しょうぶ学園
Photo: Io Kawauchi
Photo: Io Kawauchi

福祉施設を開いたら1万人がやってきた、しょうぶ学園の型破りな挑戦(後編)

NEXTOURISM、連載企画「観光新時代〜多様性を切り拓く挑戦者たち〜」第1弾

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コロナ禍以前、2019年に1万人以上が訪れた知的障がい者支援施設が鹿児島市内にある。この「しょうぶ学園」は、障がい者の居住棟だけでなく、工房、ギャラリー、ショップ、ベーカリー、そば屋、イタリアンのレストラン、少し離れた場所にはアーティストの公演が開催されるホールを完備。デートスポットとしても人気を博している全国でも希有な施設だ。

前編では、しょうぶ学園統括施設長・福森伸に、自身の生い立ちや、数々のアイデアを実現させた挑戦の軌跡について語ってもらった。後編では、より本質的な面に触れながら、複合施設「アムアの森」の誕生など、しょうぶ学園のさらなる進化について紹介する。多様性を獲得したパブリックな場所が、一体何をもたらしたのか。そこには「奇跡」と呼ぶに相応しい新たな社会の可能性が拡がっている。

なお当記事は、一般社団法人日本地域国際化推進機構の提唱する「観光新時代」(NEXTOURISM)を実際に体現している取り組みを全国のさまざまな地域から取り上げる連載企画「観光新時代〜多様性を切り拓く挑戦者たち〜」から転載したものである。

同連載の企画・取材・執筆は、ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターこと川内イオが担当。川内は、書籍「農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦」(2019/文春新書)を皮切りに、農業や食の領域を中心に、既成概念に捉われない、多様化する担い手たちやビジネスのあり方を紹介してきており、その視点は、観光領域において、観光の多様化に着目してきた機構の活動と重なっている。

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福祉施設を開いたら1万人がやってきた、しょうぶ学園の型破りな挑戦(前編)

変化するスタッフの役割

ヌイ・プロジェクトの作品が世界に評価されつつある中、木工や陶芸、絵画・造形の工房でもオリジナル商品の開発が行われた。それに伴い、職員の役割も変わっていく。

利用者は、工房でくままに作品る。職員はそのを見りながら、利用者がりそうな布や、紙、木などの素材を目にる場所にく。そこから新しい作風が生まれることもあるという。

事な事は利用者がったものをどう商品するのかを考えることだった。「利用者の手によってくぎの跡がったのついたテーブルも、見よっては模様わります。そういうで、利用者の作品を世にすコーディートかせません」

2005年には一人の職員の提案で、ファッション雑誌「装苑」の一般公募展にヌイ・プロジェクトのメンバー、翁長ノブ子の作品を応募。それがテキスタイルデザイン部門で大賞を受賞した。これもまた、良いものを見極める職員の眼力であり、コーディネート力だろう。

利用者の個性や可能性に目を向けるようになったことで、日々の生活や行動に規律を求める厳しさも自然と薄れて、少しずつ利用者にとっても心地いい場所になっていった。

自由に見えても心は不自由

2002年に父親が倒れ、43歳で統括施設長に就いた福森は、「ものづくり」や「アート」の分野で全国的に知られるようになったしょうぶ学園を、さらに進化させた。

2006年、老朽化した施設の大々的な建て替えに当たり、冒頭に記したアメリカ人建築家、ウィリアム・ブラワーに依頼。その時に定めたテーマは、「コミュニケーション」だった。

「建て替えの少し前に、すごく印象的な出来事があったんですよ。ここに1年ぶりに来た人のことを、利用者が覚えていたんです。その人は『すごい! 覚えててくれたの? 嬉しい!』と感激していたんだけど、僕はその姿を見て、利用者がそれだけ外の人に会っていないからおぼえていたんだと気づいて、ショックを受けました。それだけここは閉鎖的だったのかと」

それまでも、地域との交流を目的にパン屋を開いたり、祭りやバザーを開催したりしてきた。しかし、毎日の生活のなかで利用者が外部の人と接する機会は限られている。

これはしょうぶ学園だけではなく、全国の障がい者支援に関わる人や施設に共通の課題だった。その頃から、社会的弱者やマイノリティーが健常者と同じように生活できる社会を目指す「ノーマライゼーション」、多様な人々の個性や価値観、考え方を認め合い、それを生かす「インクルージョン」などの言葉が福祉業界で使われるようになるなかで、いかに施設や利用者を孤立させず、地域と融合させるのかが問われていた。

そのために当時から現在まで行われているのは、なかにある一家で人の障がい者が同生るスタイル。施設からて、地域の一になりましょうという施策だ。しかし、福森はそのやり疑問いた。

かに地域のなかで暮らしているけど、人と仲良しているという話はあまり聞きません。近所の人に迷惑をかけないようにと言われて静かに暮らしているから、ホームの外では必要がある時以外、誰かと話す機会も現実的に少ない」

「でも、しょうぶ学園で暮らしている利用者は普段、よくしゃべるんですよ。友だちもいるし、職員にも話しかける。社会に出た方が自由に見えるでしょう。でも、心は不自由なんじゃないかな。僕はアメリカにいた頃の孤独感を思い出すと、それがよくわかるんです」

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しょうぶ学園を変えた逆転の発想

利用者には、生き生きと暮らしてもらいたい。地域住民とももっと交流してほしい。その答えを探していた福森は、ある日、「こちらが出ていくんじゃなくて、こっちに来てもらえばいいんだ!」とひらめく。

般の人がしょうぶ学園に足を運びたくなるにはどうしたらいい? 何があればいい?思いついたことをートに箇条きにした。

いしいレストラン

ちのいい場所

・しょうぶ学園の作品するギャラリー

・地域住できるスース

ロバやヤギがいたら、子どもも来るか?

「レストランをるとったら、理事長であった父親から施設にっても、わざわざ人が来るわけないわれました(笑)」。しかし福森は周囲の的な目を感じながらも、「来てもらう」ための実に実現していった。

2007年、新しくなったオフィス棟内に、工房しょうぶの作品を展示する「Sギャラリー」が完成。翌年、レストラン「パスタ&カフェ Otafuku」をオープンした。

味には一切妥協せず、自家製の手打ち生パスタと、100回以上試作したというソースを使用している。オープンから間もなくしてパスタの味が評判になり、週末には行列ができる人気店になった。

2009年には、地域交流スペース「Omni House(オムニハウス)」を開設。ここは作品の展示やワークショップ、セミナー、講演会、コンサートなど、アートをテーマにした地域交流の場になっている。オムニハウスのなかには、しょうぶ学園の作品を購入できるクラフトショップ「ル・デポ」もある。

いて2011 年、そば屋「凡太」も開現在は。ここでもされたそばを使用し、手打にこだわった。

「Otafuku 」と「凡太」では施設の利用者が厨房(ちゅうぼう)やホールで働いており、職場を提供することにもつながった。

さらに、「気持ちいい場所」をより快適にするために、園内の緑を増やしていく。それも、近隣の宅地開発で伐採される木や民家の庭木を譲り受けて、移植したものだ。自分たちで中庭にビオトープやツリーハウスなども作り、園内の景色は変わっていった。

複合施設「アムアの森」も誕生

表現としての場、暮らしとしての場を考える中で、福森は演音楽のライブに使るアートホールをるためにをひねり始めた。

ともとオムウスやレストランでミージシャンをいたライブを行っていたが、広いがあればもっとたくさんの人と一ことができる。

また、しょうぶ学園では、2001年に施設利用者と職員でパーカッショングループ「オット(otto)」を結成。その5年後、職員だけのコーラスグループ「orabu」が生まれ、合流した。「otto & orabu」の指揮者として園内に本格的な発表の場がほしいと考えていた福森がある日、いつものようにしょうぶ学園からほど近い自宅に向かって歩いていたら、前日までなかった「売地」の看板が目に入った。

なんと、正門から徒歩1分ほどの場所にまとまった広さの土地が売りに出ていたのだ。新たな土地を入手するとなると、気軽には決断できない。資金繰りのめどが立つと、看板に記してあった番号に電話をかけ、購入の意思を伝えた。

的に、地上部分0から18までのどもたの児支援やデイスを手がける場を設け、地下にホールを造ることになった。

それから2年後、複合施設「アムアの森」がオープン。250席を備える「アムアホール」では、音楽家で映像作家の高木正勝とotto & orabuコラボレーションでこけら落とし公演が行われた。

この年、しょうぶ学園の来訪者は1万人した。

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パブリックな場所に多様性を

現在、しょうぶ学園には敷地内の居住棟に住んでいる利用者が40人、近隣のグループホームから通ってくる利用者が50人、自宅から通ってくる利用者が40人いる。そのうち50人ほどが布、土、和紙・造形、木の工房のメンバーとして日々制作に打ち込む。

ひたすら丸を描き連ねている人、赤と黒の毛糸をぐるぐる巻きにした玉を布に縫い付けている人、木を彫って車を作る人 。取材の日、各工房を訪ねると、しょうぶ学園のアーティストたちはペンや針、ノミなどを握り、それぞれの作業に没頭していた。

昼時には「Otafuku」で数人の利用者と職員が一緒に食事をしていた。表にはロバの散歩をしている人や虫捕り網を持って虫を探している人、パン屋の陰で物思いにふけっている人もいる。

施設にいる人全しているのは、自然体ということ。無理をしたり、ストレスを感じていそうな人がとりもいない。しょうぶ学園の中は、とてものいい澄んれているように感じる来訪者はこの「空気」を味わいにきているのかもしれない、と福森に伝えるとうなずいた。

「ただおいしいものを食べたいだけなら、福祉施設に来なくてもいいと思うんだよね。僕は利用者の存在がいい刺激になっているんだと思う。彼らはできないことも、持っていないモノもたくさんあるけど、全然困ってないんですよ。身の丈で生きてるの。すごくフラットな感じでそこにいるでしょう。その姿を見てなにかを感じるんだと思う。なぜか涙を流す人もいますよ」

施設の利用者を守るために、人の出入りを厳格に管理したコロナ禍もようやく落ち着き、しょうぶ学園にもにぎわいが戻ってきた。3年間、休眠状態だったアムアホールでのライブも再開し、これからまた多くの一般客が訪れるだろう。

利用者が作るものにアート性を見出し、それを世に問うことから始まったしょうぶ学園の取り組みは、コミュニケーションに焦点を当てたことでさらなる広がりを見せた。福森はこれを「奇跡」と言い表したが、奇跡はほかの場所でも起こせるのだろうか?

「以前から、福祉施設に限らず、図書館とか美術館とかパブリックな場所に多様性を持たせたらいいのにと思っていました。例えばコンビニのなかにATMが設置されたら、買い物だけじゃなくてお金を卸すという機能も持つでしょう。しょうぶ学園は、アートやコミュニケーションという福祉以外の活動による掛け算で変わりました。パブリックを活かす発想があれば、日本はもっと面白くなるんじゃないかな」

福森伸

「しょうぶ学園」統括施設長

1959年鹿児島県生まれ。1983年から「しょうぶ学園」に勤務。木材工芸デザインを独学し、「工房しょうぶ」を設立。音パフォーマンス「otto&orabu」、家具プロジェクト・食空間コーディネートなど「衣食住+コミュニケーション」をコンセプトに、工芸・芸術・音楽などを新しい「SHOBU STYLE」として、知的障がいのある人のさまざまな表現活動を通じて多岐にわたる社会とのコミュニケーション活動をプロデュースしている。

川内イオ

稀人ハンター

1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。全国に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」を目指す。この目標を実現するために、2023年3月より、「稀人ハンタースクール」開校。全国に散らばる27人の一期生とともに、稀人の発掘を加速させる。近著に『稀食満面 そこにしかない「食の可能性」を巡る旅』(主婦の友社)。

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⼀般社団法⼈ ⽇本地域国際化推進機構

 2021年1⽉15日設⽴。地域の国際化を推進し、観光を通じて地域の魅⼒と価値を⾼め、地域経済及び地域社会の活性化、また、安全性を含めた地域の⽣活環境基盤の向上に貢献することを⽬的として活動している。

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