2026年12月12日(土)、「神田明神 」内にある「神田明神文化交流館」で「ニッパチ祭 」が開催される。同イベントは、音楽を軸に、国際的な注目を集めるオーディオビジュアルをはじめ、ライブパフォーマンス、セッション、DJ、メディアアートなどの多様な表現が、約1300年の歴史を持つ場に一堂に会するものだ。
画像提供:神田明神 「ニッパチ祭」の会場となる神田明神文化交流館
イベントに先駆けて、「神田明神」の宮司・清水祥彦と、出演を控えるアーティスト・冥丁による対談を実施。清水は「変わらないために変わり続ける」をテーマに、伝統を守りながらも、アニメをはじめとする現代のカルチャーを取り入れるなど、革新を続けている。一方で冥丁は、「失日本」というテーマの下、個人的な記憶や情緒、日本の姿を、音楽を通じて表現してきた人物である。
なかなか交わる機会のない二人の対話の中では、「祭りとは何か」「神田明神という場所の意味」「日本の型と西洋の型」など、それぞれの立場から語られた言葉に深い視座と共通項があった。「ニッパチ祭」がライブハウスやクラブではなく、神社の中にある会場を選んだ理由にもつながるかもしれない。本記事を読んで、ぜひイベントへ足を運んでみてほしい。
汗をかき心を通わせる。祭りが受け継いできた「人と人との触れ合い」
—日本の祭りは古来、人々の生活の中でどのような役割を果たしてきたと思いますか? 現代においても、その役割は変わっていないでしょうか。
清水祥彦(以下、清水) :まず、日本に祭りって一体いくつあるかご存じですか? 全国で数十万も行われていると伝えられています。
「祭り」という言葉は本来、「神様に仕え祀(まつ)る、祀ろう」というところから来ているんですね。目に見えない神様の訪れを静かに待ち受け、その尊いご存在をお迎えし、お力をいただく。それが祭りの原点です。
ですから、祭りは人間にとってなくてはならないものなんです。神社と祭りは切っても切れない関係にあり、神社があれば必ず祭りがある。そこには「氏子」と呼ばれる町の人たちがいて、神社と祭りを通して人々の心が通い合う。そうした関係性がある、ということをまずご理解いただきたいです。
そして祭りは、私たち日本人の歴史と文化を常に刷新しながら、時代とともに古いことを伝えつつ、次々に新しい要素を組み込みながら発展・継承されてきました。
祭りは、単にお神輿(みこし)を担いだり山車を引いたりするだけのものではなく、目に見えない聖なる訪れをお迎えし、自分の魂を振り起こし、そして新たな生命力を頂戴する——そういう意味を持つ文化です。それが今、一般的に言う「祭り」という形で人々に受け入れられ、皆が一生懸命汗をかいて作り上げている。そうした「人と人との触れ合いとコミュニケーション」を大事にする文化として、祭りは受け継がれているんです。
Photo: Masashi Kikuchi 清水祥彦
時代にもまれて姿を変えた「神田祭」、そして「日本の型と西洋の型」とは
—「神田祭」は、「江戸三大祭」「日本三大祭」としても知られています。今日は冥丁さんもいらっしゃっているので、冥丁さんに向けて、「神田祭」の歴史や、長い歴史の中で育まれてきた「神田祭」ならではの雰囲気、担ってきた役割についてお話しいただけますか?
清水 :いろいろな説があるんですけれどもね。江戸時代から伝わる「日本三大祭」というのは「三都」、つまり3つの都を代表する祭りのことです。京都の「祇園祭」、大阪の「天神祭」、そして江戸・東京の「神田祭」と、「神田祭」は「山王祭」と隔年開催しています。
福岡の出身の方にとっては「博多どんたく」、青森の方にとっては「青森ねぶた祭」こそが日本一の祭りであると思いますし、それぞれの地域にとって祭りというのは切っても切れない「シティプライド」、誇りになっている文化なんですね。
「神田祭」がなぜ「日本三大祭」になったかというと、徳川幕府が大きな力を持っていたからです。江戸という城下町で盛大な祭りを繰り広げて、徳川家の威光を多くの庶民に与える。そういう意味を持って幕府が「神田祭」を援助してくださり、「日本三大祭」として大きくなっていったといわれています。
そして、当初は京都の「祇園祭」がお手本だったんです。ですから、「神田祭」というと今はお神輿の祭りというイメージがあると思うんですが、実は明治時代以前、山車(だし)の祭りでした。
ところが、京都もですが、東京は火事や震災・戦争をはじめ、いろいろなことが起きた災害都市だったんですね。あと明治維新があって、明治政府が東京を支配するようになって、「徳川幕府の祭りはもうしてはいけません」ということになったため、山車を出せなくなってしまいました。
電線が引っ張られて、通れなくなったこともあります。それで庶民は仕方なく、山車の代わりに「お神輿」という新しいものを祭りの中心に据えていくようになりました。
そして、街が栄えると同時に祭りも栄え、200基のお神輿がにぎやかに担がれる、そんな日本を代表する祭りになっていった。江戸っ子にとってはですね、京都の「雅な祭り」とは全く違う、「粋といなせ」が大きなキーワードになっている祭りなんです。
—今のお話を聞いてみて、冥丁さんから清水さんに聞いてみたいことはありますか?
冥丁 :山車からお神輿に変わるっていうのは、ある意味では「今まであった型」がまた新しい時代への移り変わりで変化していったということかもしれませんが、それでもやっぱり人々の「心構え」は変わっていないんじゃないかと思うんですね。「日本の型」というものが、やはりそういう文化に宿っている。
私は音楽を作るという立場に準じて活動している身なので、「西洋の型」なんですね。そういった意味で、やはり「日本の型」があるっていうことは、とても力強いことだと思いますし、よりどころになっていると思うんですよ。だから形式が変わったとしても、自分たちの所在があるっていうのは、きっと大きなことだったんじゃないのかなと感じました。
清水 :確かにそうですね。祭りというのは自由な「型」と言いましょうかね。江戸っ子にとっては祭りこそが自己の存在のアイデンティティーでもあるんですね。
神田に生まれた人は、生まれて亡くなるまで、この「神田明神」とともに祭りを繰り返し繰り返し、人生を謳歌(おうか)していく——人生の一つの指針に常になっているアクションでもあります。
冥丁 :祭りがこれだけ何百年も残っているっていうのは、やはりある意味、日本人の心になっているんだと思うんですよ。この後もお話しさせていただくかもしれないですけれど、やはり音楽っていうのは西洋に準じて規範付けられている部分が多いんですね。
先輩方もされてきていますし、形式を理解することは私たちにもできるとは思うんですけれども、「西洋の心」を理解するというのはなかなか難しい。私たちが「日本の型」を持っている手前、「型違い」が起きているんじゃないのかなと思います。
そういう中で、「神田明神」、ひいては「神田祭」といった長く続いてきているものには、日本人でありながら客観的に「日本の型」があるからだと感じます。
清水 :「型」という問題にすると、歌舞伎でもそうですが、「決まった型」がしっかりとある一方で、その型を超えるところにも大きな意義があります。歴代の役者によって型は少しずつ違いながら、しっかり継承されている。そうした「日本の型」というものを、冥丁さんに表現していただけると素晴らしいですね。
冥丁 :勉強の毎日だと思っています。「以心伝心」という言葉がありますよね。型を型として、形式として捉えることを超えて、心と体をどうつないで再現していくか。祭りのことを、歴史を思うと、音楽という立場から何をしなければいけないのか、自ずと解き明かされてくるのかなと思いますし、そういう問いを世の中に掲げていかなければいけないのかなと感じています。
Photo: Masashi Kikuchi 冥丁
五線譜がなく指揮者もいない雅楽に「日本の心」を見る
清水 :そうですね。一つ余計なことかもしれないのですが、冥丁さんは、雅楽という音楽をお聴きになることはありますか?
冥丁 :作曲でそういった楽器を音として使わせていただくことはありますが、日本の古典音楽に精通しているわけではないので、まだ身近にあるという印象は感じていないんです。ただ、その音楽の在り方、美しさというものには目を見張るものがありますよね。
清水 :冥丁さんもご存じかもしれませんが、雅楽には五線譜がなく、指揮者もいません。それでいて一つの音楽のハーモニーを作っている。我々西洋音楽に慣れた者にとって、音楽とは五線譜の音階がしっかりと決まっていて、指揮者の指示の下で全体でバランスを取っていくという形が芸術として確立されているものなので、驚くべきことですよね。
雅楽は、雨が降れば雨に、風が吹けば風に合わせて音色が微妙に変化しますし、演奏者の体調によっても少しずつ変わる。指揮者がいないからこそ、隣の演奏者の音を聴きながら、全体をみんなで作り上げていくという独特の型で動いているんです。
欧米の音楽に私たちは慣れてしまっていますが、ぜひ雅楽をはじめ、日本の古い神楽やお囃子(はやし)といった音楽を通して何か新しい「気づき」を得て、それを世界に日本の文化として表現していただければ素晴らしいですね。
冥丁 :まさにおっしゃる通りで、そこをどう集中的に追求できるかを最近よく考えています。
私が生まれた時、日本はすでに敗戦していましたから、音楽の歴史的背景という大きなものがある種、規範付けられた中で育ちました。「日本の音楽とは何か」と考えても、答えがあるようでないんですよね。
どういう風に音楽を追求するか、辺りを見渡すと、やはり「西洋の型」に準じた音楽があふれているんです。それが国産の音楽の在り方として、日本人が世界に発信する際の位置付けにあるわけですが、やはり「日本の型」というものがある。
私たち現代人は「日本の型」ではなく、「西洋の型」に準じて日本人がそれを用いて、表現に変えていっている。とても難しいのですが、私たちが日本人として用いている「西洋の型」、この壁をどう乗り越えて、何かを作ることができるかということに非常に興味があります。
街のいろいろなところを見れば「日本の在り方」が残っている。そういった部分を私たちの世代の表現者がどう表現していくかは、実際にその場所(神社仏閣など)へ行って、とても緊張しますし恐れ多いですし、崇高な場所だと感じるのですが、でも音楽で公共性をまたいでお話させていただく、そして何かを作り上げられたらいいなと毎日思っています。
清水 :そういう意味で、日本の誇りとする素晴らしい型の文化を、もう一度多くの音楽を通して伝えていただければうれしいですね。そもそも神社というのは、多様性の文化なんです。日本オリジナルの宗教信仰でもあるのですが、実は仏教を取り入れたり、キリスト教的な文化も取り入れたりしながら、多様性を持って現在に生き残っている信仰です。
ですから、ヨーロッパの音楽も、アメリカの音楽も、アフリカの音楽も、中国の音楽も、いろいろな可能性を受け入れながら、日本人ならではの型、そして「間」の感覚を生かして、創作するのがいいかもしれませんね。
Photo: Masashi Kikuchi
遠くから聞こえる「祭りの音」になぜ心が騒ぐのか
—冥丁さんが「失日本」として個人的な体験に基づく日本の記憶・情緒を音楽で追いかけてきた中で、「祭り」という場はどんな意味を持っていると思いますか?
冥丁 :広島県の瀬戸内海の島が地元で、島の祭りにはお神輿がありました。先日、法事で帰郷した際にも「また神輿を担ぎに戻ってこいよ」と近所のおじさんに言われて。そこまで祭りに熱心だったわけではないんですが、前日はワクワクして、友達と一緒に法被を着て街中を練り歩いたのを思い出しますね。
20代以降は島を出て、京都・東京・大阪といろいろな街で生活していたのですが、家で作曲していると時折、遠くから祭りの音が聞こえてくることがあるんです。4日前、今住んでいる京都の洛中(らくちゅう)の街でも祭りの音が聞こえてきました。音を聞くだけで心が騒ぐのが不思議だったのですが、やはり私たちの先祖から継承している、言葉にならないような何かがあるんだと思います。
ありがたいことに、特別なご縁から「祇園祭」の音を間近で録音する機会がありました。私自身は「お祭り男」というタイプでもないのですが、その熱気や活気、「祭りの型」というものを、この夏は「祇園祭」を通じて感じました。人間模様が夏の夜に浮かび上がっていくような、そんな印象があります。
—冥丁さんは「神田明神」を訪れた時、どんな印象を受けましたか? この場所で演奏することへの期待や感覚はありますか?
冥丁 :最初に訪問したのは確か2年前で、仕事でお世話になった方と一緒に参拝しました。演奏させていただくのは初めてなので、どんな形になるのか、まだ想像できないところがあります。
日本の音楽——私は「失日本」というテーマで音楽を表現しているのですが、「変わらないために変わり続ける」ことを実践されてきた歴史を「神田明神」さんはお持ちなので、その部分を私も身に染み込ませて、その在り方を学ぶ機会として望めたらと考えています。
清水 :ありがとうございます。京都の「清水寺」でもご奉納演奏なされたと伺っています。本当に素晴らしい環境の中で音楽を奏でる、貴重な機会だったことと思います。
「神田明神」は、常に時代とともに変化しながら、伝統と革新という形で新しい命を文化に吹き込んでくる場所でもあります。古い型の上に新しい息吹を吹き込み、それを広く世界の方々にお伝えいただける、そんな形になれればうれしいですね。
Photo: Masashi Kikuchi
AIには体験できない「祭りの渦の中」にあるものとは
—来年は、2年に一度の「神田祭」が開催される年ですね。そして2030年の「創建1300年」を前にして、清水さんが考える「祭りの力」とは何だと思いますか?
清水 :神社にとって祭りの意義は、地域の方々とともに地域を活性化し、地域社会とともにあることにあります。
来年は「神田祭」が盛大に行われ、その先の令和12(2030)年には、創建1300年という大きな節目を迎えます。その節目に向けて、祭りを通して地域の皆さまの心が盛り上がるような場を一緒に作り上げていきたい。それが今の私に課せられた使命だと思っています。
祭りが持つ瞬間的なものだけではなく、祭りを通して多くの人々が共有できる感動や興奮を大切にしながら、次の時代へ、次の人へとバトンを渡していく。そんな自分のお勤めをしっかりと果たすことが一番大事なことだと考えています。
—少し抽象的な質問になりますが、お二人にお聞きしたいです。祭りは人に何を残すものだと思いますか? どんな影響を与えるものだと考えますか?
清水 :インターネットやAIが発達した時代ですが、AIは歴史的事実としての祭りを語ることはできても、祭りの渦に巻き込まれて何かを得るということはできません。人間にしかできない祭りというものを、多くの方々と体験を共有し、祭りを通して生きていることの素晴らしさ、ありがたさを共有できればと思っています。
冥丁 :祭りを通じて、「日本の型」といったもの——私たちの世代の表現者もそうでない方も含めて、「日本の心」といったものを感じること、そこに大きな意味があるのではないでしょうか。
ただ「今」を生きているだけだと、そういうことには気が付かないんですね。私たちが生きている電子化した社会は、やはり「欧米の型」ですし、私たちの母国が持っていた心模様がそこには描き出されにくい。祭りというものは、「日本の型」にのっとって存在している在り方なので、当たり前のことですが、そこには気持ちが込もっているんです。
時代が変わっても祭りの型という形式が形骸化していないのは、それが概念になっているからだと思います。その在り方を、私は音楽を通じて、概念として形付けていけるのかどうか、ということが一つだと思っています。
—「神田明神」は、アニメなど現代カルチャーとの接点を積極的に開いてきた神社として知られています。伝統を守ることと新しいものを取り入れることの間で、どこに線を引いていますか? その基準はどこにあるのでしょうか?
清水 :私は常に新しい価値をこの古い文化の中に埋め込んでいくというスタンスでいるものですから、非常に葛藤が多いんです。
私が宮司になった時、街の伝統を守る立場の方々からいろいろなご意見を頂戴することがありました。神社になぜアニメファンの方々が来るのか。そもそも、音楽イベントを行える「神田明神文化交流館」のような施設が境内にあること自体、珍しいことなんです。このように、さまざまなことに今までチャレンジしてきました。
ここは「伊勢神宮」でも「出雲大社」でもありません。古い文化をただ守り続けるのではなく、秋葉原の氏神様として、さまざまな形でにぎわう街の息吹を「神田明神」にも取り入れたいと考えたんです。また、秋葉原をはじめ、日本橋や大手町といったビジネスの街の氏神様として、「IT情報安全守護」のお守りを授与したり、企業のご祈祷をお受けしたりもしています。
神道が古くて固い考えではなく、常に新しい創造的発展の可能性を持った文化として神社が在り続ける。そういった仕組みを、自分なりに一生懸命、失敗を重ねながら運営しているというのが今の状況です。
Photo: Masashi Kikuchi
かつて漢字を日本語に編集したように「日本の型」を音楽で作る
—冥丁さんは制作する中で、日本の古い何かと現代の音楽が出合って、思いがけないものが生まれた経験はありますか?
冥丁 :それはもうしょっちゅうですね。私の音楽は基本的に西洋の形式で、その中でも電子音楽というものを軸に音楽制作をしているのですが、生の楽器の演奏をするという在り方に、電子音楽は編集を加えることができます。
この「編集」という作業を少し歴史から振り返ると、古くは弥生時代、中国から漢字が伝わってきました。それまで話し言葉しか持たなかった日本人が、初めて中国語という文字の言葉と向き合ったわけです。そのとき「日本の型」を持っているという自覚はなかったと思いますが、日本人は漢字を使いながら、自分たちの言葉や感覚を表現していったんですね。
やがて漢字は、中国とは異なる日本独自の使われ方をするようになり、今の日本語が生まれました。自国から発信したものではなかったですが、そこに日本的な感性を重ね、型をただなぞるのではなく、心を込めて育ててきた。そんな歴史があるように感じるんです。
これは作曲にも当てはまると思います。特に私の場合、電子音楽というのはある種の編集作業です。西洋の音楽メーカーや音楽機材の音など、最初は西洋的なところから発信されていますが、その楽器の音を日本的に変換していく作業はできる。今こそ日本的な型を音楽で作り上げられるんじゃないかと感じています。
清水 :お聞きしていて思ったのですが、「峠」という漢字は、そもそも中国で生まれた漢字の中にはない、日本人が作ったものなんです。中国の文字であり文化である漢字に自由に取り組んで、「峠」という字を作り上げ、自分たちの漢字にしてしまった。そういったことができる文化を日本人は作ってきたんです。
「日本人の型」という、応用自在で多元的な価値を縦横無尽に表現できる素晴らしいカルチャーを私たちの祖先は作ってくれていると思うんですね。それを現代でも取り込みながら冥丁さんが表現されると、本当に良い作品が生み出されるのではないでしょうか。
冥丁 :それは本当に、毎日毎晩考えていますね。
Photo: Masashi Kikuchi
クラブでもライブハウスでもない「文化の鼓動」が生まれる場所へ
—音楽のライブやクラブへ足を運んだり、アートの展示を訪れることはある種、日常から離れた「ハレの日」の行動のように感じます。これらはすごく現代的な行動だと思うのですが、「ニッパチ祭」は現代的な祭りの解釈だといえるのかもしれない、と思っています。何かご意見・感想があれば教えてください。
冥丁 :これまでのお話の延長になりますが、何かを生み出すときの心構えは、変えてはいけないものだと思います。そして、その心構えを感じ取るためには日本の歴史を学ぶことが大切だと考えています。 ただそうは言っても、いろいろな物事は日々変容していくので、それに伴って変わっていくこともあると思います。「変わらずして変わっていく在り方」を、より身近に感じていくような日常が必要なのかもしれません。
すごく大胆なことを言うと、クラブやライブハウスというもの——もしかしたらあり得たかもしれない平行世界があったとして、そこの日本では「クラブ」「ライブハウス」という横文字ではなく、日本語の音楽会場があった可能性があります。
大きなことですが、それでも本当は今からでも作らないといけないのかもしれませんね。言ってしまえばヒットソングを作って売っていくことよりも、何百年かたった時に、私たちの国の在り方を素直に表現するという形がかなうことにつながるんじゃないかと思います。
清水 :私どもは令和12年に創建1300年を迎えます。そこで今、「文化の鼓動を生む」という言葉をテーマに掲げています。それがまさに祭りなんですね。民俗学では「ハレとケ」という表現がありますが、普段の日常生活は「ケ」で、わずかな非日常の祭りの時が「ハレ」になります。
「文化の鼓動」、つまり人々が高揚した雰囲気になることが祭りの最大の特徴です。人々の心が活性化されて新たなゾーンへ入っていくこと、そして「ハレ」という限られた期間の中でいかに魂を震わせるのか、人々が喜びと幸せを感じる時間を共有できるのか。それこそが祭りで一番大事なことであり、役割だと考えています。
「神田明神」は「伝統と革新の神社」として、どんどん若い方々に来ていただき、古い文化の中に新しいものを見いだして、この神社の中で喜びや楽しみを共有していただきたいですね。
「ニッパチ祭」をはじめ、「神田明神」では常に多くのイベントが行われています。音楽やいろいろな形を通して、祭りを含めた人間の生きざま、日本人の心というものを表現していただけたらいいなと思います。そこから新しい文化の鼓動が生まれ、多くの方々に伝わっていく、そういう場所でありたいです。 ぜひ皆さんには足を運んで、この場という空間を、体で、心で感じていただきたいと願っています。
冥丁 :個人や団体の目的といったものを超えて進むような、「概念」のような回になるといいですね。