1. Ambassador of the Kingdom of Thailand to Japan
    Photo: Kisa ToyoshimaAmbassador of the Kingdom of Thailand to Japan, Singtong Lapisatepun
  2. Ambassador of the Kingdom of Thailand to Japan
    Photo: Kisa ToyoshimaAmbassador of the Kingdom of Thailand to Japan, Singtong Lapisatepun(R)

駐日タイ王国大使が語る、東京で本場のタイカルチャーを満喫する方法

料理から舞踊、ムエタイ、ドラマ、独自のSDGs哲学までを紹介

テキスト:
Ili Saarinen
翻訳:
Genya Aoki
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コロナ禍の終わりを見据え、世界中で規制が撤廃されてきた今、コロナ終息後の東京の新しい方向性を示す斬新なアイデアやインスピレーションが求められている。 タイムアウト東京は「Tokyo meets the world」シリーズを通して、東京在住のさまざまな国の駐日大使へのインタビューを続け、都市生活に関する幅広い異なる視点を紹介。とりわけ環境に優しく、幸せで安全な未来へと導くための持続可能な取り組みについては大きく取り上げてきた。

今回は、日本の高校、大学、大学院に通い、累計で20年以上この国で暮らしているタイ王国のシントン・ラーピセートパン大使に話を聞いた。同大使は1970年代後半から80年代にかけて東京と横浜で学び、2019年の大使就任までに2度、東京で外交官として働いた経験があり、首都圏に精通した知識と視野の広さをを持つ。今回のインタビューでは、東京の桜と紅葉の名所、本格的なタイの味を探すコツ、ムエタイのジムなど東京でタイ文化を体験するためのポイントや、昭和から令和にかけての日本社会の変化、タイの経済哲学について語ってくれた。

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Tokyo meets the world

日本ならではの桜と紅葉の美しさ
目黒川(Photo: Edward Ma/Unsplash)

日本ならではの桜と紅葉の美しさ

ー東京でお気に入りの場所はありますか。

季節によって変わります。熱帯の国であるタイの季節は、雨季と乾季の2つだけなので、日本のそれとは大きく異なります。秋に木々が色づくこともなく、春に桜が咲くこともない。だから、春は桜の名所がお気に入りの場所となります。

大使館の近くには目黒川があり、桜を眺めながら水辺を歩くことができますね。千鳥ヶ淵も大好きな桜の名所の一つで、皇居のお堀の巨木から伸びた長い枝に桜が咲き誇っている様子には目を奪われます。

秋になると、私は妻と一緒に美しい紅葉を観に出かけます。高尾山は、紅葉がきれいなのはもちろんですが、タイに縁があるため、よく訪れています。山頂に向かう途中にはタイ国王・王室が贈った釈迦の遺骨、仏舎利を納めた白い仏塔があるのです。

また、御岳渓谷は川沿いの紅葉が美しく、お気に入りの場所です。タイの作家であるシーブラパーが書いた「絵の裏」という小説があります。日本を舞台に、新興エリートの青年(留学生)と王族の女性との恋を描いた物語ですが、その中に御岳も登場するのです。

私は、訪日する以前の若かりし頃にその小説を読み、日本で御岳という場所を探しました。ようやく訪れた時に、その美しさに感動したのを覚えています。

日本でますます盛り上がりを見せる「タイカルチャー」
Photo: Kisa Toyoshima

日本でますます盛り上がりを見せる「タイカルチャー」

ータイの味を楽しむならどこに行きますか。

大使専属のシェフをタイから連れてきているので、「大使公邸は日本で一番おいしいタイ料理屋さんだ」と、よく言われます(笑)。

もちろん、東京にはタイ料理の名店が数多く存在します。私が学生の頃は2〜3軒程しかありませんでしたし、タイから輸入する食材の数も限られていたので、それほど本格的なものではありませんでした。

今は東京に何百というタイ料理店がありますから、1、2軒を選ぶのはとても難しいですね。タイ商務省は「タイ・セレクト」という認証システムを運営しており、現在では日本全国で170近いレストランが認証を受けて、登録されています。東京で本格的なタイ料理店を探すなら、「タイ・セレクト」のサイトをぜひ参考にしてみてください。

ー東京でタイとその文化についてもっと知りたいと思う人のための、コミュニティーや団体はありますか。

日本とタイの友好関係は非常に長く、貿易関係は600年以上、外交関係は1887年に正式に樹立して以来135年になります。友好と協力を促進する団体の中で最も歴史が長い「日本タイ協会」は、会員向けにセミナーやイベントを開催するほか、機関誌を発行しています。会員にはタイに駐在していた日本人ビジネスマンが多く、元駐タイ大使が顧問を務めています。

タイ舞踊を習いたい人のためのアカデミーもいくつかあります。経営者は日本人、タイ人のどちらもいますね。例を挙げるとタイ人が校長を務める「インターナショナル・タイダンス・アカデミー」や、タイで舞踊を学んでタイ文化省の認証を受けている日本人女性が主宰する「秋元加代子タイ舞踊団」などです。

料理に興味がある人は、一大タイ人コミュニティーがある錦糸町の「タイ教育・文化センター(ThaiTEC)」をお勧めします。ThaiTECでは、フランスの「ル・コルドン・ブルー」(パリを中心に世界中で展開されている料理教育機関)に相当するスァンドゥシット国際料理学校というタイの有名料理学校を卒業した、経験豊かな講師による、タイ料理教室を開催しています。

また、東京にはタイのボクシング、ムエタイのジムが豊富にあり、プロになるためだけでなくエクササイズとしても利用できます。三ノ輪に本部がある「ウィラサクレックムエタイジム」は、元プロ選手が経営するジムで、都内各地に店舗を設けています。

このほか、タイのスターやドラマが好きな若者たちがSNSで交流してグループを作ることもありますよ。ここ数年、コロナ禍の影響で家にこもることが増えたせいか、タイドラマの人気が日本でも高まっています。2021年には大使館でファンミーティングを開催し、ライブ配信をしてスターとファンをつなぎました。中にはタイのロケ地まで足を運ぶ人もいます。

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昭和から令和を駆け抜けて気づいたこと
Photo: AdobeStock

昭和から令和を駆け抜けて気づいたこと

ー現在の日本に対する印象や、20年以上の滞在中に感じた変化を聞かせください。

私が初めて日本に来たのは1978(昭和53)年です。10年間日本で勉強し、タイに戻りました。その後、平成の時代に2度、東京で大使館勤務を経験し、2019(令和元)年に大使として着任しました。この3つの時代の中で、色々なことが変わりました。

一つは日本社会がより開かれたものになったこと。私が初めて日本に来た頃は電車の切符を買うにしても、ほとんど全ての表記や案内は日本語だけでした。今はどこでも英語を目にするようになりましたね。切符の券売機は、英語だけでなく、韓国語、中国語、タイ語にさえ対応しています。外国人観光客の増加は、日本社会に大きな変化をもたらしているのです。

より開かれた社会となったことで、労働環境も変化しています。以前は外国人が日本で働くことは簡単ではありませんでしたが、今では多くの企業が外国人社員を積極的に採用する傾向にあります。楽天は社内公用語を英語に変えましたね。

もう一つの変化は、女性の役割に関わることです。一昔前は、夫は外で働いて収入を得て、妻は子育てを含めた家のこと一切を管理するという役割分担でしたが、最近は多くの女性が自分のキャリアを持つようになりました。まだ不十分な面があるとはいえ、これは大きな変化です。

東京都知事の小池百合子氏をはじめ、多くの女性がトップで活躍していますね。前横浜市長の林文子氏は、以前はBMW東京の社長も務めていましたね。(2021年10月には)日本労働組合総連合会会長に芳野友子氏が初めて女性として就任。政治の世界でも議員や閣僚になる女性が増え、社会のバランスが取れてきました。

タイ独自の「足るを知る」経済哲学
Photo: Kisa Toyoshima

タイ独自の「足るを知る」経済哲学

ー最後に、日本ではSDGsが注目されるなど、持続可能性への関心が高まっています。この分野でのタイの取り組みにはどのようなものがありますか。

タイはもちろんSDGsを支持していますが、サステナビリティに関する独自の哲学も持っています。「充足経済」という考え方で、故・プミポン国王ラーマ9世が提唱したものです。国内で全てを充足させるという意味ではなく、自分を充足させるには何がどれくらい必要なのかを知るという意味での「充足経済」です。

例えば、農家であれば、売ったり輸出したりするだけのために作物を作っていたのでは、需要がなくなった途端に立ち行かなくなります。まず自分たちが食べる分を作り、余ったら売るということが重要です。

タイは何度も経済危機を経験しているので、十分であるとはどういうことなのかを知ることはとても大切です。「充足経済」では節度を守ること、合理的であること、そして「自己免疫性」、つまり自分たちの作ったものが売れなくなっても生きていける力が必要であるとされています。そして、この3つの原則を守るためには、知識とぶれない軸を持つことの両方が必要なのです。

「充足経済」の考え方では、タイが貿易や投資を通じて世界に開かれた国であり続ける一方で、自分自身を知り、身の丈にあった生活を楽しむために、謙虚でなければならないと強調しています。1997年の経済危機の際、タイの銀行や投資家は対外債務(外貨建て)を多く抱えていたため、バーツ(タイの通貨)が下落すると、それらの債務が(バーツで換算すると)大きく膨れ上がってしまったのです。「充足経済」は、そのようなことが二度と起こらないようにするためのものでもあり、世界経済が持続的に発展する一助にもなるのではないでしょうか。

シントン・ラーピセートパン(Singtong Lapisatepun)

駐日タイ王国大使

チョンブリー県出身。16歳で日本へ留学し、1983年東京学芸大学附属高等学校卒業、1987年横浜国立大学経済学部卒業、1989年横浜国立大学大学院修士課程を修了した。横浜国立大学で国際経済学の学士号と修士号を取得した後、タイに帰国し1989年に外務省入省。経済局外務書記官、政治局東アジア部三等書記官を務め、1992年から1996年まで、在ロサンゼルスタイ王国総領事館領事。

2002年から2006年にかけて東京の大使館で在外勤務となる。東アジア局参事官、在京タイ王国大使館参事官等を歴任し、2010年から2015年にかけて2度目の東京で駐日タイ王国大使館の公使・次席館員を務める。2016年から、東アジア局局長、在大韓民国タイ王国大使を歴任。2019年から3度目の東京で現職。

もっと「Tokyo meets the world」シリーズを読む……

  • Things to do

マレーシアと聞くと食欲が湧く日本人は多いはず。ナシレマッやサテ(串焼き)、チキンライスなど東南アジアの中でも多様な食文化を誇る。同国の料理を提供するレストランは、東京でもそう多くはないが、いずれも高いクオリティの本格料理が楽しめる店ばかり。

また、多民族国家であるマレーシアは温暖な気候を求める日本人に人気の移住先でもあり、歌手のGACKTが移住したことでも有名だ。

ダト・ケネディ・ジャワン大使は、美しい白の外観を誇る代官山の大使館で、両国における人材、アイデア、味の活発な交流と、約5000人の在日マレーシア人コミュニティーを担当している。彼は、以前も東京に赴任し、若手外交官として激動の1990年代を目の当たりにした。

今回の『Tokyo meets the world』では、マレーシアと日本の関係、持続可能な開発、ハラル認証を受けた飲食店の普及などについて、ORIGINAL Inc.のシニアコンサルタントでSDGs(国連の持続可能な開発目標)関連の業務を担当した経験のある元外交官の高橋政司と活発な意見交換をしてくれた。

  • Things to do

東京2020オリンピック・パラリンピックが終わった今、東京で暮らす多く人々は、これからの東京や日本の新しい方向性を示すための新鮮なアイデアやインスピレーションを求めているはず。タイムアウト東京は『Tokyo meets the world』シリーズを通して東京在住の駐日大使へのインタビューを続け、都市生活に関して幅広く革新的な意見を紹介している。中でも、より環境に優しく、安全で幸せな未来へと導くことができる持続可能な取り組みに特に焦点を当ててきた。

今回は、在京外交官の中で最も長い滞在歴を誇る、太平洋の島国ミクロネシア連邦のジョン・フリッツ大使に話を聞いた。ORIGINAL Inc.のシニアコンサルタントでSDGs(国連の持続可能な開発目標)関連の業務を担当した経験のある元外交官の高橋政司との対談で、日本とミクロネシア連邦の歴史的な関係と地球温暖化や海洋汚染が太平洋の国々にもたらす脅威から、東京五輪の印象や有楽町ガード下の居酒屋への特別な思いまでを語ってくれた。

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  • Things to do

駐日大使へのインタビューシリーズ「Tokyo meets the world」第3回は、インド。2019年1月から大使に就任したサンジェイ・クマール・ヴァルマに、国際情勢から東京での生活まで幅広く話を聞いた。大使は、両国間のビジネスや技術などの交流を深めるため尽力しながら、博物館巡りや皇居の庭園を散策する時間も大切にしている。

ORIGINAL Inc.のシニアコンサルタントでSDGs(国連の持続可能な開発目標)関連の業務を担当した経験のある元外交官の高橋政司との対談では、新型コロナウイルス感染症への対応からSDGsに対するインドのアプローチなど、重要な問題を語った。また、東京で一番のインド料理店を選ぶことができない理由や、インド人が日本のカレーをどう思っているかなどについても自身の考えを伝えてくれた。

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