白糸の森
Photo: Io Kawauchi左から前田和子、大串幸男

夫婦が手作りで始めた観光農園が年間10万人を集めるワケ(前編)

NEXTOURISM、連載企画「観光新時代〜多様性を切り拓く挑戦者たち〜」第2弾

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Io kawauchi
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福岡県糸島市にある白糸の森。年間10万人が訪れる体験型観光農園として、注目を集めている。大半の人の目当ては、森の中でカフェをすること。夏場の繁忙期には、1日最大500人の客が訪れるという。この観光農園を作ったのは、なんと1組の夫婦。一体どのような経緯で年間10万人もの人が集まる場所になったのか、2人にインタビューを行った。

当記事は、一般社団法人日本地域国際化推進機構の提唱する「観光新時代」(NEXTOURISM)を実際に体現している取り組みを全国のさまざまな地域から取り上げる連載企画「観光新時代〜多様性を切り拓く挑戦者たち〜」から転載したものである。

同連載の企画・取材・執筆は、ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人(まれびと)ハンターこと川内イオが担当。川内は、書籍「農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦」(2019、文春新書)を皮切りに、農業や食の領域を中心に、既成概念に捉われない、多様化する担い手たちやビジネスの在り方を紹介してきており、その視点は、観光領域において、観光の多様化に着目してきた機構の活動と重なっている。

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1日最大500人が訪れる森のカフェ
Photo: Io Kawauchi

1日最大500人が訪れる森のカフェ

その日は雨模様だったにもかかわらず、森の中のウッドデッキで傘を差しながらくつろいでいる人たちがいた。どこか異国の言葉で語り合っている。彼らの背後には、地上から56メートルの高さに造られた空中回廊と「ツリーハウスデッキ」がある。そこから見る景色は地面から見るものとはまったく違い、空中を散歩しているようだ。

ユニークなのは、カフェの入り口にキャンピングチェアがたくさん用意されていて、客が自分で椅子を持ち運ぶシステム。もちろん、帰る時に椅子を返却するのも客だ。注文した飲み物も、準備できたら客が受け取りに来て、飲み終えたら自分たちで片づける。取材の日も、帰路に着く外国人観光客がそのようにしていた。

このシステムを考案したのは、一級建築士の大串幸男。彼は妻の前田和子とともに、15万平方メートル、東京ドーム3個以上の広さを誇り、カフェのほかに農地、うどん屋もある白糸の森のオーナーを務める。驚くべきは、たった二人で長年放置され、荒れ放題だったこの里山を開墾、整地し、10万人が訪れる場所に変えたことだ。

しかも、最初からそれを目指していたわけではなく、何かに導かれるように。

人生を変えたテレビ番組
Photo: Io Kawauchi

人生を変えたテレビ番組

きっかけは、2011年までさかのぼる。両親が糸島で始めたラーメン屋で18歳の時から働き、長年店主を務める前田の夜は遅い。営業終了は早朝3時、その後に片付けをして帰宅する。ある日の朝方、仕事から疲れて帰ってきた前田はひと息入れようと、録画していたテレビ番組「人生の楽園」を再生した。

当時大串と前田は「2の人生、なんかしいことしたいよ間たちとぶところがしいよ」としていた。大串がアウトドアきだったこともあり、最初は糸島の海辺地をしていたが、なかなかピンとくる場所に出合えないまま時が過ぎていた。

「人生の楽園」は、会社を早期退職した男性が妻と一緒に山を開墾し、畑で野菜を作るようになったという内容だった。アウトドアにはそれほど興味がないものの、以前から「いい土地が見つかったら、自分のお店で使う野菜を作ってみたい」と思っていた前田は、「こんな楽しみ方もいいなあ」と感じたそうだ。その時、唐突に知り合いの工務店の主人を思い出した。それまで何度か「前田さん、山買いませんか?」と言われ、断り続けていたのだ。

そこからの行動は早かった。すぐに工務店の主人に電話し、まだ買い手がいないと聞くと、「今日、見に行きたい」。約3万平方メートルあるその土地は糸島の観光地、白糸の滝のすぐ近くにあった。老人ホームを建てる予定だったが地元住民の反対にあって頓挫、何年も塩漬け状態になっていたこともあり、訪ねた時は見渡す限りの竹やぶだった。

同行した工務店の主人が、そのなかに許可なく仕掛けられたイノシシ捕獲用のおりを見つけ、持ち主を電話で呼び出した(狩猟用のおりには連絡先を記した名札を付けるのが義務)。

その流れでたまたまおりの持ち主と顔を合わせ、あいさつを交わしたところ、偶然にも前田の父親の知り合いだったことが判明。この土地に興味があると話したら、「きんしゃい、きんしゃい!」と言われて、その場で気持ちが固まった。

その夜、東北にいる大串に電話した。

「山を買うことにしたから」

震災の年、保険会社から建物の査定の依頼を受け、長期出張中だった大串にとっては寝耳に水だったが、「山もいいな」と受け入れた。

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目からうろこの発想
Photo: Io Kawauchi

目からうろこの発想

山を手に入れた前田が最初に手をつけたのは、竹やぶをること。朝3時にラーメン屋の営業を終えるとでそのまま山に直行し、9時ごろまでてか竹やぶに分け入った。

大串は東にいるため、れない。とはいえ、手一つでどうにかできる広さでもない。その苦労をラーメン屋の常連したところ、週末人か手いに来てくれるようになった。それでもなかなかまなかったため、日ってこの作業にれている人をった。切ってき、切ってきをり返し、荒れ地がきれいになったには、1年がたっていた

それから、福岡に戻ってきた大串と野菜作りを始める。農業経験ゼロの二人がこだわったのは化学肥料や農薬を使わないオーガニック栽培で、慣行農業よりも格段に難易度が高い。糸島にはオーガニック農業をしている人も少なくないのでアドバイスを仰ぐこともできたが、大串の意志でそうしなかった。

「独自性を追求したいんですよ。失敗してもいいから、まずは自分で土台を作る。それから誰かに聞くならいいんですけどね」(大串)

土地がやせていたことも重なり、虫に食われたり、枯れたり、ぜんぜん大きく育たなかったり、何年間も失敗が続いた。それでも大串は、揺るがなかった。

前田に「よく付き合いましたね?」と尋ねたら、「いやいや!」と手を左右させた。

「そりゃけんかしたよ。有機は有機やから、鶏ふんや豚ふんぐらい入れていいんじゃないって言ったら、家畜の餌は輸入品だから何が入っとうか分からん、そんなものは入れたくないって言いしゃったの。その上に、土づくりには10年かかると言うんですよ。それまで私たち食べていかれんやろ。どうするの?って

ある時、大串が前田に言った。

「君は野菜のことばっかり言うけど、僕は土をブランドにする」

へ? どういうこと? 頭の上に大きなクエスチョンマークを浮かべる前田。

「ここは何十年も放置した土地やけん、自然のままで土のなかに微生物がいっぱいおる。余計なものをいれなければ、ここは本当に安心安全の土地になって、それ自体がブランドになる。それから野菜を作ったらいいんだ。人は本物を残してくれる。やるなら本物を作ろう」

目からうろこの発想に「すごい!」と感心した前田は、夫を信じようと心に決めた。

「隣の土地を買いませんか?」
Photo: Io Kawauchi

「隣の土地を買いませんか?」

農業を始めた時、山の粘土質でスを入れるとがゴっとてきた。この生物にとって居心地のいい場所にするために、大串は山でった木や竹のくずをまいた。そこには生物がみついていて土の中での活動が活発になると土がほぐれる。土がほぐれると、雨水が浸透しやすくなる。その水分を求める野菜も根を延ばしやすくなる。

大豆、オクラ、シシトウ、ナス、ニンニク、ショウガラッキョウ、フキノトウ……。年を経るごとに力強く、みずみずしい野菜ができるようになった。前田は、地域の高齢者に教わってそれらを漬物に加工した。初めて漬物を作ったそうだが、長らく飲食店を経営してきただけあって、試行錯誤も苦にならなかったという。

この間、すっかり農業が楽しくなった二人は、もうここに住もうと自宅を建てた。そこで1日1組だけのレストランを開き、自分たちの野菜でもてなすつもりで業務用のキッチン設備を入れる計画を立てた。この構想の途中の2015年、二人に声がかかる。

「隣の土地を買いませんか?」

そこにはもともと障がい者支援施設があり、農作業をしていた。その施設が老朽化して移転することになり、約8万3000平方メートルの土地を売りたいという話だった。その土地にはすでに井戸水が引いてあるうえに、80人分の浄化槽があると聞いた前田は、耳を疑った。

「私は商売人やけんね、それだけの大きさの浄化槽があったら、飲食店とかいろいろなことができるって知っとうの。自分でそれぐらいの浄化槽を入れるとしたら、2,000万円はかかるんです」

先方の希望価格は、1,500万円。「ここで何かできる!」と直感した前田と大串は、買い手として立候補した。しかし、話はすんなりと進まなかった。

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当たって砕けろ!のプレゼンテーション
Photo: Io Kawauchi

当たって砕けろ!のプレゼンテーション

その地の所有者は福施設のため手きが複雑で、してるまでに3年かかると言われた。その間、二人は地の整備をめながら、ここでれた野菜使ったうどん屋を作ろう、などとらまていた。

ところが、ちにった受けしまであと半年というタイミングで、絶望的連絡が来た。取透明性するため、入にするというだった。建築会社、キャンプ場の運営会社など民間企業4社が入札することになったから、住民に土地の活用方法をプレゼンテーションしてほしいと言われた。

二人は、これは勝てるわけがない、土地を手に入れるのは無理だろうと諦め、入札金額を1,200万円に下げて提出した。迎えたプレゼンテーションの日、20人ほどの住民はほとんどが顔見知りだった。そこで前田は、どうせダメだろうけど、当たって砕けろ!と思い伝えた。

「私は、ここに人生の楽園を夢見てきました。農業も、山のことも初めてです。でも、たくさんの方にいろんなことを教えてもらって、今は楽しくて仕方ありません。もしこの場所を譲っていただけるなら、農業と林業と食を通して人が集まる場所にしたい。そういう思いで、これまで私たちはやってきました。シニアの方たちも一緒にものづくりと農業と林業と、いろんなことをしていきたいと思います

その日の夜、電話がかかってきた。ンテーションの場にいた地の人だった。

「前田さんたちはのよかもん。ようるよな」

「ありがとういます」

多数で前田さんたちにまりましたよ」

「ええ!!!

詳しく聞くと、入札の最高額は、前田夫妻が提示した数倍。しかし、前田たちが荒れ地を掘り起こし、何年間もまじめに農業をしながら近隣の住民と交流してきたのを見てきた人たちが、長い目で見て地域のためにプラスになることを、という理由で選んだということだった。

「でも、あと300万円足して1,500万円にしてくれる?」と聞かれた前田が、「もちろんです!」と即答したのは、言うまでもない。

後編はこちら

Photo: Io Kawauchi

白糸の森

福岡県糸島市白糸にある体験型観光農園。一級建築士の大串幸男と妻の前田和子が里山を開墾、整地し、誕生。無農薬・無動物性堆肥で育てる「まえだ農園」の野菜を主に使用した「白糸うどん やすじ」と森のカフェ「緑の詩〜おと〜」を営む。「キッズファーム農業体験」を毎月第3日曜日に開催し、2020年11月に公式のオンラインストアをオープンしている。

画像提供:川内イオ

川内イオ

稀人ハンター

1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。全国に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」を目指す。この目標を実現するために、2023年3月より、「稀人ハンタースクール」開校。全国に散らばる27人の一期生とともに、稀人の発掘を加速させる。近著に「稀食満面 そこにしかない『食の可能性』を巡る旅」(主婦の友社)。

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⼀般社団法⼈ ⽇本地域国際化推進機構

⼀般社団法⼈ ⽇本地域国際化推進機構

2021年1⽉15日設⽴。地域の国際化を推進し、観光を通じて地域の魅⼒と価値を⾼め、地域経済及び地域社会の活性化、また、安全性を含めた地域の⽣活環境基盤の向上に貢献することを⽬的として活動している。

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