半世紀以上にわたり、大阪を拠点に世界中で建築を手がけてきた安藤忠雄。仕事の8割は海外、それでも事務所を東京に移さない建築家が、「2025年日本国際博覧会」「うめきたエリア」「グラングリーン大阪」と大きく動くこの街をどう見ているのか。
都市の記憶、民の力、子どもたちの未来、そして中之島の川面に映る夕暮れまで。大阪への思いを聞いた。
―仕事の8割が海外プロジェクトでありながら、拠点を大阪から動かさないのはなぜでしょうか?
東京に拠点を移せば便利だし、合理的です。でも、私の原点はここにある。生きていくために必要な人間関係のベースがあるのが大阪なんです。よって立つものがなければ、思うような仕事はできません。
大阪の本質は、商人の町としての伝統と気概でしょう。東京が行政や大企業を中心に発展してきた都市だとすれば、大阪は民間の活力によって育ってきた都市です。その分、人と人の距離が近い。その人間臭さが、良くも悪くも、この街の本来の個性です。独学で何の後ろ盾もない私を「面白い奴だ!」といって建築家として立たせてくれたのは、この自由で大らかな風土でした。
東京への一極集中の中で、経済的に存在感が弱くなったのは事実です。しかし万博や「うめきた」と、この数年で街が再び大きく動き始めている。特にうめきたで駅前の一等地の半分を緑の公園にした決断は、本当に意義深かった。普通ならもっとビルを建て、収益を優先する。しかし大阪は「人が集まり、滞在し、出会う場所」を都市の中心につくる道を選んだ。そこに、この街の底力を感じます。
ただ、日本全体に言えることですが、まだ内向きなんです。若い世代が海外へ出て多様な価値観に触れ、自分の頭で考える。そのエネルギーがなければ、都市は本当の意味では再生しないでしょう。
―江戸時代から続く大阪の「民の力」は、今も健在でしょうか?
江戸時代、水運で栄えた大阪には「八百八橋」といわれるほど多くの橋がありましたが、その多くは豪商たち市民の力で架けられたものです。「中之島公会堂」は相場師・岩本栄之助一人の寄付で実現し、「中之島図書館」は住友家の寄贈による。大阪は官が上から整備してきた都市というより、人々が自分たちの街を自分たちで支えてきた都市なんです。私はその精神を、とても誇りに思っています。
もちろん、今は時代が大きく変わった。人々はスマートフォンの画面を見つめ、自分と似た価値観の中だけで生きるようになっている。都市の中で偶然人と出会い、議論し、ぶつかり合う機会は減っているでしょう。ある意味では、人間が「街」から離れ始めているのかもしれない。しかし、大阪の「民の力」はまだ失われていないと思っています。
「平成の通り抜け」では、市民の寄付で中之島周辺に約3000本の桜を植えました。「お金には厳しい大阪人相手にどこまでできるか」と思っていたけれど、結果的には多くの人が協力してくれた。「こども本の森 中之島」(以下、こども本の森)でも、子どもたちの未来のためだと言うと本当に多くの善意が集まりました。「がめつい」と言われがちな大阪人ですが、「自分たちの街を良くしたい」という火がつけば、ちゃんと動くんです。
これからの都市に本当に必要なのは、この公共精神だと思っています。巨大な再開発でも、高層ビルを増やすことでもない。人が自分の街に誇りを持ち、「次の世代のために何かを残したい」と思えること。その積み重ねが、都市の強さになります。大阪にはその遺伝子がまだ残っている。だから私は、この街にはまだ可能性があると思っているんです。
―次の100年、大阪はどんな都市を目指すべきでしょうか?
20世紀の都市は、とにかく効率を追い求めてきました。いかに早く移動するか、いかに大量に消費するか、いかに経済を拡大するか。その結果、便利にはなったけれど、人間がゆっくり考えたり偶然出会ったりする「余白」を失ってしまった部分がある。
よって、次の100年に向けて大阪が目指すべきなのは「人間が主役の都市」でしょう。私は以前から、建築や都市には「無駄」のように見える空間が必要だと言ってきました。目的もなく歩ける場所、立ち止まれる場所、風や光を感じながら過ごせる場所。そういう空間が人間の感性や創造性を育てるんです。グラングリーン大阪で駅前の一等地の半分を公園にしたことは、その意味でも非常に大きかったと思っています。
ただ最新の高層ビルを並べれば、新しい都市ができるわけではありません。本当に重要なのは「都市の記憶」をどう未来へつないでいくかです。大阪には水の都として育まれてきた風景がある。御堂筋があり、中之島があり、公会堂や図書館があり、人々が川とともに生きてきた歴史がある。本来、都市の魅力というのは、そうした時間の積み重ねの中から生まれるものなんですよね。
だから私は、「古くて新しい都市」を目指すべきだと思っています。歴史的な風景をただ保存するのではなく、現代の人間が生きる場所として再生していく。新しい建築と古い街並み、人間臭い路地と最先端の都市空間――そういう異なるものが混ざり合っている状態にこそ、都市の生命力がある。
そしてもう一つ重要なのは、若い世代を都市づくりの当事者にすることです。大人だけが都市を計画し、子どもや若者は与えられたものを消費するだけでは、街はだんだん元気を失っていく。「こども本の森」でも、子どもたちが自由に居場所を見つけ、自分で世界を発見できる空間を大切にしてきました。都市も同じで、「この街は自分たちで変えられる」と若い世代が感じられることが大切なんです。
大阪は決して完成された都市ではありません。少し雑多で、不器用で、未完成な街です。しかし私は、その未完成さこそが大阪の魅力だと思っています。完成された瞬間に、都市は老いていく。だからこそ大阪には、まだ未来があるんです。
―少し話がそれますが、2025年、瀬戸内海に子どものための図書館の船「こども図書館船 ほんのもり号」(以下、ほんのもり号)が就航しました。また、2026年4月からは海外の学校との国際交流も始まりますね。陸に建物を造り続けてきた安藤さんが、なぜ「動く建築」に取り組まれたのか。そしてこの船が、国内外の子どもたちに何をもたらすことを期待されていますか?
「動く建築を造ろう」なんて大げさなことを考えていたわけではないんです(笑)。ただ、瀬戸内海を見ながら、「海の上を『こども本の森』が走っていたらおもしろいんじゃないか」と思った。港に船がやってきて、子どもたちが集まってくる。本を積んだ船が島から島へ動いていく――そんな光景を想像すると、やっぱりワクワクするでしょう。
「こども本の森」は中之島から始まって、遠野、神戸、熊本、松山へと広がっていきました。でも、まだ本と出合う機会が少ない場所もたくさんあります。特に、瀬戸内海の島々には小さなコミュニティーが点在していて、子どもの数も減っている。だから、こちらから会いに行ってもいいんじゃないか、と考えたんです。
本というのは単なる知識ではなく、人をまだ見たことのない世界へ連れていく力を持っていると思っています。子どもの頃に偶然出会った一冊が、その後の人生を変えることもある。最近はスマートフォン一つであれこれ見られる時代ですが、ページをめくりながら自分の頭で考え、想像する時間はやはり特別です。本に囲まれた空間には、人を落ち着かせたり、新しい世界へ開いてくれる力があります。「ほんのもり号」も、そんな新しい出会いを運ぶ船になればいいですね。
―「こども本の森」の広がりを通じて、安藤忠雄さん自身はどう変わりましたか?
この十数年で二度がんの手術を受けて、今は5つの臓器がない状態です。でも、病気くらいで生きることを諦めたくはない。建築を通して社会とつながっている限り、自分はまだ前へ進めると思っています。
若い頃は「どんな建築を造るか」「どう新しい空間を生み出すか」ということばかり考えていました。年齢を重ねる中で、「自分は社会に何を残せるか」ということを以前より強く考えるようになった気がします。「こども本の森」はその一つの答えなのかもしれません。
最初は中之島だけのつもりでした。それが全国各地へと広がり、さらに瀬戸内海には「ほんのもり号」も生まれた。多くの人が「子どもたちの未来のために何かを残したい」と感じてくれているんでしょう。
全ての出発点となった中之島は、大阪人の「心の風景」のような場所だと思っています。堂島川と土佐堀川に挟まれて、水の上に街が浮かんでいるような独特の場所です。夕方になると水面に光が反射して、高層ビルも公会堂も古い建築も、全部が少しやわらかく溶け合って見える。大阪で一番好きな景色を挙げるなら、やはりあの川辺の風景でしょうね。水辺があることで、人の動きにも街の空気にもどこか余白が生まれる。
若い頃から「中之島プロジェクトII」や「アーバンエッグ」など、実現しなかったものも含めてずいぶん勝手な提案をしてきました(笑)。それは結局、自分を建築家として育ててくれた大阪への恩返しをしたいという気持ちなんでしょうね。「こども本の森」があの場所から始まったのも、偶然ではない気がしています。
―旅行者に「最もリアルな大阪」を見せてほしいと頼まれたら、どこへ連れていきますか?
まず、自分の関わった建築なら「こども本の森」でしょうか。子どもたちが自由に本を読んだり寝転んだりしている姿を見ると、「都市の中にもこういう余白は必要だな」と感じます。
うれしかったのは、建物だけで終わらなかったことです。「子どもたちが本を持って外へ出られる場所にしたい」と話していく中で、もともと前面にあった道路が歩道化・広場化され、水辺まで含めてゆったりした空間になっていった。建築の考え方が敷地を超えて街へ広がっていく感覚がありました。
それから、梅田から中津辺りを歩いてみることですね。グラングリーン大阪のような新しい都市空間が生まれる一方で、少し裏へ入れば昔ながらの路地や雑居ビル、小さな飲み屋がまだ残っている。高層ビルのすぐ横に人間臭い風景が混ざっているんです。東京のように整理され過ぎていない。少し混沌(こんとん)としていて、人と人との距離が近い。歩いていると、街の熱や人間の気配が伝わってきます。
最後はやはり「梅田スカイビル」でしょうか。完成した当時は「駅から遠い」「変わった建物だ」という声もありました。でも今はうめきたの開発が進んで、大阪を代表する風景の一つになった。都市というのは時間をかけて育っていくものなんだと、改めて感じています。
―最後に、あらゆる制約なしに「大阪に好きなものを一つ造っていい」と言われたら、安藤さんは何を造りますか?
「都市に風穴を開けるような仕事」をしたいですね。私は事務所を立ち上げた年に、「大阪駅前プロジェクトⅠ」という計画を勝手に考えていました。駅前に密集するビル群の屋上を全部緑化してデッキでつなぎ、地上30メートルの高さに巨大な空中庭園を造ろうという構想です。
まあ、今振り返ってもむちゃくちゃですよ(笑)。当時は仕事もなくて、時間と「何かを造りたい」という気持ちだけは有り余っていた。街の空き地を見つけては勝手に建物を設計し、地主のところへ持って行っていました。当然「人の土地で何を勝手なことを!」と怒られて終わるんですが(笑)。
でも、その頃から変わっていないんです。建築を一つ造って終わりではなく、都市そのものに刺激を与えたい。人の気持ちを少し前向きにしたり、「大阪もまだおもしろくできるんじゃないか」と思えるような仕事がしたいです。
どうせやるなら、大阪市民を巻き込んでやりたいですね。民の力で橋を架け、街をつくってきた大阪だからこそ、次の時代も市民自身が都市をおもしろくしていくべきだと思います。「平成の通り抜け」で植えた桜も随分育ってきました。例えば、その桜並木に呼応するような小さな桜の広場が街のそこここにぽっかり現れたら、それもいいかもしれません。人が立ち止まり、座って、少し季節を感じられる。そんな小さな場所が、都市の空気を変えていくこともあると思うんです。
今も「次は何をやろうか」と考えています。どうせなら、大阪の明日のために、もう少し悪あがきしてみたいですね。

