Jon Hassell
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ジョン・ハッセル、終わることのないマルチカラーな世界の探究

闘病とパンデミックを経て発表された新作を語る

テキスト:
Kunihiro Miki
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インタビュー:三木邦洋、坂本麻里子
通訳:坂本麻里子

2020年9月8日付けのニュースによると、アメリカのアカデミー賞は作品賞へのノミネートに「女性や人種マイノリティーなどを積極的に起用する」ことを条件として新たに定めるという。

コロナ禍を経て、「多様性」「共存」「持続可能性」といったワードがそれ以前とは比べ物にならないほど切実さを帯びるようになった。今後生まれる音楽やアートも、そうした性格が一層濃くなるはずだし、受け取る側もそこにより目を凝らすようになるだろう。多様性とは当然、制約ではなく豊かさをもたらすものだ。または時には豊かさのために享受すべき制約かもしれない。

ジョン・ハッセルの音楽ほど、十人十色の解釈ができる音楽も珍しい。それは聴く側の知識、関心、心や体のコンディション、または聴く環境によって左右されて、ある時は瞑想(めいそう)的な音楽になるかもしれないし、ある時はプリミティブなダンスミュージックにも、懐かしさを覚えるフォークミュージックにもなるかもしれない。

彼のキャリアは実際、アメリカの現代音楽やジャズを学び、前衛的な電子音楽やロックと出会い、ラーガなどのワールドミュージックに指針を得るなかで、同世代の作曲家たちのように一つのジャンルの看板を背負うことなく、それら多様な音楽の理想的な交配を実践し続けてきた。

それは最初に、1977年のアルバム『Vernal Equinox』とそれに続くブライアン・イーノとの1980年のコラボレーションアルバム『Fourth World Vol. 1: Possible Musics』で結実した。「第四世界」と名付けられた彼独自の世界観は、その次に「マジック・リアリズム」、そして最新の「ペンティメント」へと歩みを進めてきた。

このインタビューで取り上げる最新作『Seeing Through Sound』は、そのペンティメントシリーズの2作目に当たる。今年5月にジョンの深刻な健康問題についてのニュースが報じられた矢先の新作リリースであること、そしてなにより、今こそ彼の口から彼の音楽について語られる言葉を聞きたい、と思う人が多くいるのではないだろうかという予想から、このインタビューは行われた。

インタビューは、ロンドン在住のライターで翻訳家の坂本麻里子、および東京の音楽レーベルBEATINKの協力のもと実現した。一度はジョンの体調が優れないとのことで断念した取材だったが、再びの回復のタイミングを見て行われた。

いくらかの正常さを得るのすら困難な時期だね

ー現在の体調はいかがでしょうか?

うーん、そうだな、あまり好調とは言えない。

ーそうですか……。それは残念です。

はっはっはっはっはっ! 気にしないで。

ー入院生活と、そして世の中に新型コロナウイルス(COVID-19)の感染が拡大するなかで、この数カ月はどのような生活を送っていましたか。

まあ、恐れはあった。ただし、差し迫った恐れという意味ではないな。人付き合いを避けるのをやめ、人ごみに混じり、マスク着用を怠れば、それはトラブルに巻き込まれることになるだろう。でも私はそんなまねをするつもりは一切ないから。

新型コロナウイルスは音楽業界にも大きな影響を与えています。これによって作曲者、演奏者側とリスナー側双方の意識も変化してきていますが。

まったく前代未聞の状況だよね。今生きている者でこんな世界規模のパニック、世界的なパンデミックの中で暮らしたことがある人間はまずいないだろう。

だから何もかもが不透明で不安に思えるし、どう作品を出すか、出さないか、コンサートを行うか、行わないと決めるかなど、さまざまな問題がある。非常に骨の折れる時期であり、いくらかの正常さを得るのすら困難な時期だね。

「マルチカラーなつづれ織り」と呼んでいるよ

ー今作『Seeing Through Sound』と前作『Listening To Pictures』には、「Pentimento※」という副題がついていますが、同じコンセプトのもとに作られた連作であると考えていいのでしょうか。

ああ、そうだ。「Pentimento」という単語はこれからも使い続けるかもしれない。というのも、あの言葉は一連の作品の制作プロセスをとてもよく言い表しているから。だから、もしかしたら『Pentimento Vol.3』をやるかもしれないね(笑)。

ともあれ、あの言葉は役に立つ「絵」なんだよ。3、4人の非常に才能あるミュージシャンたちとともに、何かを消去し、あるいは何かを受け入れ、またあるいは何かを拒絶した結果生まれた、あのサウンドと音楽を表すのにね。

だからもっと「Pentimento」作品が生まれる可能性はあるけれども、そう言ったせいでプロセスが脅かされてジンクスになるかもしれないから(笑)。ここらで止めておこう。

※:絵画において、重ね塗りや修正をされて覆われていた元の画像が再び現れることを表す。イタリア語で「懺悔(ざんげ)」を意味するpentirsiが語源。

ー『Seeing Through Sound』はどのようなセッション、録音を経て制作されたのでしょうか?

『Listening To Pictures』とほぼ同様で、長年共演してきたミュージシャンを集めてのセッションだった。彼らはすべてがそれぞれのスタイルを持っていてね。だから、ある意味私のレコードであるのと同じくらい、彼らのレコードでもあるんだ。非常にコラボレート型で、マルチカラーなサウンド、とでも言っておこうかな(笑)。そんな風にいろいろな個性が混ざり合ったものだよ。

ーセッションは、即興がベースになっているのでしょうか。 

私のやることのほぼ何もかもがそうだね、うん。

ー例えばあなたがスタジオに持ち込んだアイデアやモチーフをミュージシャンたちとともに発展させていく、というものですか。

いいや、実際は非常にコラボレート型のプロセスなんだ。演奏者は皆、お互いを反映し合っているわけだよね。そこで我々がやるのは、ある者がとあるサウンドを混ぜていき、するとほかの誰かが本能的に、その時点までに私たちのやってきたことを元にちょっとしたエレクトロニックな変成などを加えていく、というもの。それが我々のアイデンティティーの一部というか、我々流のスタイルめいたものになってきている。

ー今年は『Vernal Equinox』のリイシューも行われました。当時と現在で、作曲に対する姿勢にどのような違いがありますか。

大きな部分で言えば、テクニックの数々および音響面における可能性、その進化発展に関するところだね。それがしょっちゅう前面に出てくるわけではないけれども、こんなことをやれる小さな箱がある。この機材を使うと音をこんな風に変えられる、などといった類の進化はある。私はそれを「マルチカラーなつづれ織り」と呼んでいるよ。で、その中において自分がやると決めたこと、それはかなり即興が基盤になっている。

その即興の場では我々全員が同じスペースに集うし、誰もがサウンドに貢献している。誰かのやることが引き金になり、それを受けてほかの誰かがまた別の何かをやることになったりね。それはある意味、いわゆるジャズのプロセスと同じものだ、ということになるんだろうね。 

ただ、グループとして行う即興はエレクトロニクスを使いこなす能力に由来してもいる、という。彼ら(ミュージシャンたち)のやることは興味深いものでね(笑)。というわけで、規則正しい音響的かつ音楽的な側面を備えつつ、と同時にまだ使われたことのない新しいサウンドを作り出そうとする面も持っている。そういう内容のコラボレーションになってきたんだ。 

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テクノロジーは可能な限りそれが見えない状態にとどめておくべきだろう

ー世界的にみても、またここ日本でも近年アンビエントミュージックやニューエイジに対して人々の関心が高まっています。新型コロナウイルスの影響で変化した生活様式においてそれはさらに加速しているようです。これについてはどう思いますか。

思うにそれは単に、過去になされたことが一旦そこから離れて進化していった、ということじゃないかな。ある程度の歳月を経れば、過去のアイデアに何か少し新しいものやエレクトロニック機材から生まれた新たなサウンドを付け足す人間が出てくるものだし、それら新しい要素が別の何かを示唆する。それぞれの出している音をベースにお互いが影響され合うセッションのプロセスと同じことなんだ。

そうやって何かを見つけようとする――可能な限りのインプロヴィゼーションを通じて何かを発見するということ、新たな響きを持つ何かを見つけようとすることなんだね。そうして、我々のスペシャルなやり方でほかの新たな物事と連結していく、という。

ーあなたの音楽の魅力の不思議を探るに、複雑なものが複雑なまま溶け合っている音楽である、ということがひとつあると思います。多様な民族性が含まれていることももちろんですが、テクノロジーに対するアプローチも独特で、テクノロジーとの関係性から生まれるものとしては文学やアートにも見られない世界観だと思います。テクノロジーとの付き合い方について語っていただけますか。

確実に言えるのは、テクノロジーは可能な限りそれが見えない状態に留めておくべきだろうね。かつそれは、ただ耳に聞こえてくるもの、何か新しいものを耳にしているものの、そのサウンドがどこから出てきたのかはっきり分からない、というものであるべきだ。

たしかにテクノロジーは……何か新たなものが登場するたび、毎回何らかの新しい手法がもたらされるし、変化も生まれ、それにほれ込んでしまうことだってある。そこで考え方や感性の近い2、3人のミュージシャンとともにそれを試していくわけだ。そうしたミュージシャンたちはまた、誰でも知っているような楽器、エレクトリックギターなどをちゃんと演奏できる連中でもあって。ところが実際にスピーカーから出てくるのは、「その楽器の音」とは似ても似つかないものだ。変容させられているから、その楽器そのものの純粋な音色ではなくなっている、と。

そういう面ではエレクトロニクスは非常に重要なものだけれども、ただとにかく、「エレクトロニクスにそうさせない」というのかな、音楽をエレクトロニクスで分厚く塗ってしまいたくはないわけだ。私がもっとも興味深いと思うのは、伝統的な楽器を使いつつそれを変成することで新たなやり方が生まれて、けれどもそれはその新たなサウンドに沿って物事が自然にぴったりと合わさっていく、ということだろうな。

ーそれは、昔ながらの楽器に新たな文脈を与えるということでもある?

ああ、そうだね。

それをどうジェネラティブ的に生かせばいいのか?

ー近年、ブライアン・イーノは「ジェネラティブミュージック」的なアプローチの作品を作っています。そういった作家の作為性を排除した音楽には興味や共感はありますか?

まあ、新たに見つかった、エレクトロニクス等々による音の作り方と、その本来の音を発生させるのに使われた楽器とを切り離すのは非常に難しいわけだしね。ただ、自動生成的(ジェネラティブ)と言っても、そのために設定したシステムによってひとたび何かをスタートさせたらそれがそれ自体の意思で勝手に進んでいってしまう……というものではない。

そこでもやはり、作り手のマインドや趣味といった一定の要素がトップに位置するんだよ。とはいえ、ジェネラティブミュージックというアイディアは興味深いものだ。ジェネラティブによって生まれた短いパッセージを使い、それをあまりジェネラティブなものではない(笑)何やかやに結合させることもできる。だからそれもとにかく、また別のテクニックのひとつ、ということになるね。

ーなるほど。

だから、アルノルト・シェーンベルクらによる十二音技法(※)のようなものかもしれない。あのシステムで彼らは音程に原則を定めたわけだが、では、それをどうジェネラティブ的に生かせばいいのか? と。

アントン・ヴェーベルンを例にとるけれども、彼は新たなエレクトロニックミュージック(ここでは新ウィーン学派ら前衛音楽の意)のなかでももっとも興味深い人物のひとりでね。というのも彼はオーストリア生まれなんだ。彼はある意味、作品の中で渓谷やそこに響くこだま、自然音の数々……たとえば羊の群れが移動する様や羊飼いの鳴らす鈴の音といったものを模倣しようとしたんだ。

だから彼は、あのシステムのなかで自らのルーツに強くインスパイアされた音楽をやっていた、とも言えるわけだ。ここで言っているのは先ほど話した十二音技法の時代の話で、シェーンベルクらによる一定の音階のシークエンスを使うシステムの始まりのことだけれども、それは一種かなりリズムに近いもので、ある意味質感のなかに編み込まれている、とも言える。

ヴェーベルンには羊飼いの鈴等々のインスピレーションがあって、それらは彼にとっては自然に浮かんでくる音のメニューだったわけだよ。羊飼いのいる山麓のあるような場所で生まれた人間は、そこで偶然聞いた音や取り囲まれていた環境に引き寄せられることになるものだろうからね。

※:シェーンベルクが『五つのピアノ曲 Op23』(1921年)で確立したといわれる音楽の調性から逸脱した作曲法

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演奏とはぴったりとフィットする何かを見つけ出す行為
Jon Hassell

演奏とはぴったりとフィットする何かを見つけ出す行為

ー家にこもってらっしゃる日々だと思いますが、最近はどんな音楽を聴かれているのですか?

聴いているもののほとんどは、我々がここのところスタジオで作り出している音楽だね。だから私はそんなにいろいろと聴いていないし、それは一種閉じたシステムでもあるわけだけれども、3、4人の人間が集まり何をやるかは我々次第だし、そこにはいろいろなところへ行けるマルチカラーな選択肢の大きな世界が広がっている。そこからさまざまな場所に向かって行ける。

だから要は、自分に尋ねなければならない、ということだと思うよ。「自分が本当に好きなのは何なのか?」と。そうして何もかもを流れに任せていき、そうしながら慎重にちょっとずつ、ちょっとずつ捨て去っていくと、やがて君に「ああ、これだよ! 今聴いているもの、自分がずっと捜し求めていたものはまさにこれだ!」と語りかけてくるものが見つかる。

ーご自身のセッションや作業の合間で、あなた自身の楽しみのためにほかのアーティストのレコードを聴くことはあまりないのでしょうか。

もちろん、昔の自分はいつだってほかの音楽を聴いていたよ。もちろんシュトックハウゼンが何をやっているかには気を配っていたし、エレクトロニック音楽の事情がどういうことになっているかを聴く、という意味で。それもとにかくまあ、状況をチェックし続けるというか……。

そうしたあれこれの影響群をひとつの鍋に放り込んで、ぐるぐるかき回してみたらどうなるかやってみよう、ということであって(笑)。願わくばそこから何かが出てきてくれたらな、と。

音楽のマルチカラーなプロセスを何らかの言葉で説明しようとするのはとても難しい。そこでは「どうしてこの音はこう聞こえるんだ? この楽器はどうしてこう響くんだ? これらの音は何を語りかけているんだ?」といった思いが浮かぶし、するとそうした思いを感じ取る人間もその場に出てくる。それが音楽の喜びなんだね。音楽は言葉で説明するものではなないだろう? 

演奏とはぴったりとフィットする何かを見つけ出す行為であり、数人の人間が一丸となって同じものを探そうとする、そういうことであって。だからこそ、時にそこから何かいいものが生まれてくることもあるんだよ。

最近の日本のポップミュージックはかなりいいよね!

ー最後に、世界中のあなたの音楽のファンに向けて、メッセージをいただけますか。

(せき払いしてやや改まって)……「あなたが本当に好きなものは何なのかを自分に問い続けてください(keep asking yourself what it is that you really like)」だね。どういうことかと言えば――こう言うと、ある意味「単細胞なメッセージだな」と思われるかもしれないよね。ただ、これは時間がかかるものなんだよ。

今の時代はあらゆる類いの意見、そして影響の数々があちこちに漂っているわけだし、どう考えてもそれらのすべてにいちいち関わるのは無理な話であって。だから、そこで君は何かを選び取るわけだし、要するに、それは君個人のテイスト(趣味)だ、ということ。

そうやって選んだものだって、君が成長するうちに捨てていくことになるのかもしれない。でも、そうだとしてもそれは、いずれ成長していってくれるかもしれない、素晴らしい種子の数々が君の中にまかれた、ということであって。ということは、君は既にもうほかよりも何歩か先に進んでいるんだよ。

だから、自分の心の声に耳を傾ければ、「いや、これはあんまり好きじゃない。ほかのことをやってみよう」とか「さっきやったことに戻ってやり直そう」「試しにこれをやってみよう」「引っくり返してみたらどうかな」と思うことができるわけ。だからそれは、どう動くかの流儀なんだと思う。

要するに、「自分が本当に心から興味があって好きなものは何なのか?」と自問することだね。ただ単に、ポップミュージックの世界ではこういう現象が起きているから自分も支持するとか、あちこちでいまこれが盛り上がっているから自分も好き、というのではなくて。

もっとも興味深いことというのは、その人間自身の好み、すなわちその子どものころに大好きだったさまざまなことと、そうしたいろいろなものの組み合わせを見つけ出そうとする姿勢とをひとつにしてくこと。そこだと思う。

だから、それは君の愛するものだということだし、君がかつて実際に何かに対して感じた愛情、そこから大きく隔たってはいないんだよ。君が本当に好きなものということだし、単純に「いま人気があるからこれは自分も好きだ」ということではないんだ。そうは言っても付け加えると(苦笑)、最近の日本のポップミュージックはかなりいいよね。かなりクレイジーだし、とても面白い(笑)!

『Seeing Through Sound(Pentimento Volume Two)』の詳しい情報はこちら

Jon Hassell

ジョン・ハッセル(Jon Hassell)
トランペット奏者、作曲家、コンセプチュアリストであるジョン・ハッセルは、前衛音楽と先鋭的な音楽の発展の歴史において、大きな功績を残してきた。

後のカンのメンバーらとともに、ケルンのカール・ハインツ・シュトックハウゼンに師事した後、テリー・ライリーの『In C』(1968) のレコーディングに参加。ラ・モンテ・ヤングが結成したシアター・オブ・エターナル・ミュージックのメンバーにも名を連ね、パンディット・プラン・ナートと共に、キラニック・スタイルの歌唱を学ぶ。それらすべてが、彼の演奏と異なる音響信号処理を施したトランペットの音作りに影響を与えている。

世界中の先住音楽に対する関心が高まった結果、「第四世界」のコンセプトを開発。様々なスタイルを融合させた音楽は、1970年代後半に『Vernal Equinox』や『Earthquake Island』などのアルバム作品で世に送り出された。

またそれらの作品は『Possible Musics』でコラボレートしているブライアン・イーノを魅了し、デヴィッド・バーンとブライアン・イーノによる名作『My Life In The Bush Of Ghosts』にも多大なる影響を与えている。

そこからトーキング・ヘッズの『Remain In Light』やピーター・ガブリエル、デヴィッド・シルヴィアン、ビョークらの作品に参加。また多くの映画音楽や舞台音楽を手がけている。

近年では、2018年にリリースされた『Listening To Pictures: Pentimento Volume One』が賞賛され、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーやフエコ・エス、ヴィジブル・クロークスら新世代の実験音楽家たちにも影響を与え続けている。

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