていきそうだと思えるものを選んでいたという感じですね。例えばKing Krule、Tycho、XXYYXX、Arca、NONOTAK、Toro Y Moi、Jon Hopkins、Acid Arab、Venetian Snaresとか。ちょっとした味付けをする部分ですね。

『FFKT』を主催する森田、大谷たちとは、喧嘩別れとかそういったことはまったくないです。彼らのなかでは、彼らのやりたいことが100パーセント表現できていなかった部分があったのかもしれません。ただ、それが今回のタイコクラブ終了の直接の原因ではないです。『FFKT』の名前の由来(the Festival Formerly Known as TAICOCLUBの略)に関しては知らされてなかったので、後から知って「それはどうなの?」とは思いましたが(笑)。

 

―テクノだけ、ロックだけのフェスティバルではなく、もっと幅広いジャンルを扱ったものをやるというコンセプトは、主に安澤さんが主張したものということですか。

いえ、それは当初、メンバー全員に共通してあったものだったんじゃないかと思います。「タイコクラブ」という名前も、音楽の原体験としてある太鼓とクラブミュージックの合いの子であるという意味で当初のメンバー3人でつけたものでした。

MOODMANさんが言っていた「その年に面白いと思ったものを衝動的に声をかけてる感じ」のあるディレクションも、最終回になっても変わりませんでした。

そうですね。今回は特にほかの3人が気を使ってくれたのか、僕の趣味のものがかなり多くなった。FKJやハイエイタス・カイヨーテ、Kiasmos、Qrion、Loneなど、好き勝手にやらせてくれたのだと感謝しています。昔のタイコクラブに来てくれていた人には、タイコクラブはテクノのフェスだと認識されていたりすることが結構あるんですが、当時のメンツを見わたしても、どこをどう見ればそうなるのかなと思いますね。

―近いジャンルのアーティストが2〜3組出演していれば、そこのクラスタの人たちは反応するということでしょうか。

そう。色々な切り取り方があって面白いなと思いますよ。日本人のアーティストしか観ない人もいたり。

―でもそういう人も、タイコクラブに足を運ぶうちに視野が広がっていったというケースもあるんじゃないでしょうか。

変わってきたなと思う瞬間はありましたね。今年、FKJにあそこまで人が集まったのも正直びっくりしました。

―タイコクラブは、ラインナップのテイストだけでなく、ブッキングの際にレーベルを間に挟まずにアーティストと直接交渉をしたり、チケットの発送を自前で行なっていたりと、運営面でもユニークな点が多いです。なぜ、そのようなやり方になったのですか。

ほかと違うものをやろう、というのはもちろんありましたし、お手本になるイベントも当時は少なかったので、独自のやり方を探ったというのはあります。ですが、音楽業界の人間がひとりもいないチームなわけで、ブッキングの際にレーベルやエージェントを通すという常識自体を知らなかっただけ、ということがまずありました。分からないままやってしまって、でも意外とスムーズに進んでしまった後に、レーベルの方から怒られるという感じでした。ただ、こういった独自のやり方をしていくことが後続のフェスティバルに良い影響を与えるだろうという思いもありましたし、先進的なことをしているという自負もありました。

チケットの発送に関しては、ちょうどその頃に(オンラインの)ショッピングカートみたいなものが出てきたタイミングだったんですね。ブッキングでは出演料を先払いしなくてはいけない場合も多く、資金があまりなかった当時の我々としては、チケットサービスに委託して売り上げを後払いで受け取るやり方は苦しかったわけです。なので、自分たちで直接売って、発送までしてしまえというのが始まりですね。あと、委託しない事で、チケット購入者の情報を得ることができたんですよ。直接販売したことで、12年間分の購入者の情報を蓄積させることができたのは、とても重要なことでした。

―その蓄積した情報が、運営やブッキングへ反映されていた?

されていましたね。あとは、アナウンスのメーリングリストや年賀状を送ったり、お客さんとのコミュニケーションがより取りやすいということがありました。

非日常なものではなく、日常に近いもの

―タイコクラブが達成したものは何だと思いますか。

語弊を恐れずにいうと、こんなにテキトーに遊んでいいんだ、ということをお客さんに見せられたことですね。もっと昔のレイヴの人たちはすごく自由に、今のフェスティバルの運営と比べたらある意味いい加減にも見えるやり方でイベントをやっていたと思うんですが、そういうインディペンデントで自由な部分を引き継いで、今に伝えることができたことですね。

―いちリスナーに限りなく近い人たちによってイベントが作られていたということが、際立った個性に繋がっていたと思います。MOODMANさんとクボタタケシさんの対談で印象的だったのは、出演者である彼らも、そういったシーンのしがらみや、コンテキストに縛られない現場を求めていたということでした。

世代交代のタイミングにうまくハマったのかも知れません。お客さんはイベントを自由に切り取るわけで、彼らがどこまで混ざり合ったかは、正直わかりません。ただ、人々が様々なジャンルの音楽を同じ空間で共有できたというのは、あの場所でしかできなかったことなので、やれて良かったですね。

『タイコクラブ'18』のラストを締めたニック・ザ・レコード

―安澤さんが今後手がけていくものは、どういった内容になるのでしょうか。

単純に、フェスティバルを普通にやることにはもう飽きてしまったんですね。タイコクラブに関しては、あの場所、あの規模感でやるものとしては、今年以上のものはもうできないと思っていて、やりきった感じがしています。音楽フェスティバルは、言ってしまえば1960年代から基本的な構造は変わっていないですし、最近は世界的にその数が増えすぎて、出演者の取り合いになっている現状があります。タイコクラブを始めた当初と比べても、今はギャラが非常に高騰していますしね。

なので、年に一度「ある場所」を借りて、会場を作って開催して、終わったら全部解体してというやり方に限界を感じて、面白みも感じられなくなってしまいました。それが2年前のタイコクラブを終えた直後でした。だから、ほかのメンバーとは別々の道を行くことになったんですね。

僕がこれからやりたいのは、テンポラリーで非日常なものではなく、場所を持った日常に近いもの。フェスティバルの時だけ人が来るのではなく、日々作り続けたり発信を行なって、常に様々なジャンルの人が集まっているものを作りたい。現在も、音楽やアートに日常的に触れる機会や場所がまだまだ少ないので、そういう場所を作りたいのと、どうしたら人々の意識がそこに行くのかを考えたい。例えば、主催者とお客さん、アーティストという関係性でなく、みんなでお金も意見も出し合って場所を作っていけば、自ずと関心を集めると思うんです。そういう活動体が必要だと思うし、作りたいですね。

 

―すべての音楽フェスティバルには非日常というテーマが必ずあると思いますが、それを反転させたいということでしょうか。

非日常が年に一度しかないと、接点としては薄すぎると考えています。常設のものであれば、地域への貢献も関わり方も違った効果が期待できると思います。

例えば、クラブに若い人が集まらなくなっているのは、単純に面白いと思われなくなっているからで、そこは理解しないといけない。今の若い人たちって、適応能力がとにかく高いじゃないですか。物事を咀嚼するのに立ち止まらないというか。前の世代の我々が歴史や文脈の重要性を伝えるのも重要ですが、それだけだと彼らが起こせる突然変異のような働きを妨げてしまう気がして。若い世代も含め、彼らが自由に色々なことを試せる場所を用意したいと思います。

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何を買うかというより、何に張るかという感覚

―音楽以外のコンテンツも入ってくるのでしょうか。

アート業界もやはりフォーマットが決まってしまっている部分があって、売れるための仕組みがあるし、そこに乗らないと価値が付かないということがあったりしますよね。だから、そうではない仕組みや方法を考えたい。タイコクラブと同じく、僕らはアート業界に近い立場の人間じゃないからこそ、自由度が高いというか、大胆なやり方ができると思っていて。アートや音楽を作ることの敷居が下がっているなかで、それを大胆に表現できる場所がないとつまらないじゃないですか。『六本木アートナイト』は素晴らしい取組みだと思うのですが、短期間に流れるがまま会場を回って、刹那的に見て、写真を撮ってという感じで終わってしまうのはもったいないなと。

―お客さんが持ち帰るものをもっと大きくしたい?

そうですね。主催者とお客さん、アーティストという関係は見飽きてしまった。作る人とそれを楽しむ人の関係がもっと密になるものを作りたいです。近所に住んでいる子どもやたまたま訪れた人が、図書館や散歩に行く感覚でテクノロジーやアート、エンタメにアクセスできると言う意味ではYCAM(山口情報芸術センター)のような場所はモデルだと思っています。

自由に遊んでもらえて、何かを残して行ってもらえたり、何かでリターンをしてもらったりすることでそこが保たれるみたいな、お金じゃない経済圏を作ろうとする人々が今は増えて来ています。そう考えると、DOMMUNE(音楽ストリーミングチャンネル)が『FREEDOMMUNE 0』(2012年と2013年に開催されたDOMMUNE主催の無料フェスティバル)のようなイベントをあの時代にやったのは、相当未来を見ていたし、だからこそ大変だったんじゃないかと思います。

―『FREEDOMMUNE 0』は、来場者からの投げ銭の収益が予想以上に少なかった点は誤算だったそうです。しかし『FREEDOMMUNE 0』は企業スポンサーがついていましたし、YCAMのような施設は市の財団によって運営されています。そうした後ろ盾を持たずに、音楽やアートのプラットフォーム作りをして行くのは大変なのではないでしょうか。

今は、自分が好きなものや大事なものにいかに関わり、より良い世界にしていきたいということを考える人がとても増えてきていると思うんですね。SDGsとかB Corporationなどの考え方が基本になっていくと思います。また身近な例で言えば、秋田の古民家を修繕し、維持するためにお金を払って会員になって、定期的に現地に作業をしに行くとか。そういう関わり方そのものに価値を見出す人が増えている。何を買うかというより、何に張るかという感覚。だから、敷居さえ低くしていれば、人や資金を集めることも不可能じゃないと思っています。

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