インタビュー:杉原邦生

今秋上演の四代目市川猿之助との「新版 オグリ」と大作「グリークス」

Photo: Yuki Nakamura
作成者: Time Out Tokyo Editors |
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テキスト:高橋彩子

演出家・杉原邦生がこの秋、相次いで大きな挑戦を行う。一つは、初となる歌舞伎演出。1991年、三代目市川猿之助(現・猿翁)が梅原猛の戯曲で作り上げた名作を、梅原の原作に基づいた横内謙介の戯曲で新たに生まれ変わるスーパー歌舞伎Ⅱ『新版 オグリ』で、四代目市川猿之助との共同で演出を手がけるのだ。

もう一つは、自身が主するKUNIOでの『グリークス』の演出・美術。トロイア戦争にまつわるギリシャ悲劇10本をイギリスの演出家ジョン・バートンらが一つにまとめたもので、3部構成だが一挙に観れば10時間にもなるという大作だ。話題作2本の創作について、杉原に訊いた。

「人生の歓喜」を描く『新版 オグリ』

ー『新版 オグリ』は、望まない結婚をさせられそうになった照手姫がオグリの仲間(=小栗党)に助けられてオグリと恋に落ちる1幕、オグリを含む小栗党の七人衆が地獄に行って閻魔たちと戦う2幕、オグリが閻魔によって顔も手足も様変わりした餓鬼病(がきやみ)となり娑婆へ送り返され姫と再び結ばれる3幕からなる物語ですね。同じく「演出」とクレジットされている猿之助さんとはどのような役割分担になっているのでしょうか?

顔合わせの時に猿之助さんが「今回は杉原邦生が演出で、僕は演出補です」とおっしゃって、稽古初日からびっくりさせられたのですが(笑)、実際、立ち稽古に入ったら、「まずは邦生がやってみて」と。なので僕がざっくりと立ち上げて、必要に応じて猿之助さんが修正していくという形でスタートしました。二人で相談しながらやっていくのかと思っていたので、親獅子に突き落とされた仔獅子のような気持ちになりましたね(笑)。

ーもともと杉原さんは、京都造形芸術大学在学中に大学内にある春秋座で市川亀治郎時代の猿之助さんの「亀治郎の会」のお手伝いをされたのですよね。以来、猿之助さんがプロデュースした『由紀さおり45周年スペシャルコンサートin ROPPONGI』(2014年)や、スーパー歌舞伎II『ワンピース』(2015年初演)で演出助手を務められ、八月納涼歌舞伎『東海道中膝栗毛』シリーズの構成も4年連続で担当されています。

いつも猿之助さんは思いもよらないことを僕に任せてくださいます。無茶振りってやつですね(笑)。毎回、その作業の中から新しい考え方や発想をたくさん学べるんです。今回は、猿之助さんはもちろん、立師の(市川)猿四郎さんや振付の(尾上)菊之丞さん、澤瀉屋の皆さんなど、これまでスーパー歌舞伎を支えてこられた方々に助けていただきながら稽古をしています。

ー猿之助さんから言われて特に印象に残っていることを教えて下さい。

立ち稽古の初日に僕がつけた、とある箇所の演出について「歌舞伎だとこれじゃあ拍手が来ない」と言われました。「現代劇ではとんとんとんと階段を作ってマックスを作るけど、歌舞伎では主役級の人が出てきた時に拍手をもらうためには、上げて行って一回下げて、もう一回上げないとダメなんだよ」と。歌舞伎では、メインの役の登場で拍手が来る。そのための、期待感の間(ま)みたいなものが必要なんです。言われてみて「なるほど、確かに(歌舞伎だと)そうなっているな」と思いました。

ー横内さんの台本には、今回原作としている梅原さんの脚本ともまた違う、現代的なワードが入っていますね。

そうなんです。閻魔は「多様性の時代に地獄も順応していかなければならないのではないか」と悩むし、その閻魔によって現世へ戻されたオグリが出会う遊行上人も信仰を人に説きながら迷っている。

皆、自分が進むべき道を迷っているところが、すごく人間的で現代的だし、良いなと感じるところでもあります。また、オグリと離れ離れになった照手姫をシオ爺とその妻フグ婆が助ける場面では、フグ婆が照手に嫉妬するのは前回通りなのですが、今回は周りのお婆さんたちの噂が炎上して嫉妬につながるというSNS的なシチュエーションになっていて、彼女たちの姿もまさに街で見かける現代人のものになっています。時代は中世なんですが(笑)。

ー今回、杉原さんの発案でストリート系ファッションの要素も取り入れたとか?

基本は和装ですが、随所にストリートの要素を散りばめています。チラシの写真をよく見ていただくと、猿之助さんも隼人くんも、パーカー姿なんですよ。隼人くんの場合はB-BOYっぽくキャップをかぶり、その下にバンダナをしているし、足元には白いラインが入っていて、ストリートの空気感を表現しています。

6人の小栗党の面々は真っ黒な衣裳で揃えて、まるでギャング集団。猿之助さんが、小栗党は皆でワイワイやってる不良仲間だという話をされていたので、ちょっと前の渋谷にいた、皆同じような黒いパーカーやスリムデニムで歩いている若者達のイメージを提案したんです。

さらに、この物語は現世と来世が表裏一体ですし、正しいと思ったことが間違っていた、というような裏と表の話でもあるので、反転させる意味で、2幕の地獄の場は真っ白な舞台にし、衣裳も真っ白。死に装束のようでもあります。

ー舞台美術はどのようなものに?

初演の朝倉摂さんの美術が全面ハーフミラーを使用したものだったので、一部それを踏襲しています。初演のパンフレットに猿翁さんが「近代の能楽堂」と書いていらしたのですが、能舞台のように鏡板があって、今回は実際の鏡なわけですが、そこに様々な道具が出てきてシーンを構成するというスタイル。

今回のほうが持ち込みものは多くて、派手ですね。さらに、LEDの巨大パネルを使った映像演出や、プロジェクションマッピングも取り入れています。

ースペクタクルとしてはどういった趣向がありますか?

地獄の場面が立廻りの連続です。同じく地獄の場での「血の池地獄」では、とんでもない量の水を使った演出があります。客席左右同時での宙乗りもありますし、初演では念仏踊りだったラストシーンも今回は「歓喜の舞」と称し、客席も全員で踊り狂うということを、僕らは目論んでいます(笑)。スーパータンバリンならぬスーパーリストバンドという、LEDで光るグッズを販売するんですよ。

ー最終的に目指す地点を、言葉にすると?

猿之助さんは、「人生の歓喜とは何か」ということをテーマにしたいとおっしゃっています。自分だけが楽しいことが幸せや喜びなのではなく、周りの人も含めてハッピーになることが本当の人生の歓喜だということを、今の社会に言いたい、と。

それは、初演の梅原さんから受け継いだ哲学でもあるだろうし、猿之助さんがご自身で感じた哲学でもあると思います。やはり、猿之助さんが『ワンピース』本番中に大変な怪我をなさったことは、このテーマを選ばれた大きな理由の一つになっているのではないでしょうか。一歩間違えば命の危険があった事故でしたから。

ー死にかけて生まれ変わるというのは、まさにオグリですよね。

そうなんです。だからこそ今回、『オグリ』を上演しようと思われたのではないかと、僕は勝手に推測しています。人間いつ死ぬかわからないだからこそ、隼人くんや僕のような下の世代に、自分がやってきたことややりたいことを伝え、育てていくことを意識なさっているんじゃないか、と。

もちろん、『ワンピース』の時もそうでしたけど、よりその思いが強くなったのではないかと、稽古場で隣にいて感じています。今の社会では、個人主義や多様性を尊重するのはいいけれど、その結果、皆、自分さえ良ければいいとか、自分を正しいと認めてくれる人が少しでもいればいいというふうになっていますよ。

スペクタクル性の強いスーパー歌舞伎がただのエンタテインメントではなく、社会に警鐘を鳴らすものでもあるというのは、自分がこれまでやってきた作品づくりのスタンスとも重なりますし、とてもやり甲斐を感じています。

神と演劇について問う『グリークス』

ー一方、11月の『グリークス』は、エウリピデス、アイスキュロス、ソフォクレスらのギリシャ悲劇10本をまとめた3部作です。どのようにアプローチしますか?

各部に「戦争」「殺人」「神々」というテーマがつけられているので、初めは美術のカラー(方向性)をそれぞれ分けようかとも思ったのですが、そうすると作品世界が部毎に収まってしまって面白くない。それだけでは収まり切らない10時間の流れをどうとらえるか、と考えた時、僕が面白いと思ったのは、神様の存在や描かれ方の変化でした。

今作の僕の大テーマは、「神様こそ人間が作り出した最大の演劇である」ということ。今みたいに科学が発達しておらず情報化社会でもなかった時代、例えば、雨が降ること一つ取っても、理由もメカニズムも何も分からないなか、生きていく上では何かしらの理由づけが必要だった。そこで、神という存在を作り上げ、その存在をより具体的に、より信じられるものにするためには物語が必要になり、神話が生まれ、悲劇が生まれ、演劇が生まれた。要するに人間が演劇を生み出した根源は神という存在なんだと思ったんです。

この芝居の中では、最初は「神様お願いします」「お任せします」「神様のために生贄を捧げます」と言っていたのが、「神様がいるから私たちはこんなに苦しんでいる」「神なんて所詮、物語、作り物」などと言い出す。

そうした状況の変化と神に対する態度の変化をきちんと描くには、やはり10時間という上演時間が必要なのだと思えたし、そこをきちんと描けたら観たことのない『グリークス』になるはず。最終的に、僕らにとって演劇は必要なものなんだ、と観客が感じられるようなところまでいけたら最高です。

ー杉原さんオリジナルのプロローグはかなり現代に近いところから物語が始まっていくそうですが、中身はあくまで古代ギリシャの世界なのですよね?

そうです。母なる海で繋がって時代が広がるイメージです。基本的に「俺ら、こんなことないよね」「こんな言葉言わないよね」という部分がたくさんある世界なので、古代ギリシャの話として客観的に観てもらっていいのですが、もしこんなにしんどい状況になったら俺たちも「神様」って叫んじゃうかもね、みたいな説得力は持たせたいんです。

「神」がテーマなので、舞台は祭壇、神殿を意識し、真っ白な能舞台のイメージにしようと思っています。少し古典的な要素を取り入れる美術に対して、衣裳は現代的になる予定です。和洋折衷で色々なイメージが広がることを狙っています。

ー過去に8時間半の『エンジェルス・イン・アメリカ』や6時間の木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』も手がけていますが、長時間の芝居を作る際のポイントは何でしょう。

これまでの経験で得たのは、長時間続けるには、緩急を何層も作らなくてはならないということです。例えば1時間の芝居だったら10分あるいは7〜8分の波、2〜3時間の芝居なら15分くらいの波である程度見せられるものが、5時間を超え出すと、1時間単位の波と、10分単位の波と、1分単位の波、それぞれの層を作っておかないと見せ続けられない、みたいな感じなんです。

ーその層はどうやって作るんですか?

『東海道四谷怪談―通し上演―』の場合、まず大波としては、1幕はストレートに見せ、2幕は床が割れるなどの空間的なスペクタクルを展開し、3幕はブレヒト芝居のように役者が観客の前で役を入れ替えるというふうに演出の構造を変えました。場面毎の波は、どこで音楽を入れるかとか場面転換の仕方などで見せます。数分毎の波としては、心情やキーワードをどう残していくか。長時間の芝居では残すべきキーワードも多いわけですよね。そこに向かってどのように分単位の波をつけるかということを、明確に作らなくてはなりません。

さらに、これは上演時間に関係なくどの作品でもそうですが、大きいテーマの波はもちろん必要。だから、長くなると少なくとも4層か5層は必要なんです。

ー翻訳は、小澤英実さんによる新訳ですね。どのようなリクエストを?

女性の存在が印象的な作品なので、女性の翻訳家に依頼したいと思っていました。もともとシンプルな英語で書かれているらしく、「重厚にもライトにも韻文的にも散文的にも訳せるけれど、どうしますか?」と言われ、試訳を何パターンか出してもらって、方向性を決めていきました。

良い意味でニュートラルに幅を持たせて訳していただいたので、俳優も言葉でなく芝居で役作りができます。小澤さんは現場の作業を尊重してくださる方で、「自由にカットしてくれてかまわない」と言ってくださっていますし。台本のカットに関しては、『ワンピース』の時に猿之助さんの稽古場での作業から、大胆にカットすることの効果を学んだんですよ。ですから、今回もカットするところはしつつ、滔々(とうとう)としゃべるギリシャ悲劇の良さも残しつつ、バランスを見て作っています。

ーところで、『オグリ』も『グリークス』も最後、全員で踊りますね。『エンジェルス・イン・アメリカ』でも冒頭に出演者たちのダンスシーンがあり、杉原さんご自身も楽しそうに踊っていたのが記憶に残っています。

お祭り好きが高じて演劇を始めた人ですから(笑)。劇場で多くのお客さんと一緒に祝祭空間を作ることは、演劇の根源ですし、猿之助さんもそういう空間がお好きなんだと思います。そういう空間を作り続けるためにも僕は、物理的にもテーマ的にも、大きい作品に挑戦し続けたい。

どんなにデジタルな世界であっても、演劇は代替するものがないアナログな芸術だから、残り続ける可能性に賭けていきたいですね。まずは今年の秋、自分では「オグリークスの秋」と呼んでいるのですが(笑)、全力で充実の結果を出したいです。

『新版 オグリ』の詳しい情報はこちら
『グリークス』の詳しい情報はこちら

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。『エル・ジャポン』『シアターガイド』『ぴあ』『The Japan Times』や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、『シアターガイド』でオペラとバレエを紹介する「怪物達の殿堂」、Webマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」(https://ontomo-mag.com/tag/mimi-kara-miru/)を連載中。 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

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