東京の名もなき支援者たち 2

佐藤禎之(35)たまたま物資輸送が、今の僕にできることだった

インタビュー:東谷彰子

サンフランシスコで生まれたブランド『リトルミスマッチ』を販売するミスマッチジャパン社の代表取締役社長、佐藤禎之。「その日の気分で好きな組み合わせを楽しめるように」と3本1セットになったソックスなどを扱っている。ここでは、同社のトップでありながらも職場を離れ、被災地への物資をトラックで運び続けている佐藤に話を聞いた。

ー被災地に物資を届けようと思われたのはどうしてですか?

佐藤:たまたま物資輸送が、今の僕にできることだと思ったんですよ。皆そうだと思うんですが、私は募金ができる、私は今の仕事を頑張って経済活動を維持するとか、それぞれの役割がある中で、自分の今までの経験を活かしてやれることは何なのかを考えた結果がこれでした。

ー物資の運搬は、いつからスタートしたのですか?

佐藤:3月17日ですね。僕としては、もっと早く現地に行きたかったのですが、我慢して、我慢してこの日に行きました。僕は、ミスマッチジャパン株式会社を立ち上げる前、11年間海上自衛隊のレスキュー部隊にいたので、現場の状況はある程度分かっていました。これだけ大きい災害の初期に現地に行くのは、迷惑でしかない。なので、少し落ち着くまで待っていました。ちょうど、3日目くらいに、ミカジョンさん(ピーチジョン代表取締役社長の野口美佳)が、ぽーんと現地に行って、それをツイッターなどで見ていたので、メールや電話でモニターして、随時状況を確認していました。

ー行こうと決めて、どのような段取りで現地に行かれたのですか?

佐藤:最初は完全に個人で、自己責任の範囲で終わらそうと思っていたんですが、とはいえ、足がないとどうにもならない。まずは、Venga Vengaという僕が入っているトライアスロンチームの仲間がやっている、八大という物流会社にお願いしてトラックを貸してもらいました。トラックの調達、物資の調達、ガソリンの調達、それから、高速を通るための緊急車両証明、一斉に全部が揃わないと現地には行けないので、全てを同時並行的に進めていきました。それで、16日に車両証明がとれ、ミカジョンさんにどこに行けば良いか、誰と連絡をとれば良いか、何が必要かを聞いてから、物資を揃えました。トラック3分の2くらいは自腹を切って購入して、後は、サマンサタバサの寺田和正さんに頼まれた洋服と、水の会社から頼まれた水を積んで、仙台の七ヶ浜に直接持って行きました。

ー今は佐藤さんだけではなく、たくさんの人も一緒に活動しているようですが、なぜ個人の活動から、仲間を引き込んでの活動へと変わったのですか?

佐藤:物資を運ぶことが、やる価値のあることならば続けるし、そうでなければ辞める。もしやり続けるならば、しっかりとしたシステムを作ろうと、現地に着いてから今後どうするかをジャッジしようと思っていたのですが、現地に行ってすぐ、“官”じゃなくて、“民”が直接やるべきだと確信しました。その場ですぐ八大さんに電話をして、今後もしばらく継続的にトラックを借りたいというお願いをし、ほかのVenga Vengaの仲間にも、物資の提供や、義援金の協力をしてもらいました。それから、ミカジョンさんとも一緒にやろうということになり、ミカジョンさんのチームが情報を集め、僕のチームが物資輸送をするという組織が出来上がったんです。

ー被災地には何度くらい行かれたのですか?

佐藤:7回ですね。七ヶ浜、名取、石巻、女川、大槌、雄勝、それから、いわきにも行きました。

ー実際に現地に行ってみて、どうでしたか?

佐藤:避難所によって温度差があり、ここは本当に何もないなと思う場所もあるし、ここは比較的あるなと思う場所もありました。でも、僕は自衛隊にいた時の経験から正直そういう現場に慣れているし、冷静に淡々とやるしかないですよね。誰にも迷惑をかけないというのが、今回僕が被災地に行くにあたって、一番リスクなところでしたから、やっぱり、絶対に事故はおかしちゃいけない。片道11時間くらいかかる場所もあるんですが、必ず安全に行こうと思っていました。

ー実際に今、被災地では何が足りないのですか?

佐藤:物資に関しては、比較的落ち着いてきたと思います。被災地に足りないのは、システムですね。“官”と“民”とNPOの連携が全くとれていない。“官”は“官”の中で、消防と警察、保安庁の統率がとれず、それぞれであれがない、これがない、ってなってしまっている。一方で物資が足りないと言われていながら、一方で物資は倉庫に一杯でもう足りているという。真反対なことだけど、両方とも正しいんですよ。各々がそれぞれの責任や職務があって、その間に入るパイプになる人がいない。組織的にどうやるかが確立すれば、こんな状態にはなってなかったと思いますね。とにかく全ての情報を一カ所に集めて、そこから、毛細血管の隅々まで指示を出して連携がとれるようにしていくような組織が今後できることを期待するしかないですよね。

ー今、普段の仕事はどうしているのですか?

佐藤:僕はもう、任せちゃってます。僕が行くだろうな、ということをきっと皆わかっていたと思うんですよね。会社の方は上手くまわしておきますから、って言ってくれたので安心しています。

ーそれは頼りがいがありますね。今後、佐藤さんご自身はどのように活動していこうと思っていますか?

佐藤:もう、緊急性はある程度、落ち着いてきたと思うので、あとは、持続性の問題。次に活躍する人はまた変わってくると思うんです。僕は正直、初動の段階で自分の力をフルに使いたいと思ってやってきた。今後、継続していくことに関して言えば、ニーズがあって、呼ばれればやりますが、今の段階で、積極的に動くことはないと思います。来週からは、本職に戻ろうと思っています。

ーお話を聞いていて、今回の物資輸送の話からはそれるのですが、どうして11年も務めた自衛隊員から、経営者に転職したのですか?

佐藤:僕、人生は伸るか反るかだと思っているんです。小さな頃からパイロットになりたくて、その方法を探して、一番早い方法が、自衛隊の航空学生という高卒でなれるものだったので、迷うことなく行きました。それでパイロットになって、仕事はすごくやりがいがあるけど、将来どうするかを考えたんです。自衛隊は良くも悪くも年功序列的なところがあって、自分のゴール地点がある程度見えるんですよ。自分が50、60歳になった時に、諸先輩方のようになるのはちょっと嫌だと思って、そしたら“反る”しかないじゃないですか(笑)。2005年7月20日、29歳で辞めました。

それから、成功するなら成功者に近づくのが早いと思って。経済産業省が後援して、起業支援をしている『ドリームゲート』のビジネスプランコンテストに応募したんです。そこで審査員をしていたのが、当時タリーズにいた松田公太さんだったり、GMOの熊谷正寿さん、サイバーエージェントの藤田晋さんというメンバーでした。僕はファイナルまでいって、そこでビジネスプランをやってもおもしろくないので、匍匐前進をやらせてもらって(笑)。「気合いと根性だけはあります!」と言って終わったんですが、後日、松田さんから電話がかかってきて、リトルミスマッチを一緒にやらない?って言われたんです。それが2006年の終わりですね。

ーこれからの目標は何ですか?

佐藤:ビジネスを成功させることですね。それから、自衛隊をやめる時に決めた目標が、2015年7月20日までに途上国に学校を作るということだったので、それを達成するために、人脈と金を作ろうと淡々とやっています。

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