音楽に未来を学ぶ

若林恵と齋藤貴弘が語る、音楽業界の課題とイノベーションの萌芽

テキスト:
Kunihiro Miki
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「炭鉱のカナリア」という慣用句がある。何らかの異変が迫っていることをまっ先に知らせる前兆を指す言葉だ。ビジネスの世界では相場の変調を知らせる指数をそう呼ぶこともあるが、他方で「社会において音楽は炭鉱のカナリアである」という考え方が示されることがしばしばある。  それは、音楽にまつわるメディアや業界の変化、時代の空気が生み出す新たな音楽ジャンルを読み解くことで、世の中のあらゆる変化を理解する上でのヒントを見つけることができるからだ。

本記事は、「今、音楽を通してなにを読み取るべきか」というテーマのもとに、『WIRED』の日本版の元編集長で現在は雑誌『blkswn paper 黒鸟雑志』の発行を行う傍ら、ビジネスやテック、都市開発や音楽、医療など、さまざまな業界にイノベーションのヒントを説く活動も行っている若林恵と、弁護士として風営法改正をけん引した人物として知られ、今年5月に初著『ルールメイキング:ナイトタイムエコノミーで実践した社会を変える方法論』を上梓した齋藤貴弘による対談をまとめたものだ。

音楽と社会、ひいては文化と社会の関係性を今一度捉え直す、示唆に富んだ内容となっている。

「なにもない」が育むもの
若林恵(左)、齋藤貴弘(右)

「なにもない」が育むもの

齋藤の同著は、改正の活動の過程で発生した障害と問題解決のためのノウハウを記した一冊であると同時に、そのルールメイキングのマインドをビジネスやカルチャーの最前線に応用するための指南書でもある。

齋藤は風営法改正を推し進めるなかで、カルチャーの活性化や新しいマーケットの開拓という広い視野での未来を見据えるために、問題解決の上でトップダウン構造を拒否した方法での改革を実践した。

深夜営業に関わる事業者のみならず、さまざまな業界がこの風営法改正の成功に大きな注目を注いだのは、今の日本において、しがらみを越えて利己主義的要素を限りなく排したかたちで変革がなされることがいかに稀(まれ)なことか、ということの証左でもある。

若林も、行政と連携する都市開発に関わる身として、改正にまつわる一連の事象に興味を持っていたという。複雑なしがらみがあるなかで、最良の結果を導くにはどうすればいいのか。そこで最重要視される、最適なレギュレーションや座組みをどう定めるか、といった課題に対して、齋藤は「ボトムアップ型のフレーミング」を提唱している。

これは、特定の業界や企業が主導権を取ってけん引する方法ではなく、複数のステークホルダー(企業などの組織が活動を行うことで利害が伴う影響を受ける関係者)が対等な立場で議論を重ね、課題解決のために合意形成をしていくという方法だ。要するに、利害関係による足の引っ張り合いを生まず、社会全体で次の一歩を選択するために有効なプロセスだ。

リソースがないところからムーブメントを起こした

多くの業界がトップダウン構造から脱却できない状況にある日本において、風営法改正にまつわる運動では、なぜこの手法が機能したのか。齋藤はその一因を、音楽に携わる人々が持っている特質にあると考える。

「(風営法改正は)署名運動などの古典的なやり方から始まって、ボトムアップで法律を変えようという動きにつながったという点で新しかった。ただ、だいたいの署名運動やデモが、一度盛り上がって終わってしまうなか、風営法改正ではなぜうまくいったのか。

盛り上がりの後にどう戦略的に変えていくか、という道筋がなにも用意されていない状況だったと思います。業界のような組織もないし資金力もない。政治や行政とのネットワークもない。

その『なにも持たない』ところからアプローチを生み出していくということが、音楽を作る人、音楽に携わる人たちはうまい、というか、もともとそういうマインドを持っているんじゃないかと思うんです。

例えば、サンプリングにしても、あるいはスクワッティングもそうかもしれない。リソースがない中で、どのようにして自分たちを表現していくか。ある種のDIYマインドによって、観光や不動産開発のような異業種、さらには政治や行政の巻き込みに成功し、具体的な成果につながったのかなと思います」(齋藤)

真空地帯がベルリンのテクノを育んだ

「なにもない」という環境が音楽の歴史においてイノベーションの起爆材となることを、若林はベルリンのテクノカルチャーの成り立ちから学んだという。

「長い年月にわたって東西に分断されて生きてきたベルリンの人たち、しかもお互い相手のことを悪魔のシステムのなかで生きていると考えてきた人同士が、いきなり一緒に暮らしてください、というのは相当ストレスフルな状況だったわけです。

片方がもう片方の土俵に乗ってしまうと差別される人が生まれてしまう、という状況のなかで、どちらの土俵でもない新しい環境というのは重要な役割を担う。

歴史のあるものは誰かのコンテクストに乗っかることになるけれど、テクノの歴史のなさとか、機械の音楽であることが、お互いのアイデンティティーを一時的にでも降ろして交わることができる空間を作った。

それが今のベルリンのカルチャーの根底にあるんだ、という捉え方を知って、合点がいった。だから、常にニュートラルな場所であるってことが彼らのなかでは価値のあることであり続けている。

そこは気楽になれる場所でもある一方で、それ以外にコミュニケーションを築く方法がないというくらいのシリアスさも背景にある。過去の価値観を持ち出されると血みどろになるってことを分かっているわけですよ」(若林)

『こんなのありなんだ!』という拡張

『こんなのありなんだ!』という拡張

とかく多様性の都市として引き合いに出されるベルリンだが、その土壌を育んだこうした背景から、日本にフィードバックできることとは何だろうか。

2人は、その寛容さこそが価値があり、持続可能性のあるカルチャーを作り出すためには必要であると主張する。そして、音楽は元来、社会の価値観を拡張させる装置であり続けてきたものであって、それこそが日本における社会と音楽、ひいては文化との関係において決定的に欠落しているものだと指摘する。

ミュージシャンの"ダウジング能力"

「(東京の音楽シーンにある閉塞感についてどう思うか?という質問に対して)新しいマーケットを作っていくという観点は必要だと思った方がいい。

あらゆる業界における、日本のお上と市民みたいな構図、つまりガチっと固まっているメインストリームと残りは全て草の根になっていてグラデーションがない状態、あるいは、結局は1人のスターを祭り上げてそこに皆が乗っかるスターシステムに依存している状態から脱却しなくてはならないわけだけど、その方法を誰が考えるのか。

ミュージシャンというのは本能的に、こういうことをやったら面白いんじゃないかという察知能力を期待されているところが実はあると思っていて。要するに、それはビジネスサイドから見れば、新しいマーケットを開拓するダウジングの棒みたいなものでもあるわけです。

だから、最も望ましくないのは、ミュージシャンが現状のマーケットに最適化していくこと。若い子らがあえて面倒な大人がいる空間にどんどん寄っていくみたいなことって、必然的にそうなってしまう事情があるのは分かるけれど、結局は状況を閉塞を加速させていることになる。

ぼくのりりっくのぼうよみ(※1)が引退した時に、彼がファンから『ファンの気持ちを分かってない』と説教をされていましたよね。自分たちの願い通りに行動してくれるのがファンとアーティストの関係だ、ということになっちゃっている。それは相当いびつな心理だと思う。

ポップミュージックの社会における価値は『こういう人がいていいんだ』ということを拡張していくことにあるわけですよ。例えばボーイ・ジョージがいたり、プリンスがいたり、と『こんなのありなんだ!』っていちいち驚いたんですよ。

シネイド・オコナー(※2)が出てきた時も『坊主頭の女性って!!』と心底驚いたりとか。そういう順を追った拡張があったからこそ、レディ・ガガだってカーディ・Bだって出てこれたわけで。20、30年前にタイラー・ザ・クリエイター(※3)がいても『は?』じゃないですか。

かつて受け入れる余地のなかったものが今は当たり前になっているという、そういう一歩一歩の拡張が大事なんだと思うんですよね」(若林)

※1 ぼくのりりっくのぼうよみ:1998年生まれのシンガーソングライター、プロデューサー、俳優。2019年1月をもってぼくのりりっくのぼうよみとしての活動を終了している。

※2 シネイド・オコナー:アイルランド出身のシンガー。デビュー当初はそのラジカルな言動が世間の注目を集めた。2003年に引退を発表したが、2005年に復帰。2018年にはイスラームへ改宗し、「シュハダ」と改名した。

※c3 タイラー・ザ・クリエイター:カリフォルニア州ラデーラ・ハイツ出身のラッパー、プロデューサー。ヒップホップグループ、OFWGKTA(Odd Future)のリーダー。

クラブの本質的な価値とは

「ベルリンのクラブコミッションでの人たちの話のなかで、クラブの価値はクラブ内で完結するものではないと言っていたのが印象的でした。クラブの本質は、周辺のさまざまな産業や文化にインスピレーションを与えるという点。音楽だけではなく、アートや映画、写真に建築、そしてビジネスの人たちにどれだけ刺激を与えることができるか。

そこで重要になってくるのは、今のトレンドを見せるのではなく、新しい刺激を与えていくこと。それは、現状の価値観に合わないものかもしれない。(既存のマーケットでは)価値がないことをやっていい場所があることが、クラブにとって究極の価値なんだと。クラブに安易に価値を求めてはいけないんだというのはその通りだと思います。

経済振興の文脈も重要ですが、日本でもより深い議論ができると、さらに面白い場所が増えていくと思います」(齋藤)

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観光客に光明を見出す

観光客に光明を見出す

そうした状況に対する打開策はあるのか。両者は、現状の日本の音楽業界について、海外からの観光客の誘致に成功している渋谷のライブハウスWWWや『フジロック』を好例として挙げながら、インバウンドに湧く日本の現状から見いだせる光明について語る。

「東浩紀の『観光の哲学』じゃないですけど、観光客には面白い可能性があると思います。観光客は観光客の無責任さで、ある空間なりの新しさや面白さを発見していくので、日本人にしかわからないコンテクストが無効になりつつ、日本人に見えていないコンテクストも明らかになる。

海外のジャズフェスなんかで現地の人たちに「日本人だ」と伝えるとよく言われるのが「メルツバウが好き」ということだったりします。秋田昌美さん(メルツバウ)とか、灰野敬二さんとか、メルトバナナといったバンドが、ニッチだとはいえ世界中でリスペクトされているという事実はあるんですね。

日本からビヨンセみたいなグローバルスターを出そうと頑張るのは、あまり意味のある頑張りじゃないと思うんです。それよりも、世界中見回しても他にないものをちゃんと価値化した方が勝ち目があるじゃないですか。

ただ、いざ『よそにないものを探せ』と言っても、そもそもよそを知らないので探しようがないんですね。だったら素直に観光客の人たちに聞いてみたらいいと思うんですよ」(若林)

ニッチなコンテンツを集め、インパクトを

「観光客というのはある意味、もともとあるものに対してどんどんと勝手に二次創作をしていく存在。彼らが働かせているセンサーは我々とは違うものなわけです。

観光資源としてのナイトライフにおける体験、ということを議論していて、事実、観光庁はそこは消費の場であるというロジックでやっている。しかし、シンガポールのナイトライフみたいな巨大ななにかが日本にあるわけではない。

では日本になにがあるかというと、大小たくさんの歴史ある文化があって、ニッチなコンテンツの集合体が日本であるといえるのではないか。簡単に真似できないこだわり抜いた本物があちこちに転がっている。

例えばそれにリンクするものだと、近年、日本のアンビエントミュージックが一部の海外リスナーに深く刺さっていたり、小さいけど唯一無二の世界観を作り込んでいるミュージックバーやクラブにお客さんが集まっていたりする現象がある。

ある種の日本らしいこだわりが外国人に評価されているのだと感じます。そういった各所にある層をうまくボリューム感を持って見せることで観光資源化していくのが日本のとるべき方向性だと思う。これは食でも、ファッションでも、建築でも同じだと思います」(齋藤)


「勇気には勇気をもって応えよ」

対談の終わりに2人が今後の課題として語ったのは、ここで語られたようなことを多くの人の腑(ふ)に落ちる形でどう言語化するか、ということだった。

マーケット全体が萎縮し、他のアジアの国々にもシェアを奪われ……という状況に悩むのは音楽業界に限った話ではない。これまでのやり方や考え方とは全く異なる視点、角度を持って変革へ挑まなくてはならないなかで、音楽はそれ自体が現実的な問題にさらされている一方で、そのDNAの中にある種の答えをはらんでいるものでもある。

若林は、著書『さよなら未来 希望篇』において、デヴィッド・ボウイのイノベーターとしての側面について語った「音楽にぼくらは勇気を学ぶ」と題された章の中で、次のように記している。

「イノヴェイションというものの評価は難しい。ー中略ー 仮に売れなかったとしたら、ボウイという人の価値はないものになってしまうのだろうか、ー中略ー 冒険を尊ぶ社会では、みなが冒険をしなくてはならない。勇気には勇気をもって応えよ」

アウトサイダーになることをいとわない勇気と信念が未来を形作り、普遍的な価値を生む、という真理を、我々はこれからも音楽から読み取っていかなくてはならない。

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