インタビュー:寺田創一

90年代のセットでフロアを沸かせる男の2015年

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インタビュー:三木邦洋 撮影:hoshi-ken

Satoshi Tomiieや高橋透、DJ NORIらとともに90年代の日本、つまりハウスミュージック黎明期に活躍した寺田創一は、自身のレーベルFar East Recordingから多くの作品をリリースし、国内外で高い評価を得ている作編曲家、リミキサーだ。90年代以降はドラマやCM、ゲームソフトの音楽を手がけてきた彼だが、ライブパフォーマンスを行うOmodaka名義では、民謡やチップチューン、ビートミュージックを独自に解釈した楽曲を発表している。

その彼が今年、キャリアの原点である90年代の作品を集めた『Sounds from the Far East』をアムステルダムの名門レーベルRush Hourからリリースした。このリリースがヒットしたことで、今年はクラブやフェスティバルなど、様々な場面で彼のハウスセットのパフォーマンスを目撃することができたわけである。10月には、若き才能として注目を集めるSEKITOVAとともに森高千里をフィーチャーしたミニアルバム『百見顔(Hyamikao)/Foetus Traum』をリリースするなど、彼を取り巻く環境は確実に活気づいてきている。今回のインタビューでは、2015年になって急浮上した彼の90年代の楽曲の魅力をひも解きつつ、独特な創作のスタンスについて迫った。

なお、彼は12月24日(木)に開催される『タイムアウト東京 大忘年会 2015』(入場無料)にも出演してくれるので、生のパフォーマンスを観たい人はぜひ参加してほしい。

SEKITOVA君は楽器的な縛りからすごく自由

都内某所の自宅兼スタジオにて

ーこのテレビは、いつも無音で『アニマル・プラネット』を映したままにしているんですか。

寺田創一:結構『アニマル・プラネット』とか『ディスカバリーチャンネル』を無音で流しっぱなしにしていることが多い。たまに音も出すけど(笑)。

ー寺田さんの柄シャツは、今回の『Sounds from the Far East』のジャケットで着ているものと同じものですか。

寺田:この写真のとき着ていたシャツはあまりにも気に入ってたくさん着過ぎてダメになってしまって、知らないうちに捨ててしまっていたんですね。でも、同じ時代に買った90年代のシャツがまだほかにも残っていたので、ライブのときはそれを着ているんです。

ーそれはハウスセットのときだけですか。

寺田:そう。今回のハウスセットのパフォーマンスをするきっかけになったのは、Rush Hourのマークと「昔の機材を使ってライブをしたら面白いんじゃないか」という話をしたことがあって。



『Sounds from the Far East』リリース前の話ですか。

寺田:リリースの2ヶ月くらい前かな。最初は全部昔の機材でやったら面白いんじゃないかと言っていたのですが、そうするとあまりにも不安定で、セッティングするともう絶対にそこから動かせないという状態になってしまうので、最終的にはある程度昔の機材と今の機材を混ぜてやることに決まったんですが。それで、服装も当時のものと同じにしたら良いんじゃないかということで(笑)。

ー今年初めてステージを拝見したときは、ジャケット写真と同じだと思って興奮しました。機材は、具体的に何がどう置き換わったのですか。

寺田:このハウスセットでやっているのは、音源は昔とまったく同じ物です。しかし、当時のようにハードウェアサンプラーから連続して出力しようと思うと飛行機では持ち運べない量の機材になってしまうんですね。しかも、それをセッティングする場所をクラブやライブハウスで確保するのは不可能なので、今回はその音源をオーディオ化してそれをラップトップに仕込んでいます。手で鍵盤を弾く部分などはハードウェアサンプラーを使っているというかたちです。

ー確かに、今年は国内のライブと、ヨーロッパツアーもやってらっしゃいましたね。 

寺田:そうですね。最初、2015年10月に1度アムステルダムへ行って、再度11月にパリ、ロンドン、ベルリンの3ヶ所に行きました。すべてRush Hour関連のイベントで。完全に当時の機材でやれたら面白いとは思いますが、膨大な量の機材をセッティングしなくてはいけないですからね……。今はオーディオが簡単に動かせるようになりましたから、制作でもハードウェアのシンセサイザーを使わないで作ることもありますよ。

ーなるほど。10月に発表された寺田さんとSEKITOVAさんで森高千里さんをフィーチャーしたミニアルバム『百見顔(Hyamikao)/Foetus Traum』では、どんなスタイルで制作されたのですか。

寺田:この企画では本当に90年代に自分が使っていた機材をたくさん使って作りました。

ーそうしたクラシカルなハウスのスタイルで作曲するのはかなり久しぶりではなかったですか。

寺田:そう。キーボードとかはコントローラーとして今でも使っているけど、音源として使うのは久しぶりだったり、長らく電源が入っていなかったラックにスイッチを入れたり。

ーこのコラボレーションはどういったコンセプトだったのですか。 

寺田:森高千里さんのシニアマネージャーの方がテックハウスなどが好きな方で、その方と『WASABEAT』(クラブミュージック専門の配信サイト)の間で生まれた企画だったんです。もともとは森高さんのセルフカバー企画に関連したリミックスの制作ということだったんですが、歌の素材を組み替えて新しいメロディーができたから、新しい曲になったという感じです。

ー昔の曲の歌声を再構築して新しい曲にしたということですか。

寺田:そうですね。

ー最初にSEKITOVAさんの『Foetus Traum』を聴いたときはどんな印象でしたか。

寺田:SEKITOVA君の曲は、非常にテックな作りになっていて、音の組み合わせ自体が曲の特徴みたいになっているから、その組み合わせを変えると、その曲じゃなくなっちゃうなと思って。だから、SEKITOVA君の曲よりも、森高さんの声にフォーカスしたリミックスを最初に作ったんですよ。でも、企画のコンセプトとしては「Feat. Chisato Moritaka」ですから、SEKITOVA君の曲にフォーカスしたものを作らなくては、ということで再度、SEKITOVA君の方を向いたトラックを作ったんです。初めに作った森高さんの方を向いた曲は別でリリースがあるみたいなんですけど。

ーSEKITOVAさんはとても若い世代のトラックメーカーで、非常に現代的な感覚に溢れていると思うのですが、実際に彼の作品をリミックスしてみて、いかがでしたか。

寺田:なんかね、すごく新鮮で……。自分はどうしても楽器っぽいアプローチになってしまうというか。和音とか、昔からある規則に縛られている部分があるんですが、彼は多分そういうところからすごく自由。普通の楽器的な感覚だとあり得ないピッチでベースが鳴っていたりするんだけど、それがものすごくトランシーな雰囲気を出していたりとか。あと、別々のパートの音が組み合わさってコードになっていたりとか、音の組み立て方がめちゃくちゃ繊細。あの、木を組み合わせて少しずつ抜いていく……。

ー『ジェンガ』のような。

寺田:そう。崩れる一手前の『ジェンガ』みたいな作りになっているので、それがすごく新鮮。曲として聴くと不思議なんだけど、リミックスで素材をバラバラにもらって聴いてみると、こんな風に鳴っているんだ!と。だから、初めは彼の曲はこれ以上いじれないと思ったんだけど、よくよく聴いてみると、彼の曲にも楽器的なアプローチしている部分が所々あって、それを探し出してやってみた感じですね。

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すべてを聴けるから大変だと思うけど、可能性はすごくある

ーなるほど。では、逆に寺田さん作曲の『百見顔(Hyamikao)』をSEKITOVAさんがリミックスしたものを聴いたときはどうでしたか。

寺田:あれもね、SEKITOVA君はコードとかキーの規則に縛られていない面白さがあって。自由でテクノっぽいんだけど、音階やハーモニーを完璧に無視するところまでは行かずに、楽器っぽいところじゃないところから、ハーモニーとかサウンドのアプローチを試している感じがあって、すごい面白い。




 ー楽器的な要素から自由になる、というお話ですが、鍵盤奏者としてバンドセッションも経験されていた寺田さんが90年代にハウスミュージックを作り始めた時にも、これからさらにDTMによってひとりで作り込んで完結する環境が発達すれば、そうした自由のもとに音楽が作られていくことは予感されていたんじゃないですか。

寺田:ああ、それは予感というか……、完全にネクストジェネレーションだなと。多分、SEKITOVAくんが聴いて育った時代の音楽が、たとえば2000年代のダンスミュージックとかはすでに楽器的なものから放たれて自由になっているから、自然とそうなるんじゃないかな。

ーそうした変化は、ポジティブなものであると思いますか。

寺田:うん。すごく良いことだと思うよ。今は自由になったものも、昔のものも全部聴けるしね。90年代のハウスを聴きたかったらネットで探せるし……。すべて聴ける可能性があるから、その人の意思でどうにでもなるし、調べられるから良いと思う。でも大変だとも思う(笑)。いっぱいあるからね。昔からのハーモニーからジャズ的な進化があって、そこからプレイヤーからも自由になった音楽が現れて、さらに最近みたいに本当に楽器の概念からも自由になった音楽まで、全部が聴けるから。そこから自分なりに取り込んで何かをやるのは大変だなと思うけど、でも可能性はめちゃくちゃありますよね。音楽教室に行かなくても『YouTube』でとりあえず観られてしまったりね。

ー今年はいろいろなイベントやフェスティバルに参加されたかと思いますが、何か印象深かったことはありましたか。

寺田:そうですね。『Today’s Art』のときが、Omodakaとハウスセットを間髪入れずに連続してやるという初めての試みで、とても面白かったですね。トラブルはあったけど、ふたつのセットを一緒にやれるという可能性を感じて、楽しかった。 

ークラブ以外ではロックやポップスのアーティストとも共演されたと思うのですが、なにか印象に残っているアーティストはいますか。

寺田:今年共演した人たちは有名無名問わず面白い人たちばかりで、こんな人たちがいるんだ!という印象を受けたかな。『音泉温楽2015・冬』で共演した(((さらうんど)))とか、Networksとか。一十三十一さんも初めて観たけど、すごく良くて。

ー(((さらうんど)))も一十三十一も、90年代の音楽がベースであるということは関係しているのかもしれませんね。

寺田:なるほど、そうかもしれないな。でも、その90年代の音楽が何をルーツにしているかというと、さらに10年20年前のものから引っ張ってきているわけだから。まったく同じところには戻っては来ていないけれど、ある時代の音楽のフレーバーが含まれているものなのだと思う。

ー寺田さんの曲をラリー・レヴァン(かつてニューヨークの存在した伝説のクラブParadise Garageを作ったDJ)がプレイしたというのは、そういうことなんでしょうか。

寺田:そうかもね。ラリー・レヴァンだって、色々なところ、ジャンルではないところから曲を引っ張ってきたりして、そういう不思議さがあるから。誰もが忘れていたような曲を持ってきても、彼のプレイを通して聴くとストーリー性があるんだよね。

使いづらい曲だったからこそラリー・レヴァンがプレイしてくれたのかも

『Sounds from the Far East』が今年こんなにヒットしたのは、一部でハウスがリバイバルしたタイミングとリンクしていたからというだけではないと思っていて。寺田さんの楽曲はいわゆる「本場の音」的なものとは別の所に魅力やアイデンティティがあるから、当時のハウスに親しみのない若い世代にも広く聴かれたのかなと。

寺田:当時は、本当はそういう風(当時のダンスフロアでかかっていたハウスミュージック)に作りたかったんだけど、というかそういう風に作っているつもりだったんだけど、できなかったんだよ(笑)。当時の自分としてはフロア向きに、ニューヨークっぽい音にしたつもりなのに、実はなってなくて。それが幸いしたのかな(笑)。

でも、今聴くと古臭く感じてしまうようなメインストリームの音が、当時としては最高に映える音だったんだよね。その音になっていないと、DJ的には使いづらいわけだけど……そうしているつもりだったんだけど、そうはなってなくて(笑)。使いづらい曲だったんだと思う。でも、直球じゃないプレイをしているDJからは面白いと思われて、ラリー・レヴァンもかけてくれたのかも。彼のなかでなにかが引っかかったんだと思うし、それは本当に嬉しい。 

ーフォーマットはハウスですが、リスニングミュージックにもなる作品だと思います。これ以外に何が必要なんだ!という音だけで構築されている音楽というか。

寺田:ダンスフロアに映えるミックスと、曲としての良さが生きるミックスは違いますもんね。クラブ帰りの高揚した気持ちでガッとやったものはやり過ぎだったり、逆に平常心過ぎると大人し過ぎるミックスになったり、その両方があるんですが。ニューヨークのハウスとかは職人芸によってコントロールされていて、どんなボリュームでかけても使いやすいようになっていたんじゃないかな、とは思うんですけど。

ーやっぱりフロアで使ってもらいたかったんですね。

寺田:90年代は今のように自分でパフォーマンスできる機会がほとんどなかったですから。僕はDJはできなくて、ほとんどフロアにいたから、DJに使ってもらうしかなかった。ライブパフォーマンスをやるとなると機材的に大変なことになりますし、ライブでの再現性も低かった。

ー当時叶えられなかったことが、現代になって実現できたということでは、嬉しいですね。

寺田:うん。パフォーマンスしながらの調節もできるし、嬉しいです。ベストかはわからないけど、すごく良い状態。

ーでも、今回のRush Hourからの『Sounds from the Far East』リリースの話がなかったら、ハウスセットをやることはなかったですか。

寺田:やろうと思うどころか、音源の存在自体を忘れていたと思う(笑)。全然考えていなかったかな。

ハロウィンには高橋透さんと、池尻のCLICKではShinichiro Yokotaさんと、90年代から縁の深い方々と久々に共演されていましたが、いかがでしたか。

寺田:そうねえ……。お客さんは若かったから、当時を知っている人たちなわけないし、90年代の雰囲気をみんな新しいものとして楽しんでくれているんだなと思ったな。

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今はどのメディアから出すかということを意識せずに作れる

ーたとえばハウスのDJやプロデューサーは、ずっとハウスをプレイし作り続けるものですが、寺田さんはそうならなかった。90年代のハウスから出発して以降、ジャングルからチップチューン、民謡まで様々なジャンルの音楽を取り込んで創作されています。

寺田;新しいものに興味がいってしまうんですね。作品は、それを作った直後からもう古いものになるだろうから。もちろん当時は、これは最高だ、と思って作っているわけですが。DJに関して言えば、僕はずっとダンスフロアにいる側だったから、DJというものに対する宿命的なものがないのかな。DJブースにいるにはDJ的な宿命があるわけじゃないですか。

ーDJはできないなと。

寺田:できないというか、気がついたらそうなっていたというか。特定のジャンルにハマったらそのレコードをたくさん買い込んだりはするんだけど、そこにDJ的な感覚が欠落しているというか。

今回、代官山のAIRでもヨーロッパツアーと同様のRush Hourのショーケースが行われて、Rush HourのAntalとHuneeが来日しますが、このHuneeが今回、僕の90年代のたくさんの音源から選曲して『Sounds from the Far East』を作ってくれたんです。ライブセットもこの選曲から組んでいるんですが、1回、彼の選曲からもれた曲を挟んだことがあったんですね。そうすると、なんかバランスが変わってしまうというか。Huneeが並べてくれた曲は非常に鋭いDJ的な感覚で選ばれたもので、これは僕にはできなかったなと。それぞれの曲に思い入れも強いし。

ー収録曲以外を挟んでパフォーマンスすると、流れが悪くなった?

寺田:やりながら流れが悪い、と思って元に戻したりしました。たとえば、スタイリストがコーディネーションしたとして、そこに自分のお気に入りの眼鏡をプラスしたら、なんか違っちゃったみたいな。好きな眼鏡なんだけど、このコーディネートには似合わない、みたいな。なので、『Sounds from the Far East』に入っているものはひと固まりにしたほうがいいなと、この1年で思いました(笑)。Huneeが僕のA&Rなんです。

ーなるほど。では、2016年はどんな展開になりそうですが。

寺田:来年の初めは、海外のいろいろなところからツアーのオファーが来ているので、それをまわって、その後に未発表曲も含めた新曲の制作をしようかと。

ーツアーはどのあたりをまわるのですか。

寺田:アジアは上海と香港。あとアメリカとカナダと、オーストラリア。あと、ヨーロッパの東側、ヘルシンキとかオーストリアも呼んでもらったんだよね。

ー新たに作る曲は、ハウスセット用ですか。

寺田:ハウスセットもOmodakaも、両方で新しい曲を作ってライブに反映させたい。

ー音源の発表の場は、今はフィジカルと、サブスクリプションを含むデジタルがありますが、こうした時代の変化についてはどう思われますか。

寺田:簡単に聴けるほうが、より多くの人が音楽を聴いてみようという気になるから、すごく良いんじゃないかな。試聴するまでもなく、試聴するように全部聴けるわけだから。サブスクリプション経由でOmodakaを聴いてもらえた反応を『Twitter』とかで見かけるけど、嬉しい。

ーなるほど。それは、作る側である寺田さんにとってどんな環境なのでしょうか。

寺田:今の方が、作品を作るときに、それをどのメディアから出すかということを意識せずに作れる気がしていて。個人から配信で発信できるから。昔だったらレーベルの了解が必要だったり、ということがあった。今の方が好きにできて好きに発表できるようになったんじゃないかな。Omodakaも、自分で作って自分で発信するからあれだけ好きなことができてるわけだし。自由すぎることで迷ってしまうということはないかな。だって本当に好きなことしかできないから(笑)。

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