インタビュー:川崎哲

一方通行の力の政策ではダメ。核兵器のない平和な世界を作るには

テキスト:
Shiori Kotaki
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テキスト:小滝詩織
撮影:谷川慶典

国際条約によって核兵器を禁止し廃絶しようと声をあげ、2007年から活動を続けてきたNGOの連合体、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)。今年のノーベル平和賞にICANが選ばれたことは、すでに多くの人が知っているだろう。2017年12月10日にはオスロで授賞式も行われた。世界中が核兵器の存在に関心を持たざるを得ない今、ICANの受賞は大きな意味を持つ。なぜ日本は核兵器禁止条約に参加しないのか、核兵器のない世界を作るにはどうすべきなのか、被爆体験を聞ける最後の世代として私たちがすべきことは何なのか。ICAN国際運営委員でNGOピースボートの共同代表である川崎哲(かわさきあきら)に話を聞いた。

運動に関わってきた多くの人たちと一緒に喜びを噛み締めたい

—ICANのノーベル平和賞受賞おめでとうございます。

やはり驚きですね。今年、世界で初めて核兵器を全面禁止するという核兵器禁止条約ができました。条約ですから、もちろん世界の政府が作ったんですけど、政府だけでなく、我々のような市民運動が被爆者の方々と手を取り合いながら作り出したとも思っています。そこが評価されたということですから、この運動に関わってきた多くの人たちと一緒に喜びを噛み締めたいと思っています。

—そもそもICANはどういった活動をしているものなのでしょう。

核兵器のない世界を目指す市民活動というものは無数にありますよね。ICANは、そういう世界の色々な団体を取りまとめ、ひとつの共通のメッセージを持ったキャンペーンとして展開しようと活動しているNGOの連合体です。ICANの共通の声というのは、国際条約によって核兵器を禁止し、廃絶しようということです。核兵器のなくし方というのは色々あると思いますが、私たちは条約で核兵器を持つことを廃止し、ゼロにしていこうと活動しています。この運動は2007年にスタートしたんですけど、これを始めたのはオーストラリアの医師たちでした。なぜ医師かというと、核兵器が使われた場合にそこで傷つくのは人間ですよね。人々の健康が傷つけられることを懸念した医師たちが始めたんです。その活動は世界中に広がり、2011年にはスイスのジュネーブに国際事務所もできました。ジュネーブを選んだ理由は、ここには各国の大使や軍縮関係の仕事をしている政府代表が多くいるからです。なので、ICANもここにベースを置き、色々な国の政府の人たちに核兵器を禁止する条約を作りましょうと働きかけを始めたんです。オーストラリアとメキシコが中心になって政府に働きかけたり、赤十字国際委員会も参加して、本格的に条約を作ろうというプロセスが動き出したのは2015年頃からですね。ICANは、それをバックアップしてきました。そして、条約の交渉会議が行われ、今年の7月についに条約ができたのです。

—ICANに参加している団体は世界でどのくらいあるのですか。

今は101ヶ国から468団体がICANに参加していて、そのうちの10団体が中心となって活動しています。日本のピースボートや、イギリス、スウェーデン、ノルウェー、オランダなどの団体が中心ですね。その10団体が執行部となり、色々な方針を決めるために毎週、国際電話会議で議論をしています。そこで決まった方針を、ジュネーブにある事務局が世界各国の468団体に共有します。たとえば、「このキャンペーンで行こう」や「このチラシを使って」「こういうふうに政府に働きかけてくれ」といった呼びかけをして、468団体がそれぞれに動いていくんです。

—活動資金はどうしているのでしょう。

ジュネーブの国際事務所は、熱心な国々や政府からの寄付金を受けて運営しています。民間の財団や加盟している参加団体からも寄付を受け、なんとかギリギリまかなっている感じですね。残りの活動は468団体が自分たちのお金で活動するという感じです。ですから、ピースボートの場合は、ピースボートのお金で、ピースボートとして日本でやるべきことをやってます。

世界中の国が核を持つ世界と、核が全面禁止されている世界

世界中の国が核を持つ世界と、核が全面禁止されている世界

—川崎さん個人としては(ピースボートの活動も含め)普段どういうことをしているのですか。

以前からずっと核軍縮の問題には関心を持っていて、ICANの前も別のNGOで同じようなことを追ってきました。そのなかで「こういう条約を作るべきだ」と提案をすることも多いんですが、この仕事内容は日本に対してと世界に対してでは違ってきます。日本での主な仕事は、日本政府との対話です。外務省の中にある軍備管理軍縮課の方々とは普段から話をしていて、日本も積極的に核兵器禁止条約に取り組んでほしいと言っています。相手側もNGOとの対話は必要だということになっているので、一応話はしてくれます。しかし、どれだけ真面目に聞いてくれているかはまた別問題で、あまりちゃんと聞いてくれてないような気がしますね。だから、プレッシャーをかけていく必要があるんです。たとえば、核兵器廃絶の願いを皆で応援しようというヒバクシャ国際署名という活動があるんですけど、今、全世界で500万人くらいの署名が集まっているんですよ。こういう署名活動を広げていき、その数が増えれば増えるほど日本政府も真剣に考えなくてはならなくなるわけです。こうやってプレッシャーをかけていく。これが日本でやる重要なことですね。

—世界に対してはどう活動をするのでしょう。

ピースボートの活動を通じて世界に被爆者の方を連れて行き、色々なところで証言をしてもらう活動に力を入れています。被爆者の方々には、条約を交渉する国際会議の場にも行って傍聴していただき、そこで発言をしてもらうこともあります。こういった活動はとても大切なことですが、被爆者の声をストレートに伝えるだけでなく、もう少し政策レベルでの話もしなくてはなりません。これは夢物語ではなくて、核兵器を禁止したほうが世界中の国すべてにとって良いのだということを言わないといけないわけです。今、北朝鮮問題が深刻になっていますが、世界的に核兵器を禁止するということは、北朝鮮の問題を良い方向に解決するためにもプラスであると思うんです。北朝鮮だけを封じ込めて力で押さえつけてたって、反発されるだけですから。押せば反発の繰り返しですよね。ですから、一方通行の力の政策ではダメなんですよ。なので、北朝鮮の核も当然ダメだし、世界的に核兵器はダメなんだっていうルールを作って、そのルールのもとで北朝鮮にも従ってもらう。こうしたほうが長続きする解決策になるわけです。なので、この禁止条約を作るということは、安全保障問題の解決にもプラスなのだということを説得するために、国際会議で発言をしたり、書類を書いて提出したりもしました。

—せっかく核兵器禁止条約ができたのに、残念ながら日本は参加をしていません。その理由について川崎さんはどう考えますか。

政府に「なぜ参加してないんですか」って聞くと、彼らは核保有国と非核保有国の溝が深まるからと言うんですね。でも私は、これは言い訳だと思っています。結局、核兵器を全面禁止してしまったらアメリカの核兵器も禁止するってことになるじゃないですか。日本政府の人、あるいは日本の安全保障や防衛政策のことを考えている人のメインの人たちは、北朝鮮の核兵器は絶対ダメだけど、アメリカの核兵器は保持しておく必要があるという考え方なんですよ。この考え方に基づくと、核兵器の全面禁止はダメだということになるわけですよね。単純に言うと、これが核兵器禁止条約に参加しない理由なんだと思います。

—北朝鮮の核兵器は絶対ダメだけど、アメリカの核兵器は保持しておく必要があるとは。

北朝鮮の核問題は深刻な問題ですから、核の脅威がある以上、こちらにもある程度の備えは必要。そうするとアメリカの核も必要だから、そうそう簡単に禁止条約なんて言うべきじゃないという反応は、ちまたに十分あると思います。「北朝鮮が怖い」、そう思う人たちの気持ちは分からなくもないです。ですが、私たちは冷静にものを考える必要があります。これは政府の方にも、ちまたの人にも言いたいのですが、相手が核を持っているから自分たちも核が必要だという理論を突き詰めていけば、みんなが核を持った方が良いってなってしまうじゃないですか。そういう話になったら世界中が核だらけになりますよね。核だらけになった方が安心だっていう人もいるかもしれませんが、私はどうかしてると思いますね。銃社会と同じ話で、みんなが銃を持ったらどうなるかはアメリカを見ていたら分かりますよね。銃が全面禁止されている日本でも偶発的な事故は起きますけど、日本とアメリカでどっちが安全かといったら、明らかに全面禁止されている日本です。同じようなロジックで、世界中の国が核を持つ世界と、核が全面禁止されている世界のどっちが安全かといったら、答えははっきりしてると思います。まあ、こういう理屈をこねなかったとしても、北朝鮮とアメリカが挑発し合っている状況を見ていたら大変危険なのが分かりますよね。このまま挑発が続いていったら、本当に戦争が始まってしまうかもしれない。アメリカと北朝鮮が戦争を始めたら、核を撃たないという保証は全くないわけですよ。核が使われたら本当に取り返しのつかないことになるので、北朝鮮が核を持っているからこっちも必要だという議論は、勇気を持って卒業しないといけない。今回の禁止条約はこのことを教えてくれているし、今回のノーベル平和賞はそれを言っているのではないかと思うんです。

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被爆者の生の声を聞ける最後の世代

被爆者の生の声を聞ける最後の世代

—川崎さんは普段から被爆者の方と一緒に活動されているので、色々な話を聞くことも多いのではないでしょうか

私はピースボートの活動を通じて、170人くらいの被爆者の方と一緒に船で世界を旅してきました。一人一人の被爆証言を聞いてきましたけど、恐ろしい話は山ほどあります。よく出てくるのは、被爆した子どもが大人たちの遺体を焼かなくてはならなかった話。皮膚だって熱でドロドロに溶けているわけですよ。それを運ぶ時の手の感覚の恐ろしさだとか、そういう悲惨な話は山ほど転がっています。ではなぜ、その時の辛い経験を思い出して語り部をやるのか。それは、みんなあの時に救えなかった人がいるからです。目の前で死んだ人を見捨ててきたとかね。だから自分はその人に代わって喋る。それは、生き残ってしまった自分の責務であると言うんです。そういう想いはほとんどの方が持っていると感じています。

—私たちのような世代にとって、戦争は歴史の授業の一つなんですよね。勉強はするんですけど、遠い昔の話で、どこか自分には関係がないように思ってしまうというか。若い世代に対して何か伝えたいことはありますか。

今の若い世代は、とてももったいないなと思います。日本は、唯一の戦争被爆国なんですよね。私も今中学生の息子がいるので、小中学校の教科書とかを見せてもらうんですけど、日本の教科書はよくできていますね。広島や長崎のこともいっぱい書いてあります。でも、文字として書いてあるだけですよね。日本の若者は、学校で教わる機会を得て、かつ身近に話を聞ける人が山ほどいるわけですが、ヨーロッパやラテンアメリカ、アフリカなどの若者は被爆者にはほとんど会ったことがない。だから、私たちが船で訪ねて行って、日本以外の国のICANの若者たちに被爆者の証言ですっていうと、彼らは食い入るように話を聞くんです。被爆者と対面するのは、一生に1回の機会かもしれないんでね。しかし、日本に帰ってくるとそんなことはないんですよね。教訓を学べる大先生がいて、タダで話を聞けるわけですから、もっと話を聞けばいいじゃないって思うんですけど。「核はどうあるべきか」なんていう話を専門家がテレビで語ってますけど、その前に私たちは「核兵器とは何なのか」という話を被爆者から直接聞けるんです。その立場を全く活用していないというのは、大変もったいないことだと思いますね。

—今、被爆者の皆さんの平均年齢はいくつくらいなのですか。

平均82歳と言われてます。戦後72年ですから5歳だった人が77歳ですよね。でも、5歳の時のことってほとんど覚えていないですよね。だから、戦争を体験したのが5歳くらいの時の人になってしまうと、記憶のレベルで言えば被爆2世とあまり変わらないわけですよ。第1世代で、記憶の生々しい人。たとえば、当時15歳だった人はもう87歳ですから、これからも話を聞き続けるというのは厳しくなってきます。彼らが年老いてきている今、彼らを被爆体験をした最後の世代だという言い方もできますし、逆に、今生きている私たちを被爆者の生の声を聞ける最後の世代とも言えます。最後に話を聞ける世代がどのくらいの気持ちでそれを聞いて、次の子どもたちに残すかというのは、とても大事なことだと思いますね。

—生の声を聞くことはとても大切だと思うのですが、たとえばドキュメンタリーなどのように、それ以外で彼らの言葉を後世に残す良い方法はないのでしょうか。

記録やドキュメンタリー、オンライン化。そういったことは重要な仕事だと思います。専門にやっているNPOなどもありますので、頑張ってもらいたいと思いますね。一方で、体験の証言活動に関わっていると、証言って無くなってしまう時には無くなってしまうと思うんですよ。というのは、証言はコピペできないですから。デジタル音声にすることは重要ですが、生の声としては無くなっていくということを私たちは受け止める必要があると思います。なので、被爆者の方が生きているうちに核兵器禁止条約が国際ルールになったことは、歴史的でとても重要なことなんです。私は、この禁止条約を1つの遺言みたいなものだと思っています。あとは、ホロコーストの問題と比較することが多いですね。彼らが懸命に活動したことによって、ホロコーストのように特定の社会集団を皆殺しにすることは、絶対に許されない国際犯罪なのだというルールが確立されましたよね。それは、本当に努力の賜物だと思います。今、ホロコーストの生き証人ってほぼいないんですけど、アウシュビッツの博物館に行くと、ホロコーストを知らない次世代の人たちが「ホロコーストはこういうものでした」と案内しています。ところが、広島や長崎の資料館に行ってみると、そこで一生懸命案内しているのは被爆者の人たち自身なんですよね。彼らが老体に鞭(むち)を打って、ボランティアでやっているわけですよ。残念ながら、若い世代の人たちがプロフェッショナルガイドとなって、その経験を伝えるというシステムがまだできていないんですよね。記憶をそのまま継承することは無理だと諦める必要はありますし、記憶の部分はなるべくアーカイブ化させておくことも大切です。ですが、後世の人たちは、体験をそのまま語るのとはまた違った形で、核兵器が許されないものであることを伝える仕組みを作っていかなければならない。それは、我々の世代がしっかり考えなくてはいけないことだと思います。

ICANというものをネタにしてほしい

ICANというものをネタにしてほしい

—先日「自分を兵隊にする改憲をしたがるお前たち、馬鹿だなあ」と書かれた新聞記事がツイッターで流れてきたんですよ。政治関係の言葉は難しいものが多くて理解するのも一苦労なのですが、とても伝わりやすいなと思いました。

その点は課題ですよね。核兵器禁止条約の話なんかも「核兵器禁止条約」って漢字7文字ですから、それだけで大変ですよね(笑)。それにはどういう意味があって、なぜ必要かということを伝えることが大切なんですけど、やはりなかなか伝わらないんですよね。ICANの運動では、できるだけ分かりやすく伝えられるように動画を作り、Facebookなどのソーシャルメディアで拡散もしました。そうやって、核兵器を禁止することの意味を広げてきた実績が、今回の受賞にも繋がったと思っています。日本の反核運動の歴史は長いし、団体もものすごく多いんですよね。だけど、どちらかといえば難しい話に傾倒しがちです。なので、どうしたら分かりやすく広められるかという部分に課題が残っていることは間違いないと思います。

—ノルウェーでの授賞式にも出席しました。

私は、授賞式を出発点にしたいと思っています。「受賞よかったね、おめでとう」で終わってしまうのが嫌なんですよ。むしろ、その授賞式の日から頑張っていくべきだと思うんですね。これまでほとんどの人がICANなんて知らなかったと思います。核兵器禁止条約だって、できたことを知らない人がほとんどですよね。でも今回の受賞で、「核兵器禁止条約っていうのができたんだ」「ICANっていう市民運動があるんだ」というように、世界中の人たちに知ってもらえたわけです。しかし、認知度が高まったとはいえ、まだまだ知らない人も多いと思うので、まずは核兵器禁止条約というものがあるんだよということを広めていけたらと思います。そして、ICANというものをネタにしてほしい。話題にしてもらいたいと思うんです。ツイッターに新聞記事が流れてきたとおっしゃいましたが、それは誰かが読んで面白いと思ったから拡散しているわけですよね。そういうことを、この核兵器の問題についてもしてほしいと思うんですよね。これまでいろんな政府の動きを見てきましたけど、政府というのは世論が動くと動くんですよ。みんなが注目してると思うと、彼らは動かざるを得ないんですね。なので、ノーベル平和賞の受賞を機に「核ってどうなってるんだろう」「核兵器禁止条約ってなんだろう」「ICANってなんだろう」って興味を持ってもらいたい。そして、面白かったら拡散するということをしてくれると、それは大きな力になるんです。私たちもICANに関する情報や、核兵器禁止条約に関する情報を日本語でもどんどん広げていきたいと思うので、そういう情報を自ら入手して広げる努力をしてもらえたら嬉しいですね。

—今後挑戦していきたいことを教えてください。

とにかく、ICANや核兵器禁止条約のことを話題にしてくれる人を100倍、1000倍に増やすことが目標です。条約の難しい中身のことを言えばいくらでも喋れますが、これからは分かりやすく多くの人に広めて、共有していくということが大切だと思います。これまでは専門的な一部の人たちが頑張ってやってきましたが、ノーベル平和賞の受賞を経て、今までよりも100倍、1000倍の人たちと一緒に活動できる機会を得たのですから。私は、これまで難しい話を詰めてきた側の者なんですけど、この1年は今まで出会う機会のなかった人にもたくさん出会いたいし、そういう年にしていく責任があると思っています。

ICANの活動をよく知る女優の東ちづるが受賞を祝福

世界中の核兵器廃絶キャンペーン活動をしている人たちとおめでとうを言い合いたいです。ICANがノーベル平和賞を受賞できたというのは、今の世界情勢へのメッセージだと思います。平和や核兵器に対する考え方を改めるチャンスになったのではないでしょうか。日本も含めて、核兵器に向き合うきっかけになれば良いと思います。

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